014.外套
昼食のムサカの肉は柔らかかった。
マキイは夢中で食べている。
「レーションもいいけど、肉もいいね」
その様子を見ながら、また次の食料を手に入れなければならないとアキオは思う。
ゴランがいなくなったので、獲物は豊富だろう。
だが、その前にケルビだ。
「マキイ」
食器を片づけているマキイに声をかける。
「なんだい」
マキイがアキオの横に座る。
「ケルビは、どこにでもいる動物か」
「ああ、馬車を使いたいんだね」
「できたら捕まえたい。だが、馴らさねば馬車を引かせられないだろう?」
「ケルビは、頭が良くて、おとなしい動物さ。馬車を引くためにうまれてきたような生き物で――野生でも、そんなに時間をかけずに馴らすことはできると思う」
「そうか」
「でも、心配はいらないと思うよ」
「――」
「わたしたちの馬車を引いていたらケルビが、たぶん近くにいるはずだから」
「ゴランに殺されたということは」
「大丈夫。ゴランが殺して食べるのは人間だけだ」
「そうか」
「正確に言うと、猿みたいな生き物だけを食べるんだ」
類人猿ということらしい。
この世界の生命樹がどうなっているかはわからないが。
「おまけに、ケルビは、体が大きいから普通の獣にはやられない。戦えばゴランにも負けないはずだ」
要するに、ケルビは無事だから、あわてず、この辺りを探せばいい、ということらしい。
「ケルビの居場所には、心当たりがあるから大丈夫――それよりも」
マキイは立ち上がる。
「アキオ、わたしを見てほしい」
言われて、アキオはマキイを見つめた。
緩やかな風に金糸の髪がなびき、ぴったりとした布地に覆われた身体は、各部の存在を主張しながら静かに息づいている――
アキオはミーナの言葉を思い出す。
「きれいだな」
「ああ、ありがとう、でもそれじゃなくて、服、服だよ。今のこれは、とても着心地がよくて良いんだが、この服では街には行けない。変わっているからね」
「そうか」
「あんたの服も変だ――」
言われてアキオは自分の汎用スーツを見る。
「わたしの街では、ね。わたしは好きだけど。だから、まずは服をなんとかしたい」
アキオはうなずいた。
「確か、布があったね?それを使って、狩猟コートみたいなものを作れないかい。あの……ナノクラフトで。それで下の服を隠せばいい。布の色は仕方がないけど。できるかい?」
「可能だ。布の色も変えられる。今、着ている服も含めて」
「だったら問題ないね」
「すぐに始めよう」
アキオは、マキイの言葉に従って、汎用布を切り、ナノ着色とナノ接着を繰り返した。
やがて、
「出来た!」
嬉しそうにマキイが叫んだ。
アキオには黒基調、マキイには濃紺主体のロングコートが完成する。
デザイン、色使いともシンプルだが、すっきりとして動きやすそうだ。
立体裁断がうまくいっていない気もするが、汎用布は伸縮性も高いので違和感はない。
各コートにナノ・マシンを少量注入する。
これで温度調節も可能になるし、汚れも自動で消え、自己修復もされるはずだ。
「いいね!アキオ」
マキイは、出来上がったコートを身に着けて、アキオが作った姿見の前で、矯めつ眇めつ自身の姿を眺める。
タイトなつくりのため、コートの上に綺麗な胸と細いウエストのラインが浮かび上がっていた。
しばらく眺めて納得したのか、
「では、ケルビを捕獲に行ってくる」
そう言い残して、マキイはコートの裾をはためかせ、風のように走っていった。
大剣ではなく、武器の山から短剣だけを取り出して持って行ったのだが、アキオは特に心配しなかった。
今のマキイを脅かす動物は、半径30キロに存在しないだろう。
アキオはマキイが置いていった彼女の大剣を手に取り、抜いてみる。刃こぼれは多いが使えないほどではなかった。今の彼女には大きすぎるかもしれないが。
剣を樹に立てかける。
アキオもコートを身につけた。
昨日の戦闘場所に行き、身体強化して倒れた巨大馬車を起こして、野営地まで運んでくる。
馬車の状態を調べると、車輪もハーネスも壊れてはいなかった。
ほどなく、マキイが戻って来た。
