5話 世界の意思
5話
次の日、速井サクラは自殺した。
「つまり、高3に戻って、その速井さんが死ぬのを防ぎたいってことですか……」
一通りの説明を聞いて、天使は無精髭を撫でながら頷いていた。
「確かに、今の説明を聞いたらカガリさんの言葉で死を決めたみたいでしたもんね……」
天使が何気なく呟いたその言葉が、ぼくの胸に深く突き刺さる。
でも、この痛みとは向き合わなければならない。そう思い、ぼくは天使の眼を見てしっかりと頷いた。
「わざわざ高3を選んだのも、過去に戻りすぎるとバタフライ効果的に未来が変わる可能性を考えて、ですよね?」
「流石に今の知識量で小学校に戻ったら、多分親も先生も、名門中学に入れようと、躍起になりますから」
速井との腐れ縁がなくなってしまえば元も子もない。
ただ、少し気がかりなこともある。
「その選択は正しいと思いますよ」
ぼくの考えを読んでか、天使は衝撃的な事を口にした。
「きっと、過去に戻りすぎて速井さんとの縁が切れても、『世界の意思』のせいでどうせ死ぬ運命は変わりませんから」
「ワ、ワールド……?」
「あ! そりゃ説明しなきゃですよね」
天使は照れたようにはにかんだ。
「世界の意思っていうのは、平たく言うと運命ですね。過去をやり直して、小さな変化を起こしても、大きな運命の流れは変えられないってことです。今回のことで言えば、カガリさんが過去に戻って、『速井さんとの縁を切る』という、小さな変化を起こしても、『速井さんが高3の年に死ぬ』っていう大きな運命は変えようがないんですよ。それは例え神様でも、変えようのない決定事項ですから」
「よく、タイムトラベルの小説である、『運命は変えられない』ってやつですか?」
「そうです! そうです!」
それを聞いて、1つ、重要なことに気付く。
「それって、例えぼくが生まれ変わって、速井の自殺を止めようとしても無駄だってことになりません?」
「………………あっ」
「あっ、じゃないですよ! 今までの会話なんだったんですか! しかも、よくよく考えたら、ぼくもおんなじ歳で死ぬし! 生まれ変わる意味ないじゃないですか!」
「いやいやいやいや! ちょっと待ってください!」
天使は慌ててぼくを宥める。
「思い出しました! 世界の意志を崩す方法もあるんですよ! カガリさんの言葉に、うっかり納得してうっかりど忘れしちゃっただけですから!」
うっかりって……。
「まぁ。どうにかできるならいいですけど……。で、どうやるんですか?」
「『世界の意思の決定条件』をなくすんですよ! 勿論今度はすぐ説明しますから、そんなウンザリした顔しないでくださいよ!」
また知らない単語が出てきて本当にウンザリしたのだからしょうがない。
「人間だって、何かを決めるときに『きっかけ』って絶対あるでしょ?」
――例えば、就職先を決めるときも、給料・待遇が良いという情報がきっかけとなって決める。
――例えば、部活を始めるときも、友達の誘いや漫画・有名人の影響というきっかけがあって始める。
――その日の献立だって、テレビでレシピを見たとか、昨日の献立からヒントを得るというきっかけがあって何を作るか決める。
「逆に言えばきっかけがなければ、意志は生まれなくて、未来はまるで変わるんですよ」
――情報がなければ就活もろくにできない
――影響がなければ部活は始めない
――ヒントがなければ献立は考えられない
「世界の意志でもそれは同じなんですよ。大きな意志の流れが生まれるには必ず、それに繋がる元になった『きっかけ』があるんです。勿論、さっきも言いましたけど、きっかけが生まれた瞬間に、世界の意志が動き出して誰に求められないです。だから、このきっかけの事を『世界の意思の決定事項』って言うんです」
理解できた気もするが、自信がないので小さく頷いてみせる。
「だから、カガリさんがすべきことは速井さんが死ぬ世界の意思の決定事項をなかったことにするんです。そしたら未来は大きく変わって、少なくとも、速井さんは高3で死ぬなんて運命にはならないはずです」
「俗っぽく言えば、フラグをぶち壊すって理解で大丈夫ですか?」
「それめっちゃわかりやすいですね! 今度からその説明の仕方マネさせてもらいます!」
天使は眼を爛々と輝かせていた。
全く緊張感の欠片もない。
でも、その表情を見て、ぼく自身安心できて、かなり楽にこれからのことを考えられた。
「じゃあ、とりあえず、速井とは、あいつが死ぬ前日には会わないようにしますね。そんで、世界の意志とやらがなくなって、落ち着いてから、ちゃんと話そうと思います」
「あ、それは不味いですよ? 速井さん死にます」
「は?」
「自分の説明の仕方が悪かったんですけど、世界の意思の決定事項は、人間の意思決定のきっかけみたいに分かりやすくないんですよ。それこそバタフライ効果みたいに、思いがけないことがきっかけなことの方が多いです。何が決定事項になったかなんてわかんないですよ。カガリさんの話を聞いただけでも、大きな怪我や友達との不仲とか、直結的な理由がいっぱい思いつきますから」
「じゃあ、どうしようもないじゃん!」
「そ、そんなことないですよ! 今回は特別に自分も陰ながらお手伝いしますから!」
――まぁ、世界の意思を変えるなんて、これ以上なく面白そうだしな。
天使は今までとはまるで違う口調で、カガリに聞こえないようにそう呟いた。
その眼差しは、先程までの少年のようなものではなく、まるで俯瞰するような冷たい光を一瞬帯びた。
しかし、すぐさま先程までの表情に変えおどけてみせる。
その変化にカガリが気づくことはなかった。
「じゃあ、方針も決まったことですし、善は急げ! 早速生まれ変わりましょう!」
そう言って、天使は右手を高らかと掲げ、「パチンッ」と大きな音を立てて鳴らした。
その瞬間に、今までいた小さな和室は、まるでハリボテのように壁が四方に倒れた。
そして壁の向こう側は、まるで宇宙のように何もない、暗闇が続いていた。
いや、ただ1つ、天使の背後――ぼくの正面に、高さが少なくとも10メートルはある石造りの扉があった。
扉には様々な文様がちゃう刻されており、つい畏敬の念を感じてしまう。
「ここを通ればもとの世界に戻れますよ」
天使は今まで通りちゃぶ台の向こうでくつろぎながら、何でもないことのようにそう言った。
「帰る前に何か聞いとくこととかあります?」
天使がそう言っている間にも、扉はゆっくりと開き始めて、扉の向こうから純白の光が漏れている。
ぼくは立ち上がり、吸い寄せられるように扉に向かって歩いていた。
気がつくと、あと一歩踏み出すと、扉をくぐってしまう場所までいた。
その場で少し静止し、考えたあと、ぼくは天使の方を向き最後に尋ねた。
「名前、何ていうんですか?」
ぼくの問に、天使は一瞬驚いた顔を見せた。
「あ、あぁ。そう言えば名乗ってなかったですね。自分の名前はイムです。カガリさんが天寿を全うして、死後の試練に耐えたらもう一度こうして『向き合って』お話できるかもしれないので、よかったら覚えておいてくださいね」
「わかりました。イムさん、チャンスをくれてありがとうございます」
そしてぼくは扉をくぐる。
「せっかくのチャンス、いかしてくださいよ」
もはや遠くにイムの声が聞こえる。
さてさて、どちらの『活かして』なのだろうかそんなことを考えながら、ぼくは過去に向かって、真っ白な世界をひたすら歩いた。




