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 私の衝撃を皆さんは御理解頂けるだろうか。こんな急カーブの展開ゲームでもないわ!

 名バッターでもない私は、皇帝陛下の突然の提案にデッドボールを受けた。担架くれ担架。

「な、な、何と……え、えええ……」

 紅茶を吹き出して茫然自失となった私にアタナージウス帝は大笑いした。とても楽しそうです。ひっでぇ、お前さんの所為やぞこれ。

 一頻り笑った皇帝は、不意に私の髪の毛を手に取り、口付ける。色気すごい。細めた目が妖しく光っているようだ。

 息を呑んで真っ赤になった私を面白そうに見た皇帝陛下は「考えておくように」と言って部屋から去って行った。途端に使用人の皆さんが紅茶の惨状を何とかしようと動いてくれている。汚くしてすまぬ……すまぬ。

「すみません、誰かジェヒューさん、ジェヒュー・シアボールドさんを呼んでください。あの陛下がなさった論理の飛躍の解説を……解説のジェヒューさんを……」

 うわ言のように侍女の人達に頼むと、庶民の女の下剋上の頂点、皇帝陛下から告白されたなんて素敵、という空気が飛んだらしい。告白された本人が、ビビりすぎてぶっ倒れそうになっている様子を見たらそうなるか。

 ジェヒューさんは夕方になってから私の住む客室へ訪問してくれた。私は紅茶で汚れたドレスを着替えて、今はこの世界での小綺麗な部屋着である。

「突然呼び出して申し訳ありません。私の用でお忙しいジェヒューさんを煩わせる事が心苦しいのですが、こんな相談が出来る人はジェヒューさんしか居ないのです」

 ビビって混乱している私に、ジェヒューさんは何とも言えない顔で様子を見ていた。

「私の方は仕事終わりに来たまでの事で平気ですが……大丈夫ですか?」

「晴天の霹靂過ぎて平常になりきれて居ないのが正直な所です」

 日本の現代っ子が皇帝の妾にと告白されたとは、うん、想像が付かないです。何のハーレクインかな?

「私も、仕事中に陛下と宰相閣下が執務室で話しているのを耳にしました。どうやら陛下の思い付きのようです」

 ジェヒューさんが仕事中に、この話がアタナージウス帝自ら宰相へ伝えられたようである。

「もう宰相閣下にまでお耳に? では陛下のおふざけでは無い……何てことに。陛下は良くこのような思い付きをされるのですか?」

「私はこの国では若輩者なので良くは知らないのですが、陛下は思い付きでそのまま行動するようなお方ではないと思います。……しかし、嬉しくないのですか? 貴族階級でない女性の中で最大の栄達ですよ」

 ジェヒューさんの訝しげな声にギクリとなる。異性接触耐性の低さからも予想出来るだろうが、私は恋愛をした事がないのである。薄ぼんやりとした好意を相手に抱いたことはあっても、はっきりとした恋愛感情すら持ったことのない人間だ。そう、恋愛すっ飛んで妾要請だ。

 異世界に来てからは、そういう恋愛感情は死滅の方向へ行っていた生活であったし。あーあーあー。

「と、突然過ぎまして。あと、私はどうやら地位やお金などはあまり興味がない性格みたいです」

「そうなのですか……」

 ジェヒューさんは納得がいったようだった。チェスター王国の時の要求でも思い出しているのだろう。衣食住と本、我ながら豊かだが贅沢ではない望みだ。貴族社会の中なら、という注釈が付くけど。

「うーん。こんな青臭い女を妾にと思い付いた陛下は、何を思ってこんなことを……」

「ああ、それは私でも少し推察できますね」

「何と、是非ともお聞かせ下さい」

 この訳の分からない状況が、少しでも理由が分かるものなら分かりたい。未知は不要な恐怖や不安が湧いてしまう。私の切羽詰まった声に、ジェヒューさんはそこまで慄くか、といった顔をしつつも説明してくれる。

「まずは周りの人々にも分かり易い理由から述べてみましょう。サナさんは異世界の人であることが一つ。見目が珍しいことが一つ。それから、今のサナさんは、何かこう妙な雰囲気をまとって居て、目を奪われる美しさと儚さがあるというか……上手く言えませんが」

 いつの間にそんな属性が私に付属されていただと? あ、痩せたからだな。それか。それなのか! 私美人になりかけ? いやいや、そんなうまい話が……。

「そうですかね……自分の容姿の雰囲気は分からないですね」

 苦笑して色々と浮つく心を誤魔化す。ジェヒューさんは私のあまり信じていない様子を見て言葉を重ねてきた。

「城の中でも評判になってますよ。黒髪黒目のサナさんは目立ちます。護衛と共に散歩されている時などは皆見惚れていますよ。傍の護衛のしまりのない顔と共にね。近頃は歩く練習をなさっているでしょう? それがまたいじらしいと話題になっています」

