123.王都
セイテンは、快調に空を飛んでいく。
天蓋部分につけられているディスプレイ表示によると、現在、時速498キロだが、シジマによる造りが丁寧だからか、多少の振動は感じるものの、艇内はすこぶる快適だ。
かつて、オーストラリアに発生、勃興したテロ国家へ潜入する際に乗せられたドローンとは雲泥の差だ。
あの時は、鼓膜が破れそうな騒音に悩まされ、高高度による冷気で機械義足が過冷却されて、あやうく到着前に機能停止するところだった。
「アキオ」
彼の胸にもたれながら、シミュラが名を呼ぶ。
「なんだ」
「おぬし、朝飯がまだだろう」
アキオが微笑む。
「む、どうした」
「おまえは、育ちがいいのに、時々言葉が悪くなる」
「ああ、『朝飯』か、ピアノたちのいいかたに倣えば、朝食、朝ごはん、だな。うむ、おぬしの好みならそう変えるぞ」
「いや、気にするな。それもおまえの良いところだ」
「それも、か。嬉しいことをいう」
そう言いながら、少女は、もぞもぞ動くと、レーションを取り出し、包装を取り去って、ぱくりと半分かじった。
アキオが見ていると、そのまま、彼の肩につかまって体を引き上げ、口から伸びたレーションの先を彼の口に近づける。
「うう……うう」
少女は、何か伝えようとしているようだが、意味不明だ。
何が起こっているかわからないアキオが、黙って見ていると、シミュラはアキオの手をさっと掴んだ。
指話を使いだす。
カマラの話を聞いて、今では、少女たち全員が指話を使えるようになっている。
〈早く食べぬか。反対側から〉
〈その意味は〉
〈意味?わたしがそうしたいからだ。早く食え〉
よくわからないまま、アキオがシミュラの反対側からレーションをかじる。
〈もっと、もっとじゃ〉
言われるままに食べていくと、反対側から少女も食べて、最後は唇同士が当たった。
少女は、にこっと笑うと、舌でぺろりと唇をなめる。
その様子を、彼はじっと見る。
やがて、アキオは我慢できなくなって、少女の唇に触れた。
「あ、あれ、なにをする」
そのまま指を口に入れて、舌や歯茎などを触る。
「お、おい」
「よくやったな、シミュラ。改めて思うが、お前の、その才能と努力はすばらしい」
「そ、そうか。まったく、驚かせてくれる……」
シミュラは、アキオが、シェイプ・シフターとしての彼女の肉体造形の精緻さに、あらためて感心し、喜んでいることに気づいたのだ。
「そういえば、おぬしはわたしの牙も好きだったな」
彼女は、アキオと過ごしたオルトの街を思い出して言う。
「今からでも、牙を生やそうか」
「必要ない、それより――」
アキオは少女を見つめる。
「次をくれ」
「え」
「次だ」
「あ、ああ」
シミュラは、もう一度、同じようにバーを咥えた。
3本目を食べ終わったときに、彼女が言う。
「わ、わたしはこれでいいよ」
「そうだな――納得したか」
「したした、し過ぎたよ」
「そうか」
「アキオ」
「なんだ」
「わたしは、100歳を超えてるが、中身はまだ17なのだ」
「知ってるさ」
「だから、たまに、こんなバカなこともやってみたくなる」
「余計なことはいうな。やりたければやれ」
「わ、わかった。感謝する」
シミュラはガクガクとうなずき、少し頬を染めた。
バカバカしいことでも相手ぐらいはしてやる、そう彼女の想い人は躊躇なく言ってくれる。
それが嬉しかったのだ。
ほどなく、セイテンはアルドス荒野を超え、エストラの王都近くの森にふわりと着陸した。
アイギスが、崖に激突して止まったのとは大違いだ。
「蓋を開けるぞ」
「あ、少し待て、アキオ」
そう言って、シミュラは、アキオに口づける。
「独り占めできる時にはしておかぬとな」
「いいか」
「ああ」
アキオがアームバンドに触れると、空気の摩擦音がして蓋が開いた。
寄り添って横になるふたりに、外気がまとわりついてくる。
「ああ、エストラの空気だ」
目を閉じてシミュラが囁くように言う。
「どうだ」
「豊富なマキュラが含まれていて、わたしには心地よいな。気分がよくなる」
「そうか」
アキオは体を起こすと、少女の両脇に手をやって持ち上げ、とん、と外に下ろした。
「わたしは子供ではないぞ」
「そうだったな」
「だが、礼はいう」
アキオは微笑み、セイテンから出ると、細長いガンマ2バッグを取り出して肩にかけ、アームバンドに触れた。
蓋が閉まり、かき消すように、とまではいかないが、セイテンが半透明になって、存在の確認が不確かになる。
「たいしたものだな。少し離れたら、もうわからぬ」
「行こう」
アキオは、少女の横に立つと、そう言って歩き出した。
