001.爆縮
初投稿です。よろしくお願いします。
極北の地、ブリザードが止むことなく吹き荒れる無人の雪原に小型のドームが建っている。
その内部では、ある作業が佳境を迎えていた。
様々な計器の並んだ広い部屋の内部は純白の光で満たされ、それは脈を打つように強く弱く拍動していた。
光は、壁にしつらえた強化ガラスを通して隣の部屋から差しこんでいる。
白衣を着た男が、制御盤を操作しながら部屋の内部を真剣な眼差しで見つめていた。
腹に響く低周波の音が高まり、さらに光は強度を増す。
ガラスに投影されたレベルメータが8割を超え、男は思わず身を乗り出した。
しかし、突然、脈動しながら光量を増していた光は消え去り、静寂と暗闇が部屋をおおった。
数値を確認した男が、壁をじっと睨みつける。
「光子エネルギー消失しました。アキオ、残念です」
部屋全体に、穏やかな女性の声が響き渡る。
「そうか」
「結果は、わたしの推論どおりでした。光子アプローチでは、求める結果を得る確率は1パーセント未満――」
「だが、まだ試していない方法がある」
「このアプローチはやめて、プランμに移行することを推奨します。しかし、その前に休息を」
「休息は必要ない」
「身体のことではありません」
「もういい、ミーナ」
「でも、アキオ」
「分かっている。だが、ミーナークシー、このアプローチは続ける。それとVII(音声対話型インタフェース)は切っておいたはずだ。次回の光子実験に関する情報の要点だけをアーム・バンドに文字で送れ」
「でも、でも、あなたが心配です」
「管理者権限、ミーナークシー音声オフ」
アキオは、強制的に実験補助AI『ミーナ』を黙らせて居住区域に移動した。
付き合いが長いこともあって、普段から馴れ馴れしい言葉遣いをするAIには、20年前から言語パックにパッチを当てて事務的な会話をするように制限をしているのだが、それでも煩わしい時には消音するしか手はない。
白亜の強化プラスティックで囲まれた通路に足音が響く。
自室に入り、ベッドに横になるとそのまま仰向けになり天井を見る。
男の名は、アキオ・シュッツェ・ラミリス・モラミス。
数奇な運命のナノ・テクノロジー工学者だ。
専門機関に依らず独学で研究をしているため博士の称号はない。
彼は、ただ一つの目的のためだけにナノ・テクノロジーを使おうとしていた。
だが、長期間の研究にも拘わらず、彼の手はまだ目的には届いていない。
その過程で生まれた技術を世に出して得た莫大な資金を用いて、無人の極北にある最新・最高の研究所で、AIを助手に単独で研究を続けている。
アキオは、手のひらを宙に伸ばした。
まだ届かない。
すべてを取り戻すには、自分の手は弱く短すぎるのだ。
だが、いつかは――
その夜、アキオの眠りは不気味な警告音によって破られた。
目を開けると赤いアラート・ライトが明滅している。
緊急事態だ。
最大警戒レベルである第五段階の警告音がドーム内に響き渡っている。
アキオは飛び起きて、主研究室に向けて走った。
「音声オン。ミーナ、現状報告」
アキオの言葉にワンテンポ遅れてAIが応える。
「当地にミサイル接近中。予想目標は、研究所南東12キロ、着弾予想時刻、22分後」
「碧岩クリフのあたりだな」
「迎撃予防用のロフテッド軌道ではないので当研究所が目標でない確率は98パーセント以上です。無人の極北へ向けての兵器実験でしょう」
「搭載弾薬予想は?ダミーの可能性は?」
「不明」
間髪を容れずにアキオが命じる。
「最大火力を想定。エマージェンシー・アクトΩ発動」
「了解。しかし脱出艇トランジは二日前からオーバーホール中で、現在、使用不可」
「予備を使え」
「ジーナが使用可能ですが、ご存じのとおり機能はトランジの70パーセント未満です」
「それでいい」
「了解」
緊急時のため、解除できないほど深部に組み込まれた疑似人格コードも封印されたミーナが簡潔に答える。
余計な逡巡も説明も全く必要がないAIを、わずかに好ましく思いながら、アキオはラボに駆け込んだ。
ガラスの向こうで、昨夜の実験時に光り輝いていた長方形の物体、棺がマシン・ハンドにつかまれて部屋の外に搬出されていくのが見える。
アキオは、コンソールの上に置かれた黒いアーム・バンドを腕に巻いた。
