158.符号
朝、執務室に入ると、
「何か良いことがありました?女王さま」
ここ最近、すっかり成長して落ち着きも増したカイネが声をかけてくる。
「いつもと同じですよ」
アルメデは答えるが、もちろん、そんなはずがない。
それどころか、昨日は、ここ何年かで一番落ち着かない夜を過ごしたのだった。
「明後日、アキオをそっちに行かせるけど、用意はできてる?」
以前より、カイネの延命措置を受けさせたいとミーナに要望を出していたが、2日前に、突然、そんな連絡があったからだ。
アルメデは、カイネが処置を受けに出かける時には、キルスを置いて、必ず自分がついて行こうと思っていた。
そして、今度こそ、自分がかつてのミニョンであり、アキオを愛していることを伝えようと。
愛――そう考えて、アルメデはしばらく思考停止する。
鋼鉄の処女と呼ばれ、冷静にして激烈な政治決断を行う女王にはふさわしくない態度だ。
「アルメデさま?」
カイネの呼びかけに、我に返った女王は少女に言う。
「わたしはいつも通りです。それよりカイネ――」
「はい」
「あなたは、心の準備ができていますか」
「延命措置のことですね。できています」
淡い金色の前髪から覗く青い目が、真っ直ぐにアルメデを見つめる。
「昨日いったように、今日、あなたの処置をするために人がやって来ます。特に用意もいりませんが、なるべく高い城にいますように」
「わかりました。これから女王さまのお召し物を取りに城下にまいりますが、すぐにもどってきます」
「お願いね」
そのお召し物、とは、アルメデがアキオに会う時に着ようと思って、城下で人気の店に仕立てさせたカジュアルな服だった。
半月ほど前に仕上がったと連絡があったのだが、公務が忙しくて取りにいけなかったのだ。
いつもは、白いヴェール付きの帽子をかぶって、自分自身で城下に出かけるのだが、今日は、アキオを城内に呼ぶために、朝から高い城は準戒厳令状態なので、彼女が出ることも、仕立て屋に服を持ってこさせるわけにもいかないのだった。
困っていると、カイネが代わりに取りにいくと言ってくれた。
「それは――申し訳ないわ」
「いえ、女王さまのお役に立つのがわたしの仕事ですから」
整い過ぎた美貌と、日ごろの冷静な口調から冷たい印象のあるカイネだが、それはエヴァと比較して感じることであって、彼女は常に有能であり、そして充分に優しくもあった。
それにしても――
アルメデは不思議に思う。
これから百年の長きに渡る、若く健康な日々が始まるのに、あくまでカイネは冷静なのだ。
嬉しくはないのだろうか――
「では、行ってまいります」
「お願いします」
さりげなく美しいカーテシーをしてカイネは部屋を出ていく。
そして、少女が出かけて30分後に事件は起こったのだった。
まず、前触れなく通信が途絶した。
ついで、王都内の電子機器が使用不能となった。
制御機器が動かないので、水や電気、情報網のライフ・ラインもブラック・アウトしてしまっている。
さいわい、期せずして準戒厳令状態であったため、城内の統制はとれていた。
アルメデは、直ちに王都にも戒厳令を発令し、各所に伝令を走らせた。
高い城の地下にある作戦室は、停電状態で電子機器が動かず使用不能であるため、月に数回、市井の民間人を呼んで行うレセプション会場を急遽、臨時作戦室として使用する。
地上五階に位置し、天窓もあり、窓も大きいため、採光が良いからだ。
「女王陛下」
話しかける宰相にアルメデは言う。
「キルス、第一の問題は、原因の解明もそうですが、医療機関への対応です」
「はい、以前に行ったシミュレーションでは、停電後、100分を過ぎると生命に影響が出始めたはずです――しかし、今回は電子機器が停止しているので、さらに問題は深刻です」
「早く解決しなければなりませんね。始めましょう」
アルメデの言葉に宰相はうなずき、
「会議を始める」
キルスの声で、緊急対策会議が始まった。
現段階で分かっている情報が報告される。
「原因は何なのです」
「事故ではありません。おそらく何者かによる攻撃です」
