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 皇帝の妾になってから、私の生活は変わった。暫くは帝城の客室暮らしだったが、儀礼の神への報告を神殿で行うと、私の少ない荷物が客室から消え、十年以上誰も住んでいなかった後宮へ私共々上がったのだった。

 後宮へ上がり、私はこの世界の夜空を初めて見た。後宮で充てがわれた部屋には窓やバルコニーがあったのだ。今まで軟禁されていた部屋は窓がなく、牢獄も窓無し、魔術塔は地下だった。チェスター王国からグントラム帝国へ移動中は傷の熱で魘され夢現つ。帝城の客室も城の内部にあったので窓がなかった。散歩は昼間であるし、夜は出歩かない。機会が無かったのだ。

 夜空は元の世界に似た空か、というと月のような赤茶けた天体があり、それはちょっと楕円に見えた。自転が早くて変型してるなあれ。小さな星達は幾多もあり、感動的な景色が広がっていた。星座はあるのかと気になったので、本を探そうと思う。

 そんな事を初夜に来たアタナージウス帝に話したら、物の見事に絶句されてしまった。どうやら五年もこの世界に居たのに、普遍的な光景を目にする経験が無かった事実に胸を衝かれたらしかった。悪い事をしてしまった。

 そしてジェヒューさんやサルヴァトル先生など気軽に会えなくなった。特にサルヴァトル先生に漸く会えた時に「御義父様とお呼びした方が良いですか?」と聞いてみたら、物凄く衝撃を受けたようで、丁度口にしていた珈琲が気管支に入ったらしく、咳をしながら悶絶していた。そして名前呼びを断固として希求された。五歳差の親子、やっぱりサルヴァトル先生もきつかったようだ。

 それから食事が何やら豪華になり、好きな魚料理がちょこちょこ出て来るようになったこと、アタナージウス帝がちょくちょく顔を見せに来るようになり、私の世界の事を寝物語のように聞くようになったこと、そのアタナージウス帝の嫡子、テオドシウス皇子に顔見せしたこと。

 テオドシウス・アヒム・フォン・グントラム。御歳十四の皇子は若い頃のアタナージウス帝の生写しのような容姿をしていた。瞳の色だけは生母の亡き皇妃と同じグレーだった。彼は私の年齢を見事に間違えて、まさかの皇帝陛下ロリコン疑惑が発生してしまった。誤解が分かったあと、アタナージウス帝は大笑いして暫くの間会話不能に陥った。

 皇子は複雑な思いを抱えているのをその顔に浮かべていたが、型通りに歓迎の意を見せてくれた。難しい年頃の少年が、こうして自分の思いを殺して対応している姿だけでもいじらしいのに、その相手が私自身という事実が心苦しい。この高貴な少年とは時間をかけて、丁寧に心通わせるよう努めることを決意する。

 テオドシウス皇子に、私のような人間が皇帝陛下の妾になる事に対して色々と含むだろうからと、こっそり彼に大丈夫か、と耐えられず聞いてしまった。テオドシウス皇子は「皇帝陛下はあのような方なので、まあ、何とかしますから。尤も、貴女は力を求めない善良な人柄のようなので安心しましたが」という複雑な心境を含む返事を貰ってしまった。うん薮蛇。

 そして、結局は本を読む生活だということ。政治的な力を持っていない私は、帝国貴族からの手紙攻勢がなくなり、気楽に過ごせている。

 読んでいるものは、最近は論文になりつつある。サルヴァトル先生が、自身の功績を挙げた“ノエル叙事詩”研究の論文を、まさかの原本で持ってきた。触れるのも畏れ多いが、読んでみたらめっちゃ楽しかった。虚構かと思われていた神話の舞台を、現実でその痕跡を発見して精査した論考はとても刺激的だった。その様子を見て、サルヴァトル先生は私好みだろう、他の研究者の論文を持って来るようになったのだ。ありがてえありがてえ。楽しいと面白いが沢山ある。

「思う存分歴史文化文学に集中出来ますね」

「はい、ありがたいことです。サルヴァトル先生も、フィールドワークをそろそろしたいのではないですか?」

「ええ、したいのですが、まだ行きたい場所を絞り切れていなくて」

「候補があり過ぎるというのも困りものですね」

 こんな遣り取りをして、アタナージウス帝に呆れられた。

 あと、集中的な脚のトレーニングが効いてきたのか、足萎えが少し改善してきたので、帝国を旅行したいな計画が遅々と進んでいる。サルヴァトル先生の神話逸話の舞台をなぞる旅など、心底心惹かれるのだが、相当な健脚でなければ無理なコースらしく頓挫してしまい、普通の旅行になりそうだ。史跡を訪ねるのは楽しいのになあ残念過ぎる。そんな私とサルヴァトル先生の嘆きは、アタナージウス帝とテオドシウス皇子には通じないようだった。

