122.静天
ジーナ城で研究を初めて2か月が経つ頃だった。
その夜も、アキオは少女たちとの約束を破って、深夜になるまで実験を繰り返していた。
キラル症候群が問題なのは、一度、ナノ・マシンによって、この世界の細胞が地球型タイプに修復変換、あるいは影響を受けると、あとで完全にマシンを抜きとったとしても、残った細胞が脳神経に悪影響を与え続けることだ。
つまり、ナノ・マシンを一度でも注入されたら、キラル症候群は避けられないのだ。
マシンをこの世界用に調整しなおして、影響を受けた細胞を元に戻すことができれば問題は解決できるはずだが、その方法がなかなか見つからない。
「アキオ」
ミーナが声をかけてくる。
「なんだ」
「もう寝て」
「ああ。だが、もう少し」
「アキオ」
「――」
「アキオ。みんな心配してるわ。それに、研究室にこもってばかりいないで、たまには気分転換も――アキオ」
彼は返事も返さず、立体ディスプレイを見つめたままだ。
「仕方ないわね」
珍しくミーナが冷たい声を出す。
バシュッっと大きな音と共に青白い光がアキオを包んだ。
彼が床に倒れる。
「さあ、みんな。早く連れ出して」
ミーナの呼びかけで、研究室の扉が開いて少女たちが入ってくる。
彼女たちによって大切に運び出されるアキオを見ながら、ミーナは、彼の変わりように呆れる思いだった。
元来、戦時中から責任感は強い男だ。
自分の安易なナノ・マシン使用が原因で、少女たちの命を危険にさらしてしまっていることに責任を感じて研究に没頭するのはわかる。
自分は、ナノ・マシン研究の第一人者であるという矜持もあるかもしれない。
だが――過去二百数十年にわたって、彼の第一の存在理由は、彼女の精神、魂を復活させることだった。
そのアキオが、データ・キューブ奪還すら後回しにして、少女たちの治療を最優先にしているのだ。
それは、美しく愛らしい生き物たちに対して、彼が抱く愛情だけが原因だろうか?
かつて、彼女は、アキオを評して『愛を知って恋を知らない』男だといった。
だが、その言葉を撤回する時期が来ているのかもしれない。
それは、彼にとって望ましいことだとミーナは思う。
良きにつけ悪しきにつけ、彼にとって彼女の存在は大きすぎるのだ。
彼女に見いだされ、教えられ、そして――徹底的に傷つけられた……
もう、彼女から解放されても良いのではないか、少女たちがその助けになってくれれば――
いずれにせよ、最近の彼は、ミーナの目から見ても『煮詰まってしまっている』ように見える。
疲労回復と気分転換が絶対に必要だ。
地球の研究所にいた時は、その方法がなかった。
だが、今は少女たちがいる……
翌朝、アキオはひとり、ベッドで目を覚ました。
腕のバンドを見ようとして、枕もとに置かれているのに気づく。
手に取ってみると、時刻は、午前11時過ぎだった。
数か月ぶりの熟睡のおかげが、これまでにないほどすっきりとした気分だ。
「起きた?アキオ」
ミーナの声がする。
「やってくれたな、ミーナ」
「身体は動く?」
「もちろんだ」
「では、音を立てないように、4階のバルコニーに行って。早く!」
ジーナ城は、脱出艇ジーナを中心とする洞窟部分の研究エリアと、そこから地下に20メートル下がった先で掘り広げられた、巨大地下空間にある菜園兼庭園エリア、そしてそれを見下ろす岸壁の地中に掘られた居住エリアからなっている。
部屋の階数は、庭園から上に向かって1階、2階と上がっていき、最上階は6階だ。
いま、アキオは6階の自室にいる。
ミーナに指示されて、すぐにアキオは部屋を出た。
そのまま、真っ直ぐに4階のバルコニーへと向かう。
音を立てず廊下からバルコニーを見ると、ひとりの少女が、椅子に座って庭園を眺めていた。
シミュラだ。
その横顔を見てアキオは眉を上げる。
憂い顔の少女が、ひそやかに涙を流していたからだ。