「まさかの」

 そこまで噂になってるんかい。有名人になったつもりはなかったんだけどなー。なんだその噂は。

「あのエドガー王太子、いえ、チェスター国王も今更ながら心惹かれていたようで、影で帝国に取られて悔しがっているとか。サナさんが来た当初は殆ど見向きもしなかったというのに」

「まさかの王子」

 これはドッキリか? あの美麗の王子、現在王様のエドガーが? 嘘でも本当でも怖いからそれ。

「今のサナさんの事を〝異世界の娘〟と呼ぶ人は少なくなりました。近頃は〝足萎えの君〟や〝幽玄の君〟と呼ばれていますよ」

「お、お腹いっぱいの情報、ありがとうございます……」

 噂こっわ。美化しすぎやで。すまんが本性口悪いぞ。おくびにも出さんが、これだぞ。

 未だ慄いている私を見て、ジェヒューさんは苦笑した。はっきりとした褐色の瞳の感情は複雑そうだ。

「あとは、膨大な魔力を持っていること。そして陛下が興味を持った異世界の情報を持っていることです。サナさんは婚前の女性ですから、ぼんやりしていたら婚姻などで容易に会えなくなる可能性がありますからね。妻を夫の側から離すことはなりませんから。それを阻止したかった所もあるでしょう」

 そこまで言って、ジェヒューさんは付け足す。

「あと、サナさんのことを陛下は気に入っているのですよ。穏やかに見える表面と苛烈ながらも情け深い内面、それが他愛なく愛らしいと」

 また紅茶吹くかと思った。今日のジェヒューさんの情報は心臓に悪い。私の命日は今日だったのか知らなかったわ。致命傷だ。

「し、知らなかったです……」

「こういうことは表では言いませんからね」

 しれっと言っちゃうジェヒューさんの姿が、今日はやたらと政治の世界にいる人に見える。いや、今までも政治畑の人なんだけども。ずっと優しくて、今も優しいが、優しいだけの人ではないと漸く分かり始めたと言うべきかもしれない。

「陛下からの提案は基本的に断れません。何せこの国で一番偉い人ですから。思い付きのものであっても、お受けするしかないでしょう。陛下がサナさんにすぐに答えを求めなかったのは余裕と優しさと見る所ですね」

 冷静に考えるとそうですよねー。ビビって混乱したせいで、ジェヒューさんを余計に煩わせただけだ。反省だ。

「——本来ならば、ですが」

「え」

 俯きがちになっていた所で、ジェヒューさんは一つの道を示し始めた。

「サナさんは元の世界に戻りたくはないですか? チェスター王国では無理な情勢でしたが、ここはグントラム帝国です。卓越した魔術師十人と魔法陣が用意出来たなら帰れるかもしれません。元の世界へ戻るのならば、陛下の寵姫になるという提案をお受けしなくても大丈夫ですよ。元の世界に帰るというこの案も、陛下はご承知です」

「元の世界に、帰る……?」

 ジェヒューさんの言葉を何度も反芻した。今更、元に戻る? 彼の顔を呆気に取られて見つめるしかない。ライトブラウンの髪は整えられて、はっきりとした褐色の瞳は今は怖いくらいの真剣さが宿っている。口元は笑みがなく、一文字に結ばれていた。

「そんな事、思い付かなかったです」

 牢屋で気が狂いそうになった孤独や郷愁と恨みを思い出す。けれど、何とかなったのはジェヒューさんの切り花であり、サルヴァトル先生の本であり、看守のウォードさんの目だった。

 王国ではもう戻れないと思って、帰る可能性を端から捨てていた。帝国へ来ても、帰るなんて考えもしなかった。無理なものは無理なのだと思っていた。そうか、召喚は人為的なものだから、人為的に帰れるかもしれない。

 思いも寄らなかった一つの希望に言葉を失った私を、ジェヒューさんは暫く見詰めていた。そして一つそっと息を吐くと、僅かな笑みを浮かべた。

「陛下の提案と私の提案、どちらも考えてみてください」

「あ、ごめんなさい……」

「戸惑っている様子を見てますから、気にしないでください。けれど、答えを出すまでの時間は少ないと思います。陛下は迅速を尊ぶお方です」

「はい……」

 今日はなんという日だ。長らく与えてこられなかった“選択”が、人生の別れ目になるものだとは。

「ジェヒューさん、ありがとうございます。私一人では何も考えられませんでした」

「良いのですよ。むしろサナさんに真っ先に相談してもらえて私は鼻が高いです」

 茶目っ気かと思って少し笑ってしまったが、意外にも彼の目は笑っていなかった。真面目な色が褐色の瞳に浮かんでいる。

 そんなひたむきな感情を向けられる覚えは無い。ジェヒューさんの様子にも内心戸惑う。

 彼は再度「考えて、答えを出してください」と言って部屋から去って行った。……その言い捨てて去る行動、皇帝陛下と一緒だぞ、宰相補佐殿よ。




 次の日からの私はもやもやと考え事をするばかりになった。帝国の物語の本を読む余裕もなく、皇帝の妾となるか、元の世界に戻れるのなら戻るのかと、どうするべきか悩んでいた。

