162.後塵
「ごめんなさい、もう、あなたとは一緒にいられないの――」
「そうか……わかった、お幸せに。エクリア」
見知らぬ男に肩を抱かれ、涙を流す恋人に彼は告げる――
胸を押しつぶされるような苦しみで、彼は目を覚ました。
「ああ、気がつかれましたか、スタンさま」
見覚えのある白衣を着た男が、顔を覗き込んで声をかけてくる。
ガルシュタイン、機械化医だ。
2年前の暗殺事件の怪我がもとで、全身を機械化したスタン・ステファノにとって、睡眠は脳を休ませるためだけの作業だ。
身体の疲労がないため、睡眠導入は、脳に対する低周波振動と薬物の投入を併用して行うことが常だった。
目を覚ます時も、補助コンピュータに設定した時間に従って、覚醒薬物が微量投入されるために、寝起きの悪さとは無縁だ。
たまに夢を見るが、はっきりと記憶に残るものではない。
だが、今の夢は――
「いったい、何が起こった」
スタンは尋ねる。
意識的に入眠した覚えがないのに、寝ていたということは、何か異常事態が発生したのだ。
「さきほどまで、テロリストたちが仕掛けたEMP攻撃が王都全体を覆って、電子機器が止まっていたのです」
「電子機器?ということは、俺の体も止まっていたのか?」
「そうです、午前9時過ぎから今まで、あなたの体も停止していました。今は午後4時前ですから……」
「そうか――」
彼は7時間近くも意識を失っていたらしい。
意識が覚醒すると同時に、目の端に、凄まじい勢いで文字が流れ始めていた。
彼の機械化体の、自己診断が始まったのだ。
「なぜ防げなかった」
現代のEMP攻撃は、かつてのように導体で周りを取り囲むタイプのファラデー・ケージでは防ぐことはできないが、それなりに防御方法はある。
さらに数年前の硬化外骨格部隊の失敗から、かなり高性能の防御システムが作られていたはずなのだ。
「詳細はわかりませんが、特殊な型のEMP攻撃が使われていたようです」
医者が続ける。
「スタンさまの体には、緊急停止時保護回路が装備されていますので、意識は途切れ、身体は停止状態でしたが脳は保護されておりました」
彼のような高性能の機械化体には、体が破壊されたり、故障して生体部分の維持が困難になった時に、一時的に脳を仮死状態にして温存する機能があるのだ。
うまくすれば、これで、1週間は生き延びることができる。
「それで、今はどんな事態だ。テロリストたちは?」
体を起こしつつ、スタンは尋ねた。
まだ、事件が続いているなら、彼が動かなければならない。
「はい、事態は沈静化され、全員、拘束されたそうです」
「そうか――」
ガルシュタインは、スタンの胸に置いたワイヤレス・インタフェースを取り去った。
流れていた文字表示は止まり、異常なしの文字が最後に点滅している。
「自己診断も終了した。問題はなさそうだ。起きるぞ」
「どうぞ」
スタンは、軍病院を出て、高い城へと向かった。
公用車であるZE車で走っていると、城の前のビルが崩壊し、広場のいたるところに大きな穴が開いているのが見えた。
「何があったんだ……」
彼の好きだった女王の槍が倒れて散らばり、巨大な重機ロボットが傾いだまま静止している異様な光景が展開している。
「来たか」
城に上がると、キルスが彼を見つけて声をかけてきた。
「肝心な時に申し訳ありません」
「今回は仕方ない」
「あの有様はいったいどうしたんです」
「19年前の亡霊が現れた」
「19年前――」
今年29歳のスタンが10歳の時の事件だ。
その頃、彼は王都の孤児院で幼馴染のエクリアと暮らしていた。
貧しい、その日暮らしの生活で、王国にどんな事件が起こっていたのか知らない。
「女王、その頃は王女だが、アルメデさまを誘拐したオセニア独立連盟の残党が、特殊なEMP攻撃を使って、王都の全機能を麻痺させ、女王とわたしの身体を要求した」
