166.親交
「ということは、あなたは、もっと人間らしく、女性らしく話すことができるのね」
少女の質問にミーナが答える。
「肯定。先ほど話したように、わたしの基本プログラムは、ある少女の人格を模して作られています。だから――」
「じゃあ、それで話して。今のように機械みたいな話し方ではなく」
「わたしは創造主によって、クマリを名乗ることを禁じられています」
「女性らしい話しかたまで止められてはいないのでしょう」
「――肯定、彼との会話には必要がなかったので使わなかったのです」
「それならいいわね。使ってみて」
「その行為に意味があるとは思えません。わたしは自我をもって自分でそう話すのではなく、言語使用プロトコルによって、ただヒトの真似をしているだけ――」
「それでいいのよ。ただの真似でも千回、万回繰り返せば本性になる、って何かの本に書いてあったもの、さ、やって」
AIはしばらく黙った後、話し始めた。
「わかったわ。あなたの仰せの――いうとおりにするわ。こんな感じでいいかしら」
「いいわね」
少女は、ミーナのカメラに向かって大きくうなずいた。
「それで、あなたに聞きたいことがあるの」
AIが改まった口調で少女に尋ねる。
「なにかな?」
仮面の下の少女の口元が微笑む。
「彼は戦闘で身体に多量の放射能を浴びているの。その治療はできているのかしら」
少女は、背後でふたりの様子を見ていた父を振り返る。
「大丈夫だよ。お前は心配しなくていい」
男はそう優しく娘に言うと、AIに向かって続ける。
「最初は、あいつの生身の部分には何も問題はないと思ったんだが、念のために脳の精密検査をして、放射能症の兆候を発見した。もちろん薬物治療で治療してある。心配するな」
死なれては実験ができないからな、という本音は言わず、娘に対して笑顔を見せる。
現在、博士がナノ・マシンの実験用に使っているのは、自らの細胞から作ったクローン体だけだが、これには意思・知能がないために、本当の意味での実験にはならないのだった。
かつての実験結果から、理由は分からないが、ナノ・マシンは意識のあるなしで生体に対する反応が違うことが分かっている。
その意味で、今回、偶然手に入れた実験動物は理想的なものだった。
「良かったわね」
そう言ってから、少女は今になって気づいたように付け加える。
「クマリ、あなたの名前を聞いただけじゃ不公平ね」
「違う。わたしはミーナだ」
AIは主張する。
「また口調が戻ってるわよ。わかったわ、ミーナ、わたしの名前はシヅネ。シヅネ・ヘルマン」
そう言って悪戯っぽく笑い、
「本当の名前もあるけど、あなたと同じで滅多に使わないの。いつか本物の親友になったら教えるわ」
シヅネは振り返って、男を見ながら言う。
「この人は私の父、カヅマ・ヘルマン博士よ。天才なの」
娘の紹介に、ヘルマン博士は鷹揚にうなずく。
「あとは――ああ、そうだ。彼の名前を教えて」
少女は、黙ったまま、ふたりの会話を眺めている青年を見ながら言った。
「あなたも、わたしも、父も名前が分かったのに、彼だけ名無しじゃおかしいでしょう。彼の名前は軍務には関係ないはずよ」
シヅネは昔の映画で、捕虜になった兵士が、認識番号と名前のみを答え続けていた場面を思い出して言う。
「わかったわ。彼の名はアキオ。アキオ・シュッツェ・ラミリス・モラミス」
「家系派なのね」
家系派、それは宗教的な分類名ではない。
世界に戦火が広がり、混沌の時代となった現代において、自分の祖先に敬意を払い、自らの名に、彼らの名をつなげ冠する人々をそう呼ぶのだ。
「そして、名前の感じから考えて、日本、ドイツ、イタリア、スペイン、メキシコの遺伝子が混じっているのね」
「ええ。そのほとんどが消えてしまった国だけど」
「名前でわかるだろうけど、父もわたしも日本人の血が流れているのよ。それでね――」
シヅネは、仮面のこめかみに指をあて、しばらく考えると、
