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02



 月日を経ていくと、私の住む部屋が変わっていった。王宮の貴賓室からただの客室、王宮の客室から離宮の部屋へ、そして、異世界へ来てから一年と数ヶ月で何故か貴人用の牢屋に入っていた。王都の外れにある牢獄。そこが私の住処になった。

 扱い雑過ぎるだろ。ジェヒュー・シアボールドさんが必死で許可をもぎ取ってきた王宮の中庭の散歩も出来なくなっている。まあ此処牢獄だもんな。庭ないよね。

 保証されているのは、衣食住と本を読むことだけ。その他は知らないとなってしまったらしい。折角礼儀作法を教えたのに、この状態では教えた意味が無いのでは、とか思ってしまう。

 私の所へ来てくれるのは、看守のウォードと雑用の少年だけになった。嗚呼、でも一月に一度、金の環の様子を見に来る魔術師が一人。最初の偉そうな魔術師ではなく、中堅らしき魔術師が整備士のような面持ちで調べてくるのである。若手の魔術師には扱えない装身具なのだと、それで分かる。

 宰相補佐のジェヒューさんは、流石に牢屋まで来れないらしい。この牢に慣例的に入獄している罪人は政治犯の貴人が多いので、宰相や王様の許可を得て、漸く中に入れるのだとか。本ばかり読む、手のかからない私に看守は少し気安くなって、ポツリポツリと話してくれる。

 私の立場は、最初のものからズレて行ってしまっているようである。チェスター王国を助ける魔力の持ち主の筈だが、私の魔力は殆ど王宮や王都止まりで、国全体に還元して居ないらしい。その分王都はそれはもう不夜城の如く煌びやかになり、この世の春を謳って浮かれているのだとか。そんな恩恵を受けて居ない庶民や地方の貴族から突き上げが発生した。異世界の小娘を貴族令嬢のように扱うのは不当なものである、というように。現在では私の立場はちょっとだけ利のある野蛮人という事になってしまったらしい。それで、雑に扱い過ぎて死なせてはならないので貴人用の牢屋にぶち込んだ。王族、少しは応戦してくれや。

 護衛の人や侍女などの使用人の人件費を考えると、確かに牢屋の方が管理も楽だろうなと思う。思うだけ。思っても、それやっちゃいかんだろ。

 私はこの国に理不尽を感じた。そして、この国に対しての見方がどんどん冷めて、恨み混じりになっているのが分かった。この世界の星空すら知らぬ身空とか、何やねん。この世界に来てから一年以上経っているというのに。

 そもそも私は異世界トリップをしたいと思って居なかった。それでも相手方が止むに止まれずの事情で、真摯に、誠実に対応してくれたら、私は単純なので喜んで協力したと思う。けれども、それも無かった。お金がかからない、手間だけども、そんな人心把握すらしない手抜きの対応の王国に失望した。

 最初の貴賓室の生活で満足したり、自尊心を満たした様子を見せて居たら、もう少し扱いが違って居たかも、とは今なら思えるけれど、けれども私は身の回りの豪華さなど望んでいなかったのだ。

 諦めと恨みと寂しさ、悔しさが体に溜まって行って苦しくなった。ヒステリックに叫びたくなった。本だけでは現実を忘れられなくなった。

 牢屋で狂いたく無い。寂しがっていると、この国の者に知られたく無い。だから、私は口から恨み辛みを吐き出す事にした。

 歌であれば、言葉は通じない。だから堂々と口に出せる。看守のウォードと雑用の少年は、今までの付き合いで、奇行を犯しても放って置いてくれる。だから、禍あれ、呪いあれと歌える。