「帰ったよ」
少女の声にアキオは振り返る。
その目に飛び込んできたのは、にこやかに笑うマキイと、その横に立つ体高3メートル、幅2メートルの巨大な生き物だった。
姿形は、地球のトナカイに似ているが角はない。
「これがケルビか――」
確かに、この大きさなら他の動物の餌にはなりにくいだろう。
しかも、一頭で兵士を満載した巨大馬車を引くことができる。
珍しく、アキオの口元が緩む。
ケルビの雰囲気が、地球のゾウに似ていて嬉しかったのだ。
「団では持ち回りでこいつの世話をしていたんだ。だから扱いは得意だよ」
マキイはそういって、ケルビを車の前に回してハーネスを取り付ける。
「1カ所だけ、バンドが切れていたので治しておいた」
「助かるよ」
アキオは、ゆっくりとケルビに近づくと、掌で優しく首を叩いた。
「大きいな――そして美しい」
「頭もいい。会話はできないけど、わたしたちの言葉はちゃんと理解してるよ」
「そうか」
アキオはケルビから手を離すと尋ねた。
「まだ日暮れまでは時間がある。移動するか」
「それなんだけど――」
マキイが口ごもる。
「アキオ、これから起こることは、全部わたしに任せてくれないか」
「何か起こるのか」
「たぶんね」
「いいだろう」
アキオは言った。
体力は万全、武器弾薬も豊富だ。
何が起こっても対処は容易だろう。
「即答だね、ありがとう。だからあんたが好――」
「おい、お前たち!」
マキイの言葉をさえぎって、男の声が割り込んだ。
振り向くと、鎧に身を固めた男たちの集団が立っていた。傭兵のようだ。6人いる
「なんだい、あんたたちは?」
マキイがアキオに目配せして、男たちに向かって言った。
アキオは黙っている。
傭兵たちは、凄い美人が腰に手を当てて顎を上げ、怯えもせずに威勢のいい言葉を返すのを見て、あっけにとられていたが、
「この馬車はどうした」
怒鳴るように言う。
「向こうの広場でみつけたんだ。そこの武器もね」
マキイは、馬車と横に並べられた剣を指さす。
「あの馬車のエンブレムを見ろ。これは、俺たち銀の団の持ち物だ。返してもらう」
「それはおかしいね。わたしたちは、あの広場にあった馬車と武器を拾っただけさ。近くにゴランの死体もあったから、察するにゴラン退治に来た傭兵が、何匹か魔獣を討ち取ったものの全滅、ってとこなんだろうね。全滅した隊商や傭兵たちの持ち物は、それを見つけた人間の物になるってのは常識だろ」
「クズ武器はともかく、馬車は返してもらわないと困るんだ」
「困るといわれても困る」
凛とした声でマキイが返す。
「もういいさ。要するに、こいつらが山賊か魔獣にやられて、その荷物を俺たちが見つけた、ということにすればいい」
一番後ろにいた男が言った。野卑な顔をしている。
「もちろん女は殺すなよ。用事があるからな」
男たちが口々に叫ぶ。
アキオは、マキイの瞳が一瞬、沈痛な色をたたえ、それから怒りの炎が燃え上がるのをみた。
「銀の団はこんなにクズぞろいだったんだな」
マキイがつぶやく。
男たちは、武器を持たないアキオを無視してマキイを取り囲もうとした。
「化け物が死んだか確かめにきて、こんな上玉に出会うとは、俺たちはついてるぜ」
傭兵の一人が叫ぶ。
「使え!」
アキオは樹に立てかけてあった大剣を素早く手にとるとマキイに投げた。
彼女は、それを振り向きもせずに後ろ手でつかみ、鞘ごと地面に突き刺した。
剣を抜く。
「おい、その剣は――」
「あの化け物の大剣か。あんたみたいな女が扱えるシロモノじゃないぜ、怪我するからやめな」
確かに、周囲を威圧する大剣に比べて、それを構えるマキイは儚いほどに、か細く小さかった。
「構えろ!」
鈴のように澄んだ声が響く。
真剣さのかけらもない態度で剣を構える男たちに、マキイは、散歩でもするように歩み寄った。
拍子をとらせない絶妙のタイミングだ。
紺色のコートの裾が割れ、形の良い脚がひらめく。
そのままゆっくりと剣を動かし、先頭にいる2人の男の利き腕に刃を入れた。
絶妙に防具の隙間を狙っている。