前腕部すべてを覆う大きさのナノ・マシン・コントロールユニットだ。
「コフ及びデータ・キューブをジーナに積載完了」
部屋に響くミーナの声を聴きながら、壁に空いた小さな入り口に足から滑り込む。
15メートルほど滑り降り、軽々と地面に着地した。
降りた先は緊急脱出艇の格納庫だ。
高性能脱出艇は、彼独自のナノ技術を狙って世界中から狙われるアキオが、脱出手段として用意しているものだ。
アキオは、人間ではありえない速さで格納庫を走り、巨大な流線形の脱出艇トランジを横目に見ながら、四角く小ぶりなジーナに向かった。
「ミーナ、着弾カウントダウンだ」
脱出艇に乗り込んだアキオは、脱出ゲートを開けながらAIに命じる。
「残り2分15秒」
アキオは、ジーナ発進のボタンに拳を叩きつけた。
爆発したようにジーナが動き始める。
強烈な加速度で体中の骨がきしんだ。
基本的に、自分以外に配慮すべき人間は搭乗しないため、25G近くの加速を行うように設定してある。
彼自身は、血液中を流れるナノ・マシンのおかげで、この程度の加速で死ぬことはない。
緑のライトに照らされた走路を一瞬で通り過ぎ、ジーナは地表に飛び出した。
白いブリザードに包まれつつ急上昇する。
5秒ほどで雪のエリアを抜け雲の上に出た。
「着弾まであと5秒」
「4」
「3」
「2」
「1」
コンソールに表示される数字から、着弾点から30キロ離れたことがわかる。
ここまで離れれば、被害はないはずだ。
アキオは背後を振り返り、ジーナの格納庫を見た。
小さい窓から、四角い箱が覗いている。
彼にとって、なにより大切なもの。
棺だ。
今回の攻撃で、研究施設は破壊されるだろうが問題はない。
赤道付近にある第二研究所が使えるはずだし、コフと研究データの記録キューブさえ無事なら何度でもやり直せる。
だが、そんなアキオの楽観的な予想は見事に裏切られた。
「ゼロ」
ミーナの声とともに、背後で膨れ上がったエネルギーの炎のドームが凄まじい勢いでジーナに迫ってきたのだ。
「予想以上のエネルギーです。このままでは巻き込まれます」
ミーナの警告で、アキオはジーナをさらに加速させた。
体中の骨がきしみ、至るところ折れる音が骨伝導で聞こえてくる。
内臓が破裂するのも感じる。
だが、そんなことはどうでもいい。
とにかく、コフさえ守りきればいいのだ。
計器越しに、エネルギーの魔の手がジーナに近づくのが見えた。
アキオは、脱出用ブースターのボタンに再び拳をたたきつける。
さらなる急激な加速に。彼の体の大部分が破壊され始めた。
内臓の多くが音を立て破裂していく。
そして――
眼球が破裂する寸前に、アキオは紫色の裂け目が眼前に広がるのを見た。
気がつくとアキオは砂漠を歩いていた。
前後を歩く戦友が突然、斜め後ろに吹っ飛ぶ。
狙撃だ――
遮るもののない砂漠で、遠距離狙撃されると致命的だ。
アキオは、倒れた男たちを重ねて盾とするが、その体を貫通した銃弾に貫かれる。
気がつくとアキオは湿地帯を歩いていた。
膝まで水につかる足は、泥から抜き差しするだけで体力を奪っていく。
足に不気味な抵抗を感じたとたん、スパイク(杭)を打ち込んだ巨大な丸木が突っ込んでくるのが見えた。
ブービー・トラップ――
理解すると同時に意識が刈り取られる。
気がつくと、アキオは荒れ果てた都市にいた――
わかっている。
これは夢だ。
アキオはそう理解する。
夢を見ているアキオの姿を、後ろにいる自分自身が観察しているのを知覚する。
これは記憶だ。
かつて経験し、普段は封印しているただの記憶にすぎない。
今は、それらを夢として回想しているだけだ。
記憶だけなら何ということはない。
彼は、記憶に恐怖も悔恨も懺悔も感じない。
そういうこともあった、それだけだ。
だが、ただひとつだけ例外がある。
それは――
アキオは夢を見ていた。
ひやりとした感触を額に感じて目を開ける。
と、同時に体が反応して額に置かれた手を掴んだ。
「気がつかれました?お寝坊な兵隊さん」
いたずらっぽく微笑む鳶色の瞳。
「――」
声にならない叫び声をあげて、アキオは意識を取り戻した。
まず、血で汚れたコンソールが目に入る。
これほどのダメージを受けたのは数十年ぶりだ。
