104.発端
「いいのかい――もう寝てたんじゃ」
シスコが申し訳なさそうに言う。
「大丈夫だ。中に入って扉を締めろ」
少女は言うとおりにする。
カマラはシーツの下になっているので、シスコからは見えないようだ。
「今は動けない。適当に椅子に座ってくれ」
「わかったよ」
シスコは、ベッド横の椅子に腰かける。
「どうした」
「いや――」
少女が話し出そうとしたその時、
「うう……ん」
カマラが気持ちよさそうな声を上げて、身体を動かした。
その拍子に、シーツが半ば滑り落ちる。
「あっ」
とっさに、シーツをつかんだシスコは顔を真っ赤にする。
「カ、カマラ、は、はだ、裸――」
いつの間にか裸になったカマラがアキオに足を絡めて、はだけた彼のシャツに手を差し込んで抱きついていたのだ。
「気にするな、いつものことだ」
アキオは、少女の手からシーツを取ると、カマラの上に掛けてやる。
「ごめんよ、邪魔して。あんたたち新婚だったもんね。なんか、あたし、ふたりを見てて親子みたいな気になってたんだ」
「彼女にそれはいうな」
そういって、アキオは少女の銀の髪を撫でる。
シスコは、ハッとして、何かを察したように彼の顔を見つめた。
「あんた……」
「用件は」
「あ、ああ」
シスコは、頭を振って気持ちを切り替え話し出す。
「会った時にいったように、あたしはシュテラ・サドムの出身なんだ」
アキオはうなずく。
「それで……今の街のようすを教えて欲しいんだよ」
「俺たちは、他所から来て、ひと晩街で過ごしただけだ」
「それで良いんだよ。その時に見たサドムの様子を教えておくれ」
「理由は」
少女は、鼻の頭をかいて恥ずかしがり、
「ここに来て半年が経って、ちょっと里心がね……帰りたいってわけじゃないんだけど。ここなら、三食ちゃんと食べられるし。暖かいベッドもある。だけど……」
「俺の話は、おそらく面白くないが、いいか」
「面白くないって……」
「よくそういわれる。事実だけを並べるからだそうだ。人を楽しませようとする気持ちが欠けているらしい」
「カマラが、そんなことをいうのかい」
「いや、相棒だ」
「だろうね。この子なら、あんたが円形広場に立ってる看板を読んでも喜びそうな気がする」
否定しようとして、アキオは思わず苦笑した。
彼女の言が、それほど間違っていない気がしたからだ。
ひょっとすると、カマラは、彼が円周率を何十時間暗唱しても喜んで聞くかもしれない――いや、さすがにそれはないだろうが。
「では話そう。まず、街の街門だが――」
アキオが直感映像記憶に近い記憶力を使って、彼らが街を入ってから目にしたもの、聞いたものを列挙していく。
シスコは目を閉じてそれを聞き、時折、
「街門横の地図看板は、あたしが立てたんだよ」
「目抜き通りの水場掃除はあたしの仕事だったんだ」
と、合いの手を入れる。
彼が話し終わった時、シスコは閉じた目から涙を流していた。
アキオは黙ったままだ。
やがて、少女が目を開けた。
「ありがとう。まるで街に戻ったみたいな気になったよ。夜の街も懐かしいね」
アキオは、カマラが横になったまま、大きな瞳でアキオを見上げているのに気づいた。
「起きたのか」
「ごめんよ。起こしちまったかい」
「いいえ、わたしも、もう一度街を歩いたような気になりました。ありがとう、シスコ、感謝します、アキオ」
「聞いていいか」
「なんだい」
「なぜ、君は館に来た」
「さっきもいったけど、あたしは、ずっとサドムで便利屋をやって暮らしてたんだ。でも、半年前に、親父さんの使いって人がやってきて、この屋敷に来ないかって。そしたら、三食、腹いっぱい食べさせてやるっていうからさ、こっちに来たんだよ」
「食べ物が少なかったのですね」
「え」
「街での生活では、満足に食べられなかった?」
「あーそうだね」
「それならここに来るのは当たり前ですね。わたしも、食べるものはいつも少なかった。でも、当時のわたしは、それが辛いことだということさえ分かっていなかった」
「まさか、あんたみたいな子が……」
「わたしはアキオに救われるまで、獣のような生活をしていたのです。この人が――」
そういって、カマラが身体をおこし、アキオを抱きしめる。
「わたしにすべてを与えてくれた」
「あの――カマラ、胸とか、他の見えてはいけないとこもいっぱい見えてるんだけど……」
シスコが困ったような声を出す。
「気にしないでください」
アキオはやれやれと首を振って、少女にシーツを巻き付ける。
「君は街の生まれなのか」
「え、いや、違うよ。あたしは、もともとは、集落にいたんだ」
「ソマル」
アキオはつぶやいてカマラを見る。
しかし、少女も首を振った。
「あまり知られてないんだけど、サンクトレイカの街以外の荒野で住む連中のことさ」
「魔獣はどうする」
「ソマルは、30人ぐらいの集まりで、みな洞窟内で暮らすんだ。食料はムサカを狩ったりするんだよ。魔獣は……マーナガルなら、5人いれば魔法で退治できる。ゴランが出たら――全滅かな」
「そんな危険な生活を……」
カマラが絶句するのを見て、アキオは微笑んだ。
極北で暮らしていた頃のカマラは、もっと危険な生活をしていたのだ。
現に、彼と最初に会ったのは、彼女がたった独りでゴランと戦っている時だった。
「大丈夫。ソマルの長たちは、ゴランの気配に敏感だったから。滅多に奴らとぶつかることはなかったんだよ」
「長たち、ということは、いくつもソマルの集団があるの」
「あったよ。わたしの知る限り、5つのソマルがあった」
「シスコ」
「なんだい」
「君は、どうしてソマルを出て街に来た。いや、なぜ、ソマルのすべて過去形で話している」
シスコは黙り込む。
「ソマルは、その集団だけで生活しているのね。結婚とかも……」
カマラが話題を変える。
「そうだよ」
「さっき、ソマルには魔法使いがいるといったな。イニシエーションもソマル内でやるのか」
「年に一度、各ソマルからイニシエーションを受ける子が集まって、ノセガ谷という場所に行くんだ」
「それはどこだ」
「知らないんだよ。あたしは選ばれなかったから」
「あなたは――」
「そう、あたしは魔法使いじゃないんだ」
「君の兄姉は魔法使いだな」
「全員が強力な魔法使いさ」
「あなたの――」
カマラの言葉は途中で断ち切られた。
雷鳴のような音が轟いて、部屋のドアが蹴り開けられたからだ。
ほぼ同時に、疾風のような速さでカマラが飛び出し、アキオと椅子から転げ落ちたシスコの前でナノ・ナイフを構える。
シーツを身体に巻き付けてはいるが、上半身は、ほぼ裸だ。
アキオは、ベッドから立ち上がり、椅子にかかったカマラのコートを手に取って、彼女の肩にかけてやる。
少女の前に立ち、部屋に飛び込んできたクラノに向かい合った。
「何事だ」
「お前たち、ずっと部屋にいたのか」
「コブ・ルームから帰って、ずっとここにいる――どうした」
アキオは穏やかに言ったが、この時が一番、クラノの命が危なかった瞬間だった。
カマラは、目の前に立つアキオが、後ろ手でベルトに挿したP336の銃把を握りしめるのを見ていたのだ。
アキオの返答を聞いて、見る間にクラノから緊張が消え去る。
「どうしたんだ、兄さん」
「コマハが死んだ――殺された」