127.過去
「あなたさまは、魔法使いなのですか」
シミュラに抱きついたまま、王女が尋ねる。
「いや、俺は――」
「そうじゃ、ナノクラフトという魔法を使うわたしの王だ」
「ナノクラフト――魔法……王、魔王さま」
アキオは、軽く幼女の肩を叩くと、シミュラに言った。
「次に進もう」
「わかった。シャルラ王よ、具合はどうだ」
シミュラがシャロルの手を引いて、ベッドに近づく。
「もう、大丈夫です」
そう言いながら、王がベッドから降り、立ち上がった。
「これから、明日、戻って来るギオルを迎える用意をせねばならん」
「わかっております」
その時、
「シャルラ王――」
戸口から響いた声に振り返ると、男が立っていた。
息を切らせている。
「メルクか」
「はい」
副宰相は、シャルラ王に近づき膝を折った。
「苦労をかけたな、おまえの――」
王が、メルクにかける言葉をシミュラが遮る。
「ねぎらいは後にせよ。今は、ギオルをどうするかが大切じゃ」
「わかりました」
シャルラ王はメルクの手を力強く握る。
その後、メルクが中心となって、これからの方針が作られた。
アキオは口を挟まず、それを見守る。
初め、彼は力で、すべての敵を排除しようと思ったのだが、エストラのことはこの国の者に任せるべきだと思いなおしたのだ。
光取りの穴から差し込む陽光は、徐々に赤みを帯びつつあった。
夕暮れが近づいている。
三時間後、エストラル城のメイン・ホールに王国の主要人物が集められた。
蟄居させられつつ、メルクが調べ上げた、ギオル派の魔法使いおよび貴族たちは、すでに、ナニエルたちによって排除されている。
衣服を変え、簡単な食事をとって顔色もよくなったシャルラ王が、人々に事の経緯を説明した。
ギオルから宰相の地位を剥奪し、メルクを宰相にすると宣言する。
シミュラは、アキオと共にホールの端でそれを見守っていた。
話が終わり、皆が城を後にすると、アキオとシミュラは食事に招かれた。
小ぶりな部屋に用意されたテーブルにつくと、豪華な食事が供される。
同席するのは、王と王女、それにメルクだけだ。
食事の間、主に幼女がシミュラに話しかける。
王と宰相は、落ち着いた表情で、その様子を眺めていた。
ふたりとも、明日のギオルとの対決を不安には思っていないようだ。
よほど大姫シャトラを信じているのだろう。
温かい雰囲気の食事が終わると、まだ話を続けたそうなシャロルの相手をするシミュラを残し、アキオは、あてがわれた部屋に帰った。
剣を置き、コートを脱いで窓辺に座る。
アームパッドに触れ、キラル症候群の考察を始めた。
ミーナは沈黙したままだが、通信回線はつながっているので、何かあれば話しかけてくるだろう。
扉が開いて、シミュラが帰って来た。
「話せたか」
コートを脱ぐ少女を見ながらアキオが尋ねる。
「ああ、積年の気持ちの重さと、気がかりがすっかり消えた。感謝する、アキオ」
「まだ、終わってはいない」
「そうだな」
話しながらも、シミュラは服を脱ぐ手を止めない。
結局、いつもと同じように、裸になってベッドに潜りこむ。
「というわけで、明日に備えて寝るぞ。早く来い、アキオ……わが王――」
アキオは苦笑する。
この国に来てから、彼はすっかり王扱いだ。
アキオはメナム石の明かりを消した。
今夜も3つの月が夜空に輝いているが、この国特有の霧によって光量は弱められ、今は穏やかに窓から射しこんで、ほのかに部屋を照らしている。
月明かりの中、アキオはベッドに横になった。
すぐに、シミュラが体を寄せてくる。
彼は少女の髪を撫でてやった。
シミュラは、黙って顔を彼の胸に押し付ける。
時間が経って、眠りについたと思った頃、シミュラが囁くように口を開いた。
「子供は可愛いな」
シャロルのことだろう。
「ああ」
「自分と同じ髪色、顔もどことなく似ている」
「遺伝子の系列が――」
「欲しくなった」
「シャロルを?」
「違う」
シミュラが強く言い、
「アキオ、おぬしは知っておるな。100年の間に、わたしの身体の多くは消えてしまったが、子供を産む機能は残っていることを」
「――」
「ヒトの元となるタマゴ、卵子か、あれも17の歳のまま残っているとミーナがいっておった」
「そうだな」
「おぬしの子供がほしい」
「――すまない」
「知っておるぞ、おぬしが、カマラやユスラたちの老化と共に――ミーナに命じて、女としての活動を止めさせていることを」
シミュラはアキオの肩をつかむ。
「おぬしは、いつか自分の存在を消し、あの者たちを、この世界の普通の生活に戻そうと考えておる、そうだろう」
「当然だ」
「だが、おぬしも気づいているのだろう。カマラの藍色の髪は、西の国の王族の髪色だ。それは100年前から変わらぬ。あの者に普通の生活などない」
「髪の色も顔も簡単に変えることができる。キラル症候群さえ治療できれば」
「カマラは、ピアノは気づいておるぞ。おぬしが、いつか自分たちの前から消えようとしていることを――」
シミュラはアキオの腕をつかむ。
「わからぬな。これほど幸せなことがあろうか。皆がお前の子を欲しがっておるのだ。なぜ応えてやらぬ」
長らくアキオは黙っていたが、やがて、重い口を開いた。
「シミュラ。お前は俺の記憶を見たな」
「ああ……いや、彼女の記憶前後は感情が激しすぎて――」
「見たはずだ。ならわかるだろう」
「あれは事故だ」
