013.世界
翌朝、目を覚ますとシュラフの中にマキイはいなかった。
テントの外にも、彼女の姿は見当たらない。
どうしたのかと思っていると、
「アキオ!」
野営地に澄んだ声が響く。
振り向くと、ビーコンの向こう側に、マキイが立っていた。
背中に鹿のような生き物をかついでいる。
以前に、カマラの洞窟近くで狩った動物に似ているが、毛並みは少し違うようだ。
「どうやってビーコンの向こうに出た」
昨日の夜、人や動物を退ける道具をテントの周りに設置したことは伝えてあった。
危ないから、勝手に近づかないように言っておいたのだが……
「そこの木に飛んで、上から飛び越えたんだ」
マキイは、テント近くに立っている背の高い木を指さす。
確かにビーコンの効果範囲は、高さ5メートルまでだ。
「危ないぞ。なぜ、そんなことを」
「だって、川に水を飲みに来たムサカを見つけたんだ。狩らないわけにはいかないだろう」
アキオがビーコンの電源を切ると、マキイは獲物を担いだまま近づいてくる。
鹿に似た生き物は、ムサカというらしい。
「どうだ、いいだろう。ゴランが死んだから、動物たちも戻ってきたんだな」
透明な美貌の女性が、大きな獲物を軽々と背中に抱えてにっこり笑う。なかなか壮観だ。
「そうか」
あっけにとられるアキオを後目に、マキイは少し離れた木の枝に、どこかから手に入れてきた蔦のようなものを使って、獲物を吊るす。
「一応、下流でさばいて血抜きはしておいた。今日の昼は、これを食べられるぞ」
そういって笑った。
昨夜とは打って変わった明るさにアキオは安心する。
「とりあえず朝飯にしないか」
「いいとも」
正直に言えば、幼いころから軍隊で過ごし、その後は長く研究生活を続けてきたアキオは、食に関する興味がほぼゼロだ。
栄養さえとることができれば、どんな味でも問題ない。
ミーナには、テクノロジー発明と開発のヒラメキ、インスパイアには、文献や研究資料以外のチャネル、例えば娯楽であったり美食であったり、あるいは恋といった他の刺激が必要だとよく叱られたのだが、アキオには、それらが必要だとは思えなかった。
もっとも、軍隊時代にそうであったように、アキオは自分はともかく他人が食事を美味しそうに食べたり、酒を飲むのをみるのは嫌いではない。
今も、マキイが、彼女言うところの『魔法の食事』であるレーションを、予想外に上品に食べるのを見て楽しんでいる。
レーションのような簡易非常食を、しとやかに食べるのは難しい。
「なんだい?じっと見られたら恥ずかしいよ」
「上品に食べるものだと感心している」
「無骨な傭兵が、だね。もちろん、みんなと食べるときは、もっと豪快に食べてたよ。部下にナメられたらうまくいかない仕事だしね。でも、たまに部屋で食べる時は、いつもこんな感じで食べていたんだ」
昔から、マキイは『羊の皮を被った狼』ならぬ『蛮勇戦士の姿をした乙女』だったのだろう。
食べ方は上品だが、食べる量はかなりなものだ。体重120キロかつ大量の筋肉を維持するためには、食べる量も多く必要なのだ。見る間にレーションの袋が積み重なっていく。
さらなるタンパク質補給のための、濃縮ミルクを飲んで食事は終わった。
「ああ、美味しかった。昼はムサカの肉だね」
朝食が終わった時点で昼食のことを考えるのはさすがだ。
食後の片づけ、たいしたものではないが、を終えると、昨日同様、手をとって近くの木の切り株まで彼女を連れて行き、座らせた。
並んで座ると話を切り出す。
「頼みがある」
「他人行儀だね。わたしはあんたの傭兵さ。何でも言うことをきく。さあ命令を」
アキオは苦笑し、
「この世界のことを教えてくれ」
「そういうと思った。いいよ。もっとも、わたしは傭兵だし、母国サンクトレイカ以外の国に行ったこともないから、あまり役に立てないかもしれないけどね」
そう言って、マキイは話し始めた。
彼女の話を要約すると、こうだ。
