012.傭兵
マキイの言った野営地はすぐ近くにあった。
道から離れていて、小川が平地の横を流れる快適な場所だ。
驚かないように注意してから、いつものようにポップアップ・テントを設営する。
2張りだ。
ビーコンもいつも通りに設置した。
ナイフで枝を切り、それらをナノ・マシンを使って乾燥させる
サバイバル・キットから取り出したライターを使って焚火を起こした。
マキイが水浴びをした後で体を温められるようにだ。
雪は姿を消したものの、いまだ気温は低い。
川の水は身を切るように冷たいだろう。
目の端で、マキイがさっさと服を脱いで川に入るのが見える。
傭兵だけのことはあって、裸になるのに躊躇がないようだ。
水の冷たさも感じさせない仕草でゆっくりと身体と髪を洗っている。
「そうだ」
アキオは、マキイが何も荷物をもっていないことを思い出し、ザックから汎用布を取り出し、大きめに切ると、ナノ・マシンでループを作ってふかふかのタオルにした。
背を向けて水につかるマキイに近づき、声をかける。
「これを使うといい」
「ありがとう」
振り返ったマキイは、ざばっとそのまま立ち上がってアキオに近づく。
タオルを受け取って、髪の毛を拭き始めた。
「むこうに火を起こした。後であたりに来てくれ」
「わかった」
この世界の常識がどうなっているかわからないが、もう少し、露出を抑えるように注意をしたほうが良いかもしれない、そう思いながら、アキオは、レーションと濃縮ミルクを用意するために焚火に戻った。
ザックから食事を出したアキオは、テントを離れてビーコン近くまで歩き、ミーナに定時連絡した。
カマラの様子を尋ね、元気にしていることを確認する。
話そうとしたが、今日はもう寝たので会話は次の機会に、とのことだった。
次いでアキオは、昼以降の、おおよその経緯を話す。
「では、この世界のことを聞くのは、明日以降ということね」
「そうだな」
「わかったわ。あとね、アキオ。そのマキイという女性を、きちんと女性として扱ってね」
「扱ってるさ。彼女は女だ」
「どうかしら――わたしが言ってるのは『女』という生き物じゃなくて『女性』として扱えってことよ」
「よくわからないが――」
マキイが髪を拭きながら焚火にあたるのをみて、アキオは言う。
「努力はする」
食事のあと、アキオはマキイに、体は小さくなったが、力は三倍になったことを告げた。
体重が前とほとんど変わらないことも。
「わかった」
マキイは特に何も言わなかった。
そのことにはあまり興味がないようだ。
もう一度、自分の腕や首に触れ、身体を曲げて背中を眺めながらつぶやいている。
「ああ、しかし、この姿はなんて素敵なんだろう。この体なら、きっとヴァレスも似合うだろう」
ヴァレスとは夜会服のことらしい。
ということは、元の世界の中世のように、城や舞踏会などというものもあるのだろうか。
アキオには、元の世界と他世界との、偶然とは言えないほどの類似性が納得できなかった。きっと何か合理的に説明できる理由があるに違いない。
そのためにも、この世界の社会システム、通貨や科学の発展程度を、一刻も早くマキイから聞き出したかったが、昼間に体の大改造を行ったばかりの彼女の精神的打撃を考えて、明日以降行うことにした。
キューブのことは心配だが――
テントは2張り建てたのだが、マキイは同じテントでいいと言ってきかなかった。
アキオも、今回のテントは大きめで、3メートル四方あるので別に構わない。
「テントの中は寒いが、この中は暖かいから快適に眠られるだろう」
ナノ・シュラフを示してそう言うと、
「わかった」
マキイは、さっさと寝袋に入る。
その所作に、世界は違えど質実な軍人らしさを感じてアキオは微笑んだ。
アキオもシュラフに入り、天井を見つめる。
しばらく意識を集中して考えをまとめると、頭もとにおいたアーム・バンドを手に取り、カマラ用の言語学習パックのプロトタイプを作り始める。
「――」
しばらくして、体に何かがあたるのを感じる。
横を向くと、マキイがシュラフごとアキオに密着していた。
「どうした」
アーム・バンドを置いて尋ねる。
「寒いから体をくっつけて寝てもいいか」
「寒くはないはずだが――」
「それは、まあ、そうなんだけど……」
そう言って、マキイは目をそらせる。
「正直にいうよ」
マキイは目を閉じると続ける。
「傭兵の団内では、夜は、男も女も寒さをしのぐために身体をくっつけて寝るんだよ」
「そうか」
(このあたりは緯度も高いから温度も低い。まして行軍中なら、ろくな暖房器具もないから、抱き合って眠るのが合理的だろうな)
「……」
マキイが妙に熱い視線を向けてくる。
「で、今夜もそうして寝たいのか」
彼女はうなずく。
習慣、そう習慣か。それなら仕方ない。
「いいぞ」
アキオの言葉に、マキイは嬉しそうにシュラフを出ると、素早くアキオの横に潜り込んだ。さすが三倍の筋肉、と思わせる速さだ。
(しかし、カマラといい、この世界の女はどうしてこんなに接触したがるんだ?危ない世界で寿命が短いから、一日でも早く子孫を残そうとする『利己的な遺伝子』の仕業か?)
