157.二輪
誤字脱字のご指摘、ありがとうございます。
「アキオ」
光量子測定器を操作していたアキオに、ミーナの声がかかる。
「いま、手が離せない」
「いつ手が空くの」
「3か月後だな」
「それじゃダメなの。話を聞いて」
アキオは、やっと手を止める。
「なんだ」
作業を中断されて不機嫌、というより困惑している顔だ。
「8年前に、アルメデ女王の延命措置をしたのを覚えている?」
「そうだな」
アキオの返事を聞きながら、ミーナは彼がアルメデの顔を覚えていないことを確信していた。
戦いにおいて必要ならば顔も覚えるが、それ以外では、アキオにとって顔はシミュラクラ現象の要因の一つに過ぎない。
つまり、二つの目と一つの口のある物体だ。
さらに、彼女の経験からいって、アキオは女性の顔を覚えない。
彼のまわりの兵士に、女性がほとんどいなかったことも原因だろうが――
基本的に興味がないのだ。
そう考えながらミーナは続ける。
「その時に、契約したもう一人のナノ延命措置を行わなければならないの」
「今頃か」
「向こうにも都合があるみたい」
「それで、いつやってくる」
「来ないわ」
「では、処置はできない」
「やらないわけにはいかないの。だから、あなたが出かけるのよ。そういう契約になっているから。その仕事で手に入れた装置が、あなたが今操作しているプローブのベースになっているのよ」
「そうか」
「アキオ、慌てないで、時間はあなたの味方よ。死なないあなたには、いくらでも時間がある」
「――わかった。どうすればいい」
「こういう事もあろうかと、携帯型の延命処置システムを作っておいたの。八年前から、少しずつ、あなたに作業をしてもらっていたでしょう」
「覚えがないな」
「目的別に、あなたの空き時間で少しずつパーツを作ってもらってたのよ」
「組み立ては君がしたのか」
「それぐらいはできるから――さあ、どうぞ」
ミーナの言葉とともに、壁の一部が開く。
アキオは近づいて、窪みに置かれた、金属製の大きめの試験官のような装置と、平たい自動小銃の30連弾倉サイズのボックスを手に取る。
「スティックは改良型ナノ・インジェクション、箱型のマシンは携帯型身体データ計測器よ。小さくなったでしょう」
「どうやればいい」
「まず、身体データをとって、アームバンドで対象者の一般型ナノ・マシンを停止させ、注射する」
「遠隔でできないのか?」
「装置を解析されたくないのよ。制御用の暗号は破られないと思うけど――だから、あなたに直接出かけてもらわないとならない。対象者のデータは、あなたのアームバンドに送っておいたけど、一応、名前をいっておくわね。対象は女性、年齢17歳、名前はカイネ・マリア」
「わかった。いつ出ればいい」
「できるだけ早い方がいいわね」
「ジーナだな」
「あれが一番小型だから目立たないでしょうね。あなたが出たら、連絡を入れるから、前回、わたしが降りた高原に行けば迎えが来てるはずよ」
「わかった。すぐに出る」
「あ、アキオ――もう行っちゃったの?いい機会だから、メデのことを話そうと思ったのに……」
一旦、自室に戻ったアキオは、王立軍のものに似た戦闘用ナノ・コートを身に着けた。
研究所内の工廠に向かう。
ずらりと並ぶ銃器から、RG70を手にして、少し考えた後、それを戻して、旧式のM19自動小銃とM18多目的銃剣を手にする。
拳銃は、愛用するP336をホルスターに挿した。
0.255レミントンの弾丸20連の予備弾倉を15本、弾倉帯に挿す。
電子制御でない銃を手にしたことに意味はない。
王都内で強力な銃は必要ないと考えただけだった――この時は。
そのまま、ジーナに乗り込むと、
「出すぞ」
ミーナに声を掛けて、ジーナの射出スイッチを入れる。
基本的に、ジーナは緊急脱出艇なので、発進するために余計な手順はいらない。
滑り台で乗り込んで、発進ボタンを押すだけだ。
乗員は、アキオ一人なので加速度を気にせず、10G程度でジーナを打ち出す。
研究所外に出ると、ミーナが声を掛けてきた。
「調子はどう?」
「いいさ」
ミーナが常に整備をしているのだ。
調子が悪いわけがない。
スクラムジェット・エンジンの出力を上げ、超音速まで加速する。
CCVとしての性能もかなり高いので、飛行は安定している。
