116.野営
その後、ふたりは、館を出てオルビスの小屋に戻った。
ストーク館を出る前に、一応、地下から走り去った生存者を探してみたが、すでに山を下ったのか、アルムをはじめとして、誰ひとり発見できなかった。
湖畔の道は、ザルドを使うので、それほど速度を上げる事ができない。
小屋に着くころには夕方になっていた。
前回同様、ザルドを残し、歩いて小屋に行く。
誰かが侵入した形跡はなく、オルビスはナノ・エンバーミングされたまま、穏やかな表情で横たわっていた。
カマラが老人を見つめて、微笑みを浮かべる。
「どうした」
「死者を前に不謹慎と怒られそうですが、この生真面目な顔をした男性が、ジュノスが何をしても怒らなかったと聞いたので……」
「そうだったな」
「よほど愛していたのでしょうね」
「だろうな」
「ああ、アキオ。ジュノスの話は、後でまとめてお話しするつもりですが、彼女を小屋まで連れ戻しに来たのは、クラノ、コマハ兄弟だったようです」
「そうか」
「ザシンたちは、ドラッド・サンクの一派で、ジュノスが館を出て以来、ずっと監視をつけていて、彼女が弱ってきた今の時期を狙って連れ去ったのだそうです」
三十年間、待たねばならぬほど、ドラッド・グーンの転身者は恐ろしい存在だったのだろうか。
「そこへ、オルビスの死が重なった、か」
「そのようです」
「――」
「アキオの考えていることを当てましょうか」
ふ、と彼が笑う。
「分かるのか」
「あなたは、シャルレ農園のメイビスやエルドに頼まれたことがきっかけで、わたしたちが偶々ドラッド・グーンの再生に立ち会ったことを疑っているのでしょう。なぜなら――」
カマラは、ひと呼吸置き、
「アキオは偶然を信じないから」
彼が微笑む。
「君は、だんだんミーナに似てくるな」
「ほんとですか!」
ぱっと顔を明るくした少女が叫ぶ。
「それは、最高の誉め言葉です」
「それはどうかな」
アキオは、ディスプレイ上のミーナを思い浮かべ、
「あいつは、小言の多い……」
「それがいいんです。アキオに小言のいえる人が、他のどこにいますか」
少女は、きっぱりと言い切り、
「だからミーナは特別なんですよ」
にっこりと微笑む。
もちろん、特別といえば特別だろう。
地球の科学水準で考えても最高レベルのAIだ。
「でも、シャルレの人たちが、わたしたちを騙したとは思えません」
「調べればわかる」
「そう、そうですね……」
納得できない、という目をしつつ、少女はうなずいた。
夜を徹して街に帰る必要も感じなかったが、とりあえずオルビスを不透明にしたコクーンで包み、ザルドに乗せて小屋をでる。
陽はすでにパルナ山脈の後方に沈み、小屋の周りは暗く、空にぽっかり浮かぶ雲だけが茜色に染められている。
ザルドを進ませるうちに陽は暮れ、月が登った。
「アキオ」
カマラが指さす方向を見ると、月明かりにほぼ全壊したストーク館が見えた。
さらに進んだ場所で、野営に適した開けた土地を見つける。
小屋に向かう際に目をつけていた場所だ。
「ここで泊まるか」
ザルドを止めたアキオが言う。
「はい……それで、あの、アキオ」
「どうした」
珍しく、カマラが、モジモジしながら、言いにくそうにするのを見てアキオが尋ねた。
「今日はテントはなしで、アキオのコートにくるまって寝たいです。あの――シミュラがしてもらったように」
「だが、テントの方が疲れもとれやすい――」
「お願いです」
「わかった」
アキオはザルドから降りた。
野営に備えて、鞍の後ろの荷台には、ナノ・テントとナノ・シュラフを積んである。
わざわざ、野宿のようなことをする理由がわからないが、めったに我がままを言わない少女の頼みだ、聞いてやるのは吝かではない。
空模様を見ても、雨は降らないようだから、そちらも問題はないだろう。
一応、テントを張ってオルビスを中に寝かせる。
ビーコンも設置し、魔獣対策も図った。
これで、アキオたちはもちろん、ザルドも安全だ。
アキオは、油分の多い樹と少ない樹を分けて切り出して薪を作り、焚火を起こした。
地球と違って、針葉樹と広葉樹にはっきりと分かれているわけではないので、面倒だが、この手間をかけることで、格段に火の維持とコントロールが楽になる。
野外生活が長かったアキオは、焚火が得意だ。
戦時と違って、敵に見つかる危険も、焚火の痕跡を消す必要もないので直火で大きめの火炎を上げる。
火を囲んでカマラと夕食をとった。
徒歩とは違い、ザルドで荷物を運んでいるので、レーションによる簡易の栄養補給ではなく、パオカゼロとムサカの肉を炙った比較的ましな食事だ。
料理はアキオが担当し、ベルゼという実を炒って砕いたコーヒーのような飲み物はカマラが点てた。
外気はかなり寒いが、火に向けた顔や手足が遠赤外線で温められてナノ・マシンが活発に働いてくれるため、寒さは感じない。
食事を終え、焚火を見つめて座る。
ふたりは何も話さない。
黙ったままのアキオと少女の間を、静かに時が流れていく。
月が雲に隠れ、星が合間からのぞいた。
目の端で流れ星を捉えたアキオは空を見上げる。
ついで隣に座る少女に目を移した。
焚火を見つめるカマラの緑の双眸は、黄金色の踊る炎を映して、怪しく美しく色を変えている。
どことなく大人っぽい印象になった少女を、彼は、まるで初めて目にする生き物のように見つめた。
少女は――アキオの視線に気づいて柔らかく笑うと体を寄せてきた。
彼の腕に頭を預ける。
「アキオ……」
「なんだ」
「なんでもありません。ただ名前を呼びたかっただけ――」
「そうか」
「あと、どれだけアキオの名前を呼べるかな」
「予測は難しいな」
アキオは、カマラの頭が軽く揺れるのを感じる。
「眠いのか」
「すみません。ジュノスが語ったお話をしようと思っていたのですが――」
「慌てる必要はない。明日、話してくれたらいい。寝よう」
「はい」
アキオは、焚火の近くの木にもたれて座った。
カマラが彼の前に立って、服を脱ぎ始める。
「寒くは――」
「もちろん、寒くありません。アキオは黙って抱きしめてくれたらよいのです」
そう言って、最後の一枚まで服を取り去ると、コートを広げた彼に身を寄せてくる。
アキオは、やれやれと首を振って、コートで少女を巻き込んで抱きしめた。
「どうした」
胸に熱さを感じて目をやると、少女が涙を流している。
「なんでもありません」
そう言ってカマラは彼のシャツのボタンをはずして直に抱きついてくる。
理解できない少女の涙に、いよいよカマラにも思春期が始まったのかもしれない、そう彼は漠然と考えていた。
アキオは、シスコ=ジュノスの言葉を取り違えていたのだ。
愚かにも彼は、彼女が言った『アキオを悲しませる事実』とは、彼の渇望する『死者の意思を蘇らせる方法』の達成の困難さを言ったものだと思いこんでいた。
アキオは、涙の痕を残したまま静かな寝息を立てる、美しい生き物の頬をひと撫ですると、星の流れる夜空を眺めて思索を続けるのだった。