105.検視
「どういうことなんだい」
シスコが驚いて尋ね、
「あ、ちょっと待って、兄さん」
カマラがコートを椅子に掛けて、裸のまま下着を身に着けようとするのを見て、慌ててシーツを広げて目隠しをする。
「あんたねぇ、少しは人の目を気にしなよ」
「それで、どこで亡くなられていたんですか」
シスコの言葉を聞き流し、少女は下着を身につけながらシーツ越しにクラノに問う。
「自分の部屋だ」
「そうですか……ありがとう」
手早く服を着たカマラがシスコに礼を言い、彼女の手からシーツを受け取る。
「殺されたのは、いつですか」
「なぜ、俺が、それをお前たちに教えなければならない」
「あなたが疑っているからです。わたしたちは、コマハさんが亡くなられた時間、この部屋にいたことを証明しなければなりません」
シーツを丁寧に畳みながら少女が言う。
カマラの言い分がもっともだと思ったのか、クラノが答えた。
「死んだ時間は正確にはわからんが、コブ・ルームから部屋に帰ってすぐのようだ」
「あなたが見つけたのですか」
「見つけたのはアルムだ。ついさっきのことだ。コマハが毎晩寝る前に飲むカイロン茶を持って行って、奴が死んでいるのを見つけた」
「現場を見せてくれ」
「だめだ。お前たちはここにいろ」
アキオの言葉に即答し、クラノが部屋を出て行こうとする。
「待って兄さん。あたしも行く」
シスコはそう言って、戸口でアキオたちを振り返り、
「あんたたちは、ここにいて。後で戻って話をするから」
兄について部屋を出て行った。
ふたりが出て行ってから十秒ほど待って、カマラが扉の取っ手に手を掛けた。
ドアを開けようとするが、外から鍵がかけられたのか容易には開かない。
「外しますか」
カマラが言って、自分のポーチから解錠セットのピッキング・パックを取り出そうとするが、
「いや、いい」
アキオは、少女に代わってドアに手をかけ、本当に鍵がかかっているか確かめるように軽く扉を押した。
何かが壊れる鈍い音が響いて扉が開く。
「行こう」
「はい」
廊下に出たアキオは、遠ざかる足音を追って歩き出した。
足音を立てず、見失わない絶妙な距離を保ちながらふたりの後をついていく。
何度か角を曲がり、いくつか階段を降りると、ちょうど大きな扉が閉まっていくところだった。
完全に閉まる寸前で取っ手をつかみ、小さく開く。
「アキオ」
中を覗いたカマラが彼に囁いた。
アキオはうなずく。
扉の向こうは洞窟になっていて、下りながら奥へ続いていた。
最初に会話を交わした時、シスコは、兄姉たちが洞窟に住んでいると言っていた。
その会話はアルムによって遮られたが、カマラはそれを覚えていたのだろう。
「機会があれば、わたしが死体を調べても良いですか」
扉を開けながらカマラが言う。
「だが――」
「人体については、よく知っています。ミーナが、最初に学ぶなら医学が良いといってくれたので」
「そうなのか」
「わたしの知識は、医学を中心として、そこから枝葉を伸ばしたものです――大丈夫ですよ」
「そうだろうが――」
アキオは口ごもる。
彼の人生の大半は、大量の血と死体にまみれている。
だから分かる。
知識と生の凄惨な死体には大きな差があるのだ。
「アキオは、わたしが死体を恐れると」
「いや、だが刺激の強いものは見て欲しくない」
「まあ」
少女はいつものように甘い声を上げて彼の手を握る。
「心配してくれるのですね。嬉しいです。でも、問題ありません。科学的に見るので大丈夫です」
コマハの部屋の前には、ザシンとロウズが立っていた。
「どこにいた、シスコ」
珍しく養父がきつい声をだす。
「客の部屋にいた。コブ・ルームを出てから、ずっと一緒にいたらしい」
クラノが答える。
シスコは、ゲストとは話すな、と厳命された言いつけを破って怒られるかと首を縮める。
しかし、息子が殺された今、養父はそれどころではなさそうだった。
そうか、とだけ答えて腕を組む。
「どうだ」
クラノは、扉の前に立つロウズに話しかけた。
扉は、岩壁に嵌め込まれた鋲だらけの鉄枠に設置されている。
