159.巨人
トルメア王国の城門に近づいたアキオは、門が閉められていくのを目にした。
警備の兵士たちが叫ぶ言葉から、王都全域に戒厳令が敷かれたことを知る。
アキオは、コートを疑似量子ステルス・モードにして視認性を弱めた。
通常の迷彩より機能が劣るが、ナノ・マシンのみで発動できるからだ。
王都を覆う電子機器ジャミングは、今のところナノ・マシンには影響を与えていない。
そのまま、素晴らしい勢いで門に走り寄ると、高くジャンプして閉まりかけた門の隙間を通過して城内に入る。
着地して、あたりを見回した。
兵士たちに見つかってはいないようだ。
眼前に目抜き通りが伸びているが、戒厳令が敷かれたため、人通りはまったくない。
どういう状況なのかわからないので、とりあえず処置の対象者に接触するつもりだった。
そのために、王都の城、通称、高い城に向かうことにする。
アキオは、迷彩を発動したまま音もなく通りを走り出した。
しかし――
彼は、城を前にして信じられないものを目にした。
我知らず足が止まってしまう。
通り沿いにあるビルの前に、過去の遺物、内燃機関のレシプロ・エンジン・バイクが並べてあったのだ。
ビルには、麗々しくミレニアム回顧展と書かれている。
並んでいるのは、かつて電子機器の使えないT地帯で彼が世話になった、ガソリンで動くオールド・バイクの数々だった。
自動車は使えなかったが、単純な電気系統しかもたない二輪は使えたのだ。
思わず、アキオは迷彩を解いてバイクに近づいた。
「この大騒動の最中に、その時代遅れに何か用か?」
背後から硬い声をかけられ、振り返ると痩せた老人が立っていた。
老人は、アキオの目の色を見て表情を軟化させる。
「お前さん、このバイクに興味があるのか」
「昔、こいつに乗っていた」
「まさか――あんた、ガソリン車に乗ったことがあるのか。ミッション車だぞ」
「知っている。T地帯で使っていた」
「その年でか――わしも若いころT地帯で乗っていたんだ」
そう言って、老人は、アキオの顔をじっと見る。
彼が、見た目より歳をとっていることに気づいたのだろう。
いまは、ナノ・マシンを使わなくても、機械の身体に変えれば、脳の老化は止められないまでも、若い姿のままでいられるのだ。
「こいつは動くのか」
「最終日の今日に合わせて整備して、燃料も入れてある。まあ、クラッチ、ミッション車に乗る者などおらんだろうが」
「乗ってもいいか」
「ああ――あんたならいいだろう。だが、戒厳令だぞ」
「関係ないさ。すぐに用事を済ませて帰ってくる。待っていてくれ」
「わかった」
アキオは、老人の答えにうなずくと、城に向かって走り出した。
駆け出してすぐに、轟音と共にアキオの目の前のビルに大きな影が過った。
振り返ると巨大重機ロボットが、城に向かって動き出すのが見える。
記憶にある、古い型の重機ロボットだ。
背中から鉄球クレーンが突き出している。
これが、戒厳令の理由のひとつだろう。
アキオは、はじめ、ロボットの進路である目抜き通りを迂回して城へ向かおうとしたが、思い直してビルの階段を駆け上がった。
城からの景観を気にしたのか、高い城の周りの建物はすべてが5階以下だ。
彼は屋上には出ず、最上階の王城を望む部屋に向かった。
空室らしい部屋の扉を蹴破って中に入ると、ガラスを通して正面に高い城が見えた。
アキオは壁全面がガラスになっている窓の前に立つと、フラッシュ・ライトを取り出して、明滅させる。
現在の軍事教練では、モールス・コードを教えていないだろうが、偏屈な古参の老兵の中に、分かるものが一人ぐらいはいるだろう。
何分か待って反応がなければ、重機ロボットの足を搔い潜って城に向かうまでだ。
過去の遺物であるロボット重機の欠点は、致命的に移動速度が遅いことだ。
城が直接攻撃されるまでには、まだ時間がある。
そう考えて、三分ばかり、かつて傭兵の掛け声として使われていた「ガンホー」を繰り返したが反応がない。
これで終わりにしようと「状況を教えよ」と送った時に返事が来た。
さすがに伝統ある王国の軍隊だけあって、モールス・コードの分かる兵士が存在したのだ。
応答した相手は、アキオのビルとほぼ同じ高さ、城の下部のガラス張りの部屋にいた。
城の高所にいないということは、それほど身分の高いものではないのだろう。
アキオの強化された視力は、相手がヘルメットとゴーグルで完全防御した小柄な男であるのを見分ける。
短いやりとりの結果、アキオは、彼のいるビルと城の間を歩いている重機ロボットと、隣のビルの屋上にいる武装兵士を叩くことになった。
ライトを使った会話を続けながら、アキオは戦闘方針を立てる。
最初は窓を割ってコートをウイング・スーツにして飛び出し、空中からロボットを攻撃しようと考えたのだが、目の前を歩く重機が、今は無きヘリコイド社製のクーブアであることから、さっき見かけた内燃機関バイクを使うことにする。
あれを使ってうまく攻撃すれば、比較的簡単に倒すことができるはずだ。
〈あとは任せろ〉
そう送ったあと、今は使われないモールス・コードを使ってすぐに返事を送ってきた小柄な男に敬意と親近感を感じて、
〈相棒〉
と続ける。
ライトをポーチにしまうと、アキオは、窓を破って外に飛び出した。
自由落下しながら、地面が近づくと壁に腕を突き刺して減速し、地面に降り立つ。