「意識のない女の衣服を、無理やり引き裂いて犯すのを事故とはいわない」
シミュラの脳裏に、壊れた人形のように裸で投げ出される彼女の姿がよみがえる。
「あれは――おぬしが、あまりに進まぬ研究に耐え切れなくなって――それに、最後の一線はミーナの声で留まったではないか」
シミュラは、アキオの記憶で、その時の光景、ミーナの言葉をはっきりと覚えている。
彼女はこういったのだ。
生まれてくる子供にどう説明するのだ、と。
だが、本当にアキオを押しとどめたのは、ミーナの次のひと言だった。
「――でも、アキオ、それも良いかもしれない。生まれてくる子を女性にすれば、疑似的に彼女を再生したことになるから……」
その言葉で、アキオは、全裸の人形のような彼女から飛びのいた。
壁に頭を打ち付ける。
何度も何度も。
「アキオ――」
あの時、ミーナは宣言するように言ったのだった。
「あなたには女性が必要よ……必ず、あなたにふさわしい、あなただけを愛する女性を――わたしが……」
シミュラは、ふと笑った。
そう考えれば、アキオの周りにいる少女たちは、ミーナの思惑通りに動かされていることになる。
自分も含めて――もちろん、彼女は、それを不快には思わない。
「あの件以来、おぬしはナノ・マシンを使って、怒ることも、女に対する欲望も抑え込むようになってしまった――」
「子供のころに受けた実験の影響か、俺は戦時にあっても、他の者と違って怒ることや女を欲しくなることはなかった。自分はそういう生物なのだと思っていた。だが――」
静かにそう言って、彼は手のひらを見る。
「間違っていた。俺のこの手は、無抵抗で意思のない女を――俺は人殺しだけではない、獣だ」
ばっ、とシミュラに抱きしめられたアキオは言葉を失う。
「馬鹿者。おぬしはバカだ。女を欲しがらぬ男がどこにいる。心が苦しいなら、女の体に逃げても良いのだ」
シミュラはアキオの手を取って、自らの胸に当て、
「わたしのようなマガイモノの体が嫌なら、まともな人間、ヒトそのもののピアノやカマラ、ユイノを抱いてやれ」
アキオは驚いたように、少女の顔を眺めた。
「紛い物……」
「そうだとも、マキュラをもとに造ったニセモノの身体だ」
アキオはシミュラの目を覗きこんで、穏やかに言う。
「人の身体は何でできていると思う」
「それは、もちろん、口からとる食べ物でできている。わたしとは――」
「違うな。人の身体は太陽でできている。この国でいうヨブだな」
「太陽?あの、空に浮かぶ……」
「およそ、この星の生き物のほとんどすべては、太陽エネルギーでできている」
「バカなことを」
「植物は太陽エネルギーを受けて光合成をおこない、草食動物はそれを食べ、肉食動物が、さらにそれを食べる――」
「カマラから聞いたぞ。食物連鎖だな」
アキオはうなずき、
「この星の食物連鎖の大車輪を回す根本が、太陽エネルギーということだ。太陽から届く余剰エネルギーがないと、この星の高等生物は生きていけない、つまり――」
アキオは、ポンポンとシミュラの頭を叩き、
「俺たちの身体は、元をただせば、遠く離れた星から送られてくる、なにかわからないエネルギーのおかげでできているわけだ」
シミュラが、はっとする。
「つまり、おぬしは、わたしの身体を作るマキュラと同じだといいたいのか」
アキオは少女の胸から手を放し、背中に回し抱き寄せる。
「人間の場合は、太陽光、植物、草食動物という段階を経るからわかりにくいだけだ。お前はマキュラから、直接、自分の体を作る。根本は、俺たちと変わらない。それに――」
アキオは少女の髪に触れ、
「記憶でおまえも見ただろうが、かつて俺の体は、ほとんどが機械だった。繰り返されたナノ・マシンの実験で人並みにアミノ酸の肉体になったが、それは訳の分からない小さな機械によって作られた不気味な体なのかも知れない。おまえは俺の身体が気持ち悪いか」
「そんなはずがないではないか」
「俺もだ。おまえの身体を不気味だと思ったことは、一度もない」
「おぬしは、わたしの分身に飛び込んで、本体を引き出してくれたものな……」
「シェイプ・シフターであることを恥じるな。誇れ。少なくとも、俺がお前を誇りに思う程度には」
少女はセイテンの中で、彼が指で口に触れた感触を思い出す。
彼女の王は、本気でそう思ってくれているのだ。
「わかったよ――ありがとう、アキオ」
シミュラは甘い声で言い、
「わたしも、人に隠さず自分の体に誇りを持とう。おぬしが誇りに思ってくれるなら」
「そうだ」
シミュラはうなずき、ついで悪戯っぽく笑いながら続ける。
「だが、感謝の気持ちと、子供を作れという話は別物だぞ」
「――」
「だから、最初にわたしの体で女を知ればよいのだ」
そう言って、シミュラが、唇を重ねる。
「まずは、キラル症候群を治して、子供たちを救ってからだ」
アキオが平板な口調で言う。
「うまく逃げるではないか」
シミュラは腕と足を伸ばしてアキオに何度も巻き付き、
「もちろん異論はない。だが、治療が見つかる前でも気が向けば、いつでもわたしを抱くのだぞ」
少女の直截な物言いに、アキオは苦笑する。
「そろそろ眠れ。明日のうちに、この国の問題をすべて終わらせるのだろう」
「ああ、わかった」
そういって、シェイプ・シフターの少女は、絶対に彼を逃がすものかとばかり、さらにアキオをきつく抱きしめて眠りに落ちるのだった。