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03




 あの看守のウォードさんとの会話から数日もせずに、私は数年ぶりに牢獄から出る事になった。貴人用の牢屋はなくなり、あの場所は身分関係無く罪人を詰め込み、拷問する場所にするのだという。末期ですね。

 私の身柄は魔術師達が詰める塔に移動になった。王宮と通路が設けられている、通称魔術塔。魔術師達に囲まれて牢屋から出て行く私を看守はむっつりした顔で見送り、雑用の少年は心配そうな様子でこっそり見送ってくれた。一番長く過ごした場所が牢屋とはなあ。良い人達が居たから何とかなったけど、これからが心配だ。

「私はこれからどのように過ごすのです?」

「変わらぬ。ただ本を読み、過ごせ」

 歩くたびに膝が砕けそうな心地でゆっくりとしか動けないから、私は魔術師に引きずられるように馬車に乗せられ魔術塔に運ばれた。魔術塔ってめっちゃファンタジーな名称よな。

 魔術師ではない私を塔内部に入れるくらい、状況は切羽詰まっているのだな。そう思いつつ、私は魔術師の寝泊まりする地下の一室に軟禁された。緩い軟禁の仕方だったが、数年の牢屋暮らしと、足の萎え方、魔力を多く吸われて気力が無い体調を鑑みられて、特に警戒は必要ないと判断されたからだった。

 見張りも無い軟禁だったので、私は室内で好き勝手する事にした。歌を歌ったら隣室の寝不足の魔術師に壁ドンされたので、静かに好き勝手をする。正直、足萎えやばい。五歩も歩くと膝から力が抜けて転ぶ有様だ。

 魔力の吸われっぷりが此処に軟禁されてから酷いので、眩暈などの体調不良があるが、筋トレは一日五回から続けている。ふくらはぎと足首の太さがあんまり変わらないのは、流石にやばい。靴のサイズも一センチは確実に縮んだ。やばい。足の筋肉と脂肪共々消えてる。

「火が、火が、赤く舐める、灰燼の街」

「青い煉獄を彷徨う、人の夢想の彼方は見えず」

「未来は惨憺たると、生命無き大地は咽ぶ」

 低く小さく歌う。呪いの歌。余計に魔力を消費してしんどくなるが、五首を覆う金の環を見ると奮えてくるのだ。

 そうそう、私を捕らえる金の環のメンテナンスは、十日に一度になった。魔力の大量消費をしているから、劣化が通常より早いかもしれないと危惧しているらしい。見た感じは私の命よりは持ちそうなのだがなあ。




 魔術塔に軟禁されてから一ヶ月、看守のウォードさんは逃げたかなあと朝の寝起きに思っていると、魔術師達の動きが目に見えて慌ただしくなっていた。部屋の扉近くへ行き、聞き耳を立ててみる。

「王都が……」

「夜に火が……」

「来た……帝国……」

 どうやら夜中の内に街を燃やされたらしい。貴族街が一番被害が大きいと盗み聞きする。確か、この王都は砦の中に造られた街で、更に街に囲まれた城郭の中にこの王宮がある形だった筈。王都が燃えている時点で詰みではないかと普通思うのだが、魔術師達はまだ諦めた様子は無い。

 のんびりと顔を洗い、着替えを済ませて朝食をとっていると、魔術師達が室内に入ってきた。

「おはようございます。何事です?」

「お前に役目を与える」

「……本当に何事で?」

「帝国との交渉にお前も出席するんだ」

「えー、解せないですが、拒否権は無さそうですね」

「物分かりが良くて有難いことだ。先ずは王宮へ行き、身を整えさせる」

「そうなのですね」

 日本人の曖昧アルカイックスマイルで相槌をとると、偉そうな魔術師が私の身体、五ヶ所を杖でつついた。何の作法だ。

 そして若手の魔術師の一人に担ぎ上げられる。私の足萎えはどうやら周囲に広まっているようだ。その担いだ魔術師の予想より私は軽かったらしく、勢い余って一本背負いされるかと思ったが、何とか堪えてくれた。危ない。