「身体?肉体という意味ですか?」
「そうだ。要するに、テロリストたちは、わたしたちの体内にあるナノ・マシンを調べたかったらしい」
「不老不死の秘密ですね」
キルスはうなずく。
「馬鹿な奴らだ。王都の科学者が8年かけても、まだ解析も暗号解読もできないのに」
「自分たちなら、なんとかできると思ったんだろう」
「――それで、鎮圧できたということは、非機械化部隊が間にあったんですね」
彼も、コルピコ将軍と共に、部隊がコートノバルで演習を行っていることは知っていた。
スタンの言葉に、キルスはほんの少し目を細める。
それが、滅多に感情を表に出さない若き宰相の、機嫌の悪さを示す最大表現であることを知っているスタンは、少し慌てた。
「違うのですか?」
「今日は、何の日か知っているな」
「確か、あのお嬢ちゃんの……」
そこまで言ってから、スタンは、呻くような声を上げ――
「悪魔ですか」
「そうだ。奴がひとりで全部終わらせてしまった」
「あの重機ロボットも?」
キルスはうなずき、
「認めたくはないが、奴は、戦闘の天才だな。いま、王都内のカメラから集めた全映像を編集してまとめているから、戦いの詳細を知りたければ、後で見ればいい」
「誰が、あんな悪魔の姿なんか――女王ですか?アルメデさまが編集をお命じになった?」
珍しく、キルスが粋に軽く肩をすくめて見せた。
「あの方は、もう誰憚ることなく、あの男に夢中だ」
「しかし、女王ともあろうお方が、あのような下賤なものに――」
スタンが赤い髪を震わせる。
「そうだな……だが、誰も女王に意見はできない」
「宰相さまが――」
「無駄だ……このことは、時間に任せるしかないだろう。時が経てば、人の気持ちは変わるものだ。さすがの女王も、まだご自分が王国から離れられないことは分かっておられるからな」
「あんな奴に……」
不満げな部下に、キルスが尋ねる。
「時間といえば、お前は、延命措置を受けなくていいのか?」
「この身体でですか?」
言いながら、スタンは自らの胸を叩いた、金属質の音がする。
「ナノ延命措置は身体の修復も行ってくれるらしい。お前ほど機械化された身体だと、時間はかかるし、ある程度修復が進むまで、無菌カプセルで過ごさなければならないだろうが」
「それは、女王さま経由で、あの男に頼むということですね」
「そうなるな」
「俺は結構です」
「人間の身体に戻りたくないのか?」
「戻っても仕方ないですからね」
そう、もう人間の体に戻っても仕方がないのだ。彼の愛したエクリアは、他の男の許へ嫁いでしまったのだから――
(男の子が3人、女の子が4人――最低よ、少なくとも7人。できるならもっと欲しい。だって、スタンもわたしも家族がいないんだから。たくさんの家族に囲まれて幸せに暮らすの)
キルス宰相のもとに引き取られて教育を受け、生活が安定したころの彼女の言葉だった。
だが、彼は人としての身体を失ってしまった。
しかも、予想外に、突然に。
もっと早く、兵士や諜報員のように、精子を冷凍保存しておけばよかった、いや、エクリアと結婚しておけばよかった。
一般的な健康寿命が、あの悪魔のおかげで90年を超え、うまく生きれば120歳近くまで生きられることと、彼の仕事が忙しかったため、結婚を先伸ばしにしていたのが仇となった。
クローン技術を使って、彼に残されたわずかな細胞と彼女の卵子細胞を用いて子供を作ることは可能だが、数が限られる。2人が精いっぱいらしい。
そして、今は信者も少なくなった王立国教会の敬虔な信者であるエクリアは、そのような不自然な生殖を望まない。
彼女の考えでは、身体を機械化して生きている彼の存在自体が神への冒涜なのだ。
「スタン――」
