130.出現
「どう、アキオ、すっきりした」
セイテンの蓋が開き、シミュラを抱きおろして床に降り立った彼に、ミーナが尋ねる。
場所は、出発時と同じ研究エリアの4階だ。
「――そうだな、確かに気持ちは軽くなった」
「でしょう!やっぱり男の子は運動しなくちゃ」
ミーナが嬉しそうにいう。
「わたしの相手をすれば、もっとスッキ――」
シミュラの口は、ヴァイユによって塞がれる。
「このエロ姫さまは、ほっとくと何をいい出すかわからないね」
ユイノが呆れ、
「あんたも姫さまに対する言葉遣いじゃないよ」
キイにたしなめられる。
「良い良い、エロ姫上等じゃ」
ヴァイユの手から逃れたシミュラが笑った。
「ユスラとシジマは」
アキオが、この場に顔を見せない少女たちの名を挙げると、少女たちの顔が曇った。
「あの子たち、あなたが出てからすぐに意識を失ったの――待って」
急いで部屋を出ていこうとするアキオを、ミーナが止める。
「大丈夫よ。もう意識は戻っているわ。一時的なものよ」
「すまぬな、アキオ。わたしが――」
申し訳なさそうに言うシミュラの手を握ってやり、
「お前のせいじゃない。全部、俺の愚かさが招いたことだ」
そう言って、部屋を出ていこうとする。
「主さま」
キイがアキオの腕をとる。
「誰のせいでもないよ」
アキオは、少女にうなずいた。
「顔を見に行くの」
ミーナが問う。
「ああ」
「ノランのことは、今は伝えないで」
「わかった――」
それが4か月前のことだった。
それからも、少女たちは、それぞれが何度か意識を失い、今に至っている。
幸いなのは、意識不明の頻度も少なく、時間もそれほど増加していないことだった。
だが、残された時間が少なくなっているのは事実だ。
だからこそ、とミーナは言う。
彼女たちの不安を減らすためにも、一緒の時間を作ってやれと。
「では、行くか」
アキオは、胸の前で白い帽子を抱くように持って微笑むピアノに言った。
「はい」
今日は、ピアノの希望で、シュテラ・バロンに行く予定だ。
ラトガ海、実際は湖だが、その湖畔に建つ街は、ユスラを救出した時に短時間滞在した場所だ。
「姫さまに、嫌な記憶を思い出させてしまうかもしれないのですが」
「何をいうのです。あの街で、わたしはアキオに救われ、あなたに出会ったのです。気にせず行けばよいのですよ」
そういって、黒髪の少女は笑顔になり、
「わたしは気を失っていたので覚えていないのですが、あなたは見事にケスラを操ったそうですね。今回は、水辺も楽しんでくださいね」
「ありがとうございます」
ふたりが菜園からセイテンの発着場へ向かおうとすると、
「あ、アキオ、コートの色は黒以外にしてね」
ミーナが念を押す。
「分かっている」
アキオ・シミュラによるエストラ王国謀反阻止事件、ミーナの言うところの『エストラ事件』以来、国を超えて、各地で『漆黒の魔王』による被害が発生していた。
特に、サンクトレイカでは、複数の街が、魔王の手で地図上から消滅している。
ミストラとヴァイユが手に入れた情報によると、どうやら、例の海戦の結果をもとに、外交の綱引きで遅れをとったサンクトレイカが、西の国の指示で無作為に選んだ街を壊滅させているらしい。
これまでは、街の消滅は疫病を原因にしていたのだが、今は、魔王の仕業ということにしているようだ。
「わたしが担当していれば……」
その話を聞いたミストラは悔しがる。
「せっかく、ユスラが、どちらにも傷がつかないように考えて海戦を指揮したのに、その後の外交的失敗で、多くのサンクトレイカ国民が殺されるのは我慢がなりません」
「無能な外交官に任せると、こうなるという典型例です」
ミストラとヴァイユは、若いながらも、共に国政にかかわることが多かったので、為政者のヘマには辛辣だ。
「それが原因で、国の経済が悪くなれば、さらに死者が増えるのです」
怒るふたりをミーナがなだめた。