 俵の如くの情けない姿で王宮に運ばれると、気位の高そうな侍女達が現れて、私の全身を磨き上げ、異世界トリップした当初に贈られた衣装とアクセサリーを身に付けることになった。まだ残っていたとは意外。わー、ドレスがゆるーい。ヒールもゆるーい。ヒールは急遽別の物になった。

 化粧も物凄く気合いが入ったものになって、三割増しの美人になる。髪の毛も毛先を整えられ、東洋人のコシのある黒髪を活かした結い方をされた。わー、最近まで軟禁されてたとは思えないやー。髪飾りキレーイ。この格好していると無骨な金の環が本当にダッサーイ。

 何年振りかの王宮の様子は変わっていて、豪華に立派に見せようと頑張っているものの、王宮を包む空気はどんよりと濁っているのが分かった。負け戦は確定、敗戦交渉へ僅かな望みを繋ぐといった所だろう。でも、魔術師達は諦めてない様子なんだよなあ。何なんだろう。

 全身をお嬢様風の鎧に身を包んだ私を、迎えに来た貴族階級だろう騎士が綺麗に抱き上げてくれた。戦続きで立派な隊服も使い込まれ、三十路の整った容姿も少しやつれている。鮮やかなオレンジ色のゆるい癖のある髪の毛を伸ばし、グレーの目は涼しげだった。

「恐れ入りますが、お手数かけます」

「お気になさらず。歩き易くする為にもう少し私に寄り掛かってください」

「あ、はい」

 足萎えから来る騎士からのお姫様抱っことか、そういう悲しいイベントは今更要らぬよ……。騎士と私との間にあった隙間を潰すように寄りかかると、彼は歩き始めた。あー、鍛えた男性の体ってこんな感じなんだなあ。腕太いなあ。胴体もちゃんと分厚いし、首も鍛えてるみたいだなあ。うん、恥ずかしい。

「……どうしましたか?」

「あ、あー、その、このような時なのに、馬鹿馬鹿しいのですけど、ええ。男性にこのように抱き上げられたのは初めてでしたので、少し、……恥ずかしいのです」

 正直に心情を吐露すると、表情が固かった騎士の顔に一瞬悪戯っぽい笑みが浮かんだが、それも消えた。きっと普段は愉快な人なんだろうなあ。

「おやおや、美しい方だというのに、私が初めての人とは嬉しいものですね。……話しは変わりますが、貴女はこれからの事を知っていますか?」

「いいえ、何も。ただ王宮に呼ばれて、このようにあれよあれよと着飾っただけで、他は何も分からないのです」

「そうなのですね。今、向かって居る場所は陛下、王太子殿下、宰相閣下が居ります」

「えっ、畏れ多い方々が……?」

 異世界トリップ当初以来、全く接触していないこの国の貴き人々との対面が待っているらしい。何やねんそれ、敗戦交渉に私は居るか? 要らんだろ。

 俄かに湧き出す緊張で身動ぎした私に、騎士は硬い表情で静かに告げて来る。

「そして、後からグントラム帝国の皇帝以下四人が交渉の場に現れるとの事です」

「交渉、え、そのような大事な場に、私がどうして出席するのですか?」

「分かりません。ただ、帝国側の要求だと耳にしました。貴女に帝国との関わりはありますか?」

 騎士の言葉は晴天の霹靂級の仰天物の情報だった。グントラム帝国とやらに、私の存在が知られている? しかも、交渉の場に出すよう要求される位、なにかある? 魔力くらいしか無いのに、……魔力かな。

「いいえ、いいえ。そんな、グントラムという帝国がある事さえここ最近知ったくらいです。訳が分からなくて、不気味で怖いですよ」

 というか、この国との繋がりでさえ貧弱なのに、他国まで繋がるなんて無理だろうて。軟禁に牢屋暮らしにまた軟禁やぞ! なのにグントラム帝国の情報把握何なの怖い。あ、でも私の存在は秘匿されてはいないか。貴賓室暮らしに怒った人々に突き上げられて、すんなり牢屋暮らしになった経緯があるから。

 帝国への未知の恐怖やチェスター国への恨み憎しみによって、感情がぐちゃぐちゃになりかけてしまい、深呼吸を繰り返して落ち着こうとする。

 その様子を見ていた騎士は、おもむろに抱き上げ方を変えて、私の額に口付けた。

「ひぇっ、えっ?」

 お前さん、どうしてそうなった!?