ほぼ同時に、ロボット重機が振り回す鉄球がビルに当たり、巨大なコンクリート片や折れた鉄筋が降り注いだ。
それを避けて、アキオは走り出す。
さっき見つけたバイク置き場に向かった。
すぐに到着する。
同じように破片は散らばっているが、幸いにしてバイクに被害は出ていないようだ。
「借りるぞ」
アキオは、ハーレーダビッドソンのローライダーにもたれる老人に声を掛ける。
「いいさ……何に乗る?」
老人は羽織ったコートを揺らして尋ねた。
「ハーレーもいいが、おそらく今は動かない。これにする」
老人は薄く笑い、わずかに掠れた声で、
「ホンダのCB750FOURか、空冷4ストローク2バルブSOHC4気筒――いいチョイスだ。ニッポンは海の底だが、名機は残る。点火方式がトランジスタのCDIではなくて、コイルとバネのポイントだからな。影響は受けないさ、大丈夫だ。ほら――」
アキオは老人が投げるキーを受け取った。
CBにまたがって、車体を前後にゆすってガソリンの残量を確かめる。
「半分以上ある。充分だ」
そういってキイを挿してひねり、チョークを操作する。
キック・レバーを引き出して、力強く蹴り下ろした。
一発でエンジンがかかる。
「よく手入れされている――すまないが」
「ああ、戦闘に使うんだろ。いいさ。好きに使え。壊れてもいい――」
「知っていたのか」
「銃を抱えてるからな」
「――すまない」
「ひとつ頼みがある」
「いってくれ」
「わしに聞こえるように、ちゃんとエンジンを回していい音を出してほしい」
「了解だ」
言ってから、アキオは少しだけ考えて、老人に尋ねる。
「この二輪に名前はあるか」
「ホンダCB――」
「プライべートな名前だ」
老人は、一瞬だけ躊躇して答える。
「エスメラルダ」
アキオはうなずいて、クラッチを握ると、シフトレバーを蹴り下げ、アクセル・グリップを捻ってエンジンをふかしながらクラッチミートした。
超電導バイクのパニガーレの馬力とは比較にならないが、リアタイヤをスリップさせながらエスメラルダは走り出した。
加速の具合を見ながら、アキオは次々と左足でシフト・アップしていく。
CBは五速リターンのシフトなので、蹴り下ろして1速、あとは爪先でかき上げて2速、3速と上がっていくのだ。
車体能力はともかく、アキオは、アクセル・グリップを捻るだけの超電導バイクより、CBのクラッチ操作のほうが好みだ。
ある程度、馬力のある乗り物は、アクセル操作で車体の動きをコントロールできる。
そして、この排気音――
宝石のように美しい音だ。
アキオは、フル・スロットルのままビルの谷間から飛び出し、バイクのサイドにぶら下るようにハング・オンしながら、リアタイヤを滑らせて直角に近いコーナリングをして、ロボットに向かって走る。
巨大なロボットの足の間を抜け、城の前でリアブレーキをかけながら、わずかにハンドルを切り、腰を捻ってきっかけを作ってリアを滑らせ、スキッド・ストップした。
改めて、重機ロボットを見上げる。
やはり、ヘリコイド社製のクーブアだ。
胸の形状からマーク3であることがわかる。
傭兵の時に何度か闘ったが、マーク3の弱点は、まさにその胸の真ん中にあるエンブレムだった。
次いで、アキオは、ロボットの背後の、ビル屋上に立つ兵士たちを見る。
彼らが手にしているのは、どこで手に入れたのか、過去の遺物、グレネードランチャーRPG7だ。
手にしているのは、アキオの自動ライフルの前身であるM16――
EMPの影響を受けないためとはいえ、敵はまるで原始時代の部隊だ。
そう考えて、アキオは苦笑する。
自分も300年以上前のバイクに乗っているのだった。
パパパ、と地面の着弾がアキオに近づいてくる。
敵が一時の驚きから我に返って攻撃を始めたのだ。
アクセルグリップを捻って、エスメラルダを発進し、一斉攻撃をかわしながらアキオは微笑む。
敵が、二班に分けて、交互にグレネードの装填、マガジンの交換を行うという最低限の戦術すら取れていないアマチュア集団だとわかったからだ。
彼はエスメラルダを操りながら、自動ライフルをセミオートに切り替えて、敵を狙い撃ちしていく。
およそ200メートルの距離は、使い慣れたM19には至近距離だ。
彼の計画は単純だ。
まず、うるさいRPG7の兵士を倒し、次にM16の射手を撃ち、最後にクープアを倒す。
クープアは、手と鉄球を振り回し足でアキオを攻撃しようとするが、俊敏なダビデを鈍重なゴリアテが捉えることは不可能だ。
すべてが空振りに終わる。
敵の攻撃が手薄になると、アキオはエスメラルダを停め、一瞬のうちに、左手で弾倉帯から予備弾倉を引き抜き交換し、また走りながら撃ち始める。
「おお……」
ビルの谷間を這うように表に出てきた老人は、アキオが二輪を手足のように扱うのを見て感嘆の声を上げた。
石畳に木霊する澄んだ排気音を聞きながら、潤んだ目でバイクを追って――がっと大量に吐血する。
その拍子に肩にかけたコートがずり落ち、老人の肩からわき腹にかけて、巨大な鉄筋が刺さっているのが露わになった。
老人は、ビルに背を押しあてたまま、ずるずると地面に座りこむ。
「最後に、あんなきれいな音を出してもらって良かったな、おまえ――」
アキオの操るホンダCB750FOURは、10年前に死んだ彼の妻、エスメラルダの愛車だった――
排気音を子守歌のように聞きながら、老人は動かなくなる。