150.機内
空の彼方に小さな点が浮かぶと、すぐにそれが大きくなり、高周波のジェット音が近づいてきた。
スクラムジェット・エンジン特有の音だ。
その機はVTOLらしく、空中に静止したのち、朝焼けの高原に大きな機体をゆっくりと降下させ優雅に降り立った。
――気に入らない。
宰相キルス・ノオトの傍らに立つスタン・ステファノは密かに毒ずく。
彼の指揮する王国の航空科学研究所が、亜音速のラムジェット・エンジン開発を終えたところであるのに、悪魔は、すでに液体水素を燃料とする超音速スクラムジェット・エンジンを実用化しているらしい。
「どうした」
若き宰相に声をかけられた彼は、小声で答える。
「なんだか落ち着きません。本当に信用できるのでしょうか?どうも、こいつらの技術は胡散臭い」
キルスの横に立つアルメデは、その声を耳にして微笑んだ。
赤髪の若者の、癇の立った表情を横目で持て、彼がこれから出会う自我を持つAIと話したら、何と言うだろうかと考えたのだ。
トルメアは科学技術中心主義を国是として国家運営を進めている。
研究所に多額の資金を投入し、人材を広く集め、おそらく世界中のどの国より最先端の技術を誇っているだろう。
しかし――
今ある段階を超え一段高みに上がる、あるいは依って立つ土台ごと新しく作りだすような限界突破を為すためには、それだけでは不足しているのだ。
王国に科学を浸透、発展させるために全力を傾けて学んだ結果、彼女はある結論に到達していた。
決して表立っては言わないが、彼女が愛し、信じている言葉がある。
それは、
「真の発明、発見は常に個人によってのみ為され、それ以外はない」
時として、科学は段階的な進歩ではなく、一足飛びに進化するときがある。
それらは天才のひらめきか非常識な執念によってのみなされるという考えだ。
一度発見された技術を、磨き、枝を広げ、応用していくことは集団でできる。
だが、突出した発見と発明は、常に並外れたいち個人によってのみなされるのだ。
完璧なAIミーナを生み出したサルヴァール・ハマヌジャン。
安全、安定した医療用ナノ・マシンを作り上げたアキオ・シュッツェ・ラミリス・モラミス。
そして、忘れられた天才カヅマ・ヘルマン――
アルメデは、ミーナとの会話で、不遇の天才、カヅマ・ヘルマン博士の名を知った。
早くに歴史の表舞台から姿を消してしまったため、その名はあまり知られていないが、スクラムジェットは、アキオのナノ・マシン研究の師であるカヅマ・ヘルマンが200年近く前に完成させたものだ。
研究資金を得るために。
不幸にも、兵器用に秘密裏に開発し手渡した小国家が、当時使い放題だった戦術核によって敵国に蒸発させられたため、その技術は日の目を見ることはなかった。
だから、彼の名は歴史的には無名なままだ。
彼はまた、世界初の実用的なナノ・マシンの開発者でもあった。
すべては愛娘の治療のために――
白い機体の後部ハッチが静かに開いた。
伸縮式のスロープが伸びる。
「どうぞ、お入りください」
落ち着いた女性の声が響き、キルスは黙ったまま、ハッチに向かって歩き出した。
スタンがそれに続く。
アルメデはあやうく吹き出しそうになった。
冗談好きのミーナの気取った口調を初めて聞いたからだ。
「どうされました?」
彼女の横に立っていたエヴァが不思議そうな顔をする。
「いいのです。さあ、行きましょう」
外見の印象から、機内は豪華で機能的な椅子が並んでいると思っていたが、実際は簡素な会議室のような造りだった。
真ん中に長方形のテーブルがあり、その周りを椅子が取り囲んでいる。
「お好きな椅子に腰かけてください。すぐに出発しますから」
再びミーナの気取った声がする。
「窓は?外は見えないのか」
スタンが噛みつくように言った。
「あらかじめお伝えしましたが、機密保持のため、機外は見えないようになっています」
「つまり、俺たちを、どことも知れない場所に連れて行って殺すこともできるということだな」
「もし、殺すつもりなら、さっきの高原でやっているわ」
「なんだと、もういい、降ろせ。宰相、やはりこいつらは信用できない」
「いいわよ、でも残念。実はもう飛んでるの。飛び降りてもいいわよ。音速の飛行機から飛び出して、あなたが無事かどうかわからないけど」
ついに、アルメデは吹き出した。
ミーナがよそ行きの態度をかなぐり捨てて、地金を表したからだ。
「もう飛び立っていたのですか」
エヴァが驚く。
「戻れ、さもないと」
「隠れて追跡している戦闘機に攻撃させる?あなたたちが乗っているのに?」
ミーナは含み笑いの声で続ける。
「それに、彼らはとっくにどこかに行ってしまったわ。プロトタイプのラムジェットじゃ、この機体を追跡するのは無理」
「王国の技術を馬鹿にするのか!」
「もういいわ。キルス、この子、少し黙らせてくれる」
