118.道標
ふたりは、前回の食堂ではなく、少し離れた第二食堂に連れていかれる。
シャルレの労働者以外に、近くの農園からオルビスの埋葬に参列した者を加えて、かなり大人数になったため、一回り大きな施設で食事をすることになったようだ。
先日の食堂は、街のバルトを家庭的にしたような小規模の造りだったが、第二食堂は、軍食堂に似た大きな建物だった。
案内をしてくれたエルドによると、第二食堂は、農繁期で作業者が増えた時などに使う大食堂らしい。
中に入ると、広い室内には、いくつもの長テーブルが並べて置かれていた。
壁際には、金属製の長い台が据え付けられ、その端に木製のプレートが積まれている。
普段は、労働者たちがそのプレートを持って一列に並び、食材を自分で盛り付けるビュッフェスタイルで食事をとるのだろう。
世界は違っても、多人数で効率的に食事をとるシステムが同じなのが興味深い。
今、現在、台の上に何も置かれていないところを見ると、今回は一人ずつ料理を運んでくれるようだ。
ふたりは、空いている席に隣り合って座った。
農繁期が一段落して、食事を用意する人手が足りないのだろう。
メイビスをはじめ、幼いオルガまでがテーブルの間を早足で動き回って、右往左往している。
「アキオ」
その様子を見たカマラが彼に声をかける。
配膳を手伝おうというのだろう。
彼はうなずいた。
少女は、コートを脱ぐと椅子にかけ、足早に隣室の炊事場らしき場所に向かう。
「あんた、すごいなぁ」
しばらくして、食堂に座った男たちから声があがる。
そこでは――カマラが料理を運んでいた。
白地に小さな青い花柄のシャツに、厨房で借りたらしい白い作業着、地球でいうエプロンのようなものがよく似合っている。
髪は、常に持ち歩いている汎用ナノ・ストリングをカットしたもので、ひとまとめにくくり、総髪にしていた。
豊かな銀の髪が動くたびに美しく揺れる。
アキオが初めてみるカマラの髪型だった。
だが、男たちが感心していたのは、彼女の美しさ以上に、プレートの運び方だった。
ナノ・マシンによるバランス強化を利用したのだろう、両手と両腕にプレートを二枚ずつ乗せ、美しく揺るぎない姿勢で、次々に料理を運んでいる。
その後ろを、必死になってオルガがついて回っていた。
配膳が終わると、全員がテーブルにつく。
カマラも席に戻ってきた。
彼女の横にはオルガが座る。
座が落ち着くと、エルドとメイビスが立ち上がり、オルビスの葬儀に立ち会ってくれたことに対する謝意を続けて表し、食事の開始を宣言した。
皆がそれぞれに談笑しながら食事を始める。
プレートの上には、アキオの見たことがない食材が並んでいる。
例によって、彼が淡々と食事する姿を、カマラが嬉しそうに眺める。
「どうした」
「いえ、アキオはどこでも、何をしてもアキオだなって……」
「そうか」
「わたしはそれが――どうしたの?」
カマラが言葉を続けようとして、隣の幼女にシャツの裾を引かれて返事をする。
オルガは、正面からカマラに見つめられて、言葉を失ったように黙りこんだ。
「なに?いってみて、大丈夫だから」
カマラの優しい問いかけに、ようやく幼女は口を開く。
「お姉さんは」
「カマラでいいわよ」
「カマラは、いろんなところへ行ったことがあるんでしょう」
「ええ――そうね」
「ここより、きれいだったり、すごいところもあった?」
「あったわ。果てのない雪原、大きな洞窟、空を彩るオーロラ――」
「おーろ?」
「この世界では光帯ね」
「ほんと?カマラはラルフを見たことがあるの」
「ええ、わたしは光帯が見えるところで育ったのよ」
「いいなぁ」
オルガは口をとがらす。
「あたしなんか、ずっとこの街から出られないのに」
「そんなことないわ」
「だって、おばあちゃんもお父さんも、絶対許さない」
「それは、まだあなたが小さくて、ふたりがあなたを守りたいからよ」
「違うよ、そういう、しきたりだって」
カマラは、椅子の向きを変え、少女と正面から向き合う。
顔を彼女に近づける。
まつ毛の長い、きれいな緑の目が近づくのを見て幼女は頬を染めた。
「オルガ」
カマラは、口を彼女の耳に寄せ、言う。
「これからいうことは、今、わからなくてもいいから、大きくなるまで覚えておいて」
「はい」
「おとうさんやおばあちゃんは、あなたのことが大好きなの。だから、ふたりが考える、あなたにとって一番良い道を教えてくれる。でも、あなたはふたりとは違う。別な生き物。別な人生がある。だから、あなたにとっての一番は、ふたりとは違うかもしれない」
「そうなの。わたしは、外に出ていろいろなものが見たいの」
「あなたの年でそう考えるのは立派よ。あなたは頭の良い子。何でもできる。何にだってなれる。でも、あなたはまだ幼い。だから、自分で何でもできる年になるまで――」
「我慢するの」
「いいえ、勉強するのよ、色々なことを。そして、自分で行動できる年になったら、今まで学んだことを使って、どうするかを決めたらいい」
「わかった」
「その時、もし不安になったり、世界が、人が怖くなったら、この言葉を思い出して」
少女は言葉を区切り、言った。
「あなたなら絶対できる」
カマラはオルガから離れて、にっこり笑った。
「あ、ありがとう、おね……カマラ」
「さあ、早く食べてしまいましょう。きちんと食べて、大きくなるの」
オルガは、食事を続ける少女を見つめる。
その頬は紅潮し、瞳には決意の灯が点っていた。
ちらっと、カマラがアキオをみて恥ずかしそうに微笑む。
これまでの人生のほとんどを洞窟で孤独に暮らし、急速な学習で得た知識があるだけの自分が、人生を語るのは、おこがましいと思ったのだ。
強化された聴力で、すべてを聞いてた彼は少女に向かって微笑む。
「よくいった、カマラ」
さっと少女の手がアキオの手に伸びる。
〈恥ずかしいです〉
〈君の――〉
アキオの指の動きが少しだけ止まる。
〈言葉は彼女を導く確かな指針となるだろう〉
〈あなたが、わたしを世界に連れ出してくれたように、オルガの背中を押してあげたかったのです〉
そう伝えたあと、カマラは頬を桜色に染め。しっかりとアキオの手を握った。
――後に、オルガは、この世界で初の女性ジャーナリストになり、辺境を踏破し、未知のものを大陸に知らしめ――そして、人々の知らなかった世界の破壊者、漆黒の魔王と彼の魔女たちの真実の姿を伝え広めるために尽力することになる。