151.傷痕
その後の作業は早かった。
アルメデとキルスは、別室で、着衣のまま透明な強化プラスティックで包まれたカプセルに入れられる。
隣の部屋からは、窓越しにエヴァとスタンが見つめていた。
それから5分余り、ふたりの周りをノイズが埋め尽くした。
低周波のハムノイズがゆっくりとバズノイズへと変化し、唐突に無音になる。
訪れた、耳がいたくなるような静寂の中で透明な壁が上がっていった。
「あとはこれを飲んで」
ミーナの声とともに、部屋のデスクの真ん中から試験管状のものが、せり上がる。
中には、一見、水銀に似た銀色の液体が入っていた。
「これが――」
手に取った管を照明に透かしながらアルメデはつぶやく。
「そう。延命用ナノ・マシンよ」
ふたりは、液体を飲み干した。
「味はないな」
キルスがつぶやく。
「子供向けにはカシス・オレンジの味がつけてあるんだけど」
「子供に飲ませたことがあるのか?」
「冗談よキルス」
からかわれたことを知って、黒髪の青年は憮然とした表情になる。
「特に変わりはないな」
歩きまわりながら、青年はつぶやく。
「キルス、あなた杖なしで歩いているわ!」
女王の指摘に、キルスは愕然となった。
「傷をみてごらんなさい、女王さま」
ミーナに指摘されて、アルメデは服をずらして肩の傷を見た。
「消えている!消えているわ、ミーナ!」
「今回の延命ナノ・マシンは強力よ。今後、あなたたちは、滅多なことでは死なない体になったわ。毒も効かない、銃弾の数発なら自然治癒する。でも、脳と心臓だけは守ってね」
しかし、彼女はもうミーナの説明を聞いていなかった。
アキオに申し訳ないと、ずっと気になっていた肩の傷がきれいさっぱり消えて無くなったのだ。
「ありがとうミーナ」
晴れ晴れとした笑顔でアルメデは言う。
「それでは、出発いたします」
その後、再びジーナに乗り込んだ乗客に対してミーナが告げた。
「悪魔は挨拶に来ないのか」
スタンが、横柄な態度で言う。
アルメデは、貴族にあるまじき彼の態度に注意するか迷うが、直属の上官であるキルスが黙っているので、口をはさまずにおく。
それに、実のところ、彼女もアキオが顔を見せないことに失望していたのだった。
計測の時に顔を見せただけで、その後の作業はすべてミーナが行っていた。
「彼には手が離せない用事がありますので」
「また、全人類を脅かすような計画を立てているんじゃないのか。あの悪魔は」
アルメデは、アキオが悪魔と呼ばれるのをミーナが嫌っているのを知っているため、一瞬ひやりとするが、
「とんでもない、世界平和のための研究ですよ」
ミーナは大人の対応を見せる。
「スタンは、だいたいあんな感じですが、いつにも増して機嫌が悪そうですね」
男性ふたりと離れて座ると、エヴァが口を開いた。
「自分が関わったプロジェクトより、遥か先をいく存在が気に入らないのでしょう」
「アルメデさま」
「なんですか」
「この機体に使われているエンジン――」
「スクラムジェットですか」
「その技術を買い取ることはできませんか」
「どうでしょうか」
アルメデは考える。
アキオにせよ、ミーナにせよ、技術に関して吝嗇家では無いと思う。
ただ、新しい技術を安易に広めることで世の中のバランスを崩すことを嫌っているのだ。
それに――
「世の中には、お金で手に入る知識は、さっさと入手して、さらに先を目指すのが効率的だという考え方があります」
「はい」
「それは一面、真実ですが、わたしは、わたしの国に、そんな策を取らせたくはありません」
エヴァは黙って聞いている。
「科学や思想は、往々にしてひと握りの天才によって劇的に進化します。しかし、その本筋は、やはり多くの人間による地道な努力の賜物としての成果であるべきです。科学研究は、巨大な巌壁に対して、矮小な鑿一つで延々と穴を穿ち続ける行為に似ています。苦しい、先の見えない一見バカげた行いですが、その巌壁がくりぬかれた先に、素晴らしい世界が広がっていることを信じて穿ち続ける気持ちの強さを、トルメアには持って欲しいのです――」
真剣な表情で言い終わったアルメデは目を閉じた。
わたしのアキオは――彼はおそらく戦闘の天才だろう、でも研究者としては本当の意味での天才ではないと思う。
それでも、彼は天才と呼ぶにふさわしい成果をあげた。
彼の存在そのものが、いわば彼女にトルメアの進むべき未来を指し示す羅針盤なのだ。
絶望的に巨大な巌壁を穿ち続け、5年、10年、20年……そうやって50年かけて安全なナノ・マシンを開発し、200年の間、恩人の女性を蘇らせる研究を続けている彼が――
アルメデは心の中で、そうつぶやき、
「それに……」
「それに?」
エヴァの問いかけに、女王は首を振る。
いずれ、彼女はアキオのもとへ去り、トルメアからいなくなってしまうのだ。
それまでに、その考えを王国に浸透させておきたい。
日の暮れる前に、朝と同じ高原にジーナは戻ってきた。
「メデ――」
スロープに向かい、最後にジーナを降りようとしたアルメデにミーナが声をかける。
「ごめんなさいね。今回、アキオは実験に忙しくて、あらかじめあなたのことを伝えられなかったの」
「いいわ。ミーナ、気にしないで」
そういって、女王は微笑み。
「時間ならいっぱいある――そうでしょう」
「そうね」
「それに、昔とまったく変わらないアキオに10年ぶりに抱きついたら、あの頃と同じように頭をなでてくれた――今はそれだけで充分よ」
「わかったわ。では、いずれ近いうちに」
「ええ、近いうちに」
――だが、ふたりが再び会うのは、それから120年後の異世界でのことだった。