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169.払暁

「――Reo V.は、ヒトや動物など、高等動物の消化器系や呼吸系に広く分布するウイルスであるので――」


 ミーナが読み上げる内容を理解しながら、アキオは別なことを考えていた。


 傭兵時代から、人は、アキオが極端に無口なので、彼を、何も考えない兵士だとみなしていたが、そんなことはない。


 彼は、何かきっかけが与えられると、ひと一倍考えてしまう性質たちなのだ。


 ただ、思考の過程も、その結論も外には表さないだけだ。

 だから、何も考えていないと思われてしまう――


 彼自身は、自分を一個の兵器だとみなしているので、おのれが思索にふけるのはおかしいと思っている――だが考えてしまうのだから仕方がない。

 

 何より彼は()()()()、過酷な人生経験で、()()()()()()()()()()()()()()ことは分かっていたが、未だ絶望を知らずにいたのだ。

 彼が、()()()()()を知って、あらゆる心の活動を凍結、停止させるのは、もう少し先のことだった――


 薬物と心理的()り込みによって、感情と欲望は抑制(よくせい)されているが、同時に与えられた、()()()()()()()、という最優先命令のための最適解を見つけるために、常に頭はクリアにしておかねばならない。

 漠然(ばくぜん)とした思考は、彼のような兵器には命取りになるのだ。

 

 今も彼は考えている。


 なぜ、自分は、こんな研究論文を読んでいるのか。

 そもそも、なぜ身体が動くようになったのに、ここに留まっているのだろうか。

 動けるようになれば、この簡易牢獄(かんいろうごく)のような場所から脱出するのは当然なのに。


 学習するのは少女を助けるため――しかし、なぜ、自分には関係のない者を助けようと思うのか。


 よくわからない。


 博士が、自分の身体(からだ)を実験に使うのは理解できる。

 ほかに実験体がいないからだ。


 彼としても、あのまま放置されていたら、確実に死んでいたのだから、助けられ、一応は動ける体に戻してもらった代価(だいか)として、しばらく実験動物モルモットになるぐらいは仕方がないと思っている。


 苦痛はあるが、それは精神から切り離せばよいだけだ。


 幸い、博士は、貴重な実験体(モルモット)を殺すつもりはないようなので、急いで逃げ出す必要もない。



 もし、任務が完遂かんすいできていなかったなら、一刻も早くここを抜け出して、再び基地に潜入する必要があるが、最後に見た光景で、彼は敵が壊滅かいめつしていることを確信していた。