「しかし、かつて、このような不可思議な現象が報告されたことは――一度しかありません」
「あるのですか」
「200年前のあの事件です」
「――それは、今は関係ないでしょう。他の情報を」
「電子機器のみが影響をうけていることから考えて、電磁兵器の一種だと思います」
「王国の各種機器にはその対処がなされているはずですね」
数年前の硬化外骨格部隊の失敗から、EMPについては、さらなる対応を施しているはずなのだ。
「それは――我々には未知の技術を使っていると思われます」
先端科学大臣が悔しそうに言う。
「コルピコの率いる非機械化部隊はどこですか」
「コート・ノバル地方で演習中です。王都にはいま、機械化部隊しかおりません」
王立軍の武器は、世界中の軍隊と同じで、ほぼ電子化されている。
つまり、トルメアには武器がない、丸腰の状態と同じなのだ。
「通信はまだ途絶しているのですね」
「はい」
アルメデは表情を変えなかった。
感情を臣下に見せない。
それは、エヴァの死から身に着けた習い性だ。
「女王さま」
ドアが開いて兵士が駆け込んできた。
「どうした」
キルスが対応する。
「城門にこれが届けられたそうです」
そういって、宰相は手のひら大の装置を示した。
「ひと通り検査を行い、危険なものでないことは確認されています」
アルメデは機械を一瞥すると言う。
「おそらく通信装置でしょう。やっと敵が姿を現したのですね」
〈さすが、賢い鋼鉄の処女〉
装置から声が響いた。
「あなたたちは何者です。目的は何ですか」
〈よくぞ聞いてくださいました。これをいうのを20年近く待っていたのです〉
声はひと呼吸おくと続ける。
〈わたしたちはオセニア独立連盟です〉
「なんだと」
キルスがうめき、臨時作戦室にいる重臣たちに動揺が広まった。
19年前に、王女アルメデを誘拐したテロリスト集団だ。
だが、アルメデは、ある意味納得していた。
当時、フジサンで見た彼らの科学力――
あの、科学偏向のテロリスト集団なら、王国の知らない技術を持っていてもおかしくない。
〈フジサン基地から可愛く幼いアルメデ王女を逃がして以来18年。その苦労は――いや、そんなことはどうでもよろしい〉
「そうですね。あなたたちは王都を破壊をしたいわけではないのでしょう。用件をおいいなさい」
〈頭のよい人と話をすると気持ちが良いですね。わかりました。わたしたちの要求は、あなた及びキルス宰相の身体です〉
「身体?女王と宰相の身分抜きということですか?」
〈さすがに切れるお方だ。そう、我々は延命措置を受けたといわれている、あなたたちの身体が欲しいのです。わたしたちなら、その秘密を解いて、永遠の命を手に入れることができる――〉
「バカな、女王と宰相を差し出す国がどこにある」
重臣たちが口々に叫ぶ。
「昔からあなたたちは少しおかしいですね。電子機器を止めた程度で、国を陥落したつもりですか。この通信機を調べれば、ブラック・アウトの防止策もすぐにわかるでしょう」
〈交渉決裂ですね。わかりました。もちろん、わたしたちも、ちゃちなEMPで世界最大の王国を落とせるとは思っていませんよ。いくつか策があります。まず、一つめは、この女性ですね〉
人のもみあう音が聞こえる。
〈残念ですが話はしたくないそうです。女王がお忍びで出かけてくると噂の店で捕まえた女です。確か宰相の秘書ですね。金色の髪に青い眼の美人がヴェールを被っていたので、てっきりアルメデさまと再会したのかと思ったのですが、世の中、そううまくいきません〉
女王はキルスと目で合図を交わす。
どうやら、アルメデの代わりにカイネが捕まっているらしい。
〈もちろん、こんな娘とアルメデさまが交換できるとは思っていません。それで、二つめの策です〉
その言葉が終わるとともに、レセプションルームに振動が走った。
「あれを見ろ!」
重臣たちが窓を指さす。
その先で、巨大な何かが城下のビルを崩して動きだそうとしていた。
「何ですか、あれは」
