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015.宿泊

「マキイ」

 妙にうれしそうにケルビを操る女性に声をかける。

 どうやら彼女は馬車が好きらしい。

「なんだい」

「名前はどうする」

 マキイがはっとして、形よく開けた口を手でおさえた。娘らしい仕草も板についてきている。

「そうだった。確かに死んだ人間と同じ名前じゃまずいね」

「容姿が違うから、あまり心配はないと思うが、何か考えておいた方がいい」

「では、マキにする。どうだい」

 即答だった。

「元の名前に似ていないか」

「では、キイだ」

 アキオは美人の顔を見た。

「もう少し、まじめに考えたらどうだ」

「わたしは、まじめさ。キイでいい」


 アキオは呆れる。

 彼も人のことは言えないが、彼女は、アキオ以上に、名前に重きをおいていないらしい。


「いや、考えなしじゃないよ。あまりかけ離れると間違うしね、元の名前と重なっているぐらいがちょうどいいのさ」

「適当に決めていないな」

「も、もちろんさ!」

 マキイ、いやキイは、時折、ひどくおおざっぱな考え方をする。

 昨日まで傭兵だったのだから、当然なのかもしれないが――


「この世界には苗字もある」

「みょう――」

「後ろの名前だ。君の場合はゼロッタ、か」

「ああ家名か」

「それも変えた方がいい」

「問題ない。それはもう決まっている」

「ゼロとかロッタはだめだ」

「ち、違うさ。わたしの家名は――モラミスだ」

「それは――」

 彼の名だった。


 昨夜、問われるままに教えた。

 正確には、アキオの父方の祖母の父親の名だが。


「反対しても無駄だ。もう決めた。わたしの名は、キイ・モラミス、響きもいい」

「――」

「ダメか?」

 美女が指を胸の前で組んで、祈るように上目遣いにアキオを見る。

 だんだん仕草に磨きがかかる――アキオは苦笑する。

 サンクトレイカに戸籍制度があるわけではなさそうだから、問題があれば、あとで変えればよいだろう。

「いいだろう」

「名前は変わった、だが、1つ問題がある」

「なんだ」

「新しい名前で傭兵の誓いをやり直さなければ――」

「一度で充分だ」

 マキイ、いやキイは、あははと屈託(くったく)なく笑うと、

「では失礼ながら略式かつ口頭のみで――」

 そういって、美しい指先をそろえて胸にあてる。

「わたくし、キイ・モラミスは、この身をあるじたるアキオ・シュッツェ・ラミリス・モラミス殿に捧げ、尽くすことをここに誓う」

「昨日より長い――というより、昨夜は言葉はなかった」

「血の交換は名前では変わらないからね。まあ、かたいことを言わないでおくれ、あるじさま」

 そう言って、キイ・モラミスになった女性は艶やかに微笑んだ。


 日暮れ前にガブンの街に着いた。


 非公式の街というので、簡易な木の柵で囲まれた小さな集落を想像していたアキオは、頑丈そうな石造りの塀に囲まれた街にとまどいを覚える。

 石門を出入りする人影も多かった。

 アキオとキイの馬車も、人混みに紛れて門をくぐる。

 誰にも止められない。


「わたしの知っている宿でいいだろう?」

「任せる」

 キイは、街の中心部から少し離れた通りに馬車を進め、小ぎれいな石造りの建物の前に停車した。

「この宿なら、馬車も置けるし、値段もそこそこ、いろいろ融通もきくからね」

 入口の上には、文字らしきものが書いてあるが、まだアキオには読めない。

 カマラのナイフに刻まれていた文字とは違うようだ。

 緑岩亭りょくがんていと読むらしい。

 キイは、すべるように御者台から降りると、後ろから荷台に入り、武器の束を取り出して、布に包んだザックを持ったアキオの手を引いて建物に入った。


 まっすぐに正面の受付らしき場所に向かう。

「部屋は空いているか?銀の団のマクスの知り合いだ」