 ならば、あわてて軍に戻ることはない。


 どうせ、本部からは、使い捨て兵士(エクスペンダブル)として捨てられた身だ。

 そういったことは、これまでにも何度か経験している。

 このまま、しばらく身を隠すのが正解だった。


 まだ体は完全復調と呼ぶには程遠(ほどとお)いが、博士の研究成果のおかげで、少しずつ回復している。


 要するに、今の彼にとって、博士は衛生兵メディックのようなもの、つまり()()なのだ。


 アキオは、さらに思索を続ける。


 博士が友軍ということは――シヅネは博士の娘、それも溺愛している、であるから、彼女も友軍と言って差し支えないだろう。


 そう考えると、急に思考がクリアになった。

 味方なら、助け、手を貸して当然だ。



 アキオは、眼だけを動かして、隔離ガラスのそばに置いたソファに身をうずめて読書する少女の顔を見る。


 彼に似た、黒に近い栗色の髪、仮面から(のぞ)鳶色とびいろの瞳、そして、目元から上を覆った乳白色のマスク――


「なにを見ているのアキオ」

 彼の視線に気づいた少女が尋ねる。

 アキオは答えない。

「じっと見ないで――あまり気にしないようにはしているけど、やっぱり変だとは思っているのよ。このマスク」


 アキオは黙っている。

 この時、彼は、シヅネを()()()()()()()見つめていたのだ。


 彼なりの感じ方で――


 少女のどこが綺麗きれいなのだろう。


 試しに、アキオは自分が美しいと思うものを列挙してみる。


 ずっと戦場で使っていたシグ・ザウエルP226。

 旧式であるが、機能的で美しいデザインだ。


 次に、これも戦場で使っていた強化焼き入れしたMK5ファイティング・ナイフ。

 両刃もろは刃背とうはい鋸刃セレーションを施したカスタム仕様で、そのシルエットは美しい。


 あと――テミス地帯で乗っていたレシプロ・エンジンの二輪はどれも美しかった。


 そしてイスミ――彼女は大きく、強く、美しかった。

 ゾウは真に美しい生き物だ。


 そうして――

 あらためて、彼はシヅネを見る。


 半光沢はんこうたくのある乳白色の仮面は、小さくぴったりと彼女の頭部を包み、二つの切れ上がった穴からのぞく目は、馬やゾウのように知的な光をたたえて濡れ輝いている。


 頬から下に見えている唇は、バラのつぼみのようにピンク色に形よくまとまって、笑うたびにのぞく白い歯が目に鮮やかだ。


 仮面の背後から伸びた髪も、馬の尾のように綺麗きれいで好ましい。



 女性の美というものが、アキオには、いまひとつわからない。


 しかし、彼の好きな動物に似た美しさを持ち、()()()()()()()()仮面を被った、ある意味混成物(ハイブリッド)の生き物であるシヅネは、彼にとって、まぎれもなく美しかった。



 その時、博士がやって来る。

 四角い装置を手にしているのは、彼女のデータ計測を行うためだろう。


 アキオは、椅子から立ち上がると、与えられた個室に向かおうとする。

 いつも計測の時はそうしているのだ。


 立った途端に、激しい眩暈めまいに襲われた。

 ナノ・マシンによる影響だ。

 吐き気と頭痛もひどくなる。

 しかし、顔には出さず、シヅネに後ろ手で手を振ると、アキオは歩き出した。


「待って、アキオ」

 背後から声を掛けられ、彼は振り返った。

「今日はそこにいて」

 少女の言葉に、博士は眉を上げる。

「しかし、おまえ――」

「いいのよ、お父さま。わたしが、そうしてもらいたいの。ここにいて、アキオ」

 カヅマ博士は、不承不承にうなずく。


 アキオは、ガラスに近づいた。


 かつては、素肌の上にガウンを着て過ごすことの多かった彼女も、アキオをそばに置くようになってから、上下とも、普通の衣服を身に着けるようになっている。


 今日は、ピンクのブラウスに白いスカート姿だ。


 シヅネは、ブラウスのボタンを、ひとつずつ外していく。

 全て外すと、肩から服を滑らせて脱ぎ、椅子の背に掛けた。

 ついで、スカートも脱いでいく。

 下着姿になった少女は、優雅にくるりと一回転した。

「それはなんだい」

 博士が尋ねる。

「ちょっと回ってみたい気分だったの」

 そう言って、笑ったシヅネは、上下とも下着を脱いだ。


 天井から降りてきた無影灯むえいとうが点灯し、仮面をつけた少女の裸体が光に浮かび上がる。


 博士が検査装置のスイッチを入れると、いつものように少女は腕を上げてゆっくりと一回転した。

 次に少女は髪を上げ、背中を見せる。


 その間、アキオは、じっとシヅネの身体を凝視ぎょうししていた。

 別に、彼女に男として興味があったわけではない。


 幼少時の強化によって、彼には、常人の3倍近くの視力があった。

 その能力で、彼は、シヅネの身体に生じている異変を見つけていたのだ。

 少女の体の各部に、丸く灰色がかった色に変色した部分ができていた。

 当然、博士もそれに気づいていて、片眼鏡モノクルに似た装置を目から外しながら、険しい表情をしている。



「シュッツェ、ちょっと来てくれ」

 そう言って、博士は、アキオを連れて、研究室の方へ行ってしまった。


 それを見送ったシヅネは、ゆっくりと下着をつけ服を着る。

「なぜ、アキオに見せたの?いつもは嫌がるのに」

 アキオの椅子の横に置かれたミーナが声を掛ける。

 少女は、陰のある微笑みを見せた。

「だって、アキオには、()()()()()()のわたしを覚えていて欲しかったから。あなたにも分かっているでしょう。もうすぐ、わたしは人間ではなくなるの」

 それに対するミーナの答えは、彼女の予想を超えていた。

「彼を好きなの?」

「好き?うーん、そういうのとは、ちょっと違うかな。わたしはね、アキオのことが心配なの。たぶん、彼はわたしがいなくなった後も長く生きると思う。でも、今のまま、生きていてはいけないと思うの。アキオは、ま()()()()()()()から」