「ただの観光では詰まらないですから、やはり道筋を辿るものとかの加味された旅程がいいですね」

「それなら、百年前に有名観光地を巡った旅行記がありますので、それをなぞるものなどどうでしょう?」

「それは素敵ですね、該当する観光地で旅行記の文を音読したくなりそうでわくわくします」

 詩人ゼカリアが百年前に旅行記を残しているので、それをなぞった旅も良いかもしれないとサルヴァトル先生と盛り上がり中だが、それも矢張り皇帝陛下達にはピンときていない様子だった。龍馬脱藩の道を自分の足で体験! とか、お遍路とかと同じノリはこの国には無いのだろうか。解せぬ、悲しい。

 それから自傷の跡は、医師と魔術師達の懸命な努力が実りつつ有るようで、薄っすらとしたものになってきている。跡は必ず残るが、白粉を施せば目立たなくなるだろうと言われている。皇帝の妾になってしまったから、皆さん必死に努力をしていてとても申し訳ない。その才能をもっと素敵なものに使って欲しい。

 そして私自身の自覚が薄い膨大な魔力の使い道である、帝国の魔術研究への提供だが、これも未知の世界である魔法の世界が垣間見れて楽しい。古代の人々は、このような肉眼では良く分からない空想じみた技術を崇めていたのかと思うと、その感動を疑似体験出来たようでわくわくする。厨二病の痛い欲求が満たされて楽しい。しかし、魔力を私の意思で操作する才能が低いようなので、先ずは牢獄で暮らしていた時のように歌で放出するという手段が選ばれた。上手い訳ではない歌を魔術師達に聞かれて、悶死しそうになるが自分の仕事なので耐える。そして、魔術師達の注文は一つ。

「意図しない呪いを、祈りを込めないように」

 ということだ。意図する魔術とは違う作用が出るかもしれないという事で、御法度扱いとなった。けれども、歌では魔力の質が一定に出来なかったので、結局王国の時と同じように魔法道具を用いた魔力抽出になった。チェスター王国のように強制的に魔力を奪う必要はないので、装身具ではなく魔法使いのような杖が充てがわれてテンションが上がる。ファンタジーだ。これで魔術研究の役に立てるようになれた。

 まあ、とりあえず順調な滑り出しなのだ。花を綺麗に生ける花瓶のある生活。元の世界の家族や友人達には悪いが、そして妾という肩書きに理解をされないだろうが、結構な幸せである。特に中世の西洋的な社会だと仮定すると、望外の幸福を得ているなと感じるのだ。




 私の幸せは夢のようであった。アタナージウス帝が病を得て、そしてお隠れになった時も、私は守られていた。

 妾になってから十年が経っていた。それにしても殺しても死ななそうなアタナージウス帝が、病でという衝撃に暫く茫然自失になった。

 グントラムの餓狼が消えた年、チェスター王国は賠償金をきっちり十年で返済し終えたところだったので、外交筋によると、ちまちまとした嫌がらせが始まりつつあるらしい。エドガー王子ならぬ王様は、なかなかいやらしいちょっかいをするんだなあ。行商人の出入りを渋ってみたり、グントラムが求める物品の関税を高めてみたり、アタナージウス帝が去ってから突いてくる。ジェヒューさんが宰相閣下の苛立ちに困っているようだった。

 しかし、チェスター王国はグントラム帝国に国土を切り取られているし、政治を監視されている属国状態だ。大した問題にはならず、本当に嫌がらせでしかない、というのが宰相閣下以下の見解のようである。本当に苛々させるだけ。そして、生前のアタナージウス帝から、チェスターを一領地にしてやろうという計画を小耳に挟んでいたので、その機会が前倒しされそうな予感がひしひしとある。エドガー王、やっちまったよ、これ。

 そしてテオドシウス皇子が後を継いで皇帝の地位を確立する。その財産整理の最中、アタナージウス帝の遺言が一つ見つかった。

「もしも我が身が儚く消える時、ジェヒュー・シアボールドが未だ未練がましく独り身であるのなら、我が妾サナ・フクドメ=イングラムを下賜することを許す」

 寡婦となった私の身の上は修道院に送って生活の保障をしよう。そのような流れの中で見つかった日付けの新しい遺言書によって方向が変わった。

 十年の年月によって、私とテオドシウス帝との仲も悪くないものになっていた。そして、ジェヒューさんは三十七歳の現在でも独身を貫いていた。私はアタナージウス帝の最期の下賜として、ジェヒューさんの元に引き渡された。