この世界は、アラントという巨大な大陸の上にあり、そこには4つの国家が存在する。
4つの国はすべて王政で、それぞれ大陸中央の「サンクトレイカ」、東方海岸沿いの「エストラ」、西方の「西の国」、そして南方の「ニューメア」となる。
これら以外の小国は、20年前まで続いた戦乱の世のあいだに消滅し、あるいは大国に吸収されたらしい。
サンクトレイカの北方、つまり今、アキオたちがいる地域は「北圏」と呼ばれ、魔獣が多く生息する危険な場所として、どこの国にも属していない。
北圏は危険な反面、メナム石の一大産地であるので、それぞれの国が発掘隊を派遣して採掘するものの、魔獣に襲われて絶滅することも珍しくないらしい。
「メナム石?」
聞きなれない単語にアキオは反応する。
「ああ、アキオは知らないのかもしれないね。光る石だよ」
マキイはすでにアキオが、「この世界ではないどこかから来た」人間だと察しているようで、アキオの初歩的な疑問に丁寧に答えてくれている。
どうやらメナム石とは発光石のことらしい。
(そういえば、発光石の解析は、ミーナに一任していた。少しは研究も進んでいるだろうか。今夜にでも聞いてみよう)
そう思いながらアキオは言う。
「見たことはある」
「よく、メナム石を制するものが大陸を制す、なんていわれるよ」
明かりと熱源。この世界の主たるエネルギー源ならば、それもももっともなことだ。
地球における、かつての石油のようなものだから。
「だから君たち傭兵が、サンクトレイカ北部の魔獣狩りをしているのか」
「そうさ。発掘隊が比較的安全に移動できるようにね。たまに、他国の発掘隊と鉢合わせをするけれど、ほとんど戦いにはならないね。お互い、雪と魔獣で手一杯だから」
「メナム石は、北圏でしか採れないのか」
「そうだ」
「では次だ。魔獣というのはなんだ?」
「魔法を使う獣だよ」
アキオの脳裏にブラック・ドッグの姿が浮かぶ。
「魔法を使わない獣もいるのか」
「あそこにいる」
マキイは、木から吊られたムサカを示す。
アキオはうなずく。
「では、魔法使いとは」
「魔法を使える人間、だな」
「君は魔法を使えるのか」
「使えない。魔法使いは代々世襲なんだ。17の歳に成魔式を受けて、魔法使いになるのさ」
「どんな魔法を使えるんだ?治癒魔法はないようだが」
「魔獣と同じさ。火球を出したり、雷球を飛ばしたりする。だから、魔法使いは、たいていは軍人か傭兵になるね。離れて後ろから攻撃する、後方支援が主な仕事だ」
「そうか」
「それに、マーナガルみたいに雷球を飛ばす魔獣には、魔法使いの魔法を当てて破壊するのが一番楽だしね」
アキオはカマラが、その雷球を火球で消し去ったことを思い出した。
「マーナガルというのは、黒い犬のような魔獣か?」
「そうだよ。見たことがあるのかい」
「ある。そいつが初めてみた魔獣だった」
「初めてか。なら驚いただろう。まあ、あんたの杖なら、マーナガルごときは敵じゃないだろうけどさ」
マキイの言葉にアキオは苦笑する。
実際は、危うく死にそうになったところを少女に救われたのだった。
「昨日の、君の部隊にも魔法使いはいたのか」
「いないよ。相手はゴランと分かっていたからね、魔法はいらない。それに、わたしたちは消耗部隊だったから。大事な魔法使いを入れてくれるわけもない」
「もし、マーナガルが出てきたら、どうするつもりだった?」
「一目散に逃げる――嘘さ。避雷器を使う」
アキオが首をかしげるのを見て、マキイは立ち上がると歩いてテントのそばに行き、積まれた武器の中から棒状の金属を取り出して戻ってくる。
「これだ」
それは1.8メートルほどの金属棒の先に金属球がつけられた道具だった。
「雷球が来ると、これを地面に突き立てて吸わせるんだ」
「なるほど」
避雷針というわけだ。
アキオは質問を続ける。
「魔獣は北圏だけにいるのか?」