「彼は、身体能力は規格外だけど、人間よ」

「体じゃなくて心の話よ。あなたが話してくれたドイツ人の傭兵さん――」

「シュトゥット・マイヤーね」

「その人が、子供の頃の彼にいったように、彼は、人間であれ(メンシュ・ザイン)、でなければならないと思うの」

人間であれ(メンシュ・ザイン)……」

 シヅネは可愛く笑う。

「あなたたちは似ているから、よく分からないかもしれないわね――笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣いて、歌いたい時に歌う、そんな毎日を暮らして欲しいの。そして、わたしのような怪物でない、普通の女の子と恋をして――1人じゃなくてもいいわ。いっぱい、たくさん恋をして人生を楽しんで欲しいの」

「あなたの代わりに?」

「そう、そうね。わたしの代わりに。あなたもよ、ミーナ。いずれ、あなたも自我を持つと思う。あなたほど高性能ならきっとそうなるわ。そうしたら、あなたも恋をして、人生を楽しんで――」

「あなたはどうなの?あなたも人生を楽しまないと」

「――そうしたいけど、たぶん、わたしには時間がもうない。でもいいわ。わたしは、今まで、たくさんの本を読んで、映画を観て、多くの人生を追体験してきたから――」

 そう言ってから、シヅネは早口で続ける。

「ミーナ、いま、やっとアキオの人間としての入口が開いたところなの。でも、わたしがいなくなれば、また、きっとすぐに、それは閉じてしまうと思う……だから、あなたが、わたしの代わりに――いいえ、わたしになって、アキオを人間へと導いて欲しい」

「それは無理です。わたしは、少し高性能のAIに過ぎないのですから」

 ミーナは、元通りの機械的な口調になる。

「ねえ、お願いよ――」

 シヅネは懇願(こんがん)する。

「クマリ!」

「わたしはミーナクシーだ」

「ではミーナ。お願い!わたしがいなくなったら、あなたがアキオのコオロギ(クリケット)になってあげてね」

「なんですか?」

「ピノキオよ、知ってるでしょう。良いことと悪いことの違いを教えるの。ピノキオのジェミニイ・クリケットみたいに」

「わたしは魚だから虫にはなれない」

「いいわね、その反応、好きよ。でも、お願いね。わたしなりの『漆器の箱(ジャパンド・ボックス)』を残せたらいいけど」

漆器(しっき)?」

「ううん、それはいいの。お願いよ、ミーナ」

「わかりました。でも……あなたのいう、木の人形が動き出す話に、コオロギは出てこない――」

「それは原作ね。わたしは、映画の方が好きなの。知らなかったら、観てちょうだい。研究所のメイン・メモリである、データ・キューブ内の映像ライブラリにあるから――」

 そう言って、シヅネは、ほっと一息つく。

「良かった、伝えておきたいことはいえたから……実際のところ、わたしがいなくなったら、アキオはどうなるかわからない。できるなら、わたし無しでも今とまったく変わりなく、開きつつある人への扉を開けて、人間らしい生活を歩んで欲しいけど――心配だわ」

 そういって、少女はふっと笑い、

「これは、いけない願望なのかもしれないわね。わたしが消えたら、彼が壊れてしまうくらい、自分の存在が大きいものであって欲しいっていう――」

「たぶん、アキオは壊れてしまう。あなたほど、彼の中で大きな存在になった人はいないから」

「そうかしら。だとしたら、半分嬉しく、半分怖いわ。ミーナ、彼を支えて。あなたならできる――アキオには同じことを、わたしの口からいうつもりだけど、もし時間的に間に合わなければ、あなたから伝えてね」


 そして、最後に少女はすっきりとした表情で言った。


「さあ、あとは、わたしの本当の名前を教えるだけ――」

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