「ジェヒュー、父上とやりあったな」

「何のことでございましょう」

 下賜の儀の折りに、テオドシウス帝とジェヒューさんのこの遣り取りを覚えている。その遣り取りの内訳はすぐに知れた。

 義父になっているサルヴァトル先生は世俗に残れた私の身を喜びつつも、アタナージウス帝をも動かすジェヒューさんの執念に慄いている。生前病床に居たアタナージウス帝の元へ、ジェヒューさんは直談判していたのだと下賜された後に、彼は私達二人にしれっと暴露したのだ。

「私は皇帝陛下にサナさんを若くして未亡人にやつし、独りで時を過ごさせるのかとお尋ねしただけです」

「……三十四歳は若くないと思うのですが」

「サナさんは変わらずお若くおられるので、大丈夫です」

 年月によってジェヒューさんは脂の乗った男っぷりになって、利発そうな雰囲気は剃刀のような鋭さを持つものへと変化していた。切れ者の政治家になりつつある。宰相補佐の地位を利用して政界のあちこちに繋がりを持って、外様だというのに何やら中堅政治家の中でも注視しなければならない存在になっているらしい。とんでもない人の所に転がり込んだような気がする。

 私はジェヒューさんと細やかな婚姻式を挙げて、名前がサナ・フクドメ=シアボールドになった。異世界の娘から、皇帝の妾、そして今は宰相補佐である男爵の妻となった訳である。

 これからは男爵の妻として社交の場にも出なければならない身となった。取り敢えず、彼の政治生命の足を引っ張らない振る舞いを心掛けることにする。

 それにしても、である。

「そこまで私が欲しかったのですか? 私には私の価値がよく分かりません」

 下賜されてから一週間の夜、寝室にて尋ねてみた。ジェヒューさんは、私如きに対してバイタリティありすぎるような気がしてならないのだ。そんな疑問に、ジェヒューさんは考え込みながらも答えてくれた。

「どうしてだか私にも分からないのですが、チェスター王国に居た時からずっと欲しかった。初めてサナさんを目にした時は、艶やかな黒髪と、真っ黒で吸い込まれそうな瞳に見惚れ、心惹かれた覚えはありますが。更に欲しい想いが深まった頃は、少しでも良く思って欲しいとあれこれ動いていた頃だと思います」

 ジェヒューさんは自身の屋敷に私が住んでいるという現在に、今でも現実感が涌かないようで、朝起きる度、帰宅する度に私を触って確かめる。この世界の人達は、身内に対して甘ったるいのではないかと思う。

 まだ私の幸運、幸福は続いているようだ。そう思って、窓から見える夜空を見上げる。国を呪ったあの頃が遠い。冥土へゆけと、恨みを込めていた過去。

 浮き世の流れは分からないものだ。視線を夜空からジェヒューさんに移す。ライトブラウンの髪が仄明るい照明に照らされ、はっきりした褐色の瞳が此方を見つめていた。

 この執念の男は私と視線が合うと、その瞳を細めて微笑み、体を引き寄せて抱きしめてきた。

「今はもう無いのですね。あの金の環を触ろうとする仕草の癖が見られない。とても良いことだと思います」

 とても嬉しげな声に、私は笑って誤魔化す。もう十年が過ぎたのだから、苦々しさを覚える癖は私の意図的な訓練で消したものだ。それを相手に悟らせるのは恥ずかしかったので、秘密にしている。

「そうだ、一つお願いがあります」

 ジェヒューさんが笑みをたたえた顔で、甘えるように言ってくる。

「毎日、私の為に祈りの歌を歌って欲しい。牢の中でもそうしてくれていましたね。なら、結ばれた現在では尚更歌って欲しい」

 牢屋での歌のエピソードは今では私の黒歴史だ。それをほじくり返されてしまい、胸が痛くなった。けれども、悪意なく言い募ったジェヒューさんの目には期待の色がありありと見えて、私は渋々と頷くしかない。

「……分かりました。下手ですけど、笑わないでくださいね」

「勿論です。サナさん、私に毎日祝福をください」

 嬉しそうに満足そうに口付けてきたジェヒューさんの姿に、私はどうしても照れてしまう。この世界の人たち、甘過ぎるぞ。

 彼の唇を照れながら受け入れていると、この上なく満たされた甘い顔でジェヒューさんは囁いた。

「漸く貴女が手に入った」




これにて完結です。お付き合いありがとうございました!

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