 美貌の女性に、歯切れのよい言葉をかけられた受付の男は、一瞬戸惑うが、すぐに職業的な笑顔を取り戻して答える。

「知ってのとおり、シュテラが大市おおいちのシーズンだから混んでいてね。1部屋なら空きはあるけど。ベッドは1つだ」

「それでいい」

 キイが良い笑顔で微笑んで、

「とりあえず2泊する。ついては頼みがあるんだが――」

 そう言って武器の束を掲げて見せ、

「旅の途中で剣を拾ってね。盗品でないのは、銀の団のお墨付きなんだが、こいつを売ってくるから、それまで宿代を待ってくれないか」

「マクスさんの知り合いだ。良いですよ」


 その後、キイが宿代の交渉を短く済ませると、主人に命じられた若者が、馬車に向けて走っていった。

 2人は2階の端の部屋に案内される。

 廊下も階段も緑がかっていた。

 緑色の石をブロック状に切り出し、積み上げて建物にしているらしい。


「料金の割にはいい宿だね」

 案内係が去ると、部屋を見回してキイが言った。

「君は泊まったことがないんだな」

「わたしたちは、すぐ近くのシュテラ・ナマドの傭兵だからね。マクスは金のやり取りの関係で、よくこの辺りにも来ているらしい」

 アキオはベッドにザックをおろし、変わったデザインが外から見えないように巻きつけた汎用布を取った。


「じゃあ、ちょっと武器を売ってくるよ」

 腰を落ち着けようともせずに、キイが言う。

「俺も行くか」

「あんたはいいよ。交渉なんかは、わたし1人のほうがやり易いから」

「分かった」

「じゃあ、行ってくる」

 そう言い残し、キイはさっさと大きな荷物を持って部屋を出て行った。


 ひとり、部屋に残ったアキオはミーナと連絡をとる。

 野外ではないので、スピーカー通話でなくインナーフォンを使っている。

 これは、耳の中に入る大きさのイヤフォンで、一度入れるとナノ・マシンによって耳孔じこうと一体化し外れることがない。電源は、体温によって供給されるため充電の必要もなかった。

 通信自体はアーム・バンド経由で行う。


「どうだった、アキオ」

「いろいろと分かってきた。今、データを送る」

「違うわよ。彼女とのこと」

「どうだかな。うまくやってると思うが――女性として扱ったからだろう」

「そういういい方をする時点で、多分間違ってるわね」

「データを送るぞ」

 そう言って、アキオは、アーム・バンドをタップして、昨日からの知識をまとめたデータを送信する。

「ふうん。魔法の使えない地域があるのね」

 送られたデータを瞬時に解読、解析したミーナが言う。

「魔獣が、WBを共食いで増やそうとすることよりも、そっちが気にかかるか?」

「発光石、いえメナム石が魔法の使えない街でも使用可能というのがポイントね。あとは、ヒトが魔法使いになる成魔式イニシエーションも気になるわね」

「そうだな」

「あれからメナム石を調べたら――」

 ミーナはひと呼吸置き、

「中央にWBクマムシが埋まっていたの」

「なるほど」

「WBの周りを琥珀(こはく)に似た物質が取り囲んでいる、それがメナム石よ」

琥珀(こはく)、たしか地球では――」

松脂まつやになどの天然樹脂が化石化したものよ」

「植物成分の化石化、か」


「あと、街で魔法が使えない、という事実から、2つの可能性が考えられるわね。

 1、魔法は、なんらかの未知のエネルギーを使って発動するが、街の周りにはそれがない。

 2、WBが、どこか別次元、例えばディラックの海からエネルギーを得ているけれど、街の周辺ではそれがブロックされている」


 ポール・ディラックの好きなやつだ――アキオは微笑む。


「その考えに沿って、メナム石が街の中で光る理由を考えると――」

「1の仮定だと、メナム石は琥珀部分に未知のエネルギーを蓄えているのね」

「そうだな。そして、2の仮定に立つと、魔法のエネルギー・プールである別次元への通路をブロックする何かが街にあり、メナム石の周りの琥珀がそのブロックを外して、エネルギーを引き出している、だな」

