115.決意
「アキオ」
カマラが駆け寄る。
勢いよく抱き着く少女の頭を撫でて、アキオが言った。
「みんな無事か」
シスコがうなずき、
「倒したのかい……あいつを」
「いや」
アキオは、少女に抱きつかれたままシスコに向かって言う。
「あいつは、サフランは、俺たちを助けるためにプールに飛び込んで自爆した」
「あたしたちを助けるため……」
「結局、サフランも、お前が生み出した分身だったということだ。根が優しく可愛い――」
カマラが驚いたようにアキオを見上げる。
「ア……キオ。来て……くれ」
ジュノスに呼ばれ、少女から離れてアキオが近づいていく。
「カマラ」
アキオの後姿を見ながら、シスコが思いつめたような表情で話しかけた。
「どうしたの……あら」
赤髪の少女に抱きしめられ、カマラが驚いた声を上げる。
「ああ、あんたは、いつもきれいで羨ましいね。いい匂いもするし……」
「シスコ――ちょっと待ってね」
カマラは、コートのポケットから、細長いものを取り出して少女に見せる。
「これが、良い匂いの秘密」
「それは……花?」
「そう、良い香りの花を、ナノ・エンバーミングで保存して持っていて――」
少女がリストバンドに触れると、破裂音がして固まっていた花が揺れだした。
良い香りが広がる。
「解除して、ここに――」
「あっ」
今度はシスコが驚く。
カマラが少女の胸のボタンを素早くはずし、その中に手を入れたからだ。
「胸の間に入れておくのです。すると体温でよい香りが広がる――まあ、意外に大きいではないですか。あなたは」
「は、恥ずかしいよ」
「これはリズモの花。甘酸っぱくて素敵な匂いなの。持っておいて」
「あ、ありがとう、本当に、本当にうれしいよ」
「これはね、仲間のお姫さまから教えてもらったの、彼女が――」
カマラの言葉が途中で止まる。
シスコが、信じられないほど強い力で抱きしめたからだ。
まるで、彼女を自分の中に取り込もうとするかのように。
そして、言う。
「ありがとう――これで、決心がついたよ」
「え、なんですか」
赤髪の少女は、カマラに背を向けると、アキオと話をする苦し気なジュノスに近づいた。
「すまない、アキオ。緊急なんだ」
「どうした」
アキオの問いに答えず、シスコは彼に抱きついた。
カマラと同様に、強く、強く抱きしめる。
「どうしたんだ」
「アキオ、できたら、少し、ほんの少しでいい、あたしのことを覚えておいて」
そうつぶやいて、ぱっと振り向くとジュノスに言う。
「それで、どうすればいい」
「シーズの……娘、お前……は――」
「分かってるんだろ。早くいっておくれ。時間がないんだ」
青ざめるほど真剣な表情で、矢継ぎ早に言葉を放つ少女にジュノスは首を振り、太陽に手をかざした。
「もう……遅いのだ。わたしの存在は、ほとんど……消えている」
「ダメだ、ダメなんだよ。あんたがいないと。さっき、いっただろう。あんたなら、見つけられるかもしれないって」
カマラがはっとして叫ぶ。
「いけない、シスコ。それはダメ」
「早く言っておくれ」
「失敗すれば……死ぬぞ。成功しても、精神がわたし……と混ざりあって、お前は……自分を保てなく……なるだろう」
「いいんだ。早く教えておくれ」
「マキュラが……薄い。95パーセント、失敗……する」
「あたしがなんとかする」
「――」
「ジュノス!」
「分かっ……た。わたし……を吸収しろ。それだけで……いい」
「吸収……やったことないけど、わかった」
そう言って、シスコが胸に手を当てる。
少女の全身が発光し始めた。
「よせ、シスコ」
事態を察したアキオが止める。
シスコは、シーズの儀式を、このPS濃度の低い地上で行おうとしているのだ。
「アキオ、これしかないんだ。シーズはジュノスと一体化する儀式。弱ったジュノスを蘇らせるために……あのバルコニーで死にかけた時、あんたにいわれた。簡単にあきらめるな、最後まであがけって。だから、そうするよ。あたしはあきらめない。やれるだけやるんだ――カマラを、この娘を大事にしてやって……」
次の瞬間、少女の身体が爆発するように広がって、スライム状の身体がジュノスを包み込んだ。
カマラが渡した花が宙に舞う。
そのまま脈動しながら、ジュノスは七色に明滅を始める――だが……
「ダメだ。やはりマキュラが薄い」
ジュノスの声が響く。
言葉は流暢だが、今にも消えてしまいそうな、か細い声だ。
「わかるよ。もっとマキュラが必要なんだ。お願い、マキュラを――ああ、ダメなのかい……いやだ、あきらめたくない!」
シスコが悲痛な叫びをあげる。
「しかたないねぇ」
「だれ!」
いきなり空間に響いた声に、カマラが身構える。
「さて、何と答えよう――」
光が生じる。
「サフランか」
「さすがアキオだね。その通り、爆発で体は消えたけど、あたしは消えなかったのさ」
「エネルギー生命体か」
信じられないように、アキオが空間に浮かぶ光を見る。
地球の科学では、理解不能な事象ばかりが起こる世界だ。