アキオが考えていると、マキイがアキオを抱きすくめた。
すぐ近くに彼女の整った顔がある。
頬にかかる息が熱い。
「背中ではなく前からくっつくのだな」
「どっちでもいいけど、わたしはこっちが好きだ」
気のせいか彼女の頬が赤い。
「ほんとにみんな、夜は、男同士でも女同士でも男女でもくっついて寝るんだよ」
なんだか必死にマキイが言う。
「嘘じゃない――」
マキイがうつむく。
「みんな夜はくっついて眠るんだ――わたし以外はね――わたしは団に入って以来、いや、子供のころからずっと独りだった……寒かった。寒かった。独りで寝るのは本当に寒かったんだ。みんな、わたしは寒さなんて感じないと思ってたみたいだけど」
その言葉で、アキオは底知れぬマキイの孤独を知った。
寒かったのは体ではなく、心だ。
「でも、それは仕方ないんだよ。誰が、自分よりずっと大きい筋肉の塊みたいな女と寝ようなんて思うもんか。女同士だってダメ。気味悪がられてさ。でもね、でも――」
マキイはさらにアキオに顔を近づける。
いつのまにか、その頬は涙に濡れている。
「今のこの姿は、わたしが自分で見ても、とても美しいと思う。髪も体もきれいに洗った。だから、アキオもきっと嫌がらない。だろう?」
「もちろんさ」
実のところ、ナノ・マシンで、どんな美しい容姿でも作りだすことのできるアキオは、見かけの美醜に意味を感じない。
本当に光り輝き貴いのは、巨大な怪物を前に、細い槍だけで、震える膝を意思の力で抑え込んで立ち向かう強い心だ。
ゴラン4体を相手に、唇の端に笑いを刻める覚悟だ。
だから、アキオにとって、とうにマキイは素晴らしく美しい人なのだった。
もし彼女が以前の容姿であったとしても、抱きしめるのに何の躊躇もない。
アキオは、すがりついて泣くマキイの豪奢な金髪を撫でてやる。
この行為で、寂しい思いをしてきた彼女の心が満たされるなら、やすいものだ。
それに、この世界の美の基準が彼女の言う通りのものならば、二度と彼女が孤独になることはないだろう。
「アキオ……」
泣き止んだマキイがぽつりと言った。
「なんだい」
テントの布地を通して漏れてくる薄暮の明かりが、マキイの金髪を鈍く輝かせる。
「あんたにお礼がしたい」
「必要ない」
「まずは聞いてくれ!」
そういって、マキイは、アキオの耳元で、彼女が過ごしてきた人生、今日の闘いまでのいきさつを、吶々(とつとつ)と語った。
「だから、わたしは姿が変わってもかまわない。ううん、変わったほうがありがたいんだ。でも、姿は変わっても、わたしは傭兵だ。支えるべき意味のある団に仕えたい」
「なるほど」
マキイの話の意図が分からず、アキオは曖昧に返事する。
この世界の傭兵は、金次第でどちらにもつくアキオの世界の傭兵とは違うのかもしれない。まあ、マキイの戦闘能力なら、どこでも引く手数多だろう。
「だから――」
マキイは、アキオの胸に頬を当てた。
「これから、わたしはあんたの傭兵になる」
「いや、しかし――」
「さいわい、わたしのしがらみは全部なくなった。だからわたしは、わたしの属する団を自分で決められる。それはあんただ」
「俺は個人の人間――」
「アキオ……」
胸に当たるマキイの頬が熱い。
「ゴランを一撃で倒す杖、ナノクラフトという魔法、このテント、その光る籠手、あの不思議な食べ物、わたしの悪い頭でもわかる、あんたは普通の人間じゃない。もしかしたらこの世界の人間ですらないのかもしれない」
アキオは驚いた。筋肉自慢の暴力剣士だなんてとんでもない、マキイは女性特有のするどい勘を持っている。