「あなたたちの気持ちはわかるわ。でも、ここを出すわけにはいかないのよ」
「わかっています、ミーナ」
少女たちは表情を緩める。
「すまないな」
謝るアキオの腕に、すかさず抱き着いたふたりが言う。
「アキオのせいではありません」
「そうです。仕事ができないのは悔しいけれど、わたしたちは、いつもアキオの傍に居られてうれしいのです」
もちろん、魔王はサンクトレイカ以外でも出現している。
特に、エストラでは、よく出ているようだが、街への嫌がらせや、傷害事件を起こすだけなので、大きな問題にはなっていないようだ。
魔王が偽物だとわかっているメルクとシャルラ王は、なんとか犯人を捕まえようとしてくれているらしいが、結果は捗々しくないようだ。
そういった理由があって、彼が外に出る時は、ナノコートを黒以外の色にするようにミーナから厳命されているのだ。
当初、彼も、ニセ魔王を捕まえようかと考えたのだが、ミーナと話し合って、やめることにしたのだった。
何より時間が惜しい。
そもそも彼自身に自分が魔王であるという自覚がない。
彼は、地球で「悪魔」と呼ばれることが多かった。
アキオはピアノを伴って、研究エリア4階にあるセイテンの発着場に向かった。
いつのまにか、誰かと出かけるときは、あの棺桶で出かけることが通例となっているのだ。
現在、人数分のザルドは飼っているのだが、いつ意識を失うかわからない少女たちを、馬に乗せるわけにもいかない。
いつものように、まずアキオがセイテンに乗り込んだ。
横になる。
「失礼します」
ピアノが小さく言って、アキオの上に乗った。
「やっぱり、これ、いいよね。我ながら」
シジマが笑う。
「本当ね。ありがとう、シジマ」
ピアノが礼を言うと同時に蓋が閉まった。
蓋の裏につけられたディスプレイの数字が30から減っていく。
ピアノは、これ以上隙間がない、というほどぴったり体を押し付けてくる。
「意識は」
「しっかりしています」
言ったアキオが苦笑し、少女も軽やかに笑う。
最近は、少女たちの顔をみるたびに尋ねている気がする。
「セイテンに乗るのは初めてです。嬉しいな。シミュラさまと出かけられるのを見てから、ずっと乗りたかったんです」
「そうか」
数字が0になり、少し震えた後、セイテンは素晴らしい速さで城を飛び出して行く。
「――アキオ」
黙ったまま、アキオに身を寄せていたピアノが、ためらいがちに話しかける。
「わたしたちのこと――」
少女は、アキオの胸元をつかみ、
「あまり気に病まないで。少なくとも、わたしはあなたに会った時、ほとんど死んでいたのだから――今の生活は……ご褒美みたいなもの。それまで良いこともしていなかったのだけど」
「ピアノ」
アキオが名を呼び、少し考えて続ける。
「前にもいったかもしれないが、俺には、敵か友軍かしかない。君は、はじめ敵だった」
「そうですね。あなたを殺そうとしていたのですから。お腹も蹴られたし――あ」
アキオの大きな手に腹を触られ、少女は頬を染める。
「あの時は悪かった」
「本当に、すごく痛かったのですよ。黙っていましたが。あの感じではどこか破裂していましたね」
「確かに。脾臓が破裂していた」
「まあ。ひどい人です」
アキオに撫でさすられる腹の感触に陶然としながら、ピアノは微笑む。
「そして、今、君は俺の友軍、味方だ。城にいる子供たちの中で君だけだ、敵から味方になったのは」
「はい」
「俺は味方は守る。絶対にだ」
「ええ」
「だから――信じろ」
「もちろん、信じています。ただ、無理はしないで」
「していない。だから、こうやって君と出かけている」
「ありがとう、アキオ」
少女が全身を震わせてしがみついてくる。
こんな時、彼はどうしたらよいかわからなくなる。
胸の中に、口にしなければならない何かがあるのは分かる。
だが、それが出てこない。
出してはいけないような気もする。
だから、彼は黙って、いつものように、ただ少女の髪を撫でるのだった。