「黒髪の美しい貴女に祝福がありますように」

「えっ、あ、その、ありがとう、ございます……」

 呆気に取られて声がなかなか出なかった。おいおいおい、このイベント何故序盤に無かったよ。こんなイベントが異世界トリップした序盤にあれば、私はめっちゃチョロく、この国を恨んだり憎むまで行かんかったぞ。私の異性接触耐性の低さを舐めるな! 友人にも「詐欺師にとってのカモネギ女」と言われたくらいだからな!

 異世界トリップして早数年、今更のこのイベントは心臓に悪すぎる。そしてこの騎士、手が早く無いか? 初対面だぞ!?

 色々な感情がまた駆け巡り、私はやつれ気味の騎士の整った顔を呆然と見るしか無かった。このデコチュー、黄泉への手土産かもしれんわー……。もう、感情が突き抜けて、偉い人達に会うという緊張が吹っ飛んだ。恨み辛みもなんか今完全に飛んでる。騎士怖い。

「久し振りに愛らしい淑女の方と触れ合えて、嬉しいものです。戦場には愛らしい方は居ませんでしたからね」

 あ、女たらしか。そのセリフで冷静になった。

 私は騎士に腕を首に回して姿勢を安定させて欲しいと言われ、指示通りにしたりした。動いたあとに気付いたね、乳が胸板に当たるように仕向けやがったこいつ。

 広い王宮を進み、兵士や官僚や使用人達に白い目を向けられ、一番立派らしい応接室に騎士諸共入室した。

「近衛騎士団長ユーイン・ギスカード到着しました。及び、異世界の娘をお連れしました」

 あんた……団長……そんなドッキリ要らんぞ……。思わず白目を剥いた。何度衝撃を与えて来るんだこの団長は。召喚された時の騎士隊長とは違っていたから、全く持っての驚きだ。

「……失礼します」

 よろよろとユーイン・ギスカードの腕から降りて、この国のトップの人達に挨拶を行う。この国の礼儀作法、こんな時に役立つとは奇縁だ。カーテシーを丁寧にして、膝が萎えているのでふらふらになる。優雅というより幽鬼だな。私の隣でユーインも軍人としての挨拶を行なって、そして私の肩を持つと支えてくれた。すまない、如才ない人よ。

「良い、楽にせよ」

 王様はこんな声だったか。疲れた声音だった。私は真っ直ぐ立っているだけなら支えは不要なので、膝を伸ばす。あ、こういう軟禁による足萎えって、黒田官兵衛みたいだ。これからは私の足は官兵衛さね、で慰めよう。

「久しいな、異世界の娘よ」

「陛下、お久しぶりにございます」

 王様も太った後にがりがりにやつれました、という風情がある顔付きになっていた。あの麗しのエドガー王子の親なだけあって味わい深い面差しである。やつれた美形って美味しい。

「お前に頼みがあって来てもらったのだ」

「はい、何でしょう」

 説明は目の下に隈が出来ている宰相が受け持った。

「グントラム帝国はお前に興味があるらしく、戦勝の記念に貰い受けたいと打診があった。我々は拒否は出来ぬのでな、覚悟を固めておくことだ。交渉の前に顔見せを求められたから、王宮のこのような場に来られたまでの事。また贅を楽しむことが出来ると勘違いはせぬようにな」

「そうだったのですね」

 私は曖昧な笑みを浮かべた。了承も拒否も要らない権力者の意向は、私の曖昧さなど気にせず話を進めてしまう。最初から最後まで、このチェスター国の対応が一貫性のあるもので内心感心してしまう。うん、これがこの国だ。納得。

 私に対する挨拶は終わり、騎士団を取り纏めるユーインに偉い人達の関心が行った。どうやらユーインは、前の団長が戦死し、副団長が何とか纏めていたものの、その副団長も戦死、副団長補佐役だったユーインが繰り上げで騎士団の団長になってしまったようだ。第一次世界大戦時のイギリス貴族の死傷率異常だものなあ。ノブリスオブリージュだ。其処は価値観一緒なのだろう。