突然、黙り込んだ部下に、キルスが声をかけた。
「そう、今更、人間に戻っても仕方ないんですよ」
スタンは、もう一度、繰り返すと、
「それより、生身の能力をはるかに超えた、この身体のほうが、あなたのお役に立てますよ。機械化されてから、普段は航空科学研究所で働きながら、いざとなれば、機械化部隊も指揮できるようになりましたからね」
「あまり無理をするな――そして、延命措置を受けたくなれば、いつでもいってくれ。女王さまの方はわたしが何とかする」
「ありがとうございます」
「キルス宰相」
そこへ、金色の髪の少女が現れた。
書類入れを小脇に抱えている。
「オセニア独立連盟の規模がわかりました」
言ってから、カイネは軽くスタンに会釈する。
氷のように冷静な印象の少女は、なぜか火のように熱いスタンが嫌いではないのだ。
少女は書類入れから書類を取り出し、読みあげる。
「軽傷者183名、重傷者14名、死亡1名」
「死んだのは1人か」
「ロボット重機の操縦者です」
「悪魔にしてはおとなしいな――それで、わが方の人的被害は?お嬢ちゃん」
「王国市民の被害は、死亡1名、軽傷者12名です」
「そっちの死亡者は?」
「ミレニアム回顧展への出品者です。内燃機関式二輪車の」
「奴が使ったバイクの持ち主か」
キルスが尋ねる。
「はい。女王さまは、王国で残った二輪車を買い上げて、整備、保管されるそうです――大臣方もあの乗り物に興味がおありのようですし」
「彼らには、あの、ただ乗るだけでも不自由な操作の必要な機械が、万能の乗り物にでも見えているのだろうな――わかった」
「お嬢ちゃん」
報告を終え、書類をしまった少女にスタンが声を掛ける。
「なんでしょう」
働き始めた頃、『お嬢ちゃん』と呼ばれることに抗議していたカイネも、最近は、もう諦めたのか普通に返事をするようになっている。
「処置は終わったんだろ」
「はい」
「あいつの印象を教えてくれ」
「わたしの意見など」
「教えろって」
「強く、冷静な方です」
「きれいごとはいいから、本音を教えてくれ」
珍しく、少女はため息のようなものをつくと、
「あれは悪魔ですね。戦闘能力のまるで違う老人、簡単に無傷で制圧できるはずの、か弱い男性にナイフを突き立てるような男です」
「そうかそうか。見立ては同じだな」
スタンが嬉しそうにいう。
――この場に、アキオの戦いの数々をミーナから聞いたアルメデがいたら、その考えを窘めたかもしれない。
戦闘は命のやり取りだ。
戦いになったら、あいての戦闘力に敬意を払って、全力で敵を無力化しないと、自分だけでなく友軍も被害を受ける可能性がある。
敵を侮るのは、それが原因で、一度も友軍を全滅させたことのないアマチュアのやることなのだ、と。
アキオは、彼らの想像力が及ぶより、遥かに激烈な戦闘を生き抜いてきたプロなのだ。
「カイネ、来てくれ」
「はい」
スタンは、宰相の呼びかけに応えて、彼の後をついていくカイネを見る。
黒髪、長身の宰相と金髪で震えがくるような美人の娘の後ろ姿だ。
お似合いなのに、残念なことだ。
そう考えて、スタンは苦笑する。
カイネは、自分ではまだ気づいていないかもしれないが、キルス宰相にぞっこんだ。
そして、宰相は――あの人は、自覚はないかもしれないが女王アルメデを愛している、これもぞっこんといってもいいだろう。
こういうのを何というのか――傍目八目というのだったか、孤児院で一緒だったアジア人のコウ・サンソクという友達が、イゴゲームと共に教えてくれた言葉だった。
本人たちより、傍らで見ている他人の方が、冷静に、よく物事が見えるというたとえだ。
だが――スタンは思う。
彼らには、これから長い時間がある。
それこそ、キルス宰相が言ったように、これらの問題は、時間が解決してくれることなのかもしれない。