「あんたが訳ありなのは分かる。これから何をしようとしているかはわからないけど、その目的に、わたしの力はきっと役に立つはず」
「君は、俺のことを何も知らない」
「知っているさ。あんたは、望まぬ体に生まれ、その体のまま、人に陥れられて死ぬはずだった馬鹿な女を救った男だ」
「君は馬鹿じゃない」
「自分は馬鹿じゃなかったと思って死ぬために、あんたの力になるのさ」
「死ぬこと前提の傭兵を仲間にはできないな」
「じゃあ、生き残る。必ず生きてあんたを助ける」
アキオは、心の中でため息をついた。
「君は――体が変わったことで気持ちが動顛しているだけだ。ひと晩寝たら気も変わる」
だが、マキイはアキオがどう諭しても考えを変えなかった。
仕方がないので、とりあえず、彼女の申し入れを受ける。しばらく一緒にいて、この世界のことを教わりながら、徐々に傭兵のことはなかったことにしてもらおう。
そう結論したアキオは言った。
「わかった。とりあえず君を俺の傭兵にする、これでいいか」
「いいとも、ありがとう。命を懸けて任務を全うするよ」
「では寝よう」
「ああ、その前に、傭兵の誓いを交わさないと」
「誓い――どうするんだ」
マキイは黙ったまま、するりとアキオに馬乗りになり、どこからか取り出したミニナイフで、自分の下唇の内側に傷をつけた。
「おい」
形の良い唇に血を浮かべたまま、マキイはアキオの唇にもナイフを当てた。
「まて」
アキオは逃げようとするが、ナノ強化を行わない体に、百戦錬磨で筋力3倍、120キロの体重を持つ戦姫は押しのけられない。
両腕を抑えつけたまま、マキイはアキオに顔を近づけ、唇を重ねる。
慣れないためか、歯と歯がぶつかって乾いた音を立てた。
長い口づけがおわると、マキイは身体を起こし、髪をかき上げた。
そのしぐさに、神々しいほどの美しさを感じる。
「血の交換の儀式さ。手のひらに傷をつけて、それを合わせてもいいんだが、あんたとはこうしたかったから、した」
「した――」
アキオは苦笑いする。
ファーストキスを無理やり奪われた少女のような気分、どんなものかは知らないが、になる。
期せずして、カマラと同様の行為をマキイとすることになってしまった。
あるいは、なし崩しにカマラにしてしまった行為の罰があたったのかもしれない。
これも、ミーナの言う「女性らしく扱う」ことになるのだろうか。
「悪かったね。ごめんよ」
マキイはいたずらっぽく笑う。
「いいさ」
いや――
今は顔を朱に染めて恥じらう美女を眺めながらアキオは思う。
それで彼女の気持ちが収まるならそれでいい。
「ナイフは、どこにあった」
アキオは尋ねる。
「鎧の胸当てにはめ込んであったのを持ってきたんだ」
マキイは微笑み、続けた。
「有事に備えてね」
有事というのは、アキオの唇を奪うことらしい。
可愛く朗らかに笑って、マキイは身体をずらし、再びアキオの胸に頬を当てた。
「ありがとう、アキオ」
呟くように言う。
眼を瞑ったマキイの表情は、幼い子供のように無防備だった。
すぐに、安らかな寝息が聞こえ始める。
それこそ、人生が変わるような大変な一日だったのだ。
精神的にも、よく今までもったものだ。
起きている間は、意識的に体重をかけないようにしてくれていたのだろうが、寝てしまった今、マキイは少し重かった。
アキオは微笑むと、頭もとに置いたアーム・バンドに手を伸ばす。
体をナノ強化して、彼女の体重に耐えられるようにした。
自分も眠ることにする。
重いのは構わない。良いものは重いものだ。