「大陸中にいるさ。ただ、ところどころ、魔獣のいない場所があるんだ」
「魔獣の苦手な花でも咲いているのか」
マキイはにっこりと笑った。
男が100人いたら、100人とも恋に落ちそうな笑顔だ。
「そんな花があったら、傭兵たちは全員花の首飾りをしているさ。わたしも、今ならその花で髪飾りを作るだろうな」
「原因不明か……」
「いや理由はわかっている。その土地では魔法が使えないのさ。だから、獣は住んでいても、魔獣はいない。そういう場所を選んで街が作られるんだ」
「つまり、街では魔法が使えない――」
「そうだ。だから、街の衛兵に魔法使いはいない」
「なるほど」
そういってから、アキオは思い浮かんだ疑問を口にする。
「魔法が使えないなら、街で発光石、メナム石は使えないんじゃないのか」
「そうだね。メナム石の光は、その理屈はわからなくても明らかに魔法だからね。ところが使えるんだ」
「だから、メナム石の需要は多いんだな」
「そういうことだ」
この事実は大きい。
今夜にでも、まとめた情報をミーナに送らなければならない、そう思いながら、アキオは続けた。
「では次の質問だ」
アキオは顎に手をやり、
「ゴランは魔獣か」
尋ねる。
「魔獣さ。魔法を使うからね」
「しかし、昨日は、炎も電撃も出さなかったように見えたが……」
ゴランは、カマラと闘っていた時も魔法は使わなかった。
マキイが微笑む。
「魔法を使う前に、アキオが全部殺したからね」
「……」
「もう少し待てば、わたしに苦戦した奴らの魔法を見ることができたかも――あはは、冗談さ」
マキイがコロコロと笑う。
「あんたは、わたしを助けるために、一瞬で奴らを殺してくれたんだ。わかってるさ。ありがとう。だいたい、ゴランは人間ごときには魔法を使わないんだ。使う必要がないからね」
アキオはうなずく。
あれほど決定的な体力差があれば、魔法など使う必要がないだろう。
「ただ、ゴラン同士で戦うときには、よく魔法を使うんだ。使わないと勝てないと考えた時にね」
「体が光るやつか」
「なんだ、知ってるじゃないか」
「あれは、体力増加?反射神経強化?いや、その両方か」
「そのシンケイというのは分からないけど、体の速さと強さを、少しの間だけ何倍にもする魔法らしい。わたしたちは、強化魔法と呼んでる」
「あれは本当に光っていたのか」
アキオの脳裏に、一瞬光ったゴランの姿がよみがえる。
「どうりで素早かった」
「ゴランとも戦ったのかい」
「ああ、強かった」
「でも、あんたなら、あの杖で一撃じゃないか」
「その時は、持っていなかった」
「じゃあ、ゴランと、あの杖なしで闘ったのかい」
「成りゆきだ」
マキイは、あきれ顔で言う。
「まあ、あんたのことだから、トランとの間違いじゃないだろうがね」
「トラン?」
「ゴランに似ているけど魔獣じゃない獣さ。凶暴さは変わらないけど、魔法は使えないから魔獣じゃない」
「違いは?」
「体の斑点が紫ではなく、茶色なんだ」
「なるほど――」
言いかけて、アキオは何か閃くものを感じる。
同じ姿の動物で、魔獣と動物がいる。その違いは――おそらく、あの心臓の裏の突起、ウオーター・ベア(WB)の有無だ。
では、なぜWBの有る種と無い種が存在するのか。
「WBを遺伝子カプセルにして、他の動物の遺伝子を利用しているのね」
ミーナの言葉がよみがえる。
(つまり、魔法を使う「スーパー生物の遺伝子」をカプセル化したWBを体内に取り入れることで魔獣となっている――)
アキオは自分の閃きに従って、マキイに尋ねる。
「さっき、ゴラン同士で戦うと言ったな。戦って勝った方は、どんなことをする?何か変わったことをしないか?」
「勝ったほうがすることは決まっている。他の魔獣もみんなすることさ」
「何を?」
「相手の心臓を喰らうのさ」
アキオはうなずく。
心臓ではなく、心臓の裏の突起(WB)を喰っているのだ。
ゴラン同士はWBを取り合っている。
なぜ?