「よく分からないけど、あたしの身体はマキュラでいっぱいだよ。どうだい――シスコ、人殺しのあたしと、ひとつになる勇気はあるかい」
「もちろん、あるさ。もともとは一つだったんだからね――サフラン」
「やるなら早くやるのだ。どうせ、このままなら、三人とも消滅するだけだ」
「わかった」
光が、ジュノス=シスコの体を取り囲み、凄まじい速さで回り始めた。
回転は次第に速くなり、輝きは、目を開けていられないほど激しくなっていく。
高周波の音が辺り一面を薙ぎ払うように叩き、ついに――
いきなりの静寂が訪れた。
キィインという残響音を耳に残したまま……
カマラが目を開く。
ちょうど、ジュノスが石の長椅子から身を起こすところだった。
「ジュノ――」
カマラが声をかけようとして言葉を失う。
ジュノスは、美しさはそのままに、髪はオレンジ色、目は深い海の底のように落ち着いた人間の青い瞳となっていたからだ。
シスコとサフランの個性の影響か、少女らしい体型と顔つきになっている。
「統合は成された」
かつて、ジュノスであったものは厳かに言う。
「君は、ジュノスか、それともシスコかサフランか」
「誰でもあり、誰でもない」
複数の人の声が合成されたような音声が答える。
が、すぐに、
「大丈夫だよ、アキオ、あたしはここにいるし――あたしもしっかりここにいる」
シスコとサフランらしき意識が発言する。
「これで、君は、命長らえたのか」
「そうだ、もとの世界でドラッド・グーンとして283万年、そしてこの世界で、ドラスをベースとしたドラス・ジュノス体に転移して3万年。今また、ヒト・ジュノス体に上書きして存在を固定することができた」
「そうか」
「シスコが完璧なシーズ、魔法使いであったから成しえたことだ……それと、サフランが、その身に蓄えた莫大なマキュラのお陰でもある」
「あなたを――どう呼べばいいの」
カマラが、まぶしいものを見るような目で少女に話しかける。
「そうだな」
美少女は目元に笑みを浮かべた。
「サフラン・シスコ・ジュノスが妥当であろうが――」
そう言いながら、少女はアキオに歩み寄り、静かに腕をまわして抱きしめる。
体が少し幼くなったため、手は完全には回りきらない。
「あたしたちは、まだ完全に意識統合がなされていない。だから、アキオ、あんたには、話す人格によって、シスコ、サフラン、ジュノスと使い分けてほしいね。ぜひ、そうして欲しい――ごめんよ、カマラ」
そういって、背伸びをして、アキオに口づける。
「あたしは、地下でさせてもらったけど、シスコがまだだったからね」
一度唇を離して、もう一度口づける。
「シスコ、サフラン――」
カマラが目を見開いて呆れる。
「ここで、怒らないのが、カマラの素敵なところさ」
「だが、ジュノスはいいのか。これは君の体でもある。君にはオルビスがいるだろう」
「かまわぬ。命の恩人たちの望みだ。気にはしない。それに、オルビスはわたしのやることに文句をいったことがない」
甘い声でそう言ってから、美しい顔を引き締めて続ける。
「これから、わたしたちは地下に眠る本体の場所に行き、知識と体力を調整、統合する。まだ、確率的にしか存在していない部分があるのでな」
「あなたの本体はまだ生きているの?」
「ああ、動けないが――カマラ、あたしは約束する。これから全力で解答を見つけ出すことを」
「ありがとう」
「アキオ――」
「なんだ」
「あたしたちは、あんたに会えてよかった。感謝してる。だから、あたしはあんたを守りたい。もし、あんたが知ってしまったら――」
「シスコ!」
鋭くカマラが遮る。
「あんたは、どんなことがあっても平然と変わらない生活を続けるだろう。でも中身は静かに確実に死んでいく。今ならジュノスの知識でわかる。大きく強い生き物ほど、悲しみを内に溶かし込んで、痛みを表に出さずに死んでいくものなんだ」
「何の話だ」
「大丈夫。あたしが守る。そのためにここにいるんだ。だから信じて――」
そう言いながら、ジュノスの姿は徐々に薄くなり、最後は消えてしまった。
「ジュノス――」
彼が少女の消えた空間を見つめてつぶやく。
「アキオ」
カマラが、愛する男の背後から手をまわし、彼を抱きしめた。
頬を背に当てる。
彼女にはわかっていた。シスコが、人としての生を捨ててまでジュノスを救ったのは、アキオのためだ。
優しい彼の心を破滅から守るためだ。
そして、それはカマラにはできないことだった。
さらに、少女は知っている。
彼女の想い人も、シスコを生き物として愛していたことを。
あのバルコニーで少女を救った時、カマラは鮮やかで暖かな色を目にして驚いたのだった……
おそらく、アキオは、兵士特有の感覚で、シスコとその背後にいるサフランの存在を感知して、大きな生き物としての彼女を気に入ったのだろう。
彼はそういった、あやふやなものを信じないだろうが。
シスコの色が、ラピィに似ていたのがその証拠だ。
「アキオ……」
温かく広い背中に顔をうずめるようにして、少女は、少し大人びた声で、ありったけの思いを込めて囁く。
「すてきなアキオ――わたしの人」