 護衛の人に散歩の時間だと呼ばれるまで、ベッドの上で薄ぼんやりと過ごしてしまった。慌てて用意をする。

 散歩のルートにしている中庭は、あの皇帝陛下の趣味ではなさそうな可愛らしい色取り取りの花が咲いていて、心癒された。絶対高貴な女性の趣味だわこれ。

 私は散歩中、護衛の人に抱き上げられている。お姫様抱っこに耐性が付いたかと言えば、全然駄目である。庭の見事さで心を鎮めて平静を装う。

 ついでとばかりに護衛の顔を眺めてみると、彼はにこやかな笑顔のまま、何故かじわじわと赤くなっていったので仏像アルカイックスマイルで誤魔化して視線を逸らした。

「な、何か自分の顔にありましたか?」

「——いいえ。何時も私を運んでくれてありがたいなと思って見てしまいました」

「そ、そんな、恐縮です」

 ジェヒューさんの証言、マジだったんかい……。ちょっと遠い目になる。誰かモテ子のテクニックレッスンを開催してくれ。受講希望。

 散歩中、通る人々と挨拶をかわしていると、今回飛び出てくる言葉は「おめでとうございます」がダントツで多かった。世話に妾にならないか、そんなアタナージウス帝の提案はしっかり城内で広まっていた。皆さん耳が早い。

 私は返答として肯定も否定もしない「まだ現実感のない気持ちでいっぱいです」という台詞で乗り切った。嘘ではない。ハーレクイン展開に信じられない気持ちでいっぱいだぞ。

 散歩は息抜きになって楽しいし、普段話さない人達と会話が出来て新鮮な気持ちになれる。けれども今回ばかりは早目に客室に戻ることにした。次にアタナージウス帝が来るまでに結論を出さねばならないのだ。

 散歩を終えて、私は使用人の人達に飲み物と筆記具をお願いする。頭の中で悩んでいても、もやもやの所為ではっきりとしない。自分の心の動きや、選択することによって起きるメリットとデメリットを書き上げて、整理して後悔のない決断をしたい。

「用意が出来ました」

「ありがとうございます」

 テーブルに紅茶と、無地の紙とペンが置かれた。私はまず紅茶を一口飲んでから、頭のもやもやを書き出した。

 まずは帰った時の、心の動きとメリットデメリットを書いてみる。心は解放感、安堵、将来の不安。メリットは家族との再会、慣れた生活習慣や風習文化、友人達との再会、豊富な娯楽。デメリットは、家族が受け入れてくれるか分からないこと、大学が退学になっているだろうこと、再受験するにはお金がかかること、退学して働くには萎えた足では苦戦するだろうこと、身体障害の等級を受けたとて等級はきっと低く、何とか働けても賃金は低いだろうこと、そして、今更日本に戻っても馴染めるか分からないこと。

「基本的に、生活の不安が出て来る」

 所詮は庶民でしかない身だ。そして、家族が受け入れてくれるか否かが一番のネックになる。……いや、家族が平穏無事に生活出来ているという前提すら分からないのだから、結局は帰ってからの出たとこ勝負になるか……。

 あー、役所の手続きとかもしなきゃいけないかも知れない。行方不明届の解除や、病院に行って足の診断書を持っての身体障害の申請とか、……払ってない年金はどうなっているだろう。年金不払いだと、年金機構が地獄まで追いかけて来ると聞いた事がある。

 デメリットの項目がメリットよりも多くなってしまった。私の不安が如実に出ている。異世界に渡って五年だから、留学していたのだと考えたら良いのかも知れないけれども、それは行方不明とは大違いであるし。

「……だめだ、次に行こう」

 では、この国に残ったらどうだろう。まずは心情を書いてみる。残念、郷愁、一時の平穏、将来の不安。

 メリットは、生活の保障、偉い人への伝手がある、家族ほどではないが気遣ってくれる人達がいること、魔力という武器があること。

 デメリットは、この世界のことを知らないこと、生活水準の低さ、娯楽が少ない、生活習慣や風習文化の違い、法律を超えてくる絶対権力者の存在に近い事、その権力者の機嫌を損ねてしまえば無残な未来になること。そして、一生、故郷を思って憂うることになる。

 メリットかデメリットか分からない部分は、皇帝の妾という身分だ。完全に未知だ。多分、妾になるとお城に住めて、裕福な生活が出来る。それは確かであろう。しかし、皇帝の機嫌一つでどうなるか分からない身の上だ。

 ……この世界の知識が無い所為で、薄っぺらなメリットとデメリットしか書けなんだ。

「どうしたものか」

 日本語でぐちゃぐちゃに書いた紙を眺めて、ペンを一旦置く。紅茶をまた一口。少しぬるくなっている。あの紙のごちゃごちゃは、私の脳内のもやもやと一緒なのだろうなあ。

 溜息をついていると、侍女が声を掛けてきた。

「失礼します。サルヴァトル・イングラム卿が訪ねていらっしゃいました」

 悩みが煮詰まってしまった私は、気持ちを切り替えて彼の来訪を歓迎する事にした。



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