Kind lie-優しい嘘-
「あのー、貴方は神を信じますか?」
唐突にかけられた宗教勧誘? らしきモノが自分に向けられていると理解するのに数秒の時間を要した。
「え?」
思わず素っ頓狂な声で反応してしまう。声をかけてきた相手はシスターらしく笑顔で更に問いかける。
「ですから、貴方は神を信じますか?」
えーと……どうしたらいいんだろう。邪険にするのも躊躇われるが隙を見せるとつけ込んできそうな気がする。
「えっと……すいません!」
俺はダッシュで逃げ出す。返答になってないが、まぁ行動で示したからいいだろう。
不意に目眩がしたが初めての地でいきなり宗教勧誘とは驚いた。俺は今村純。大学に進学するのに某地方の比較的都会な地に引っ越してきた。
一つ年上の彼女である正木聡美と同じ大学に進学するために必死こいて勉強したのと親元という束縛から離れるから、その開放感を思う存分味わうつもりだ。聡美と同棲は出来ないが、いずれしたいと思っている。
ペット可の部屋を借りて聡美の好きなリスを飼う事になった。聡美の部屋は残念ながらペット不可なのである。
待ち合わせの場所で宗教勧誘されたので戻るのは気まずい。聡美にメールで待ち合わせ場所の変更を伝える。そして初めての地での初デートで俺の新たな家族となるシマリスを求めてペットショップに向かう。
「わー! 可愛い!」
聡美は目を輝かせてペットショップのウインドウを見ている。そんな聡美が愛しい。財布にはネットで調べたシマリスの相場とケージを購入するのに充分な金額が入っている。あとデート代。
「ねぇ純! この子可愛い!」
聡美は一匹のシマリスを指差す。こちらをじっと見つめている。確かに可愛い……。この子に決めてしまおうか? 聡美と話をしていると店員が寄ってきた。
「いらっしゃいませ。リスをお求めですか?」
「あ、はい。そうなんです」
「お気に入りの子は見つかりましたか?」
「この子が可愛いなぁって」
俺と聡美は例のシマリスを指差す。
「ああ、この子ですか。オススメですよ。健康状態は良好ですし人懐っこいですからね」
店員は親切にシマリスの飼い方を教えてくれる。その態度には誠意を感じた。
「じゃあ……この子買っちゃいますか」
「ありがとうございます。ケージ等もセットでご購入されると割り引かせていただきますよ」
「じゃあお願いします」
会計を済ませて満足げな聡美と夕方の街並みを歩く。
「ねー純、この子の名前どうしようか?」
「うーん、オスらしいからなぁ……。和風にするか洋風にするか……」
「やっぱり洋風でしょー。マイケルとかどう?」
「マイケル……うん、いいかも」
「よーし。お前は今日からマイケルだぞー」
聡美がシマリスのマイケルに話しかけている。覚えてくれるかなぁ?
待ち合わせ場所で解散する。俺も早く荷物を置いて休みたい。マイケルのケージやら何やらは結構重い……。
家路へと足を向けていると……。
「あ、貴方は昼間の……」
げ、昼間の宗教勧誘のシスターとバッタリ出会ってしまった。気まずい。またダッシュで逃げるか?
「あら、ずいぶん重そうな荷物ですね。手伝いましょうか?」
「結構です。特に神様とか信じてるわけでもないので」
キッパリ言ってやった。これで諦めてくれるだろう。
「では神の御業を体験させてあげましょう……」
「いいですって。しつこいですよ」
「まぁまぁ。貴方の持っている荷物、ペットでしょう? もし、そのペットと会話出来るとしたらどうします?」
「バカらしい……。お伽噺じゃないですか」
「すぐ済みますので……。貴方のイエスという言葉がないと私は何も出来ないので……」
「はいはい、じゃあ終わったら帰ってくださいね」
「では……」
シスターは手を組み祈りを捧げている様だ。心なしか小さく歌っている様に見える。
「終わりましたか?」
「終わりましたよ。さぁペットに話しかけてみてください」
ちょっと呆れながらもマイケルに話しかけてみる。
「おーい、マイケルー」
「む? マイケル? 吾輩の事か?」
は!? しゃ、喋った!
「喋った!」
「これが神の御業です……」
「すげぇ!」
「だからマイケルとは吾輩の事かと聞いているのだが」
「あ、ああ。お前の名前はマイケルだ」
「そうか。あの動物がたくさん居るところから救ってくれたのか……。という事はお前は吾輩のご主人という事か?」
「あ、ああ。そうだよ」
未だに信じられないが実際にマイケルが喋っている。シスターに何をしたのか聞こうとしたが、いつの間にかいなくなっていた。
「とりあえずご主人、吾輩腹が減っているのだが」
「お、おう。本当にマイケルが喋ってるんだよな?」
「何を今更。ご主人は愚鈍か?」
「ぐ、愚鈍だって?」
「現状を正しく認識していないと見える」
「だ、大丈夫だ。お前はマイケル、俺は今村純って名前でお前の主人。で、お前は腹が減っているんだな?」
「ジュンだな? よろしい。食事をしたいのだが」
「ちょ、ちょっと待て。今からお前を部屋に連れて行くから。そしたら飯をやるよ」
「分かった。急げよご主人。吾輩腹が減ると力が出ないのだ」
そんなこんなでマイケルとの奇妙な同居生活は始まった。何故か一人称が吾輩という無駄なダンディーさを醸し出しているが、あまり迫力がない。こんな状況だからか俺の腹もあまり減らない。マイケルは悠々自適といった感じで過ごしているが……。
聡美は忙しいのか基本的にメールでやりとりしている。マイケルが喋る事はもう言ったのだが冗談と思われた様である。
「今日マイケルとどんな話をしたのー?」
とか聞かれる始末である。
「ご主人。何か元気が無い様だが大丈夫か?」
「ああ。大丈夫。引っ越し早々リスと同居するとは思わなかったから神経がちょっと参ってるだけだと思う」
「吾輩に気を遣っているのか? それは無用だぞ? 吾輩はこの家が気に入っている」
「そりゃどーも。じゃあ何か恩返しでもしてくれよ」
「もうしてるぞ?」
マイケルが癒やしという事だろうか? 個人的には聡美の前で芸でもしてくれると嬉しいが。
「じゃあそろそろ寝るから電気消すぞー? マイケルもいいかー?」
「把握した。吾輩もゆっくり眠るからご主人もゆっくり寝るんだぞ」
病院の一室、聡美は物言わぬ純の前で座って居た。デートの日、純は酔っ払い運転の車に突っ込まれて事故に遭った。幸いスピードは出ていなかったものの頭を強打して意識不明に陥って病院に緊急搬送された。それからずっと意識不明のままだ。
「純……。目を覚ましてよ……」
それから何ヶ月かして純は帰らぬ人となった……。日を同じくして、デートで行く予定だったペットショップではリスが一匹、眠る様に息を引き取った。
街頭の歩道では、とあるシスターが悲しげな顔をして祈っていた。
「神様……。嘘をついた私をお許しください……」
そう、純とマイケルの同居生活は優しい嘘の日常。きっと純とマイケルは現実では会えなかったが夢の中では会えたハズ。そしてゆっくりと一人と一匹はゆっくりと、眠り続ける……。