143.高い城の、2
一瞬、キルスの顔を見た少女は、まるで興味がないと言わんばかりに視線をそらし、
「ああ、そう。とにかく出しゃばらずに、おとなしくして。そうすれば、前任者みたいに辞めなくてすむから」
そう言って部屋を出ていく。
「お待ちください」
追いかけるキルスを無視して廊下を歩き、自室に入ってしまった。
まるで、取り付く島もない少女の態度に彼は呆れる。
だが、これくらいであきらめるわけにはいかない。
彼女をきっかけとして、この国の中枢に切り込んで行かねばならないのだ。
キルスはドアをノックした。
返事はない。
再度ノックする。
「失礼します」
そういって、扉を開けて中に入ると、風に揺らめく窓辺のカーテンが目に入った。
王女は、窓から外へ出て行ってしまったらしい。
使用人に尋ねると、少女は気の向くまま、日々街歩きを楽しむのだという。
その後も少女の奔放な生活は続き、彼が施そうとしてする教育を、ことごとく退けてゆくのだった。
仕え始めてひと月も経たないうちに、キルスは、彼の「お姫さま」が、どうしようもない王族のお荷物であることに気づき始めた。
確かに頭は良い。
記憶力は常人以上、理解力も人並み外れて優れている。
天才と呼ばれるだけのことはあった。
だが、その能力は、彼を出し抜いて街に遊びに出かけ、家庭教師が教える政治学の宿題を適当に解くために使われるだけだ。
これならば、頭はさほど良くはないが、分をわきまえている異母兄や異母姉の方がはるかにましだと思われた。
たまに行わねばならない公務には、散々文句を言った後で嫌々ながら参加する。
公務とは、支配地が広がるにつけ、広大になってきた国土で行われる祝典や祭典に顔を出して笑顔を振りまくことだ。
王位継承権の高い嫡出子たちは、王都近郊や諸外国との重要な外交祭典に駆り出されるが、30位以降の者には、ろくな出番は回ってこない。
せいぜい、辺境の農村の植樹祭や農道橋の開通式などだ。
そこでも王女は、傍若無人な態度を押し通す。
文句を言い駄々をこね、スケジュールを遅らせ、笑顔など見せることなど一度もない。
王族として、国民に対する愛情などはまるでないのだ。
もちろん、そんなものはなくても良い。
そもそも、王族が、国民ひとり一人を気にかけていては政治が立ち行かない。
だが、そう言った実態は、巧妙に隠すのが王族の務めでもある。
アルメデ姫の質の悪さは、気が回らずにそういった行為をしているのではなく、理解した上で、わざと周りを攪乱していることだ。
そんな時、彼は兄から一緒に食事をしようと呼び出された。
「調子はどうだ」
久しぶりにあった兄は、ひときわ大きくなった体で相変わらず大声で話し、よく笑った。
仕事柄、血なまぐさいことに手を染めているに違いないが、その青い瞳には、まったく陰りがない。
肉体的に人を傷つけたことがない自分の方が、よほど暗い眼をしているとキルスは自嘲する。
「父上や母上はどうだ」
「たまには顔を見せたらどうなんだい」
「俺は、正義のために家を出た身だからな。元気でやってるならいいさ」
そう言って大声で笑い。
「今日は、お前の顔が見たかったのさ。たったひとりの弟だからな」
そう言って酒を注ぐ。
キルスは、そんな兄の様子を見ながら、かつて家督を渇望していた時には、気づかなかった何かが、胸の内に沸き起こるのを感じるのだった。
髪の色も目の色もまるで違う兄弟だ。
もちろん、性格だってまるで違う。
だが、最近は、違うなら、それはそれでよいのだと思うようになってきた。
もう兄は彼の行く手を阻む存在ではないのだ。
キルスがアルメデ姫付きになって一年後、王女が誘拐された。
いつものように、なんの警護も伴わず、彼を騙して街へ出かけてさらわれたのだ。