「おそらく――そうです、城下で開催されているミレニアム回顧展の出し物の一つですね。その名すら忘れ去られた、今は使われない旧世代の重機ロボット……今日が最終日なので、他の遺物と共にデモンストレーション用の稼働許可申請がでていました」
キルスの言葉で、アルメデは思い出す。
「すると、あのロボットは……」
「前世紀の遺物です。ただ――」
〈そう、現状では、EMPの影響を受けない、この古ぼけたマシンでも城に侵攻することができるのです。そして、三つめがこれです〉
その言葉と同時に、重機ロボットの背後の、ビルの屋上に200人ほどの人影が現れ、旧式のグレネードランチャーらしきものを撃ち始める。
〈非電子化武器部隊です。たしか、アルメデさまも使われておりましたな〉
高い城の塔や壁がロケット弾によって破壊されていく。
さらに、古ぼけたロボットは、城門を破壊しながら城へ侵攻し始める。
アルメデは唇をかみしめた。
ミレニアム回顧展を許可したのは自分なのだ。もう少し、注意深く考えれば――
せめて、高い城に護衛のための兵器を備えていれば――
実は、数年前に、アルメデが防御の不備を指摘し、城に武装を試みたことはあるのだが、無粋である、ということで許可が下りなかったのだ。
こんなことになるなら、王としての強権を発動すればよかった――
「まずは、女王さまと宰相に避難していただかねば」
重臣の一人が進言する。
「それはできない」
アルメデより先にキルスが答えた。
「奴らは、女王とわたしが目的だと公言している。ここで無為に逃げることはできない」
「その通りですね。逃げるより、何か策を考えましょう」
キルスは通信装置を部下に預け部屋の外に出す。
「こちらの会話を聞かれないように、装置は廊下に出しました」
アルメデはうなずく。
その間も城は破壊され、重機ロボットは近づいている。
「せめて、この防護服を身におつけください」
そういって、分厚い迷彩保護パッドとヘルメット、ゴーグルを渡されたアルメデは苦笑した。
「わかりました」
それらを身に着けたアルメデは、皆に言う。
「やらねばならないことは4つ、重機ロボットを破壊し、敵の非電子化武器部隊を壊滅させ、EMP兵器を止めて、カイネを救い出すのです」
自分で言っていて絶望的な気分になるが、顔には表さない。
なぜならば――
「そのどれもが実現不可能です。我々は機先を制され虚を衝かれました。ここはいったん引くのも作戦ではないかと……」
「さよう、軍は遠隔地にあり、ミレニアム展最終日でロボットが可動可能――タイミングが悪いのです。完全に奴らの策にはまりました」
「確かに、そうです。ですが――実は、今日という日が最高のタイミングなのかもしれません」
皆がアルメデを見、それから顔を見合わせる。
「それは――どういうことですか、女王さま」
「わたしにもわからないのです――ですが、必ず、その兆候があるはずです」
そうする間にも、城は激しく振動し、レセプションルームのガラスにも罅が入る。
「女王さま、退避を!」
アルメデは、両腕を取られ部屋から連れ出されそうになる。
「待ちなさい!」
その時、彼女は目の端に光を捉えた。
それは、ロボットの向こう側、太陽の陰になったビルの屋上近くから発せられていた。
光は明滅し、アルメデは、じっと、それを見つめる。
――何かが、彼女の意識にひっかかった。
〈状況を――〉
〈教えよ〉
「ああ……」
やがて発した、恋する乙女のような女王のため息交じりの声に皆が驚く。
が、すぐにアルメデは毅然とした声で命令する。
「城内に、電子部品を使っていないライトがあったはずです。バッテリーとライト・キューブだけのものが。すぐに持ってきなさい」
「しかし、女王さま」
「早く!」
「ただちに!」
数分後、アルメデは、渡されたライトを手に持って明滅させ始めた。
〈アローアロー〉
あのライトはアキオの合図だ。
それに応えなければならない。
自分なら、できるはずだ――
「女王さま」
キルスだけが彼女のやっていることに気づく。
「モールス・コードですね」
「そうです」
100年以上前に使われなくなった通信方法だ。
いま、彼女のアキオが、ロボットの向こう側のビルにいる!
