144.高い城の、3
数日後、屋敷に戻ると両親が泣いていた。
「どうしたんです」
「ああ、キルス!アダムが、あの子が行方不明になったと連絡があったの」
母が彼に取りすがる。
「兄さんが?」
限りなく兄を愛していた両親が嘆く姿を見て、彼が言う。
「行方不明なだけでしょう。兄さんなら、ひょっこり帰ってくることも――」
「いい加減なことをいわないで。あなたは――」
いつも笑顔を絶やさない母が、声を荒らげるのを見て彼は言葉を失う。
「やめなさい」
父が母を止めた。
「ああ、いつかはこうなると思っていたのです。だから、特務機関などに行かせたくはなかったのに!」
「しかし、兄さんは正義のために――」
「あなたは、本当にそれが理由だとおもっているのですか!」
「え」
「アダムは……あの子は、あなたに家督を譲るために家を出たのです。あなたがそれを欲していると気付いていたから――あの子は優しい子……お前とは違う!」
「よしなさい。それ以上は――」
父の言葉を無視して母は続ける。
「ああ、これでノオト家の血は絶えます」
その言葉の奥に隠された事実が彼の心をえぐる。
「母上!どういうことです」
キルスは叫んだ。
「そのままの意味よ。もうどうでもいい……ただいえることは、ノオト家の家系に黒髪の者など一人もいないということ――」
「やめるんだ」
父母の諍いの声を後にキルスは屋敷を飛び出した。
その夜、彼は安ホテルに宿をとり、翌日はそのまま王女と共に辺境の村の式典に赴いた。
王都に帰ると、キルスは王女の屋敷近くに家を借り、二度とノオト家の邸宅に戻ることはなかった。
彼自身が調査させて、自分が幼い頃に屋敷の前に捨てられていた孤児であることが分かったからだ。
渡された薄い資料を手にキルスは笑った。
そもそも彼は何者でもなかったのだ。
地面を掘り返したときに現れる土くれ同様のつまらぬ人間――だが、この土くれは、すでに高みを目指してしまった。
また、それを望める地位につき、実現する手段も手に入れてしまった。
ならば進むしかない。
もう後戻りはできないのだ。
このささいな事件以降、キルスは以前に倍する熱意でアルメデ姫をバックアップし、王都での王女の地位を高めていく。
不思議だったのは、少女がそれを拒まなかったことだ。
それだけではない、誘拐から救出されて以降、アルメデ姫は、まったくキルスに反抗することがなくなった。
真夜中の移動カーニバルがやってこなくとも、時として人は一夜にして大人になることがある。
如何なる経験が我がままな7歳の少女を思慮深い王女に変えたのか、彼は何度も尋ねたが、アルメデは口をつぐんで決して話そうとはしなかった。
人の思惑に関係なく世界は時を刻んでいく。
王女が大人になりキルスが野心を再確認すると共に、彼らを取り巻く世界も動き始めていた。
持って生まれた美貌に加え、王族らしい毅然とした態度と、頭の良さが生み出す当意即妙な受け答えが人々に好まれ、王位継承権36位の少女は、辺境地域から中央へと様々な公務に引く手数多となっていく。
加えてアルメデには、他の王族が誰ひとりとして持ちえなかった美点があった。
彼女は、自国の民を愛していたのだ。
ある時、少女は招かれた地方の式典で、驟雨にみまわれたことがあった。
同時に招かれた義兄や義姉が早々に引き上げる中、アルメデは雨に打たれながら最後まで式典に残り、王族としての公務を勤め上げた。
また、ある時、王女は、とある小国の要人を迎えるために空港に出向いた。
海上の嵐の影響で到着時刻が大幅に遅れ、さすがに王族は誰もいないだろうと思いつつ深夜の空港に降りたった大統領は、出迎えた美しい少女が微笑みながら、彼の母国の言葉で話しかけるのを聞いて不覚にも涙を流した。
軍人出身、勇猛果敢で二つ名「ハリマウ」として知られた大統領は、若き日にトルメアの王都に留学したことがあり、挨拶はトルメア語で交わすつもりだった。
「スラマッマラム」
なんと美しい言葉なのだろう。
少女の鈴のように美しい声でかけられた母国語の挨拶は、何より彼の心を震わせた。
それは、強大な王国が、吹けば飛ぶような小国に対して決して行わない行為だったからだ。
後になって世界を手に入れたアルメデは、各国の美しい言葉を用いて論理的で理解しやすい「地球汎用語」を作ったが朝晩の挨拶は、やはり彼の小国の言葉を採用した。
時を経ずして、重要物資の海洋航路上の要衝となったその国は、いかなる外交的圧力を受けてもトルメア王国のみは最優先で荷船を通過させ続けた。
王国の丁重な謝礼に対して、その国の返答は常に短い一文であった。
ただアルメデ王女のために、と。
それは、キルスにとって、うれしい誤算だった。
まさか、あの王女がこれほどまでに化けるとは思っていなかったのだ。
徐々に、評価を高めるアルメデ王女だったが、その止めとなったのは、後に血の復活日と呼ばれることになる事件だった。
トルメア王国は、王政復活の記念日を、復活日と呼びならわし、その日は、王都の庭園を解放して、演劇、舞踊、歌劇など、様々な催しが執り行われることになっていた。
そこへ、完全武装したテロリストが襲撃してきたのだ。
