156.黄金
「アキオは?研究室にいないけど」
シジマが皆に尋ねた。
最近、各自の仕事で忙しかった少女たちが、夕食後、久しぶりに集まって話をしている。
場所は、ジーナ城の庭園横にあるキャンプ場だ。
アキオと馬車で移動しながらの焚火が楽しかったので、いつでも行えるように洞窟内に作ったのだ。
全員が、輪になって座り、焚火を囲んで揺れる炎を眺めている。
空には戸外からナノ・ファイバーで取り入れた星と月が輝いていた。
「主さまなら、ラピィのところだよ」
「ああ、そう」
全員がうなずく。
強い生物であるラピィも、キラル症候群から逃れることはできず、時折、意識を失うことがあるため、今は城内で運動させるだけに留めているのだ。
「アキオと彼女には申し訳ありません。わたしが迂闊に毒針を投げたから」
ピアノがうつむく。
彼女が与えた毒から守るために、アキオはラピィにナノ・マシンを使ったのだ。
「顔を上げぬか、おぬしが悪いわけではない。そういう運だったのだ」
「はい、姫さま」
「暗いのう、おぬしは。まあ、良いわ。今夜はおぬしと――」
「わたしです」
「ヴァイユか、ふたりでアキオに甘えて慰めてもらえ」
最近は、二人ずつがアキオと寝ることになっていた。
「いいなぁ、ボクはあと3日待たないといけない」
「アキオはひとりじゃからの、仕方ないな」
「でも、なんで、ボクたちアキオと寝たいんだろう」
「好きだから、でしょうか」
ヴァイユが言う。
「それはそうだけどね」
「アキオに悪い夢を見させないため……」
「そういう理由じゃなくてさ」
「そうじゃの――たしかに男女の秘め事もなく、ただ、くっついて寝たがるというのも妙じゃ」
「ひ、秘め事」
「ダメですよ、シミュラさま、またユイノさんがフリーズしてしまいますから」
ミストラが笑う。
「わたしが思うに、おそらく、おぬしたちはあやつに父親を重ねているのだ」
「父……ですか」
「少なくともわたしはちがいますね」
「なんでだい、あんた、あのイケメンパパが嫌いなのかい、ヴァイユ」
ユイノが妙な地球語を使う。
「少なくとも、夜、一緒に寝たいとは思いませんね」
「わたしもそうですね」
ミストラも同意する。
「わたしも、特に親父とは接点がないねぇ」
「キイさんもですか……」
「――よろしいですか」
お茶の入ったカップを両手で持って、火を見つめていたピアノが発言する。
「なんだい」
「みなさん、どう思われるかわかりませんが――」
「うん」
「アキオは――あの人は、森の中の大きな樹に似てるんです」
「へ?なんだいそりゃ」
「樹、ですか」
「大木です。天気の良い日に、大きな樹に抱きついて耳を当てると、暖かい樹皮を通して、ゆっくりと水を吸い上げる音が聞こえることがあるんですが、その感じに似ています」
「ああ――」
カマラがため息をつくような声を出す。
「そうです。わたしも夏の日に洞窟から出て木に登ったことがありますが、確かにその感じに似ています――」
「そうだねぇ。樹に抱きついて空を見上げると、枝の隙間から雲が流れるのが見えて、樹が倒れてくるように見えるんだ。あの時の樹の感じに主さまは似ているね」
キイも同意する。
「おいおい、おぬしたち、アキオは生きた男だぞ。樹に例えてどうする――確かに、いずれアキオの枝にはがんばってもら――」
「わー」
シジマが叫ぶ。
「まったく男も知らないくせに、口ばっかり達者なんだから、このお姫さまは」
「大木ねぇ。確かに大きな男ではあるがの」
「静かですしね」
「そうかのう。わたしなど、一日も早く首元を齧られて、めちゃくちゃにしてもらいたいと思っておるのだが――」
「また、そんな動物みたいに……」
「まあ、そいういう気持ちはありますね」
「ええ!」
それまで黙っていたユスラの参戦に皆が驚く。
「お姫さまはみんなこんな感じなのかねぇ」
「大きな樹ですか――ピアノさま、それもよい例えだと思いますが、わたしにとって、アキオは大きな生き物という方がしっくりきます」
「姫さま、それはどういう」
ユスラが艶のある黒髪を、炎の光で輝かせながら答える。
「そうですね……例えば、アキオの好きなラピィのような感じかと」
「ああ」
少女たちが同時に声を上げる。
「そうだの。アキオ自身も、子供の頃、ゾウだったか、大きな動物が好きだったからの」
シミュラがつぶやくように言う。
「ゾウ、ですか」
「ラピィを小さくしたような動物で、鼻が長いの」
焚火の傍に着物姿のミーナが現れる。
ジーナ城では、至るところにカメラと伸縮性のナノ・フィルムが配置してあり、状況に応じて等身大のスクリーンを瞬時展開して、情報を参照できるようになっている。
通常は、おもにミーナの姿を表示するだけだが……
「見たい?」
「もちろん!」
少女たちの声に答えて、ミーナはスクリーンに画像を映した。
「あぁ――」
そこには、前脚と後脚を片方ずつ失くして地面に横たわる大きな生き物と、その胴体の前に座り、片手を灰色の皮膚に当て、こちらに目を向ける黒髪の少年の姿が映っていた。