「火よ、火よ、逃げ惑う人の影が踊る」

「侘びしき国の残骸が夜に吐き出される」

「烏よ啄めよ、その瞳を、その世界を」

「知らぬ人に踏まれ、何も根付かぬ大地と知れ」

「血の秋水よ、劔を染めて拡がれ、旗を破れ、血の礫よ降れ」

 ひたすらに歌った。元の世界にある歌もあれば、即興で肚の底にへばりつく言葉を俳句短歌の如く吟じるように歌った。

 そして、ウォードさんが慄いている表情を目の端に認めて、私は我に帰る。声が枯れていた。

 そして、看守の目に、この澱んだ気持ちと思い出の中に、優しいものもあったのだと気付いた。

「ごめんなさい」

 私は、この世界で優しくしてくれた人達の顔を思い浮かべる。少しだけ噂話をしてくれた侍女の人、十日に一度の散歩に付き合ってくれた監視兼護衛の人、そのわがままを叶えてくれたジェヒュー・シアボールドさん、読み書きを教えてくれたサルヴァトル・イングラム先生、そして今の私に警戒しつつも見守ってくれている看守のウォードさん、訥々とした雑用の少年。

 その人達までに、禍あれと?

 違う、私は私を蔑ろにしたこの国を恨んでいるだけで、あの人達まで恨んでいない。

 あの人達には、幸いあれ、光あれ、そう思える。

 醜くなった私の心は、それでも恨みを捨てられず、けれども引き攣るような痛みを感じた。勝手に涙が溢れてきて、顔が歪んだ。情けない声が、情けない涙が、情けない顔が、どうしても止められない。体を壁に向けて、両手で顔を覆って泣き止むのを待った。私の意思ではもうどうしようもなく、自分でも途方に暮れた。

 しばらくして涙が止まり、嗚咽で喉は完全に枯れた。この世界に来て初めて泣いた。思い切り嗚咽したせいで脳にまで酸素が行かず、ぼんやりとなる。

「おい、大丈夫か……?」

 看守のウォードさんが恐る恐るといった様子で話し掛けてくる。今までの私は、本さえあれば平気という体でいたのに、ついに本心が決壊したせいで戸惑っているのだろう。

「ごめんなさい。もう大丈夫です」

「何があったんだ?」

「……歌を歌ってしまったら、郷愁が。それで止まらなくなりました」

 私はウォードさんに呆れられ嫌われたく無い、そんな気持ちから嘘をついた。今はどうしてもしんどくて、どうでも良い人扱いをされたくなかった。醜い心だ。寂しいことがこの国にばれたくないと先ほどまでは思っていたのに、何という浅ましい心。

 何とか泣き腫れた顔に笑顔を浮かべると、彼は痛ましそうな表情になった。また、心が引き攣った。




 恨み辛み、憎しみは消えてはくれなかった。一つ、雑用の少年から噂話を聞いた。私のような異世界の者は、魔力が無くなり、死んでしまう寸前になると、その時になって漸く元の世界に戻してくれるかもしれない、というものだった。

 かもしれない、というのがとてもこの国らしく胡散臭い。

 そして私は、元の世界に戻れないのだと察した。魔術師十人息絶え絶えで漸く召喚出来るというのに、そんな手間暇かけて死にかけの人を元に戻すか? そんな丁寧なことを、生きている間でも出来ていないこの国でするようには思えない。

 ……いや、この国を頼るからいけないのでは?

 他国はどうだ?

 私の脳裏にサルヴァトル先生の顔が浮かんだ。静かに他国の事を喋ろうとはしなかった姿。私はこのチェスター国の事しか知らない。しかも、物語を通じての朧げな国のことだけ。

 私は牢屋に居る。なのに、そんな他国の事だなんて、大それたことは無理だ。

 無気力な気持ちになって、私はゆるゆると寝床に横たわった。

「諦めに行こう。祈りは潰えて、消える前に」

 囁くように歌って、眠ることにする。そういえば、久しぶりに本を開かなかったな。




 少しだけ気力を取り戻すと、昨日は読まなかった本を開いて現実を忘れる事にする。もう牢屋に入ってから、どの位日数が経ったか分からない。

「おい」

「……え?」

 食事の時間では無いのに、看守に話し掛けられて私は呆気に取られた。焦げ茶色の髪を短く刈って、琥珀色の瞳が鋭いのが印象的だ。がっしりした体格の看守のウォードさんが私に何かを差し出していた。

