139.竜種
いつものように、そっと研究室をのぞいたカマラは、珍しくアキオの姿がないことを知った。
日中に、彼がここを離れることは、ほとんどないはずなのだ。
彼女たちが、キラル症候群に冒されていることが判明してから、10か月が過ぎていた。
少女は、銀色の髪をなびかせながらアキオを探してまわる。
その髪には、彼女の瞳の色に合った緑の髪抑えがつけられている。
これは、アキオがキラル症候群に冒された少女たちのために開発した唯一の成果だった。
AEB装置、意識消失した少女たちを、自動あるいは手動で覚醒させる装置だ。
3回まで使用可能で、それ以上使うのは危険だ。
カマラは城内を調べつくした。
どこにも彼の姿はない。
「ひょっとして」
少女は思いついて、階段を駆け上がり、研究エリア4階のセイテン発着所に入った。
部屋の隅に作られた新しい扉を開ける。
ジーナ城が位置する崖の頂上へ続く通路が見えた。
軽快に少女は階段を駆け上がる。
登り切って扉を開けると、湿った空気が顔に当たった。
雨の匂いだ。
すべてが地下にあって、快適に空調が行われているジーナ城では、外が雨であっても、気がつかないことが多い。
「いた」
外からは、その存在がわかりにくいよう作られたドアから出ると、少女は、やはり迷彩の施された小さな東屋に走りこんだ。
「カマラか」
椅子に座って雲を眺めていたアキオが少女を見た。
「はい」
「どうした、問題か?」
「いえ、特に何も――研究室に行ったら、姿が見えなかったので。何をしていますか」
「雨を見ている」
彼は、カマラから視線をはずし、虚空を見つめる。
東屋は、5本の柱と屋根からなっていて、中にはテーブルと椅子が数脚置かれている。
崖の上に作られているため、見晴らしは良いが、城の周りには見るべきものもないため、少女たちは滅多にやってこない場所だ。
だが、カマラは、時折、アキオが独りこの場所にやって来ていることを知っていた。
少女も黙ってアキオの隣に座ると、同じように雨に煙る景色を見守る。
夏と冬以外、あまり季節のはっきりしないサンクトレイカだが、今は秋から冬へ向かう時期で、夕方前の時刻でも気温は少し低かった。
カマラはアキオの横顔を盗み見る。
その表情からは、彼が何を考えているかは伺えないが、おそらくは、キラル症候群と彼女たちのことだろう。
当初、試していた、この星の生物におけるキラリティの解消は、不確定性の高い素粒子サイズでは困難を極め、挫折せざるを得なかったらしい。
次に取り組んだ、ナノ・マシンのキラリティ対応も捗々しくないようだ。
「アキオ、あまり思いつめないで」
「だが、時間がない」
「焦ると思わぬ落とし穴に陥る、初めてあなたに会って、一緒にジーナに旅した時に教えられたことです」
アキオは微笑んだ。
かつて、洞窟を出て初めて旅をする少女に色々教えた。
当時のカマラが正しく理解しているとは思わなかったが、意外によく覚えていたらしい。
「心配するな」
「根を詰めないで」
少女は椅子から立ち上がってアキオに近づき、背中や胸を撫でさする。
「君たちの方こそ、なにか、忙しくやっているようだが……」
カマラが、ぎくりと動きを止めた。
「知っていたのですか」
「何をしているかは知らないが――」
「ミーナも知っていますか?」
「知らないようだ」
3か月ほど前から、シジマとカマラが中心となって、何かしているとは聞いていた。
「何をしているかわからないけど、あの子たちの気が紛れるならいいと思うわ」
それがミーナの答えだった。
もちろん、アキオも同意する。
「治療法は俺に任せて、君たちは好きなようにすればいい」
「はい――アキオ」
「なんだ」
カマラは、椅子に座るアキオを後ろから抱きしめる。
「大好きです。だから、無理はしないで。きっと、ジュノスも解決方法を探してくれていますから」
「ジュノス・サフラン・シスコか――」