少女を誘拐したのは、ある国の科学者集団を取り込んで、勢力を急拡大させたオセニア独立運動という組織だった。
彼らは、トルメア王国に敵対する某大国の後ろ盾を得て190年前に沈んだ東の国の名残のフゾサンという島に科学基地を作ったテロリスト集団だ。
キルスは蒼くなった。
明らかに彼の失態だ。
まさか、王女を誘拐するバカ者がいるとは思わなかったのだ。
同時に、誘拐犯に対して怒りがこみあげてくる。
どうして継承権36位の最底辺の王女を誘拐するのだ。
子供に一片の愛情も持っていないことを国の内外に明白に知られている現王が、王女の命と交換に、なにがしかの要求を呑むとは考えられないではないか。
手のかかる邪魔者がひとり減るだけ助かったと思うだけだ。
だが、王女が誘拐されたのは、明らかに彼のミスだ。
このまま彼女が殺されるようなことがあれば、彼にとって致命的な汚点になる。
彼の王国におけるキャリアは消えてしまうことになるだろう。
やむなく、彼は築きつつあった裏のルート経由で王国のさまざまな組織に王女救出を打診した。
当然ながら、どこからも色よい返事はもらえなかった。
敵基地を壊滅させるのは、それほど難しくはない。
王国の兵力を少し裂けば、重爆撃機を用いてたちまちフゾサンごと島を消滅させてしまえるだろう。
そういった依頼なら、受けてくれたかもしれない。
問題は、人質を救出しなければならないことだ。
そんな手間の掛かる任務を、王立軍の特殊部隊が受けてくれるとは思えなかった。
だが、数日後、内務卿から呼び出しを受けたキルスは、奇跡的に救出任務が実行されることを告げられた。
頭のおかしいテロリストたちは王国が到底受け入れられない要求を持ち出し、さもないと人質をロケットで打ち上げて成層圏で爆破すると脅迫していたのだ。
その期限が、2日後に迫った瀬戸際の決断だった。
そして、王女は帰ってきた。
王国の、どの組織が救出任務を実行したのかは、例によって秘密主義が身上のため知らされなかったが、彼に直接が連絡が入り、出向いた先に王女が独り待っていたのだ。
誰に救われたかを尋ねてみたが、彼女は知らないと答えた。
そのうち、兄に尋ねてみようと思い、とりあえず彼は少女を連れ帰る。
その後、内務卿のもとに出向き礼を告げると、厳格な老人は、なんとも妙な表情をして、それはよかった、とのみ答えたのだった。
誘拐から帰ってきてからの王女は見違えるほどに変わった。
これまでは、すべてが投げやりで、自分から何かをするということがなかった王女が、どんなにつまらない公務でも熱心に取り組み始めたのだ。
加えて、自分に仕える者に対する態度が激変した。
召使やキルスなど、まるで存在しないかのように勝手気ままに暮らしていた王女が、彼らの行為に感謝し、評価し、そして時には注意するようになったのだ。
「アルメデさまはどうなされたのでしょう。今日、お召し替えを手伝ったら、見たこともないような美しい笑顔で、ありがとう、と、おっしゃったのよ」
使用人たちが廊下に立って噂話をしている。
「あなたも?わたしもよ」
「しかも、色々なことをご自分でされるようになったわね。これまでは、御髪の手入れやご入浴などは、わたしたち任せだったのに……」
「わたしは、服装の乱れを注意されたわ」
「叱られたの?」
「いいえ、優しく注意されただけよ」
「本当に、なんていうんでしょう」
「お姫さまは、変わられましたね」
「ええ、王族にふさわしいお気持ちになられたのだと思います」
それを隠れて聞いていたキルスは、会心の笑みを浮かべる。
何があったかは知らないが、今の王女の態度ならば、この機を利用して王国中枢に推すことができるだろう。
そう考えて、彼は得意の画策を始めるのだった。