128.迎撃
「アキオ、朝だぞ、起きるのだ」
耳元で囁かれて彼は目を覚ました。
体を動かそうとするが動かない。
「そろそろ離してくれ」
自分の状態に気づいて、呆れたようにアキオが言う。
「ああ、これはすまなかった」
彼の耳に口を寄せていた美少女は、今更ながら気づいたように顔を離し、昨夜から触手のように伸ばして、アキオの両手両足に巻き付けていた自分の手足をほどく。
ナノ強化されているアキオだからこそ、一晩耐えられるが、並みの男なら死んでいてもおかしくない。
シミュラも分かっているとは思うが、一応、釘をさしておく。
「俺だからいいが、他の男には――」
シミュラが目を大きく見開いて、ぷい、と横を向く。
「おぬし以外の男とは寝ないから問題ない。馬鹿なことをいうな」
子供のように口を尖らせている。
が、すぐに機嫌をなおし、
「どうだ、このような同衾ができるのは、わたしだけだぞ。子を成したくなったか?」
アキオは体を起こすと、裸の少女を抱き上げ、床に降ろした。
「服を着ろ」
「つれないのう」
「シミュラ、昨夜はいわなかったが、キラルが存在するかぎり、俺がこの世界で子供を持つ可能性は限りなく低い」
「わかっておるさ」
シミュラは、腰に手を当て、胸を張る。
形の良い胸を誇らしげに震わせる少女に向けて、アキオはシーツを投げつけて隠す。
シミュラは、身体に覆いかぶさったシーツから顔だけ出して言う。
「だが、おぬしはカマラたちを治療するのだろう。その解決法も必ず見つけるはずだ」
アキオは黙った。
100歳を超えているとはいえ、自分より、はるかに年下であるはずの少女の言葉にアキオは敵わない。
昨晩と同じ部屋で、シャルラ王とシャロルと共に朝食をとる。
夕食の後で、もう一度与えた栄養剤によって、王の体調は、ほぼ平常に回復していた。
食後、アキオたちは会議室に向かう。
シミュラは髪を金髪に戻している。
大きい広間に、テーブルが並べられ、貴族と軍人らしい男たちが30人ほど集まっていた。
「軍議を始める」
王の一声で会議は始まった。
「ギオルの動向はどうなっている」
「はい、斥候としてダオルコントに遣った者のガルによると、ギオルは、早朝に政都を出て王都に向かっているようです」
エストラでも伝書鳥はガルのようだ。
「もう出ているのか、我々の予想より早いな」
メルクが眉を顰める。
「王による、都民への布告が間に合わないか……」
予定では、ギオルが戻る前に都民に王の健在を示すはずだった。
昨夜のうちに、すべてのギオル派を捉えられたわけではないため、おそらく、捕りもらした者からの連絡によって、王都の状況はギオルに伝わっていると思われる。
にもかかわらず、そのまま、元宰相が王都に向かっているのには、何か策があるに違いない。
あるいは、予定より早く政都を出たのも、その策の一つなのかもしれない。
そうアキオが考えていると、
「政都の王政議会に諮って、王の退位を議決したというのが、あやつが動じない理由のひとつでしょう」
メルクがシャルラ王に向かって言った。
「奴は、王を退位させ、幼い姫の摂政として国を好きに動かすつもりなのであろう?」
シミュラが尋ねる。
「はい。そう考えるのが妥当かと」
「ならば、シャルラがこのように元気になっておるのだから、退位の必要はなくなり、よって奴の摂政も反故にできるはずだな」
「は、しかし、それも再び政都の王政議会に諮らねばなりません」
メルクの答えに、少女は眉を寄せて、
「100年前と違って面倒だのう」
小声で愚痴る。
「国の食料事情が良くなったころに、シュルラ様が決められた制度です」
「姉上も余計なことを」
「それでも、王が健在という事実は、ギオルにとって致命的なはずです。なのに奴は粛々と王都に向かって歩を進めているのです」
「不気味だな」
「力ずくで、王都を制圧できると思っているのではないのか」
初めてアキオが口を開いた。
「ギオルたち一行の軍隊規模は?」
メルクが尋ねる。
「行きより増えて、200人を超えているとの報告です」
「それにしても、その数では、王都の兵に敵うわけがない。何を根拠にした余裕だ」