これまでに、何度か音声通話で会話していたミーナが砕けた調子でキルスに言う。
「スタン、しばらく、おとなしくしているんだ」
宰相の言葉に、赤髪の青年は不満げに鼻を鳴らしたが、おとなしく椅子に座った。
「きれいな方ね。紹介してくださいな」
テーブルに埋め込まれた小さなスピーカーからミーナの声が響く。
「アルメデさま……」
エヴァが女王の顔を見た。
「彼女がエヴァ・マリアよ。ミーナ」
「あなたが、延命措置を断ったエヴァね」
「申し訳ありません」
「謝ることはないわ。でも、もし良かったら、なぜ断ったか教えてくれる。宗教的な理由かしら」
「違います――」
エヴァは、それだけ言うと口を閉じた。
「いいわ。無理には聞かない」
そう言って、ミーナは当たり障りのない話題に切り替える。
離れたテーブルでは、同時に別のミーナが、若いスタン・ステファノと言い合いをしている。
やがて――
「さあ、楽しく話をしている間に、目的地に到着したわよ。すぐにハッチが開くわ」
ミーナが言った。
「もう着陸したのですか。振動を感じませんでしたが……」
エヴァが目を見開いた。
「驚いたでしょう。わたしは操縦がうまいから」
「あなたが操縦していたの?」
「話をしながら?そうよ、わたしは優秀なの」
実際はもう十数分前に発着所に到着して、すでに格納庫に移動していたのだ。
アルメデは、ミーナとエヴァのやりとりを目を細めてみている。
会話をするうちに、はじめは硬かったエヴァの態度は、すっかり砕けたものになっていた。
「こちらへどうぞ」
声とともに後部ハッチが開いた。
その先は通路に接続されている。
白とオフホワイトを基調色とした通路の壁に、大きく青い矢印が明滅した。
「矢印に従って歩いて」
いくつか角を曲がり、扉のあいた部屋に導かれる。
およそ20メートル四方の部屋だった。
廊下と同じで、白とオフホワイト基調の色彩で統一されている。
ソファだけが赤色だ。
「ここで少し待機してちょうだいね。あらかじめ伝えていたように、数時間で終わるから」
ミーナの声が優しく響く。
「あ、スタン、通信は一切使えないから、あなたが体中につけている妙な機械は全部外してバッグに入れておいた方がいいわよ」
「なんだと――宰相、やはりここは危険だと思います」
若者は騒ぐが、さすがにキルスは落ち着いている。
「黙っているんだ。ここまで来たら、できることはない」
スタン・ステファノは、腹立たし気にソファに座ると、身体から取り外した発信機をいじり始めた。
しばらくして、
「では、身体のデータを取ります。女王さまから――」
「待て」
キルスが割りこむ。
「得体のしれない作業を、女王さまから行わせるわけにはいかない――わたしがいく」
「わかったわ。あなたからどうぞ」
言葉と同時に扉が開いた。
「矢印に従って進んでね」
キルスは部屋を出て行きかけ、若者を振り返る。
「スタン、一緒に来るんだ――いいな」
最後はミーナへの質問だ。
「信用してないのね。いいわよ、一緒に行って」
男ふたりはそろって出て行く。
残された少女たちは、ソファに座って男たちの帰りを待った。
「何をするんでしょう」
エヴァが話しかける。
「色々調べるのでしょうね」
「その通り」
突然、ミーナが答えた。
「びっくりしました」
エヴァが胸に手をやってため息をつく。
「驚いた?ごめんなさいね」
「いえ、大丈夫です……でも、ここは快適ですね。いま、どこにいるか聞いても――答えてはくれませんね
「ええ、保安上、無理なの」
「王国を出て、およそ1時間だったから、赤道を少し超えたあたりか、アメリカ大陸かオーストラリア大陸あたり……」
「どうかしら」
ミーナが言葉を継ごうとしたところへ、扉が開いて二人が帰って来た。
「なんだ、あいつは。失礼なやつだ。変態野郎が!」
スタンがぷりぷり怒っている。
「あいつ!」
エヴァは、アルメデがそうつぶやいて、胸に手を当て目を輝かせているのに気づいた。
が、あえて話しかけるのを我慢する。
「どうしました?」
かわりに、聞いてほしそうな顔をしていたスタンに尋ねた。
「あいつ、俺まで裸に剥こうと――」
「スタン。少し落ち着け」
赤毛の青年は、キルスの一声で黙った。
「お次は女王さまよ。さあ、どうぞ」
「お待ちください」
扉が開き、矢印に従ってアルメデが出て行こうとすると、キルスが止めた。
「エヴァ、ついていくんだ」
「え、でも……」
エヴァがアルメデを見る。
「君がついて行って、怪しいことをされないように見張るんだ。わたしがスタンを連れて行ったように」
アルメデはうなずく。
「わかったわ。エヴァ、わたしと一緒に来て」
「はい」
ふたりは部屋を出る。
再び矢印に従って、いくつか角を曲がり、矢印の示す部屋に入った。
「あっ」
先に入ったアルメデが短く叫ぶ。
何事が起ったのかと、急いで部屋に入ったエヴァの目に、ひとりの男が映った。
黒い髪、焦げ茶色の瞳の白衣の男だ。
