165.回復
「では、再起動させるよ。いいかね」
青年の身体に対して、何か細かい作業をしていた父が娘に声をかけた。
少女は、再び分厚いガラスの向こうの隔離室に入れられている。
だが、その表情に不満の色は無かった。
隔離ガラスのすぐそばに、さっき彼女が見つけた青年が寝かされ、父によって治療――修理を受けているのだ。
「――この人、怪我をしているの?」
あの時、ドーム外の騒動に気づいて、走って来た父に向かって、彼女は尋ねたのだった。
「こいつは――どこから来たのだ?」
「わからないわ。ここに倒れていたの。お父さま、この人は怪我を――」
「いや、こいつは機械化兵だ。最前線で戦う下級歩兵だな」
彼は、馬鹿にした口調で言い、
「怪我をしているわけじゃない。壊れているだけだ。このタイプは脳機能の保護が装備されているから、部品さえ換えてやれば、すぐに元通りになるはずだ」
「わぁ」
手を叩いて喜ぶ娘に、一瞬、和やかな気分になりながら、カヅマ・ヘルマン博士は努めて怖い声を出した。
「それより、お前は、すぐに部屋に戻らないといけないよ。いったい、どうやって抜け出したのか――」
「ごめんなさいね、お父さま。でも、わたしは嬉しい。だって――」
少女は両手を広げて空を仰いだ。
「生まれて初めて、外の世界を見たんですもの。素晴らしいわ――それに、お父さま以外の人間も見つけたし……」
そう言って、動かなくなった青年を見つめる。
「こいつが人間と呼べるかどうか……」
博士はつぶやいて、
「とにかく、早く部屋に戻りなさい。わたしは、ヴァーサ・ボットで、こいつを運ぶから」
「わかりました」
そういって、少女は研究所に戻りかけ、
「その人の治療……」
「修理だ」
「修理は、わたしが見える場所でやってね」
「わかった」
そして、今、彼女の見つけた青年の治療――応急修理が終わって、父が目を覚まさせるところなのだ。
少女は、わくわくする気持ちを抑えきれずに父を見る。
パチッと何かが爆ぜるような音がして、小さな火花が飛んだ。
青年がゆっくりと目を開ける。
「おはよう」
少女が言った。
ガラス越しではあるが、マイクを使って声は届くようになっている。
青年は返事をしなかった。
彼女を見つめ、ゆっくりと目だけ動かして、あたりを見回している。
「お前の名前は」
博士が尋ねた。
「もう、気づいているだろうが、一応言っておくと、お前の運動機能は完全に停止してある。発声装置は使えるから、聞くことにだけ答えろ」
だが、青年は黙ったままだ。
「名前を聞いている。ここは軍の機関ではないから、生ぬるい国際条約は通用しない。わたしが気に入らなければ、すぐに外に放りだすぞ。今の外気温は零下60度だ。たちまち、お前の予備バッテリーは底をつき、生身の部分も凍結するだろう」
博士の脅しを聞いても、やはり青年の無表情はかわらなかった。
生来、癇の強いカヅマ・ヘルマン博士は、本当に、このままクズ鉄兵士を外に放り出そうかと考えたが、そんなことができるはずがなかった。
長らく渇望していた、人体実験用の素材がやっと手に入ったのだ。
きちんと実験するには生身の部分が少ないようだが、なに、彼がかつて研究資金稼ぎに開発した、様々なクローン技術を使えば、手足や内臓など、ある程度の部品がそろった人間紛いの生き物にはなるだろう。
その後で、彼が、今必要としている新しいナノ・マシン開発の実験対象として使えばよい――
その後、少女と博士が色々話しかけても青年は黙ったままだった。
博士は、腹立たしげに装置を操作して、兵士の意識レベルを下げて眠らせた状態にし、彼のわずかに残った生身部分からDNAサンプルを取ってクローン培養に回した。
「お父さま……」