 ふと、私に視線が来ていることに気づいた。こんな時に私を気にする人物がいるのだろうかと、周りを見るとまさかの王子と目が合った。何でじゃ。異世界トリップ当初、三回会ってすぐに飽きただろうにエドガー王子よ。

 目が合って、どのような対応をしたら良いのか分からず、仏像のアルカイックスマイルで誤魔化し目線を外した。今の王子怖いわ。同年代の筈なのにあの美貌に鋭さが出て、冴え冴えとした冷艶さが迫力ある姿になっていたのだ。苦労したら迫力が増して触れれば切れそうな美貌になりました、とか皆憤死するね。普通、苦労したらボロ雑巾になるのに。

 お偉いがたのお話は終わったらしく、私は応接室の隅で待つ事になった。本来なら立って待つべきなのだが、それはもう難しいので椅子に座って待機である。

「陛下、帝国側の者達が王宮へもうすぐ到着します」

「エドガー、出迎えに行け」

「承知しました」

 応接室から出る時に、ちらりと此方を見ないでください王子。あんた結婚しているじゃないか。王族こっわ。いや、偉い人こっわ。今更興味持たないでください。

 暫くの間、沈黙が応接室を支配した。私と同じように下僕の人達が壁に沿って立ち、指示が来るのを待っている。

 そして扉の向こうから大人数の歩く足音が聞こえてきた。完全武装の兵士何人連れて来たのだろう、帝国は。絶対十人以上だ。

「グントラム帝国皇帝陛下、帝国宰相閣下、宰相補佐官、陸軍大将、帝国法務官、帝国兵士五十名、到着致しました」

 王子の硬い声は、この国の立場の辛さが滲み出ている。扉が開き、完全武装の兵士以外の者達が入室してきた。兵士五十名は少ないけれども、敗戦した王家に圧力を間近で与えるには良い人数だろう。えげつないね、帝国。

「この国の王太子殿下は相変わらずの麗しい顔立ちだな。敵国だというのに我が国でも人気がある。羨ましい息子をお持ちだな、チェスター国王よ」

 気楽に王様に話し掛けたのは伸びたダークブロンドの髪を一つに括った苦味走った男っぷりの良い偉丈夫だった。一九〇センチは軽くあるのではないかという体格は不惑の歳だろうに弛みなく、油断の無い立ち振る舞いをしている。見た目だけなら完全に軍人、陸軍大将だ。だけども、この言動は、どう見ても皇帝……。うわぁ、まじかあ。皇帝こっわ。

「自慢の息子です、グントラム皇帝陛下」

 王様は顔は涼しい無表情で、声音は苦々しいものを滲ませていた。貴族は公の場で表情を出さないのが処世術でマナーだけども、遠くから見るには大変そうだ。

「さて、今回の交渉の前に見せてもらうか、異世界の娘を」

「……ギスカード、前に連れて来い。皇帝陛下、そして皆様は席へどうぞ。軽食をつまみながら話しましょう」

 グントラム帝国の人達が其々席に座ったのを確認してから、ユーインが部屋の隅で置物と化していた私を抱き上げて来る。ぎょっとしているのは帝国の人々、チェスター王国側は無表情だった。その帝国側の人に、見覚えのある色がある。近づいて来て分かったのは、このチェスター国の宰相が苦々しい視線を、その色を持つ人へ向けて居たからだ。

「あっ」

 思わず声が出た。思い違いでは無かった色を持つ人は、相変わらず利発そうな瞳をしていた。

「ジェヒューさん」

 何故かジェヒュー・シアボールドさんは帝国側の席に座っていた。ライトブラウンの髪はきちんと整えられ、はっきりとした褐色の瞳は私に目礼してきた。

 私は帝国皇帝の目の前で床に降ろされた。よろめきながら皇帝に対して丁寧なカーテシーを行う。崩れそうになった膝に、ユーインが背後から支えてくれる。

「ジェヒュー、足の弱った娘とは聞いておらぬぞ」

「……私が居た時まだきちんと歩けていました。恐らく長らくの幽閉で足が萎えたのでしょう」

「なるほどな。……異世界の娘、面を上げよ」

 カーテシーを維持するのは膝に来るので私は姿勢を正して、恐ろしげな皇帝に目を向ける。その皇帝の瞳は甘やかさのない狼のような琥珀色だった。金色のような目は遠慮なく私を観察してくる。