「見舞い品だ」

「えっ?」

「この前、お前は故郷の歌を歌った後泣いただろう。その事を知った奴が、これを渡せと押し付けてきた」

 ウォードさんの言葉に茫然となる。視線を彼の手元に向ければ、一本の切り花がある。私の身はこの国では気にされる事などあるまい、そんな立場だろうと思っていたから余計に驚いた。

 指先が震えた。

「ど、どなたから……」

「名前は知らんが宰相補佐だ」

「覚えて、くださっていたとは……」

 思わず眉が下がり、笑みがこぼれた。本当に心配りが優しい人だ。ジェヒューさんの利発な横顔が脳裏に浮かぶ。

「ありがとうございます」

 看守から切り花を受け取って、そして花瓶がない事に気付いておろおろしてしまった。そんな気のつくものなんて牢屋にない。見かねたウォードさんが質素な底の浅い器をくれた。切り花そのものを生けることが出来ないので、茎部分よりとても短く切って節ごとに分けて、浮き花のように飾ることにした。

 それだけで牢屋に潤いがあるような気持ちになった。無意識のうちに手首を触る。いつのまにか癖になった、金の環を触る仕草はいつ終わるだろう。

 私は先日の呪いの歌で一つ、感じた事があった。確信したくて呪いの歌ではなく、幸いを導く歌を歌ってみる。

「君が行く、その先を風は導いて」

「足跡は砂に消えて、君の安楽を誰人に渡さない」

「篝火の幸いは、君を照らす」

 一人一人、私に優しくしてくれた人達の顔を思い浮かべながら歌ってみる。そして、感じたことは勘違いではなかったという事が分かった。

 日本語で歌うと、どうやら魔力が消費される。何時もよりも金の環から力が抜けて行く感覚が強くなるのだ。恨み辛みを内包した魔力も、祈りを込めた魔力も、この装身具は吸い取ってしまう。

 まじファンタジー。まじ厨二病。心が痛い。

 私は毎日歌う事を決めた。この国への恨み辛みの歌と、優しくしてくれた人達への祈りの歌を。




 牢屋の生活は恐らく数年経った。私には変わり映えのない時間が続いている。ジェヒューさんの様子は分からないし、サルヴァトル先生からの本の差し入れは暫く前から止まってしまった。新作の本が来なくなって暇になった私は、看守に頼んで新聞の文化面だけ読ませて貰っている。新聞の政治面は絶対駄目なんだとか。わー、私政治犯みたーい。

 新聞の中で連載されている小説は、兵隊の活躍をえがいたプロパガンダ小説だ。国内の戦意高揚を目的とした小説は、一兵士のいじましい愛国心と、任務にひたむきな姿、苦難を共に乗り越える仲間との美しい連帯を素晴らしい筆致で表現していた。出来が良い戦争小説は好評らしく舞台化もされている。

 そして文化面の紙面には、よく王子の声や行動が取材されていた。あのキラキラしい王子はエドガーというらしい。知らんかったわー。

 麗しい容姿で大人気の彼は、記者たちに追いかけられているようで、あっちへ公務へ、こっちでお忍びで、ということを書かれていた。そして去年結婚していたようだ。……新聞の日付を見たら、私が牢屋に入ってからそろそろ三年になるらしい。知らんかったわー。

 この国の現状が何となく分かるようになって、私は楽しくなった。

 チェスター王国は今、戦争をしている。

 しかも戦況は不利だ。

 牢獄からでも分かる事がある。まずは貴人用の牢獄が近頃盛況なのだ。貴人の思想犯が詰め込まれている。看守も忙しく働いている。そして牢屋が盛況になって暫くすると食事の質が落ちて行った。戦争捕虜には良い食事を与え、自国の罪人はくず野菜で飢えを凌ぐようにさせる。