アルメデには、アキオなら、この状況を見れば必ず城側にコンタクトしてくるという確信があった。
彼は、この城にいるカイネに処置を施さねばならない。
だから、今の彼にとって、このロボットは敵になる。
アキオは必ず敵を排除するだろう。
彼女のアキオは兵士なのだ。
〈すまない、返答が遅れた〉
アルメデは簡潔に送信する。
〈状況は〉
直ちに返信があり、アルメデは、手際よくモールス・コードで説明した。
〈わかった。まずロボットを倒し、兵士を倒す。これでいいか〉
〈そうだ。EMPはこちらで何とかできる〉
〈女王は無事か〉
アルメデは、あやうく自分が女王だ、と言いそうになって――かろうじて止めた。
説明がややこしくなるし、今は時間が惜しいからだ。
〈無事だ〉
〈よく耐えた。いまの時代にモールス・コードを使える君は優秀な兵士だ〉
アキオの返信にアルメデは胸が熱くなる。
それは、あなたに少しでも近づきたかったから。
何も知らない、できなかった自分が嫌になって、独学で勉強したのです、アキオ!
アルメデは心の中で叫ぶ。
が、それでも返信は、冷静に簡潔に返した。
〈ありがとう〉
〈あとは任せろ、相棒〉
「アルメデさま!」
重臣たちが驚きの声を上げる。
突然、女王が蹲ってしまったからだ。
だが、彼女はゴーグルの下で溢れる涙を押しとどめることができなかった。
アキオが、かつてアダムに優しく言ったように、自分を相棒と呼んでくれたのだから――
やがて、アルメデは、ゴーグルを外すと密かに涙を拭って、立ち上がると言った。
「もう大丈夫です!」
「どういうことです」
重臣たちは、あまりに確信に満ちた女王の言葉を不審に思ったようだ。
ただ、ひとりキルスだけは、何かを察したかのように黙っていた。
重機ロボットはゆっくりと城に近づいている――
その振動とロケット弾の攻撃による爆風で、罅の入ったガラスが割れ、外部の騒音と風が流れ込んできた。
その時、ひとりの重臣が声を上げた。
「あれはなんだ!」
彼の指さす先を見ると、ロボットの背後のビルから、黒い影が、真横に飛び出してくるところだった。
重機ロボット以外、動くもののない道路を、その影は聞いたことのない爆音を立てながら、素晴らしい速さで走ってくる。
そのままロボットの足の間を抜け、城の前に近づく。
「なんだ、あれは」
「人間だ。二輪車に乗っている」
「二輪車?この状態で超電導バイクは動くのか」
「違います」
アルメデが言う。
「あの音をお聞きなさい、あれはガソリン・エンジン車です」
おそらく、アキオがミレニアム展で展示されていた電子化前の二輪車を使っているのだろう。
バイクは、巨人の前で白煙を上げながら後輪を滑らせ、スキッド・ストップした。
首に銃を吊った黒髪、黒いコートのライダーは、重機ロボットを確認するように見上げると、残像が残るような鮮やかなスピン・ターンでバイクの向きを変えた。
そのまま悪魔の叫びのような排気音を響かせながらロボットに迫り、右手に持った銃を片手射ちする。
その頃になって、呆気に取られていたらしいオセニア独立連盟の男たちは、我に返ってバイクを攻撃し始めた。
グレネード・ランチャーもバイクを追いかける。
素晴らしいライディング・テクニックだった。
黒いコートの裾を風になびかせ、細かく変則スラロームして銃撃を避けたかと見ると、尻をシートからずらす大胆なハング・オン・ポジションで、フル・スロットルのまま、車体を真横に滑らせて爆撃を回避する。
その後、ただちに姿勢をもどすと、信じられないスピードでバイクを駆りながら、軽量の自動ライフルを片手で撃ち続ける。
その射撃も正確無比だった。
不安定な車上、しかも片手射ちながら、バイクの排気音に重なって乾いた銃声が響き、空薬莢が排出されるたびに、ビルの上にいる武器を持った兵士が絶叫を上げて倒れていく。
「女王さま、昔のバイクは、あのように高性能だったのですか」
「愚かなことを。ライダーの腕が天才的なだけです」
アルメデは、誇らしい気持ちで胸を膨らませながら、愛する人の闘いを見つめるのだった。