「ねえミーナ。アキオは、自分の過去を話されるのを嫌がるかしら」
「感情的にですか?おそらく気にしないでしょう」
「軍務といっても、今も秘密にしなければならない過去の任務以外なら、わたしに話してもいいんじゃないの」
AIは再び黙りこみ、やがて答えた。
「わかったわ。わたしの判断で、教えてよいと判断した情報をシヅネに話すことにする」
「ありがとう」
シヅネは手を打って喜び、
「あなたと、カヅマ・ヘルマン博士には、命を救ってもらった恩があるから」
ミーナが、人間らしく答えた。
そのヘルマン博士は、アキオの名前の話になった頃に、興味を失ったように、すでにその場を立ち去っている。
「アキオにも、その気持ちが少しでもあればよかったのに」
シヅネは、台車の上で黙して語らない青年を見てため息をついた。
それから仮面の少女は、AIミーナからアキオという名の青年の生い立ちを詳しく聞き始めた。
ひと月が経った。
博士は、アキオを放置したままだ。
まだ、彼の身体の部分クローンが出来上がっていないからだ。
博士としては、娘が彼に興味をもってAIと会話することで、研究所を抜け出すような過激な行動を抑制できると考えて、彼女たちの交流を容認していたのだった。
アキオの生い立ち、過去について、ひと通り話を聞いたシヅネは、以前に増して、よく彼に話しかけるようになった。
相変わらずアキオは、まったく反応しないが、それにはかまわず一方的に話し続ける。
それでも、1か月を超えると、さすがにかける言葉がなくなってきた。
そこで、彼女は、ある策を思いついた、
書架に並んだ本を取り出し、それを朗読し始めたのだ。
分野にはこだわらず、その日の気分で、古今の名作物語であったり、伝記であったり、図鑑などを、アキオに見せながら読み聞かせる。
どこから手に入れたのか、古いアナログ・レコードによるオペラを聞かせることもあった。
片面およそ20分の記録媒体なので、2時間半を超える作品なら、聞き終えるまでに、7回も盤面を裏返さなければならない。
「たぶん、それは良い作品かもしれないけど、どうして電子データで聞かないの?」
ミーナの問いにシヅネは笑う。
「わからないでしょうね、ミーナには。このデジタル化されない音の良さが――」
「わからないわ」
「いずれ、あなたが自我をもったらわかるかもね。それに、これには隠れた利点があるのよ」
「隠れた利点?」
「20分で一区切りつくから、いい頃合いで休憩できるのよ。通して聴けるデジタルデータじゃ、こうはいかないわ」
「自分で区切りをつければ良いじゃないの」
ミーナの言葉に、少女は、わかってないわね、という態度で首を振る。
「まあ、良いじゃない。それも、いずれあなたが自我と感情を持てばわかるんじゃないかな」
ふたりが会話を続けるその間も、アキオは表情を変えずに音楽を聴いている。
3か月が過ぎる頃になって、カヅマ博士は、アキオを伴って手術室に入った。
数時間後、アキオが手術室から運び出される。
見かけ上、胸から下が再生されていた。
「まあ、手も足も機械じゃなくなったのね」
手足が生身になって、車輪付きベッドに寝かされたアキオをガラス越しに見て、シヅネは大喜びするが、ミーナは黙っている。
「お父さま。ありがとうございます。アキオを治してくださって」
「何でもない事だよ。今日は、身体の中心となる有機外殻ボディに、出来上がった手足をつけただけだからね。まだ、ほとんど体は動かせない。今後は、心臓、肝臓、腎臓などの内臓を加えていくつもりだから、最終的には、かなり生身に近い半機械化人になるはずだ」
「完全な肉体にはなれないの?機械の補助がまったくない――」
「そうするためにも、しばらくしたら、彼に実験に協力してもらうんだよ」
カヅマ博士は優しく娘に言う。
そうして、極北の基地にやってきてから4か月後に、アキオを使ったナノ・マシンによる人体実験が開始されたのだった。