昼過ぎの太陽がふたりを照らすが、この国特有の、少し霧がかった大気のために光が弱められ、地面には薄い影を落とすだけだ。
アキオたちの降り立った地点は、エストラの王都からすぐの森林地帯だった。
王都オルトまで走ってもよいが、歩いたところで30分程度で着く。
アキオは、のんびり歩いてオルトに向かうことにした。
関所も通らず、無断入国している身なので、ふたりは街道を避けて森の中を歩いていく。
前回、アルドス荒野に向かう時に見かけたように、黄緑色の葉の植物が多く、地面はかなり苔むしていた。
サンクトレイカとは違う植生だ。
時折、歩きながらアキオが手を閃かせると、遠くで何かが倒れる音がする。
「アキオ?」
「アルドだ。眠らせただけだ」
音を立てないため、今回、彼はユイノやピアノに渡した銀針と同じものを使っている。
ただし、針先には、ナノ・マシンではなく魔獣に強烈に効く麻酔を塗布してある。
魔獣といえど、殺さないのなら、あえてキラル症候群にする必要はないだろうという配慮だ。
これは、カマラの意見を取り入れた。
アキオたちは景色を眺めながらゆっくりオルトに向かう。
少女が魔女になってから100年の歳月が流れている。
シミュラ、かつての王族シャトラにしても、アルドス荒野以外は久しぶりのはずだ。
現在のエストラに慣れながら王都に入った方がよいだろう。
アキオがそういうと、シミュラは笑って、
「そうだな。おぬしは優しいのう」
「お前と歩いた王都オルトも、今では変わっているだろう」
「いや、それは大丈夫だ」
「なぜ」
「あのオルトは、ここ何年かで捕まえた男たちの記憶をもとに作ってあった。ものの値段が少し違うかもしれんが、雰囲気、風景は変わらないはずだぞ」
「それは助かる」
「実際、入ってみればすぐわかるだろう。ほら、都が見えてきた」
シミュラの指さす先を見ると、高い建造物が見えていた。
石を切りだして作った街壁だ。
確かに、その形には見覚えがあった。
人目につかぬよう、気をつけながら壁に近づく。
「お前の内部世界ではわからなかったが、街の中にはPS、マキュラはあるのか」
「ある。この世界のいろいろな国の中で、エストラだけがマキュラのある場所に街や王都を作っておるのだ」
「魔獣は入ってこないのか」
「エストラは魔法の国。各々の街の衛士には優秀な魔法使いが多くてな。ゴラン数体なら問題なく撃退できるうえ――」
少女は壁を叩いて続ける。
「この高さを見よ。これを越えて入るものなど――おぬしと娘たちぐらいだろう」
「お前も含めてな」
「それについては異論があるが……まずは街に入ろう」
「その前に」
アキオがアームバンドに触れる。
たちまち、ふたりが身に着けるコートが変形した。
「おお、これは……」
襟と袖口が変わった意匠の衣服だ。
「素晴らしい、この服なら、エストラのどの街を歩いても人目は引かぬ」
「カマラの手柄だ」
今回のような状況に備えて、少女が、ワン・アクションで各国の一般的な服装に変形するように、ナノ・コートを改良してくれていたのだ。
「帰ったら礼をいわねばな」
左右を確かめ、壁の上にも人影がないことを確認すると、アキオは、体をかがめて少女の膝に手をやった。
シミュラを抱き上げる。
「上まで連れて行ってくれるのか。おぬしは優しいな」
少女は、アキオの胸に頭を預け、
「こうやって抱かれると、ふわふわと空中に浮かんでいるようで心地よい」
シェイプ・シフターであるシミュラは、PS濃度の濃いエストラにおいて、かつての魔女の力を取り戻しているはずだった。
だが、アルドス荒野を出て以来、人間たろうとしているためか、少女が、あえてその能力を使おうとしないことは分かっている。
使いたくないものを、無理に使わせる必要はないだろう。
だから、アキオは、シミュラを抱いて空へ飛んだ。
そびえ立つ壁の上に、軽々と着地する。
「街内の様子は、おまえと歩いた時と同じなんだな」
アキオは街の中央に見える螺旋塔を見ながら尋ねた。
「それは確かだ。まあ、捕まえた男たちも、さすがに城内の様子は知らなかったが……それについては、わたしが知っている。ああいう場所は、年月が経とうと、それほど変わらんだろう」
「では行こう」
そう言ってアキオはシミュラを抱いて飛び降りた。
柔らかく着地すると、少女を降ろす。
「こっちだ」
シミュラの先導で路地を歩いていくと、突然、視界が開け大通りに出た。
彼女の内部世界で見たのと同じように、たくさんの人々が練り歩いている。
それを見た少女がつぶやく。
「こんな事をいうのはおかしいかも知れぬが――なつかしいな」
「いや、おかしくはない。確かに――なつかしい」
彼とアルドスの魔女は、再び、エストラの王都オルトにやってきたのだ。