痩せた手足、黒目がちの瞳、肩から斜めにかけた弾帯に挿された傷だらけのナイフが異様に大きく見える。
「これは――」
「アキオですね」
「そう、主さまだ。でも――なんていうんだろう……」
「あ、あれ、あれ?なんだろう……」
「なんで泣いてるんだい、シジマ」
「そういうキイさんも涙が――」
「本当に、なぜ、こんなに胸が痛くなるのでしょう」
「見ていると苦しいです。なのに目が離せない」
「それはおぬしたちが、この一枚の画像の裏にある真実を感じているからだろうの」
「シミュラさまは――」
「うむ、アキオの記憶で知っている」
少女たちは、黙ってスクリーンを見つめた。
「わたしは、時に、一枚の写真の前に言葉の無力さを感じることがあるの――」
ミーナの声が響く。
「このアキオの目、感情を無くしたように見える表情が、逆に、千、万の言葉を費やすより雄弁に豊穣に彼の内心を物語っていて――」
「ええ――」
「この時は、車の使えない、いわゆるT地帯での戦闘でね、ゾウを使って移動していたの。その子の名前はイスミよ。ある地点で敵の待ち伏せにあって、アキオがイスミを使って友軍を救出したんだけど、彼女が致命傷を負ってね。兄は安楽死させろといったんだけど、アキオは彼女が死ぬ明け方まで一緒にいたの。その時のわたしの記憶よ」
沈黙の中、焚火のはぜる音だけが響く。
「この時に、兄、サルヴァールがいったの、生物的な質量が釣り合うから、アキオはゾウが好きなんだって」
「それって、わかる気がする」
「要するに、アキオは大きな生き物ということですね」
「そうだね、こんなに小さくても大きかったんだ」
「今は、本当に大きいですけど」
「わたしは、大きな生き物の傍にいると、とても落ち着くのです。だからアキオに抱かれていたい」
「そうだね。そんな気持ちも確かにあるよ」
少女たちの瞳に、焚火の揺れる炎が映る。
「でも――姉さんは、こんな景色をずっと見続けて来たんだね――つらくはなかったのかい?」
「だって、このころのわたしは感情を持たないただのモノマネAIだもの。機械だから記憶力はいいけど――」
「――このアキオの写真」
「細い首、細い手足、大きな銃、ブカブカのブーツ――でも、力は大人の三倍近くあったのよ、彼はこのころの自分を、ただの殺人機械だっていうけど、わたしはそう思わない。科学者は、アキオを兵器にしようと彼の心を開けて――たとえは悪いけど、パンドラの箱のように様々なものを取り出し、蓋をした。だけど……」
カマラがそれに続ける。
「箱の底にはひとつだけ残ったものがあったのね、それは――エルピス」
「エルピス?」
「地球語で希望とか期待といわれているけど、わたしは、アキオの中に残ったのは、輝く黄金の心臓だと思う」
「黄金の心臓――そうだね」
「きれいな響きだ」
「メデが作った地球語にその言葉があるの」
「すごいですね、アルメデさまは」
アキオの画像が消えて、ミーナが戻ってくる。
「そのメデのことで、みんなに相談があるの」
「いよいよやるのかい」
「ええ……ちょっと待ってて」
ディスプレイからミーナが消える。
「でもさ――」
ぽつりとシジマが言う。
「なんですか」
「ミーナは、アキオと一緒に戦った数十年、自我、感情がなかったっていうでしょう」
「ええ」
「でも、彼女が死んだ瞬間に、ミーナに自我と感情が芽生えたんだよね」
「そうね――あっ!」
少女たちが一斉に顔を見合わせた。
「そうだの。その瞬間に、ミーナは、それまでのすべての記憶を、感情で理解できたというわけじゃな」
「よく心が壊れませんでしたね」
「わたしなら無理です」
「わたしもよ、ヴァイユ」
「前にミーナがいっていました。わたしの心は珪素でできた石の心だから、みんなより強いんだって」
「かなわないな、姉さんには――」
「ええ、知識、決断力、優しさ、心の強さ、誰もかないません」
「でもさ――」
シジマが頬に指をあてて、不思議そうに言う。
「アキオがミーナのことを愛してるっていうと、あっけなく落ちるよね」
「あぁ」
焚火に向けて、少女たちの納得のため息が漏れ、
「でも、それがミーナの最高にすごいところじゃないのかね」
「ユイノのいうとおりだよ」
「そうなんだろうね――」
その時、ディスプレイにミーナが戻ってくる。
「お待たせ。ちょっとアキオの様子を見てきたの。まだ、大丈夫そうだから計画を――どうしたの?みんな、なんだか変よ」
「なんでもありません」
口々にそう言う少女たちを不審そうに見て、ミーナが言った。
「では、鋼鉄の処女救出作戦の概要を――」
「え、ミーナ、それって拷問道具の名前ではないの」
「よく知ってるわね、カマラ。そうなんだけど、メデの仇名でもあるのよ鋼鉄の処女、あるいは鋼鉄の処女」
「うまいんだか、よくわからない名前だね」
「鋼鉄の心臓を持つ処女、良い名前です」
「ともかく、概要を説明するわ」
「はい」
こうして、アキオの知らない作戦が進められていくのだった。