「でも、2は考えにくいわね」

「とりあえず1の仮定でいく。琥珀に似た物質にエネルギーがたくわえられていると考えて、もし存在するなら、それを特定してくれ」

「わかったわ」

「俺は引き続き、この世界での生活基盤を整えて、キューブの行方を探す」


 通話を切ってから、アキオは通信にカマラの話題がまったく上らなかったことに気づいた。


「行ってきたよ」

 しばらくして、キイが帰ってきた。大きな袋を抱えている。

「思ったより高く売れてね。おかげで、マクスへの使いを今夜中に出すことができた」

 アキオはうなずく。


 彼女の話では、銀の団の会計、地球でいうと事務職のようなものらしい、であるマクスなら、キイとアキオの通行文つうこうもんを手に入れることができるらしい。

 第一の問題は、マクスにマキイが生きていると信じてもらうことのようだが、彼女とマクスしか知らない秘密を、手紙で匂わせて呼びよせるから大丈夫とのことだった。


「ついでに、夕飯も買ってきた。外で食べたいんだが、もう夕方で店が閉まっていて服は買えないから――」

 そういって、ロングコートをはだけて、地球デザインの近未来的な服を見せ、

「この服で食べに行くわけにもいかないし、コートを着たまま食事するってのアレだからね」

 そういいながら、キイが袋から、パンに似たものに肉らしきものを挟んだ食事を取り出してテーブルに置いていく。

 キイの食欲に合わせたのか、すごい量だ。

 ついで、陶器の筒に入った酒らしきものを取り出した。

 アキオがザックからカップを出すと、キイはその液体をなみなみと注ぐ。


「新しい名前、キイ・モラミスに!」

 カップを差し上げてキイが言う。

 この世界でも、酒を飲むときには乾杯するらしい。

 アキオも軽くカップを掲げた。


 部屋には大きめのベッドが一つだけなので、今夜もふたりは並んで寝ることになる。


 食事を終えて、明日の予定を少し話しあった後、キイが顔を洗いに行っている間に、アキオはナノ・マシンを使ってベッドを補強しておいた。

 大丈夫だと思うが、キイが寝た途端にベッドが壊れてはかわいそうだ。


 その夜、キイはおとなしく寝てくれた。

 背中をアキオに当てるようにして横向きに寝ている、それだけだ。


 アキオは、メナム石の光量を絞ると、昨夜と同じように、カマラ用の言語プログラムを作り始める。


 深夜、ふとした気配で目が覚めた。

 目の前には、体を起こしてアキオを見つめているキイの姿があった。

 3つの月による明るい月光が窓から差し込み、彼女の姿を幻想的に鮮やかに浮かび上がらせている。

「どうした?」

 キイは泣いているようだった。

「ちょっと目が覚めてね」

 そう言って、キイはアキオの頬を優しく、愛おしげに撫でる。

「起こしてごめんよ」

「大丈夫か?」

「もちろんさ。さあ、アキオも寝てくれ」

 そういって、キイはアキオを抱きしめる。

「ゆっくり寝てくれ――」


 だが、その言葉が実現されることはなかった。

 夜明け前に、突然、ドガッと大きな音を立てて部屋の扉が開いたのだ。


 アキオは、反射的に枕の下で護身銃のP336をつかむ。

 彼の胸の上にはキイの頭があり、しっかりと彼の体を抱きしめていた。

 アキオが目をやると、月明りが照らす部屋の入口には、暗緑色の髪をした短髪の少女が立っていた。

 整った顔立ちをしている。

「マキイ、マキイさん!」

 ハスキー・ボイスで少女が叫ぶ。

「う……ん」

 たった今、目を覚ましたような素振りで、キイがアキオの胸から頭を上げるが、彼には彼女の手に隠し持った短剣が握られているのがわかる。


「あなた誰です?」

 少女はキイを指さし、

「あなたも誰です?」

 次いでアキオを指さす。


(君こそ誰だ!)

 と、アキオが思っていると、

「ああ、マクスか――」

 キイがかわいらしい口元に手を当て、あくびを抑えながら言った。


 どうやら、マクスとは女性だったらしい。

 アキオは、キイの言葉からてっきり男性だと思っていた。


「あなたに呼び捨てにされる言われはありません。マキイさんはどこです?」

 ふっとキイは微笑むと、するりとベッドから降り、少女に近づいた。

「信じられないかもしれないが、わたしがマキイ・ゼロッタだ」

「何を馬鹿なことを!」

「本当さ。証明しよう。緑の筆につける墨は『カスゲの花』だ。マクス、次はお前が言ってみろ」

 マクスは、はっとした表情になると、言った。

「ケルビ小屋の柱に掛けるのは?」

 キイが笑顔で答える。

「シロネ酒のシミのついた靴下」

「マキイさん!」

 わっと泣いて、少女がキイに抱きつく。

 それを見て、アキオは苦笑する。

 何のことかさっぱりわからないうちに、本人確認は行われたようだった。

 