意識をはっきりさせるために、頭を振った。
体中が冷え切っているが、この冷たさは正しい冷たさだ。
時計を見ると意識を失ってから1時間ほど経っていた。
「ミーナ、現状報告」
返事はない。
振り返ると、千切れたようになくなった脱出艇ジーナの後部格納庫から、外部の雪景色が見えていた。
「ミーナークシー。ミーナ」
慌てて起き上がろうとして倒れる。
アーム・バンドに触れると、ディスプレイに身体の情報が表示された。
全身骨格87パーセント骨折、うち68パーセント修復済み。
眼球及び脾臓、腎臓、肝臓の修復率92パーセント。
体内ナノ・マシン残存エネルギ14ノール。
体内に埋め込まれたナノ・マシンが、活動限界ギリギリの15ノールまでエネルギーを使って、生命維持と組織修復をしていた。
アキオはアーム・バンドからナノ・マシンに指令を送り痛覚を遮断する。
通常は自動的に痛覚遮断を行うのだが、彼はそれを解除していたのだ。
もと兵士であったアキオにとって、痛覚は危険レベルを知らせるための重要な情報であるためだ。
生命が危険な状態にある時、彼の体内のナノ・マシンは、命令を与えずとも自律的に生命維持と組織の修復をおこなう。
だが、ナノ・マシンは万能ではない。
分子サイズのロボットにできることは非常に限られているし欠点も多い。
その一つが――
アキオは苦労して身体を起こすと、コンソールの下のボックスから金属のボトルを取り出して蓋をワンプッシュし、中身が温まるまで5秒待ってから一息に飲み下した。
熱い液体が食道を降りていく。
冷えきっていた体が暖かくなり気分がよくなった。
今、飲んだのは、各種アミノ酸とカルシウムの混合ジェルだ。
これらが体を修復する材料となる。
現在、ナノ・マシンは、アキオの体を修復するために、健康な部位の組織を、害を及ぼさない程度に速やかに分解し、それを材料に破損した部位を修復している。
新しい材料を与えてやらないと身体を完全に正常には戻せないのだ。
胃の周りに何かが集まってくる感覚が生じる。
通常使用する人体修復用ナノ・マシン――リストーラー・ロボットというべきだが――が、材料を受け取りに集まってきているのだ。
アミノ酸とカルシウムと熱を――
ナノ・マシンに独立活動用のバッテリーは搭載されていない。
そもそも分子サイズのバッテリーなど考えるだけナンセンスだ。
よって、ナノ・マシンは、外部熱源(この場合は体温だが)をエネルギーにして活動する。
周りから熱を奪い、それを自らのエネルギーにするわけだ。
熱エネルギーの単位であるジュールをナノ・マシンに対応して換算したのがノールとなる。
先ほど目を覚ましたアキオが感じた寒さは、ナノ・ロボットによる正常活動の結果だ。
ナノ・マシンの活動可能温度は、摂氏30度から350度前後だ。
高温はともかく、低い温度には注意しなければならない。
絶対零度は言うまでもなく、300ケルビン(摂氏27度)以下では、ナノ・マシンの修復能力は極端に悪くなるからだ。
ナノ・マシンにエネルギーを与えるため、委先ほどのジェルには発熱促進剤も入っていた。
さらに続けて2本のジェルを飲む。
無味無臭だが、味にこだわらない彼には何の問題もない。
10分ほど経ってから、アーム・バンドに搭載されたディスプレイで体調を確認した。
平常時の4割までは回復している。
万全とは言えないが、動くことはできるだろう。
アキオは立ち上がると、ジーナの後部倉庫まで歩いた。
最終的に不時着したには違いないが、彼が気を失ったあとミーナがうまく操縦してくれたのか、雪上に、ほぼ水平にジーナは着陸している。
ただ、後部倉庫は見事になくなっていた。
アキオの命というべきコフと、研究の命というべきデータ・キューブごとだ。
彼はしばらく外に広がる雪原をにらんでいたが、踵をかえすと操縦席に向かった。
ジーナの重要部分は機体中央部から前部にまとまっている。
後部は倉庫だけだ。
よってジーナの重要部分はほぼ無傷なはずだった。
コンソールを操作し、システムの再起動を繰り返すと、とりあえずジーナは動き始めた。
動きはするものの、いくつかシステム障害が残っている。
ディスプレイの表示によると思ったより被害は大きいようだ。