アキオは、昏睡から覚めたカマラから聞かされた、ジュノスの語った話を思い出す。
ジュノス、もとの竜種ドラッド・グーンは、この世界より高位の世界の生物で、地球でいう科学者のような作業に従事していたが、ある実験の失敗で、低位の、この世界に落ちてきたのだという。
高位とは、高次元という意味か、と尋ねたカマラに、彼女は、次元というような原始的な分類で理解できない概念だ、とのみ答えたらしい。
彼女の落ちてきたこの世界は、研究対象として不足のない場所であったので、2万年ほど様々な実験をして過ごしていたが、彼女の体を維持するための『メギ』という物質が存在しないため、徐々に身体が機能障害を起こし、ついに地球時間で283万年の生涯を終えたのだという。
もっとも、事実上、種として永遠不滅の存在である彼女にとっては、死とは要するに身体が動かなくなるだけのことらしい。
研究で得た貴重なデータを、もとの世界に持ち帰りたいという欲求には勝てず、死に臨んで、彼女は、当時惑星に存在した中で、一番知能の高かったドラスという爬虫類を単独進化させ、自分の核を転移させて、ドラス・ジュノス体として蘇ることにした。
これには、いくつかメリットがあった。
なにより、ドラッド・グーンとしての彼女の体は数十メートルもあり、この星で他の生物と共存するには大きすぎたのだ。
高位世界に戻るためには、自分と同等の『魔法』を扱えるドラッドが数体必要だった。
さすがに、それは叶わないので、彼女は、多数の魔法使いで、それを代用することにした。
ドラス族をさらに強制進化させたジュノスは、自分が落ちた時に、身体に付着してついてきて、今は、この世界の銀河中に広がった『菌類ネットワーク』を使って、カマラが名付けたところの、プロトタキオン・イクス・ファンガイム、つまり魔法菌類を生み出し、可能な限りポアミルズ胞子を惑星中に放出させた。
一緒に話を聞いていたミーナがつぶやく。
「魔法は、もともとはその高位な世界からやってきたものなのね。だから、地球の物理法則と合わないことが多いんだわ」
「記憶の伝承もそうだな」
ジュノスは、次いでPSを魔法の力に変換できる生物を探し出す。
この世界では、ドレキ、WBだった。
それを、自分の本体を生産工場として複製し、多くのドラス族にイニシエーションさせた。
ドラッド・グーンは機械文明を嫌悪する。
すべての道具は生物由来であるべき、というのが彼らの種族の基本方針なのだ。
だが、ドラス族は道を誤った。
自らの魔力を訓練で高めようとせず、各々信じる神の名の下に、互いに争い、機械を使って空に浮かぶ城まで作ってPSを大量消費した。
ドラスに失望した彼女は、強力な魔法を用いて、極北付近に彼らを追い込み滅亡させた。
彼女の魔法で死んだ、ドラスの魔法使いの名残がメナム石だった。
一度の失敗では、あきらめきれなかったジュノスは、当時、知能を高めていた人類を強制進化させたが、ドラス滅亡の際に魔法を使いすぎたため、ドラス・ジュノスの身体機能が不調になった。
第一線をしりぞいた彼女は、人類による自分の手足となる組織、ドラッド・サンクを作り、彼らを使って科学の進歩を抑え、争いのもととなる神の存在しない、魔法使いの世界を作り出した。
「すると、科学を推す組織と抑える2つの組織が存在するという推測は、間違っていたのかしら」
ミーナがつぶやく。
「わからない。あるいは、ジュノスの眼の届かないところで、ドラッド・サンクが2極化したのかもしれない。20年ほど前から」
「20年――ああ、あの国の干渉ならありえるわね」
その後、生物としてのドラスの寿命から、たびたび意識途絶を起こすようになった彼女を幽閉し、ドラッド・サンクが暴走を始めたのが数十年前のことだった。
「わたしは彼女を信じています」
ミーナがしっかりとした口調で言う。
「そうだな」
だが、アキオは、雨の音を聞きながら、他の方法を考えていたのだった。
信じるのはいい、だが過信するのはよくない。