113.桑港
アキオは、構えをとき、リラックスして巨人と対峙する。
ナノ・マシンの酷使による体温低下と空腹感から考えて、体感での回復率は85パーセントだ。
念のため、アームバンドに目をやって確認すると、87.5パーセントだった。
この世界に来てから戦った中では、体調はましな方だ。
巨人の顔の部分に口らしきものが現れ、そこから声が響いた。
「なぜぇ……あいつ……はおまえ、に……のり、かえ……」
少女型の分身とちがい、巨人の言葉はやはり聴き取りにくい。
かつて、シミュラがプールで話したように、振動素子を用いた人工声帯タイプの発声だからだろう。
「はじめ……は、おなじ……かんがえ」
巨人が頭を振ると、肩のあたりが盛り上がり、先ほどのシスコに似た分身が姿を現した。
シェイプ・シフターの肩に座る。
「はじめは、あいつも親父さんが大好きだったのに」
少女が流暢に話し出した。
「やっぱり、こっちだと話しやすいね。慣れてるから」
「お前は、なにがしたい」
時間稼ぎを兼ねてアキオが尋ねる。
小屋で会ったジュノスは分身だったが、本物と変わらぬ穏やかさと知性を持っていた。
この分身は、シスコの気立てのよさを受け継いでいるのだろうか。
「さあねぇ。親父さんは殺しちまったから、次は何をしようかね」
少女はアキオを見下ろしながら鼻で笑う。
「ここは、手始めにあんたを殺して、それから考えるのがスジってもんかね」
少女がアキオを指さす。
「殺すのは好きか」
「好き?わからない、っていうか、あたしは、人を殺すためにあいつが生みだしたんだ。だから、それ以外は知らないのさ」
意外にも、会話が続くことにアキオは興味を持った。
この分身は、ずいぶんと高い知能を持っているようだ。
独立型のシェイプ・シフターはどうやって思考しているのか。
脳らしき器官があるのだろうか。
そして、彼女の――
そこでアキオは、自分には関係もなく興味もないが、地球において長らく議論されたらしい問題を思い出し、苦笑する。
彼女の、心はどこにある。
「お前は、自分をどう思っている」
「あたし?あたしは、あたしさ」
「お前は、シスコか」
何気なく発した問いだったが、
「違うよ、あんな裏切り者と一緒にしないでおくれ」
強く少女は反発した。
状況を忘れて、アキオの好奇心が頭をもたげる。
意識の転送メカニズムにも興味があるが、分身として本体から転送された精神、意識が、どのように発達するかは重要だ。
彼の研究に役立つ可能性がある。
「シスコの記憶はあるのか」
アキオの問いに、少女は歪な笑いを浮かべる。
「もちろんさ、特に、嫌な記憶がね」
「記憶が同じなら、お前はシスコだ」
「違うよ。もう別々の――人間さ。関係としては姉妹みたいなもんだね。もちろん、あたしが姉だけど」
「別な人間か」
アキオはつぶやき、
「なら、名前が必要だな」
「え」
少女が驚いた顔になる。
「別人なら別の名だ」
「名前、名前か。それは思いつかなかったね」
シェイプ・シフターが、戦いを忘れて夢中な顔になる。
「つけてやろう」
「なんで、あんたなんかに」
「なら、自分で考えろ」
そう言われて、少女は少し考えるが、
「あー、思いつかない……あんたに決めさせてやるよ」
「サンフラン」
アキオが即答した。
ミーナが聞いていたら、目をむいたことだろう。魚の目をした女神だけに。
確かに、シスコの姉ということで、シスコの上に収まりよいサンフランを思いつくのは安易すぎるかもしれない。
サンフランは、桑港の略称だ。
坂の多い美しい街だったらしいが、その頃を彼は知らない。
彼が訪れたのは、3度目の大火災で廃墟となった後のことで、市街戦で苦しめられた記憶だけが残っている。
ちなみに、初めに、桑港から桑という名を思いついたことは秘密だ。
「サンフ……ラン、いいにくいね」
「では、サフラン」
「サフラン」
少女は巨人の肩の上でつぶやく。
「サフラン、サフラン――いいね。意味はあるのかい」
「俺の故郷の花の名だ。香りの良い薄紫の花が咲く」
「サフラン、あたしはサフラン……」
少女が歌うようにいう。
もともと、このシェイプ・シフターは、ソマルの時とは違い、人に、特にザシンに認めてもらいたいという強い承認欲求がもとになって生まれた分身だ。