ギオル派であった前任者に代わり、昨夜、急遽命じられた軍務伯トリルが机を叩く。
扉が開き、小さな紙片を手にした兵士が駆け込んできた。
「ガルの第二報です。ギオルは、オカイ橋を渡ったようです」
シミュラが、王都の3キロほど先の場所だと教えてくれる。
「様子は」
メルクの問いに兵士が答える。
「目に見える軍備の増強はないようです。ただ、フードをかぶった見慣れぬ服装の者が、数名混ざっているとのことです」
「アキオ」
シミュラの言葉にアキオがうなずいた。
「それが、余裕の態度の理由……」
少女がつぶやく。
「戦いになれば、王都に被害が出るかも知れぬ。こちらから先に、都外に打って出たほうがよいのではないか」
「馬鹿な」
トリルがシミュラを睨みつける。
満足な説明もないまま、ただ王に従え、といわれている少女が気に入らないのだろう。
むろん、アルドスの魔女たる王族シミュラは、ただの貴族の矜持など歯牙にもかけない。
「どう思う、メルク」
軍務伯を完全に無視して宰相に尋ねる。
「200名程度、何ほどのこともない。城内でさえ、数において我々には5倍近い利があるのだ」
宰相を差し置いて、トリルが叫ぶように言う。
アキオは、軽く目を細める。
身の丈に合わない役職が転がり込んできた小物の典型的な反応だ。
この光景は、地球時代の軍でもよく見た。
「控えよ、トリル」
メルクは軽く叱責し、
「だが、軍務伯の言葉も、もっともです。それに、ギオルが戻るのが予定より早かったため、朝のうちにするはずだった、都民に対する王の宣言がまだ行われていません」
宰相と王が目をあわせてうなずき、
「これを好機とすべきです。ギオルを都内にいれ、セス広場で対峙し、都民の目の間で糾弾、捕縛すれば、完全にギオルの謀反の芽は断たれるでしょう」
シャルラ王はうなずき、言った。
「その作戦でいく」
「おぬしはどう思う」
軍議の解散が宣言され、広場でギオルを迎え撃つ準備のために、皆が散っていくと、シミュラが尋ねた。
「少し、危ういな」
「理由は」
アキオは、窓から空を仰いで言う。
「空気、風の匂い――」
「つまり、勘か」
アキオは首を振る。
彼は、超常的な『虫の知らせ』を信じない。
ただ、彼は自分自身の無意識の分析には、絶大な自信を持っている。
軍事以外のすべての情報、天気であったり、人の顔色であったり、あるいは、それまでに見聞きした噂話、人間関係、装備の手入れの様子などが、潜在意識の中で組み合わされ、合理的な理屈ではなく、気分として表に出てくる、それを『勘』と呼ぶなら、いま、彼の勘が警報を鳴らしているのだ。
アキオは、シミュラに簡単に説明する。
「そうか、おぬしは説明がうまいな。わたしも何か気持ちが悪い。まあ、それは、おぬしの嫌いな第六感というやつだがな」
「理由の中心は分かっている」
「フードの者ども、だな」
「そうだ」
アキオは、ポーチから、インナーフォンを取り出し、少女に渡す。
「王とメルクに渡してくれ、念のためだ」
「わかった、使い方も教えておこう」
しばらくして、ギオル一行が王都に入った。
あらかじめ都内に走らせた兵士の告知によって、続々と都民たちが広場に集まってくる。
街門から目抜き通りにかけても人だかりがしている。
アキオたちは、王と千人を超える兵士とともに、巨大な広場でギオルたちを待ち受けた。
「わぁ」
突然、大きな歓声が通りに響いた。
「何事だ」
トリルが目を吊り上げて叫ぶ。
ひとりの兵士が目抜き通りを走り抜けて、王に近づき膝をついた。
「報告いたします」
「どうした」
「ギオル一行に大変な人物が紛れ込んでいました。今、その者どもを先頭に、喝采を浴びながら、ギオルたちが広場に向かって行進しています」
「大変な人物?」
メルクが王と顔を見合わせる。
「皆様もご存じの方です」
「誰だ」
「あの、アルドスの魔女を討つ際にも、先陣を切って荒野に走りこみ、一番槍をつけた英雄」
「英雄――まさか」
「はい、英雄、ノラン・ジュードとその一行がギオルたちと共に、広場に行軍しているのです」