女王は、男の前で立ちすくんでいる。
「ひとりと聞いていたが」
男は彼女たちを一瞥した。
「姫さま……」
エヴァは、男を見上げて固まってしまったアルメデを、また昔の呼び名で呼んでしまった。
アルメデは動かない。
じっと男の顔を見上げている。
男は女王の顔とエヴァの顔を交互に見て尋ねた。
「どちらが処置希望だ」
「この方です」
エヴァがアルメデを示した。
男はうなずき、部屋の隅にある台を指さした。
「服をぬいでその台に置いて、こちらに来てくれ」
「服を脱ぐのですか?下着はつけていていいのですね」
なぜか放心したようになったアルメデに代わってエヴァが尋ねる。
「全部だ」
「姫さま!」
またそう呼んでしまうが、もう構ってはいられない。
この無礼な男は、女王に全裸になれと言っているのだ。
「良いのです、エヴァ」
やっと我に返ったアルメデがエヴァに言う。
「名前――」
エヴァが男を見た。
「なんだ」
「名前をお聞きしてよろしいですか」
「アキオだ。呼ぶときはその名で呼んでくれ」
「アキオさま」
エヴァがきつい声を出す。
「アキオでいい」
「では、アキオ、この方は女王さまです。無礼はなりませんよ」
「君は何をしに来た」
アキオは、アルメデに向かって尋ねる。
「延命措置を受けに」
「これは医療処置だ。君たちも医者が脱げといったら脱ぐだろう」
「その必要が――」
「エヴァ、この方は無駄なことはしません。必要だからそうおっしゃるのです。この台に服を置けばよいのですね」
「そうだ」
言ってから、アキオはエヴァに向かって続ける。
「良かったら、君も脱いでくれないか」
「なんですって!」
「できるだけ人体データが欲しい。ここには人が少ない」
エヴァは、アキオに向かって大声を出そうとしたが、アルメデがさっさと服を脱ぎ始めているのを見て止めた。
女王一人に恥ずかしい思いをさせるわけにはいかない。
「わかりました」
そういって、彼女も服を脱ぎ始めた。
「こちらに来て、床に描かれた同心円内に立ってくれ」
全裸になったアルメデに向かってアキオがいう。
アルメデは、掌で肩の傷を隠しながら指示された場所に向かって歩く。
アキオの前を通る時に、彼の眼に肩の傷が触れないよう身体を捻った拍子にバランスを崩した。
倒れかかる少女をアキオが手を伸ばして支える。
「姫さま!」
エヴァが信じられないものを見たように声を上げた。
世界有数の大国の女王であるアルメデが、全裸のまま、見も知らぬ男に抱きついたからだ。
手を彼の胴体に回し、そのまま胸に顔をうずめてしっかりと抱きしめる。
アキオは表情を変えずに、しばらくじっとしていたが、やがて女王の頭をポンポン叩くと彼女を離した。
そのまま、再び掌で肩の傷を隠そうとする少女の手をどかせる。
「いや、やめて」
アルメデは、エヴァが初めて聞く年相応の声を上げて嫌がった。
エヴァは、それを止めようとし――アキオの瞳がなんの色も浮かべていないことに気づいて黙った。
――この男は、わたしたちを女として見ていない。それどころか、人として見ているかも怪しいだろう。人間らしい感情がないのだ。
「銃創か。いつだ」
アルメデは身をよじって、傷をアキオから隠そうとしながら答える。
「6年前……」
「きれいに抜けている。処置もいい。運動機能に問題はなさそうだ。運がよかったな――いずれにせよ、今日でこの傷は消える」
そう言って、傷跡に触れた。
その瞬間、アルメデは大きく身を震わせる。
「計測を始める、そこに立ってくれ」
手を離して彼は言った。
彼の姿を見た時、アルメデは、あやうく叫んでしまうところだった。
アキオ、わたしよ、ミニョンよ。10年待ったの。10年たって大きくなったの――
しかし、エヴァが傍にいるため、それは我慢した。
昔話をすると、アダムの話が出てしまうだろう。エヴァは余計なことをいわないと思うが、万が一ということもある。
まだ、キルスにアダムのことを知られるわけにはいかないのだ。
ただ、よろめいて、彼に支えられた時には、とうとう我慢できなくなって抱きついてしまった。
十年たって、わたしは大きくなったはずなのに、彼の前では昔と同じで小さいままだった。
涙だけは我慢した。
だが、エヴァは変に思わなかっただろうか?
悩む間に、ふたりの計測はおわり、彼女たちは服を着た。
「あ、あの」
エヴァがアキオに声をかける。
アルメデは緊張した。
彼女が、彼と自分との関係を尋ねるかと思ったのだ。
ミーナの話では、アキオは彼女に気づいていないらしいが……
「ひょっとして、男の方たちにも、同じようにしたんですか」
彼女はエヴァの興味が見当違いの方向を向いているのを知って安心する。
「そうだ。だが、スタンという男は、どうしても嫌だというので計測できなかった」
表情を変えずに言うアキオを、エヴァは呆れた顔で、アルメデは優しい笑顔で見つめるのだった。