 けれど私は魔力供給源という役割があるので、食事はまだマシだ。むしろ看守や雑用の少年の食事の方が質素で心配になってくる。育ち盛りだろう少年に、私はこっそりと一品食べて貰うことにした。私は散歩も出来ないので、油断するといやな太り方をするからだ。

 少年は恥ずかしそうだったが、背に腹はかえられず、こっそりと頂くようになった。最近痩せっぽちになってきてて心配になってたのだよ、少年。

 戦況が更に悪化してくると、沢山の貴人たちが牢屋から消えた。前線に送り込ませてすり潰されたか、それとも普通に処刑されたか分からない。看守の忙しさは無くなり、彼の普段居る場所は私の牢屋の前になった。

 彼がくれる文化面だけの新聞もきな臭くなっている。新聞の紙質が悪くなりペラペラと破れやすくなったものになり、インクも濃い色でなくなって薄い色の紙面になっている。戦争末期の日本の紙みたいだった。

 新聞の内容もまた厳しい色を隠せなくなっている。戦争関係の内容ばかりで、戦意高揚を狙っているのに上滑りしている。文化面で贅沢ではなく節制せよとは、こりゃ駄目だ。

 人心が荒れてきているらしく、窃盗強盗が頻発して、他国へ逃散する農民も出つつある。王都でもきな臭くなり、王族の公務取り止めもあったようだ。

 不夜城の如くであった王都の煌めきは消え、私の魔力は専ら軍需の方へ向かっているらしく、魔術師らの燃費の悪い攻撃魔法などで活用しているのが、様々な記事を読み繋ぎ合わせて見えてきた光景だ。

 通りで最近、心身がしんどいのか。ただの栄養不良かなと思っていたのになあ。

「ねえ、ウォードさん」

 普段は話し掛けないのだが、少し気になったので聞いてみることにする。

「……何だ」

「今、戦況悪いでしょう?」

「……どうやって知った?」

「新聞のあれこれで予想してみました。どうやら当たりですね」

 私の方に顔を向けたウォードさんは、酷く恐ろしい顔になっていた。琥珀色の瞳が鋭く眇められて、少女なら半泣きになること違いない形相だ。

「ウォードさんは此処にいて大丈夫なのですか? ご家族は無事ですか?」

 彼は私の言葉に虚をつかれたようで、形相が緩和された。

「……家族は既に疎開している」

「では、安全なのですね、良かった。でも王都はもう危険なのですね。ウォードさんは此処に居て大丈夫ですか?」

「仕事がある」

「命あっての物種でしょう? いざという時は逃げても良いのではないかと思うのですが」

「誇りは捨てられん。それに俺が逃げたらお前は動けず飢えて死ぬぞ」

「それはそうなのですが、私は今暫く死なないと思うのですよね。この国の魔力供給源だから、現状の死ぬ序列はきっと後ろの方ですし」

 看守は苦々しい顔になった。その表情も幼子はきっと怖くて泣くぞ。

「お前がこの国を憎んでいる事は知っている」

 今度は私が虚をつかれた。

「あの歌たちは恨みや憎しみを込められたものだろう。詞の内容が分からずとも、声で分かる」

「……参りました。バレてましたか」

「穏やかに囁くように喋るお前が、あの時だけは低く朗々と響かせるように歌う。明白だろう」

 羞恥と情け無さで顔が赤くなっていくのが分かる。よく聴いて観察していたのね、看守殿よ。気まずくなって目を伏せた。

「では、この憎しみも報告されてましたよね。丸分かりだったなんて恥ずかしい」

「……郷愁で歌った、と報告しただけだ」

「え? 真面目で実直なウォードさんが? この悪意の歌を報告しなかったのですか?」

 私の目が丸くなって、ウォードさんを凝視しているのを彼はむっつりした顔で見つめ返していた。

「もう過ぎた事だ」



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