悲鳴を上げ、口汚くののしってうずくまる男たちを無視して、さらに2人の男の腕を浅く切る。
残りの男たちが、泡を食って背中に切りつける剣の刃を、流れるような動きで背に回した大剣で受け、そのまま刃を滑らせて前に回し、ゆっくりと利き腕を割いた。
7秒たらずで、男たち6人は腕から血を流して転がった。
全員致命傷ではなく、腕の傷も浅い。
「リーダーは誰だ?」
剣を地面に突き立った鞘に収めつつ、マキイが尋ねる。
転がった男たち全員が、一斉にひとりの男を指さす。
一番後ろで野盗の仕業に見せかけて殺せと言っていた男だ。
「お前、名前は?」
「ジ、ジル」
「確認だ。ジル。ここにある馬車と剣は、誰のものだ?」
「あ、あなた方のものです」
「よし、もし、お前たちが我々をもう一度襲うようなら、銀の団にお前たちのことを報告する。もっとも、その前に、真っ二つにしてしまうだろうがな」
そういって、マキイは大剣を掲げた。
「よく切れる剣だ。もとの持ち主に感謝しないとな」
お互いに、傷の手当てをし始める傭兵たちを置いて、馬車に荷物を積んだマキイは、御者台に座ってケルビに声をかける。
巨大な生き物はゆっくりと力強く走り始めた。
「鞭は使わないのか?」
マキイの隣に腰掛けたアキオが尋ねた。
「アキオ、あんたは走るときに鞭で打たれたいかい?」
「嫌だな」
「ケルビもそうさ。利口な生き物なんだ。言葉でわかる」
「もっともだ」
しばらく無言で馬車を走らせたあと、
「アキオ――」
クックックと、マキイが我慢しきれない、といった感じで笑い出す。
「なんだ?」
「ちょっと芝居がかり過ぎてたかい?」
『よく切れる剣だ――』のくだりのことを言っているのだろう。
「そうだな。だが、うまいやりかただ。マキイ・ゼロッタが確かに死んだと思わせるには――」
「そうだね」
「さっきの剣さばきは美しかった。力任せに戦っても簡単に制圧できただろうが」
かつてアキオが従軍した戦争に美しさは皆無だった。
そこにあったのは無意味な死、卑怯な勝者と醜く愚かな死者だけだ。
それに比べたら、マキイの戦いは、死んだ母の舞のように優雅だった。
「そんなことをしたら、あいつらは死んじまう。でも、そう言ってもらえると嬉しいよ。まあ、ジルたちには生きて帰ってもらわないといけないからね」
「知り合いなのか?」
「ああ、なぜかわたしを憎んでいてね。証拠を捏造したのもあいつらさ。もうこれで関わることもないだろうがね」
馬車はゴトゴトと進んでいく。
乗り心地は良くないが、我慢できないことはない。
「すまなかったね、アキオ」
前を向いたまま、マキイが言う。
「どうした」
「わたしが、ゴランの死体近くで野営をしようと言ったのは、上官殺しのわたしの生死を確かめるために、あいつらがやってくるのが分かっていたからだ。わたしはあいつらを殺そうと思っていた」
「そうか――それは当然な考えだ。容姿がまったく別人になるとは普通思わない」
「まったくだ。姿かたちが変わったおかげで、あいつらを殺さなくてすんだ」
「これからどうする?君のほうが、この世界には詳しい。決めてくれ」
「まず、この剣の束を金に換えたいが、シュテラ・ナマドの城門を越えるには通行文がいる。だからわたしたちが目指すのはガブンが良いと思う」
マキイの話によると、シュテラ、つまり衛星都市(街)は正式な街なので門があり、通行文、旅行許可証がないと通れない
しかし、サンクトレイカには、シュテラでない街も存在する。その一つが、ここから、シュテラ・ナマドより徒歩で3時間手前にあるガブンだ。
ガブンもシュテラ・ナマド同様、魔獣の住まない安全地帯に作られている街だが、その存在は非合法で、もし何かあっても国は助けてくれない。
その代わり、入るのに通行文はいらないし、中には武器の買取をしている店もあるし宿屋もあるらしい。
「そこで、いったんガブンに入って、武器を売って宿をとり、シュテラ・ナマドへ使いを出して、マクスに頼んで通行文を持ってきてもらおうと思うんだ」
アキオはうなずいた。
マクスというのが何者かわからないが、マキイが信じる部下ならば、問題はないだろう。