彼は、シミュラに近づいた。
「どうした」
黒紫色の髪の美少女は、さっと涙を手で拭うと答える。
「なんでもない」
なんでもないはずがない。
アキオは、ミーナの思惑に乗るのを腹立たしく思いながら、シミュラの肩に手を置き、言った。
「行くか。エストラに」
「なんだって?本当か。でも……なぜだ」
「決まっている。おまえが行きたがってるからだ」
「しかし、おぬし、あの子たちを救う研究はどうする」
アキオは、シミュラの髪をかき回して言う。
「帰ってからやるさ」
「命がかかっているのだろう」
「エストラでも命がかかっている」
「知っておるのか」
彼はうなずく。
研究に忙殺されていてもミーナから報告は受けている。
いま、エストラ王国は、アルドスの魔女を討った直後に体調を崩したシャルラ王に代わって、宰相ギオルが実権を握り、王と王女の命が絶たれようとしているらしい。
この知らせをもたらしたのはミストラだ。
「行きたくないのか」
「行きたいとも。むろん、わたしが行ったところで、どうにもならぬだろう。だが……」
「ややこしく考えるな。おまえはシャルラ王に顔をみせてやればいい。あとは俺がやる」
「頼って……いいのか」
シェイプ・シフターがアキオの手を握る。
「よし」
アキオは、顔をあげるとミーナに命じた。
「シミュラを連れて、エストラに行く最速の方法を考えてくれ」
「もう用意できてるわ。彼女を連れて、ガンマ2装備で研究エリア4階に来て」
「4階?あのエリアは3階までしかなかったはずだが」
「いつの話をしているの。とにかく、早く来て」
「聞いたな」
シミュラを見る。
「聞いた」
「行こう」
ふたりは、ベランダから廊下へ駆けだした。
シミュラを先に行かせて、アキオはジーナに向かう。
自室からガンマ2装備のパックをつかんで、研究エリアの階段を駆け上がって行く。
3階でシミュラに追いついた。
階段はそこで途切れ、その上に新しく小ぶりな梯子が伸びている。
梯子を登りきると、そこは20メートル四方程度の部屋になっていて、すでに少女たち全員がそろっていた。
見送ってくれるらしい。
「おぬしたち」
シミュラがつぶやく。
「はい、これを」
ミストラとヴァイユが、ふたりにナノ・コートを渡す。
「すまぬ。本来なら、お前たちの方が――」
口ごもるシミュラにピアノが近づき、そっと少女の胸に手を当てると言った。
「良いのです。あなた様の100年にわたる気がかりを終わらせてきてください。きっとアキオが力になってくれます」
「やっと、これを試すことができるよ」
少女の声にアキオが振り返ると、シジマが床のレールに置かれた長さ3メートル、幅1.5メートルほどの魚雷に似たものを撫でていた。
色は艶消しの黒だ。
「これは……」
「侵行艇だよ。敵に見つからずに侵入するための高速艇。アイギス・ミサイルからヒントを経て、ボクとカマラでつくったんだ。名前は、静天」
小柄な少女が胸を張る。
「初めは回天だったけど、なんとか変えさせたの」
カマラが笑う。
「何でもいいさ」
「そうよね」
壁に着けられたディスプレイで、等身大のミーナが微笑む。
現実かつ合理主義者のアキオなら、乗り物の名が、かつての人間魚雷の名であっても気にならないのだろう。
「説明を」
「セイテンは、アキオがボクを助けに来てくれた時に使ったロケットとアイギスミサイルの両方の長所を併せ持った移動装置だよ」
そういって、再び機体に触れ、
「基本的に操作はいらない。ミーナに聞いて目的地の簡易座標は入れてある。衛星はないけど、大きくはズレないはずだよ」
アキオはうなずき、気になったことを尋ねる。
「機体の塗装はRAMか」
「EMファイバーを使ったんだ」
自慢げに言うシジマに、カマラが仕方がない、と首を振る。
「レーダーのない世界で、ステルス機能は必要ないといったんです」
