幕間:蜘蛛は獲物を待つ
男は只一人で暗い廊下を歩いている。所々に燭台が掲げられているが、建物全体に明かりの恩恵を与えるには少々燭台の数が足りていない。
男は誰が見ても只者ではない。二メートルを超える巨体に、筋肉という鎧が厚みを与え、鋭い眼光は男から一切の容赦というモノを排除していると思わされるには十分であった。全身は黒一色でまとめられ、背中に背負った長大な片刃の剣は男の膂力の凄まじさの証明であるように思われる。
「ザンク」
その男に声がかけられた。ザンクと呼ばれた男は煩わしげに振り返ると声をかけてきた男に視線を向ける。
そこにはザンクと呼ばれた巨体を持つ男とは真逆の容姿を持つ男がいた。その男は身長が百八十程で長身と呼んでもいいだろうが、体の線は細く、薄い。だがそれはひ弱と言うわけでは決して無い。よくよく見ると鍛え抜かれた体躯であることがわかるだろう。
全体的に整った容姿ではあるが切れ長の目がやや神経質のような印象を与えていた。
「バサルか……何の用だ」
「つれないな。ご機嫌斜めな君を慰めようとした友人への返しがそれかい?」
「貴様が友人だと? なかなか質の悪い冗談だな」
ザンクの拒絶を含んだ返答にバサルと呼ばれた男は肩をすくめた。
「まったく。この間の連中が期待外れだったからといって露骨にこちらにあたるのは勘弁して欲しいものだね」
「……ふん」
「心配しなくても次の連中はこの間の連中なんぞより遥かに出来る連中がくるさ」
バサルの言葉にザンクはこたえることなくそのまま歩み続ける。バサルはまたも肩をすくめるが今度は何も言わない。いつものやりとりであるからだ。
ギィ……
二人はそのまま歩みを止める事なく突き当たりの扉を開ける。扉の先には聖堂を思わせる雰囲気の巨大な空間があった。
二人の入った扉の正面に、一体の巨大な神像があり、その側面に四体の神像が設置されている。側面に置かれている神像のうち三つの上部は砕けており、砕けた神像の中が空洞となっている。まるで何者かがこの神像の中から飛びだしてきたかのようであった。
そして一体の強大な神像の前に一人の男が祈りを捧げているのが目に入る。その男は紫色の髪に、赤い目、青白い肌のひょろっとした印象の男である。顔の造形は悪くはないのだが青白い病的な肌がその造形の悪さを覆い隠し、まるで幽鬼のような印象を与える。
「シミュル首尾はどうだ?」
ザンクがその男に問いかけると祈りを中断されたためであろうか、振り返ったシミュルの表情は不本意という感情が色濃く表れている。
「ふん……無粋な奴め。儂がエルゼオン様への祈りを捧げるのを見て声をかけないという選択肢は浮かばなかったのか?」
思い切り呆れたかのように言うシミュルの言葉をザンクはまったく気にすることなく続ける。
「そのような些事などどうでも良い。エルゼオン様が貴様如きの祈りを心地良く思うわけ無いではないか」
「なにぃ?」
ザンクの言葉にシミュルの声に殺気がこもる。それをザンクはニヤリと笑うと背中の大剣に手を伸ばした。祈りの間にザンクとシミュルの両者の殺気が満ちる。それは気の弱い者であれば抵抗の意思を砕かれるほど濃密なものである。
「二人ともくだらん喧嘩はよせ。ザンク祈りを邪魔したのは明らかにこちらの不備というものだ。それにシミュルもエルゼオン様の目の前で醜態を晒すべきではなかろう」
バサルは呆れながら両者の仲裁に入る。バサルにして見ればこのような程度の低い争いなどアホらしい限りなのだ。
「ふん……一理あるな」
「確かにエルゼオン様の前で醜態をさらすわけにはいかんな」
バサルの言葉にザンクとシミュルは一定の理解を示した。完全に納得したわけではないだろうが殺し会いにまで発展するという状況から遠ざかったことは確かであった。
「ビルケインはもうすぐ顕現するだろう。しかし、エルゼオン様が顕現するのにはまだまだ霊力が足りぬ」
シミュルの返答にバサルが頷く。
「そうか、次の連中はもう少し数が多ければ良いのだがな」
「前回の奴等を斬ってすでに一ヶ月。今度はじっくりと準備を整えて来るであろうからな。質も量も比べものになるまい」
バサルとザンクが続けて言うとシミュルはニヤリと笑う。
「どうやら勇者の祝福を発動したものが現れたらしい。何度か繰り返しているうちに勇者が現れる事になるだろうな」
シミュルの言葉に反応を示したのはザンクである。
「勇者か……強者なのであろうな」
「勇者か……あまり期待するなよ。所詮は人間の勇者だ。我らの敵ではあるまいよ」
ザンクの言葉にバサルが冷静に返答する。
「とりあえず勇者がここに来るまで殺し続けるとしようか。思わぬ当たりが引けるかも知れんな」
ザンクはそう言うとニヤリと嗤う。
その様子をバサルとシミュルもまたニヤリと嗤った。
この者達の巣にシオン達が侵入してくるのは一週間後であった。