「吾はグントラム国を統べるアタナージウス・カルル・フォン・グントラムである。娘の名は?」

「紗凪と申します。サナ・フクドメです」

 王国側が動揺の気配が出た。今頃私の本名を聞いたのかも知れない。あ、苗字があるのは貴族階級だけだっけ。やってしまったなあ、まあ仕方なし。

「歳は?」

「二十四歳です」

「——おい、ジェヒュー?」

「若く見える民族のようです」

 東洋人の堀の薄い顔面の年齢詐欺はこの異世界でも通用してしまうらしい。皇帝に一瞬睨まれてビビった。ジェヒューさんのフォローが無かったら嘘扱いされたかもしれん。

 ここでも王国側が驚きの気配が出て、本当にこの国は私個人の事に興味が無かったのだなと実感する。

「異世界で生まれ育った国の名は?」

「日本という国で生まれ育ちました」

「この世界とそなたの世界との違いはあるか?」

 何だか問答が始まった。冷や汗が出る。

「一番の違いは魔法が実在している事です。私の世界ですと魔法は空想の代物で、現実世界に何の影響を与えられません。過去の世迷言の遺物、子供騙しと見られております」

 魔法の存在以外は、この世界は欧州の中世紀の色濃い文化なだけだ。

「なるほど。では、この世界の我々と、あちらの世界のそなたの違いはあるか?」

「私の世界では人種が幾つかあるくらいです。私が育った国は、私のような髪の毛の質で、薄い顔立ちの人だらけです。ですが、故郷から遠くの国にはこの世界の人達のような姿形をしていて、この世界の文化と似ています」

 サルヴァトル・イングラムの鞭撻がなければ危うかった質問だった。他国の事を教えてはくれなかったが、この世界の基本的なことを文学や歴史を通して教えてくれたのだ。この世界には東洋人などの他の人種や著しく文化の違う民族は居ないということだ。

 私の言葉や様子を吟味していたアタナージウス皇帝は、口の端を吊り上げた。おもちゃを見つけた顔をしている。

「ふむ。ジェヒュー、この娘を貰い受けよう。興味深い世界がこの娘の中にあるとは面白いものだ。良い情報をくれた」

「それはようございました」

 私の帝国への情報流出はジェヒューさんが原因か! 自分から尋ねることが出来ない身の上がもどかしい。一番立場が下だから、声を上げることが出来ない。ジェヒューさんに事情を聞きたい。それをぐっとこらえて、仏像のアルカイックスマイルで誤魔化す。便利です、仏像の微笑み。

 どうやら私が主役の話は終わったようで、皇帝の意識が私から逸れた。

 途端、脳髄に男らしき声が響いた。他言語か、呪文か。

 ——呪文か!

 一気に冷や汗が出て、目が回る。膝がいうことを聞かない。重力が極端に強くなったみたいな感覚に、流石にこれは可笑しいと気付く。

 アタナージウス帝の目がまた私の方へ向いた。そして金色のような鋭い瞳を見開く。

「何事か!」

 大音声の皇帝の迫力で、何とか意識を繋ぐ。体が冷え切っているのに熱く感じる。五つの金の環が軋む。環が狭まり、骨を折る勢いで締め付けてくる。

 私の体の表面には、いつの間にか魔法陣が五つ出現していた。苦しい中、王国側の席を見ると、彼等は冷静な顔で魔法の防御壁を作り出している。

 ……嗚呼、人間爆弾みたいなものか。体の中の魔力らしきものが、熱くぐるぐると巡って放出出来るものなら放出したくなる心地だ。

 グントラム帝国側は私から離れようと席から飛び退いている。近くに居たユーイン・ギスカードは防御壁を作りながら顔を歪めてじりじりと距離を取っていく。批難の声をチェスター王へ上げる。