「何がどうなったんです?」

 ひとしきり泣いたマクスを落ち着かせ、ベッドに座らせると、少女は言った。

 キイはその隣、アキオは二人に向かい合って椅子に座っている。

 彼は出ていこうとしたのだが、2人揃って引きとめられたのだ。


 皆が落ち着いたのを見て、キイが経緯を話を始める。

 それから半時間、時折、質問するマクスに答え、キイの話は終わった。


「ロス百人長は死んで当然ですよ。ジルもいい気味です。でも……」

 そういって、アキオを不気味そうに見る。

「まだ、体を変えられるなんて信じられません」

 キイがアキオを見た。

 アキオはうなずくと、ナノ・ナイフを取り出した。

「見世物じゃないが、君に信じてもらうためだ。見てくれ」

 そういって、手のひらに、ナイフを突き通す。

「ひっ!」

 驚くマクスを、キイが優しく横から抱きしめる。

 アキオはナイフを抜いて傷口を見せた。

 マクスの目の前で、見る間に傷口はふさがっていく。

「これが、ナノクラフトだ。まだ信じられないというなら、この場で顔を変えて見せることもできるが……」

「それはいいです」

 マクスは言い。

 少しだけ考え込んで、

「本当だったんですね」

 キイの手を握る。

「ああ、アキオによって、わたしは、新しい人生を与えられたんだ」

「マキイ、いえキイさん。とっても綺麗です」

「ありがとう」

「ああ、生きててよかった――」

 再び、マクスがキイに抱き着いて泣き出す。


 しばらく髪を撫でられて、彼女は泣き止んだ。

 キイにうながされ、彼女がここに至った経緯を話し始める。

 

 マクスの話によると、昨夜、キイからの手紙を受けとった彼女は、朝一番で、ガブンに来るつもりだったが、眠れぬ夜を過ごすうち、居ても立っても居られなくなって、夜明けのはるか前にシュテラ・ナマドを出て、ザルドで駆けつけてきたそうだ。

 ザルドとは、ケルビよりずっと小型で騎乗用の馬のような動物らしい。


「それで、手紙で指示のあった部屋にやってきたら、こんなきれいな女性ひとが、裸同然で男の人と抱き合って眠ってるんだから、こっちも驚きますよ」

「裸同然って、わたしは服を着ていただろう」

「いいえ、胸がはだけてました!」

 なぜか、マクスの語気が荒い。


「とりあえず、来てくれと書かれてたので来ましたが――」

 そこで、キイが、新しい名前の通行文が必要だというと、

「わかりました。今からシュテラ・ナマドに帰って取得工作を開始します。お二人の通行文を手に入れ次第、この宿にお持ちしますので、安心してお待ちください。マクス・エクハートの名にかけて、明後日にはお届けできるでしょう」

 書類作成に必要な情報を2人から聞き取ると、そいう言い残して、マクスは現れたとき同様、ズボンのすそを翻して風のように部屋を出て行った。


「あわただしい奴だ」

 キイが、壊れて閉まらなくなったドアに椅子を当てて押さえながら笑う。

 そのまま彼女は、ベッドに入ると、シーツを上げてアキオを招いた。

「さあ、夜明けはまだ遠い。早く睡眠の続きをとろう」

 アキオが彼女の横に寝ると、キイはアキオを横から抱いて囁く。

「明日は服を買うから、外で食事ができるな。楽しみだ」

 どうやら、キイはもう空腹を感じているらしい。

 アキオは、枕の下にP336を戻すと目を閉じた。


「ところで、あの『カスゲの花』とか『シロネ酒』というのはなんだ?」

 目をつむったまま尋ねるアキオに、眠りかけの猫のように気持ちよさそうな声でキイがつぶやく。

「アキオ、わがあるじ……乙女の秘密を詮索するもんじゃないよ」


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― 新着の感想 ―
[一言] 「通話を切ってから、アキオは通信にカマラの話題がまったく上らなかったことに気づいた。」 話題に上がらなかったではないでしょうね。どうして、気にならないのか不思議です。「カマラはどうしてる」と…
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