「ダメだよ。地球でも、『画竜点睛を欠く』っていうじゃないか」
「ちょっと意味が違うような」
「ガリョウ?」
ユイノが不思議そうな顔をする。
「絵に描かれたドラゴン、ドラッド・グーンだね」
皆がああ、という表情になった。
少女たちには、ジュノス・サフラン・シスコの話は伝えてある。
「続けてくれ」
「目的地に着いたら偽装スイッチをいれてね。光学迷彩で隠蔽されるから。そのまま置いとけるはずだよ。帰る時も、乗り込むだけで動き出すからね」
「わかった」
アキオはシジマの緑の髪を撫でてやる。
「ありがとう。助かる」
「カマラのおかげだよ。科学って面白いね。知らなければ大損するところだったよ。まだわからないことだらけだけど」
「先は長いさ」
シジマは、アキオに抱きつく。
「本当は、もっと色々と機能があるんだけど、今はここまででいいと思う。さあ、乗って」
アキオから離れた少女が装置に触れると、シュッと圧搾音が鳴って、蓋が開くように侵行艇が半分に割れた。
中には、ビロードのような、美しい赤い布が敷き詰められている。
「シジマ、あなた、内部をこんな風に仕上げていたの?」
カマラが呆れる。
「これでは、まるで――」
「吸血鬼の棺桶みたいね」
ミーナが引き取って言う。
「きれいでいいでしょう。この中にシミュラはアキオとふたりきりで横になって飛んでいくんだよ。マッハ2のスピードで」
マッハ2とは時速2450キロだ。
エストラのアルドス荒野まで300キロ余りなので、10分ちょっとで着くことになる、が――
「俺はいいが、シミュラがいる」
アキオが言った。
ナノ強化しないシェイプ・シフターの生身部分が、加速で悪影響を受ける可能性がある。
「だね。だから今回、速度は時速500キロに抑えてある。安心して。ふたりで話をしながら30分ちょっとで到着するはずだ……って、なんかそれ、羨ましくなってきた。ボクも行きたい!」
「なにをいってるのですか」
ユスラが呆れる。
「さあ、乗ってください」
そう言われて、まずアキオが棺桶に似たセイテンに仰向けに横になる。
その上に、体を重ねるようにシミュラが身を横たえると、アキオが腕をまわして抱きしめた。
「あぁ――」
全員が同時に、ため息交じりの声を出す。
「なんだか、わたしも行きたくなりました」
「あたしもだよ」
「そうだよね」
「もう、あなたたち」
ミーナが笑い、
「用意はいいわね。アキオ、シミュラ」
「ああ」
「では、気を付けて」
「無理しないで」
少女たちの言葉に、シミュラがうなずく。
「じゃ、閉じるよ」
シジマの操作で静かに上蓋が閉じていき、少しだけ下にスライドして圧搾音が鳴った。
「みんな、下がって」
少女たちが壁際に下がると、侵行艇は、ゆっくりと動き出し、壁に開いた四角い穴に吸い込まれていった。
ミーナが自分のディスプレイを城外カメラに切り替えると、カムフラージュされた崖の射出口から飛び出した黒いミサイルが、よく晴れた空に向かって上昇していくのが映る。
「恥ずかしいですけど、本当に羨ましいですね」
「姫さま、大丈夫です。わたしもシミュラの代わりに乗りたくなりましたから」
「そうだよねぇ」
「はいはい、みんな。今度、街に行く時に使ってもらえばよいでしょう」
「あ」
全員が声をそろえて叫ぶ。
「その手がありました」
「だけど、これは緊急発進用の……まあいいか。ボクも乗りたいから」
城外カメラは、まだ高速艇を追い続けている。
次第に小さくなる機体を見ながら、ミーナは思う。
生粋の兵士であるアキオにとっての気分転換は、野外へのピクニックなどでは絶対ない。
言葉は悪いが、戦闘こそが彼の気分転換だ。
エストラで、彼は大なり小なり戦いに巻き込まれるだろう。
だが、彼女は確信している。
無事、エストラから帰った彼が、気持ちも新たに研究にとり組むであろうことを。