「わたしたちに分かるのは死んでから数時間ってことだけね。専門の人間を呼ばないと、詳しいことはわからないわ」
ロウズが青い顔で答える。
シスコは、ロウズの後ろから、開いたままの扉越しに中を覗いた。
流れ出る、むっとする血の匂いが鼻につく。
それほど広くない部屋全体が血に染まっていた。
「君は見ない方がいいだろう」
背後から聞こえた声に驚いて振り返る。
そこには、黒と白のコートに身を包んだ男女が立っていた。
「どうやって部屋を出た」
クラノが叫ぶように言う。
「普通に軽く扉を押し開けて出てきた」
アキオの言葉にカマラが微笑する。
軽く押し開けたのは事実だが、あれは絶対に『普通』ではない。
「君たちは、ここに来るべきではない。すぐに部屋に帰りたまえ」
ザシンが断言する。
「さっきの言葉を聞く限り、このままだと詳しいことが分からないのだろう。大丈夫だ。そこに『専門の人間』がいる――どうだ」
「はい」
部屋の中から声がして、皆が一斉にそちらを見た。
いつの間に入ったのか、血にまみれた部屋の中に、純白のコートを着た少女がしゃがみこんで死体を検分していた。
「カ、カマラ、そんな白い服で入ったら汚れるよ」
「大丈夫です」
少女はにっこり微笑む。
実際、ナノ・コートが何かに汚れることはない。
「彼女は検視官だ。漠然と君たちが見るより詳しいことがわかるはずだ」
アキオは、あえて地球語のまま説明する。
現状だと解剖はできないから、監察医と呼ぶのは控えた。
「コロナーって?」
「辺境地域にある仕事だ。人が死んだ原因を調べる」
「遺体を埋める仕事かい」
「そんなものだ」
アキオは、シスコの誤解にのって適当にごまかす。
「君たちは、自分たちは農家だといっていた」
ザシンが疑うように言う。
「そうだ。俺は農家だ。妻がコロナーなのさ」
「馬鹿な……女が血だらけの死体に触るなんて」
クラノが絞り出すように声を出す。
「そうなのか。俺の故郷の辺境地域では珍しくもないが――」
そう言ってアキオは、カマラに目で問う。
少女はうなずいて話し始めた。
「被害者は男性、年齢10代後半、手足を切断されていますが、切断面から考えて、道具を使わず強い力で千切られたようです。手足に残る圧迫痕からもそれはうかがえます。直接の死因は心臓を摘出されたショック死ですね。これも強い力で抉り出されています。その時の衝撃で胃が破裂して外部に出ていますが……内容物の消化程度から考えて――」
カマラは少し間を置き、
「食後3時間プラスマイナス20分というところでしょう。コブ・ルームを出てすぐのころですね」
「他に何かあるか」
「――いえ、それぐらいです」
「ということらしい。被害者は屈強な犯人によって、手足を千切られ、心臓を――」
「やめて」
ロウズが耳を塞いで叫ぶ。
今気づいたが、破れたスカートは履き替えたらしい。
「カ、カマラ、あんた、よくあんな恐ろしい死体を平気な顔で見られるね」
部屋から出てきた少女に、シスコが言う。
「科学的に見れば……」
「か、何だって?」
「いえ、コロナーとして気持ちを切り替えてみれば、何ということはありません」
「そんなもんかねぇ……」
「いったい、誰がこんなことを」
ロウズが茫然として言う
「姉さん……」
シスコはロウズに近づき肩を抱いた。
「それで、どうする」
アキオが館の主に尋ねた。
「もちろん、誰がやったにせよ、犯人は捕まえる」
ザシンは答えた。
「無関係な俺たちは館を出てもいいな」
「申し訳ないが、この件が片付くまで君たちには館に留まってもらう」
「だが――」
「留まってもらう」
「仕方ないな」
予想通りの展開にアキオはうなずく。
もちろん、彼は、ジュノスを救い出すまで、この館を去るつもりはない。
「とりあえず、君の奥方には感謝する。我々だけでは息子の正確な死亡時刻は分からなかっただろう」
「俺たちを信じるのか」
「わたしにも、少しだがそういった知識はある。奥方の判断は間違ってはいない」
「そうか……」
「アキオ」
クラノとアルムが、シーツに包んだ死体を運び去るのを見ながらカマラが言う。
「あとで少しお話が」
検死の時の少女の様子から、何かあるのはわかっていた。
彼はうなずく。