兵士の首に内蔵されたカプセルに、脳の栄養分である複合濃縮ブドウ糖液を注入し、手押し車に似た自動運搬装置に乗せて、博士が第二隔離室に向かおうとすると、少女が呼びかける。
「その人は、話せないの?」
博士は首を振った。
発声器官は壊れていなかったし、簡単に調べた限りでは、脳もダメージを受けてはいないようだ。
「そんなことはないよ。ただ、こいつは、話したくないんだろう。兵士には、よくこういったタイプの者がいる。わたしたちを敵だと思って、一切の情報を漏らさないようにしているのだよ」
「つまり、あの人は、良い兵隊さんということね」
「そうともいえる……」
博士は、そう言い残すと少女に背を向けて、第二隔離室へ向けて歩いて行った。
その横を、兵士を乗せた自動運搬装置がついて行く。
「それにしても、あなた話さないわねぇ」
少女が、自動運搬装置の台の上に、上半身だけの状態で置かれた青年に向かって呆れた声を出した。
彼が発見されてから数日が経ってる。
毎朝、第二隔離室から出された兵士は、自動運搬装置に乗ったまま、彼女のガラスのすぐ前に置かれることになっていた。
兵士に向かって、彼女は様々に声を掛けるのだが、彼はまったく反応しない。
青年を発見して以来、彼女は、ガウンや、入院患者のような貫頭衣タイプの服をやめている。
今日は白いブラウスと、ひざ丈の赤いスカートを身に着けていた。
「音は聞こえているんでしょう?」
やはり反応はない。
「大したものだわ。まるで人間じゃないみたい――見かけのことじゃないわよ。見かけだけなら、わたしも人間には見えないものね」
そういって、少女は、乳白色の仮面をつけた姿が、彼によく見えるように、くるっと回った。
スカートが遠心力で持ち上がり、美しい円を描く。
だが、青年は無表情なままだ。
「もう、可愛い服を着る甲斐がないわね」
少女は頬を膨らませる。
一週間が経ち、その日も、無駄に声を掛けていた少女の許に、博士がカメラのような丸いものと、そこから伸びたコードがつながった機械を持って来た。
たしか、青年が倒れていた時、身につけていた装置だ。
「お父さま、それは?」
「これはAIだよ。誰か個人が作ったものだろう。既成の部品とライブラリを、ほとんど使わずに組み上げてある。このサイズの性能としては大したものだ」
そう言って、兵士の傍らに装置を置く。
「彼が作ったのかしら」
「それはないだろう」
博士はそう言うと、
「話しかけてごらん。こいつは、その男よりよほど人間的だ」
父に勧められて、彼女はマシンに話しかけた。
「こんにちは」
「はじめまして」
即座に返事がある。
「あなた、お名前は?」
「わたしの名はクマリ・ハマヌジャン。しかし、現在は、ミーナクシーと名乗っている」
「ではクマリ」
「ミーナクシーと呼んでほしい。それが創造主の希望だ。ミーナでもよい」
「創造主はこの人?」
「違う。創造主は、わたしの兄、サルヴァール・ハマヌジャン。知識を収集し、人と会話し、自我を獲得することを最終目標として設定された人工知能だ」
そういって、AIは少し沈黙し、
「ここは、軍の施設ではないな?」
「ええ、個人の研究所よ。どこの国にも所属していないわ」
「極北にあるということか」
「まあ、頭が良いのね。なぜここにきたの」
「答えられない。軍事に関係すること以外なら話す」
「お前は、軍の備品か」
博士が尋ねる。
「違う。さっきもいった。わたしは、兄、サルヴァール・ハマヌジャンが私的に創造したモノだ」
「お父さま、うちのAIとまったく違うわ」
「認めたくないが、そいつの方が、はるかに優秀なようだ」
「わかったわ、ミーナ。では、今からいろいろ尋ねるから、話せることだけ答えてね」
「肯定」
そうして、AIミーナと少女の長い会話が始まったのだった。