今のままでは飛ぶことはおろか、移動することもできそうにない。
ただ、幸いなことに、現在、ジーナは小高い丘の上の雪原に着陸している。
安定した場所なので、滑落などの危険はなさそうだった。
アキオはひと安心する。
だが、今はそれよりも積み荷が問題だ。
コンソールから飛行記録を調べる。
システム異常のためか、位置情報がはっきりしない。
倉庫内カメラと飛行記録を照らし合わせて、およそ300キロ後方でデータ・キューブが、20キロ後方でコフが落下したことがわかった。
どちらも、落下衝撃などで破損することはないので、回収すればよいだけだ。
落下地点は雪原で、ほとんど人もいないはずなので盗難の心配も少ないだろう。
「ミーナ」
もう一度AIを呼ぶ。
ジーナが再起動した時点で、ミナクシも動き出しているはずなのだ。
返事はない――が、
『はい、アキオ』
コンソール・ディスプレイに文字が表示された。
その後、勢いよく文字が流れる。
どうやら、音声パックの破損により話すことができなくなったようだ。
アキオの声は聞こえるらしい。
「思考に異常はないな。それならいい。お前は言葉を話さないほうが有能だ」
〈ひどいわね〉
「今後は、アーム・バンドのディスプレイに文字を表示してくれ」
そう言って、アキオは、操縦室兼ミーティングルームの左側のドアを開けて中に入る。
そこはアキオの私室だ。
長距離の移動のために、一応、寝泊まりできるようになっている。
クローゼットを開けて汎用の軍用コートに着替える。
少し迷ったが、銃器は持たず、コンバット・ナノ・ナイフのみを足にバンドで固定した。
この時期、極点近くに危険な動物はいないはずだ。荷物を少なくして、コフを運びやすくしたほうがよいだろう。そういった判断であった。
だが、結果的にそれは間違っていた――
後部倉庫の破損部から外に出て、内部隔壁を閉めさせる。
雪が入り込まないようにするためだ。
「では、行ってくる。最優先はコフの回収だ」
〈まだ平時の40パーセントしか回復していないけど〉
「雪原に危険は存在しない。それよりコフの回収だ」
〈それはどうだけど――いやな予感がする〉
Aiの予感にアキオの口元が緩む。
「では行く。できる範囲で脱出艇を修理しておいてくれ」
〈了解〉
アーム・バンドのディスプレイに文字が表示された。最後にハート・マークがブリンクする。
こんなフォントは久しぶりに見た――
アキオは肩をすくめるとジーナを後にして歩き始める。
アキオとミーナが共に過ごした時間は長い。
彼が少年兵の時からの付き合いだ。
ナノ・マシン研究を始めた時に、それまで使っていた戦闘補助AIミーナを、研究補助用にボトム・アップさせながら使い続け、現在に至っている。
AIとしては、世界最高峰に高性能なのだが、もともと搭載されていた思考ルーチンの影響のため、馴れ馴れしい女性のような態度をとるのが玉にキズだ。
研究の補助には、そんなものは必要ないとアキオは考える。
だが、ミーナの思考エンジンはパックとして組み込まれたものでなく、AIの根元深くに絡みついた複雑なコードであり、さらにあるきっかけから地球初の自我を持っていた。
性能を落とさずに、それだけを取り外すことはできないのだ、
あきらめて使い続けるほかはない。
態度以外ではおそらく現代最高のAIに違いはないのだから。
なぜかマップ表示もおかしく、コンパスも正常表示されないので、大まかにコフの落下地点に向けてアキオは歩き始める。
昨夜は実験直後だったので、コフに追跡用ビーコンをつけていなかったことが悔やまれた。
新雪のために足が膝上まで潜り歩きにくいが、ナノ・マシンの身体強化のお蔭で、ほとんど苦にならない。
出発前に、アーム・バンドの身体ゲージを確認したところ体力はほぼ回復していた。
最初の5分で体が温まると、機械のように正確にアキオは歩き続けた。
歩きながら、彼は何とは知れぬ違和感をずっと感じていた。
だが、それが何なのかはわからない。
空は青く、太陽は水平線近くで輝き、雪はパウダー・スノーだ。
別におかしな点はない。
ただの極北近辺の通常の白夜だ。
だが、何かが違うような、そんな違和感が、雪を強行歩行するアキオにまとわりついて離れなかったのだった。
頑張って、投稿していくつもりです。