「現在、速度マッハ3」
「機体温度は」
「420度。想定内だ」
「ナノ・ウオールがあるものね。トルメアの超音速機は、熱の壁に苦しんでいるようだけど――」
熱の壁とは、超音速で飛ぶ機体が空気との摩擦で高温になり、通常のアルミニウム合金では形状を維持できないことをさす。溶けてしまうのだ。
「その速度だと、15分でトルメアに着くわね。わたしが送迎した時より早いわ。さっき連絡をいれたから、ついてから10分ほどで迎えが来るはずよ」
「わかった」
しばらく沈黙が続き、
「あと2分で着く」
アキオが言うと、
「あの、アキオ――」
ミーナが言い淀む。
「なんだ」
「あなたに伝えておきたいことがあるの」
アキオは黙って聞いている。
「トルメアの女王は…か…の…ミ……」
突然、音声が乱れ、声が途切れた。
「ミーナ」
何度か呼びかけるが返事はない。
アキオは通信が途絶したことを知った。
何らかの問題が発生している。
このまま研究所に戻るべきか――
一瞬考えるが、眼前に迫る目的地に着陸することにした。
どうせ戻ったところで、事態が鎮静化したら、ミーナに追い立てられ、もう一度来ることになるのだ。
ならば、少々の障害があろうと、延命措置を行って帰った方が時間の節約になる。
速度を落とし、垂直着陸する。
優雅に大地に降り立ったジーナに迷彩を施し高原を見渡した。
30分待ったが、迎えの者は来ない。
意図的に通信が遮断されていることから、何事かが起こっているに違いない。
アキオは、王都に向かうことを決意する。
彼は、ジーナの格納庫から、常時塔載している超電導バイク、モトグッチ=ドゥカティ社製パニガーレ9改を取り出し、スロープを使って地面に下ろすと、ガン・ホルダーに銃を挿した。
カラーリングはドゥカティ・カラーの赤ではなく夜間迷彩用の黒だ。
100年近く前に、当時、まだ存在していたイタリアで手に入れたものに、手を加えて性能を上げてある。
彼は、今は無い国の、消えてしまった土地の名を冠したバイクのシートにまたがって、スタートボタンをプッシュする。
モーター車なのでアイドリングはしない。
起動ランプが点灯するだけだ。
200年前の戦争で、内燃機関のバイクに乗りなれたアキオには寂しい限りだ。
アクセル・グリップを捻ると、超電導モーター特有の、シュインという音と共に蹴飛ばされたように加速を始める。
高原の荒れ地を、オンロード・バイクで丁寧に走っていると前方に道が見えた。
荒野と道を隔てる柵を、P336で吹き飛ばして道路に乗る。
グリップを捻って再加速する。
アキオの開発したナノ・フリクション処理で、スリップを抑えられたタイヤは、路面に食いつくように駆動力を伝え、バイクを前に押し出す。
一瞬、悍馬のように前輪を上げてウィリーするが、アキオは体を覆いかぶせて無理やりタイヤを地面に落とした。
強烈な筋力で、ニーグリップを利かせるが、それでも少し体が後ろにもっていかれる。
アキオは、もとのガソリンタンク、今は全固体電池が収められている部分に作られた窪みに顎をのせ、極端な前傾姿勢で空気抵抗を減らす。
以後、ギア・チェンジのない超電導モーター・エンジンは際限なく速度を上げていく。
高速による激しい視野狭窄で、有効視野が1度以下になるが、ナノ・マシンによる視覚強化を行って、通常の20度を保つ。
15分程度で、王都の城門が見えてきた。
途端に、モーターの機嫌が悪くなり、速度が落ち始め、パニガーレは止まってしまった。
起動ランプが明滅し、消える。
電気系統の不調のようだ。
試しに、バイクにまたがったまま、アキオはP336を取り出して空に向かって撃つが反応はない。
アームバンドも使用不可だ。
電子機器が使えなくなっている――
アキオは、ベルトのポーチからフラッシュ・ライトを取り出してスイッチを入れた。
強烈な光がライトから放たれる。
どうやら、誰かの使用するEMP式阻害器が、王都周辺の広範囲に影響を与えているようだ。
T粒子のように、電気機器すべてを使用不能にするほどの性能はなさそうだが、少なくとも電子機器は使えない。
単純なライト程度なら使えそうだ。
アキオは、パニガーレを道路の端に停め、M19を肩にかけると、城門に向かって走り出した。