自分がシスコとは違う、という意識も強かった。
だから、自分自身の名前を持てたことが嬉しいのだ。
「お前はシェイプ・シフターだ。体を小さく変化できるな」
「なんだい、急に――できるけど」
「一緒に来い」
「なんだって。あんた頭がおかしいのかい。あたしたちは、これから殺しあうんだ」
「そう決まったわけでもない」
「そういう流れだろう」
「名付けてもらった相手を殺す流れか」
アキオが生真面目な顔で言う。
「う、うるさいよ」
少女が慌てたように言う。
「俺の――城には、シェイプ・シフターもいる。お前と似た境遇だし、話が合うだろう」
80歳ほど年上だが――とは言わないでおく。
「で、でも、あの白い子が嫌がるだろう」
白い子――カマラのことらしい。
「そうか」
カマラは嫌がるだろうか。
「説得するさ」
サフランは少し考えるが、
「やっぱりダメだ。もともと無理なんだよ」
「無理」
「ここを離れて生きられないのさ。あたしには濃いマキュラが必要なんだ。無くなればすぐに消えちまう」
かつて、殺戮を行ったソマルで分身が消えたのは、それが理由だったのだろう。
オルビスの小屋でジュノスが消えたのと同じだ。
だが、ジュノスの分身は、PSがほとんどない小屋で数日生きていた。
「身体を小さくすれば、PS、マキュラは少なくて済むだろう」
「それはそうだけど……」
「なら問題はない。方法はある。一緒に来い」
PSの消費率を測って、それに応じてコクーンでPSを確保すればいい。
「でも、でも、あたしは、何人も人を殺してしまった。親父さんも殺したし……もう戻れないよ」
アキオは微笑んだ。
さっきまで冷酷だった少女が、ずいぶんと可愛いことをいうようになった。
やはり、思考の根底にはシスコの性格が眠っているのだろう。
「戻る、どこへ」
アキオは言い、続ける。
「あたしはあたしだ、さっきお前はそういった。その通りだ。何をしても、お前が人を殺した事実は消えない。戻る場所など最初から無い。それを仕方なかったと肯定するか、後悔して自分を責めるか、殺した数だけ他の命を救おうとするか、それはお前が決めればいい。ただ、いえることは、ここに独りでいても、何もお前に良いことは起こらない、という事実だ、サフラン。人を殺したお前は、俺たちは、考え続けなければならない。独りでではなく、様々な他人と関わりながら。俺は――長く独りで考え続けていた。答えのないまま。だが、この世界に来て、白い娘たちと出会って、少しはわかるようになってきた――少年兵だった頃、知り合った老兵からいわれたことがある。人間であれ、後に別な女性からもいわれたが……もともと人間ではない俺たちは、人であることを目指しながら、答えを探し続けなければならない。その存在が消えるまで――」
話し過ぎたことを恥じるように、アキオが口を閉じて黙った。
彼は、自分が、まだ人を殺し続けることを知っている。
自分が偉そうに少女に説教できる存在ではないことも。
沈黙が続く。
しばらくして、サフランが言った。
「来いって、シスコも一緒なんだろう」
「そうなる」
「それはちょっとね」
「問題ない。お前は、シスコとは別な、特別な存在だ。サフラン」
「そ、そうかな。本当にそうかな……」
巨人の肩の上で、少女がわずかに微笑みを浮かべた時――
地下空洞を不気味な振動が襲った。
「やっぱりきたね」
硬い表情となったサフランがつぶやく。
「なんだ」
「さっき、プールの底に落ちた時に見つけたんだ。この下は、ドラッド・リーニエにつながっているんだけど……」
「ドラッド・リーニエ」
「地面の下、深くを流れている、濃いマキュラの川のことさ。あたしも知らなかったけどね。親父さまが儀式の用意をする時にそういってた。ドラッド・リーニエの濃いマキュラを使って、シーズの儀式をおこなうって」
「その川がどうかしたのか」
「本当は、少しだけマキュラがプールに流れ込むように細工してあるみたいだけど、その蓋が取れかけているんだよ。あの様子だと、すぐに壊れるよ」
「壊れるとどうなる」
「噴出したマキュラで、この屋敷ごと吹っ飛ぶだろうね。すくなくとも、あたしたちは死ぬよ」