王立軍としては、気の緩みがあったことは否めない。
長きにわたる平和に、軍も緊急時の心構えを怠っていたのだ。
兵力の大部分は、夕方に行われる軍事パレードの最終確認をするため王都郊外に集結し、武器はすべて模擬弾に代えられていたため、即時の反撃ができなかったのだった
テロリストの首謀者が、王立軍の元参謀であったことも大きかった。
軍の実態はすべて把握され、対策をとられていたのだ。
彼は、国民を顧みず享楽をむさぼる愚王と無能な王族を粛清するために、この日、立ち上がったのだった。
たちまち血の海となる庭園、逃げ惑う人々、守られ退去する王族――
だが、ただ独りアルメデ王女だけが、数の上で絶対的不利な近衛兵を使って、市民を守り、反撃を始めたのだった。
「姫、ご退出を」
進言するキルスを氷のような目で見つめた王女が刺すように鋭く言う。
「キルス、あなたが中心となって敵の規模を把握し、現有兵力で可能な反撃作戦を立案しなさい。庭園の市民を守るのです。できますね」
「しかし――」
「できなければ去りなさい。他の者に頼みます」
そう言われては是非もない。
彼は王女の言葉通りにした。
勝手知ったる庭園の地の利を利用し、避難誘導した民を背に彼らはよく戦った。
だが、徐々に後退を余儀なくされ、ついに城門近くに追い詰められる。
「あきらめてはなりません」
兵を鼓舞する王女の声に重なって鋭い銃声が響く。
「姫さま」
アルメデが肩を撃ち抜かれて倒れるのを見てキルスが駆け寄った。
ほぼ同時に、彼も左のふくらはぎを撃たれて倒れる。
そこへ何かが投げ込まれた。
「グレネード!」
考えるより先にキルスの体が反応していた。
こういった反射を使った遊びは、兄のアダムとよくやったものだった。
それがこの場で生きたのだ。
ズシリと重い鉄塊をつかむが早いか、彼は素早く投げ返す。
キルスが王女に覆いかぶさると同時に空中でグレネードは爆発した。
爆風が髪を薙ぎ、細かい破片が体に突き刺さる。
「キルス!」
「姫、大丈夫ですか」
「問題ありません」
「よかっ……た」
キルスは気を失った。
そこへ王立軍の空挺部隊が到着し空からテロリストを制圧し始める。
数分後、テロリストたちは壊滅した。
肩を押さえて立ち上がったアルメデへ、彼女の手で守られた市民たちから惜しみない賞賛が送られる。
この事件によって王女とキルスが無くしたものは大きかった。
アルメデは、その美しい身体に生涯消えない銃弾のあとが刻まれ、キルスは左足を軽くひきずって歩かねばならなくなった。
「先生、肩の傷は残りますか」
少女が尋ねている。
「――手術には細心の注意を払いましたが――申し訳ありません、お姫さま」
「そうですか――」
杖をついて少女を見舞いに来たキルスは、偶然、戸口の陰で二人の会話を聞いてしまった。
部屋を出て彼に気づき、会釈して去っていくドクターを見送ると、中に入ろうとした彼は少女の独り言を聞く。
「これで、きれいなままの身体を、あの人にあげることはできなくなりました――彼は傷を気にするでしょうか、それとも褒めてくれるでしょうか――」
キルスは固まった。
彼とはいったい誰なのだ。
病室に駆けこんで名を聞きたいという衝動にようやく打ち勝って、彼は踵を返すとゆっくりと廊下を歩きだした。
今、尋ねたところで彼女は話さないだろう。
じっくりと調べれば、いずれ誰かはわかるに違いない。
どのみち、王女をたぶらかす男は排除されねばならないのだ。
これ以降、歴史の歯車は急速に回り始める。
二人の払った代償と引き換えに、彼らは国中から絶大な支持を得るようになった。
その人気は、王国周辺から王都までのすべてが範囲だった。
それまでの地道な公務が実を結び、辺境地域の人々は、すべて王女の人となりを直に見て知っていたし、王都の人々はジャンヌ・ダルクのように先陣を切ってテロリストと戦う女神のような少女の姿を目の当たりにしたのだから。
キルスは怪我を押して精力的に動き、この機会を最大限に利用した。
国民受けを狙う現王に進言し、メディアに公開される会議においては、常に王の横にアルメデが座るように仕向ける。
出しゃばった印象を与えないように、少しずつ王女に正しい発言をさせ、彼女の有能さを世間に浸透させていく。
やがて、アルメデは正式には王位継承順位第36位であるにも関わらず、国民の人気では押しも押されもしない王位継承第1位として語られるようになったのだった。
血の復活日から1年後、王が愛妾宅で謎の死を遂げた。
不可解な点は多々あったようだが公的には死因は心臓麻痺と発表された。
怪しむ声もあったが、女好きの王にふさわしい死に方だとする声が大きかったうえ、次期王として、アルメデを推す声が上がりだすと先王の死の真相など吹き飛んでしまった。
より順位の高い嫡出子たちの取り巻きたちが、キルスの横やりを非難するが、彼の、
「血の復活日の時、あなたはどこにいましたか?」
という言葉の前では彼らも無力だった。
こうして正規の継承順位、上位35人を抑えて、齢11歳のアルメデ女王が誕生したのだった――
だが彼女がアキオと再会するまでには、まだ6年の歳月が必要だった。
――そしてキルスはまだ兄の死の真相を知らない。