もし、そうすることで、魔法の力を増やせるとするならば――
マキイが不思議そうな顔でアキオを見ていた。
(まだ材料が足りない。この考えはいったんおいておこう)
そう考えて、アキオは次の質問をする。
「アラント以外に大陸はないのか」
惑星に、大陸が1つというのは考えられない。それが、いかに大きな大陸であったとしても。
「わからないんだ。海の向こうは、濃い霧に包まれていて、海沿いのエストラや西の国から遠方へ探検船を出しても、戻ってきたことがないらしい」
「……」
アキオは考える。ジーナの修理が終わったら、一度、成層圏まで出て、この星を調査してもいいかもしれない。
「この星には名前があるのか?」
「ほし?それは何?」
「いや、いい」
アキオは言い、
「次はそれぞれの国について頼む」
「わかった」
マキイの説明によると、マキイの住む北方の街シュテラ・ナマドが属するサンクトレイカ王国は、大陸の中央に位置するという地の利から、王政ながら商業が盛んな国だそうだ。
国内には、シュテラと呼ばれる魔獣除けの城壁で囲まれた衛星都市(街)が多くあり、それらを街道がつないでいる。
国境は、はっきりと決められているわけではないが、各々の国で辺境都市として認められたシュテラが結んだ線が事実上の国境として扱われている。
このシステムは、いずれの国も同様なようだ。
サンクトレイカの国内は、街を守る衛兵と少数の軍隊を持つだけで、ほとんどの軍事力は傭兵に頼っている。
他の国との著しい差は、傭兵に7段階のランクがあって、1等傭兵団の団長になると、軍議で正規軍の将軍と合同協議を行うこともあるようだ。
マキイの口調が、まるで騎士のように、妙に堅苦しかったのはこのためらしい。
ちなみにマキイが属していた傭兵組織、銀の団は、下から二番目の5等傭兵団だそうだ。
商業中心のサンクトレイカに対して、西の国は、軍隊と魔法が中心の軍事国家だという。
15年ほど前に、世継ぎ問題に端を発する国家転覆騒動を起こした後、穏健派が失脚し、軍が台頭した政治形態になっているらしい。
「他国と戦争はしないのに、大がかりな軍隊を作って国がなりたつのか」
「もともと、西の国は農業国だから食料はあるんだ。サンクトレイカ同様、北圏に接しているから、魔法兵団と軍隊で北圏に乗り込んで、メナム石を乱掘しているって噂だ」
食料の自給率を上げて国民を養い、外貨はメナム石で稼ぐということらしい。
東方のエストラは、魔法中心主義の国で、国政も王自らの占いで決めているそうだ。
海に面しているが、すぐ近海まで霧が流れているために、海の幸を手にいれられず、荒れた土地のせいもあって財政は火の車らしい。
長らく、臣民の大半は飢えに苦しんでいたらしいが、20年ほど前から食料事情だけは改善されたそうだ。
改善の方法は伝わっていない。
国内には、正体不明の怪物の存在も噂されている。
いろいろと秘密が多く入国の難しい国のひとつだ。
だが、4大国の中で、もっとも謎なのは、南方の国ニューメアだ。
マキイの生まれる前後、つまり19年ほど前から、突如として残り3大国と一方的に国交を断絶して、いわゆる鎖国状態になってしまったものの、折に触れて便利な道具を発明しては送りつけてくる不思議の国らしい。
代わりに要求する金属類は、手に入れるのに手間がかかるため サンクトレイカとしては、不平等な取引に不満だが、これまで見たことのない品物は、国内のみならず、他国でも大人気であるため、ニューメアの要求を泣く泣くのんでいるらしい。
不思議とメナム石は欲しがらないそうだ。
鎖国しているだけに、入国はほぼ不可能で、年に数度、密かに送り込まれる調査員が戻ってくることはないという。
「わたしの父は、若い頃、よく遠征でニューメア、当時はカスバスと言ったそうだけど、に行ったことがあったらしい。なんでも娼館のサービスが最高だったそうだ」
最後に、マキイが憧憬と悪意の混ざったような声で付け加える。
(つまり、その頃まではニューメアは、謎の国ではなく、娼館のある普通の国だったということだ――)
「わかった。ありがとう」
(とりあえずは、こんなものだろうか。今までの話からだいたいわかるが、正確な科学の発達具合は、街にいけば、より身近に理解できるようになるだろう、貨幣のことも)
アキオは立ち上がった。
気がついて、彼に続いて立とうとするマキイに手を貸して立たせる。
(女ではなく女性として扱え、だな。ミーナの奴、難しいことを言ってくれる)
「お、お役に立てればうれしいんだが。国の事情には疎くてね。も、申し訳ない」
これまで流暢だったマキイが急に言葉に詰まる。
「シュテラ・ナマドでマクスに会うことができれば、もっと詳しいことがわかるはずだ。奴は団の会計士で頭も切れるから」
「いまの話で充分だ。助かった」
そういって、アキオはマキイを不器用に軽く抱きしめて、背中をポンポン叩いた。
顎の下で、金髪の頭がゆらゆらと揺れる。
「そ、それじゃあ。そろそろ昼だね。ムサカを料理するよ」
マキイは、ギクシャクした足取りで樹から吊り下げた獲物の方へ歩いて行く。
それを見送りながら、アキオは昼からの予定を考える。
とりあえず、逃げ去ったケルビの代わりを探そう。
これからマキイの故郷であるナマドに向かうにしても違う場所に向かうにしても。
せっかく、馬車があるのだから、使わないともったいない。