「陛下! この魔術はまさか!」

「ギスカード物申すな! さあグントラムの餓狼め、爆発四散し死へ堕ちるが良いっ!」

 チェスター国の王が歯をむき出しにして獣のような形相になっていた。目をぎらつかせて、恥辱を与えて来たアタナージウス帝の死に様を見ようとしている。

「戯けたことをしてくれる! ジェヒュー、この娘は見捨てよ!」

「陛下、そんな!」

 あ、やっぱりこの金の環と魔法陣で私の魔力を暴走させているのだなと、私の確信が深まる。魔術塔であの偉そうな魔術師が杖でつついた箇所と出現した魔法陣が一致している。血の気が引いて、現実感が消えた。首が閉まっているが、呼吸はまだ何とか出来る。

 ヒュッ、ヒュー、ヒグッ、喉が私の物とは思えない音を立てている。両足首は締まり過ぎて皮膚が破られ始めている。両手首はぎりぎり動く。

 王子は顔面蒼白で此方を見ていた。思わず笑う。こんな時でさえ美しいとは、とんだ美形だ。私はテーブルから渾身の力を持って、軽食用にと用意されていたナイフを掴み取った。

 死を免れていることは確定している王国側は動かず、帝国側は防御壁を張れる魔術師がいない為に部屋の扉の側へ行き、こじ開けようとしていた。

 口の端に泡が出てきている。もう限界が近い。私はナイフで自分の身体を切り裂いた。

 チェスターの王が、王子が、宰相が驚愕の声を上げた。騎士団長が唸り声を上げる。

 魔法陣は私の両二の腕に一つずつ、それをナイフで切り裂いて破壊する。デコルテに二つ、これも血で滑って危うかったが、切り裂く。

「サナさん!?」

 ジェヒューさんが悲鳴染みた声が聞こえる。無視する。私は最後までこの国の道具として死んで行くとは業腹だ。四つの魔法陣が破損して気持ち楽になる。その間に覚悟を決める。

 最後の一つはデコルテの下、胸の膨らみの間にあった。痩せたおかげでドレスの隙間から見えた。もしぴったりとしていたら、正確な場所が分からなくて危なかったろう。

 血だらけのナイフを胸元の隙間から刺して、縦に一気に引く。ドレスがどす黒くなった。けれどお陰で肺に空気が突然入り込んで咳き込む。呼吸の苦しさから解放されると、今度は裂いた体が痛み出した。涙がぼろぼろと出て来るが、生理現象と無視する。

「こ、こんな小娘がっ……! 素直に死ねば良いものを!」

 チェスター国王の怒りの声が聞こえる。無視する。室内の中に居る下僕に扮した魔術師が居たらしく、帝国の陸軍大将らしき男がぶん殴っていた。部屋の外で待機していた五十人の兵士が雪崩れ込み、王国側を制圧させていく。無視する。

 私は金の環を破壊しようとナイフで削り始めた。こんな物のせいで、私は破壊道具にされた。酷い音が響く。目測を誤り、何度か足首や腕を突き刺すが、止めない。痛いのは今更だ。

 床が血塗れ? 無視する。今までの恨み辛み、憎しみが激しい怒りとなって、渾身の激情を持って金の環を傷付ける。涙がまだ止まらない。邪魔だ。もっと、もっとこれを壊さねば。

「おい、もう止めよ」

 私の腕を掴んだ奴がいる。目線を寄越せば血だらけの床に膝をついたアタナージウス帝が居た。

 文句を言おうと口を開くが、なかなか声が出てこない。涙は沢山出て来るというのに情けないことだ。

「サナさん、ナイフを捨ててください」

 ジェヒューさんも顔色を白くして近付いてくる。

「……これを壊さねば……」やっと声が出た。

「我が国の魔術師に破壊させる。ジェヒューよ、この娘の中にとんだ鬼が居たな」

「……はい」

 皇帝の唸るような声にジェヒューさんは嘆息していた。



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