教師をすると言うこと
勝田は勤務先までの道のりを歩いていた。見慣れた商店街。いつもと違うところがあるとすれば、スーツでは無いことだ。重い足取りでぽつぽつと歩きつつ、なじみのコーヒースタンドに寄るかどうか考えていた。
勝田は昨日、夜遅くに校長宛にファックスを入れていた。
「生徒とコミュニケーションが上手くとれず、先生としてもやっていく自信がありません」
本間快里は確かに特別な生徒だった。それは相手が本間だから……と言えるかもしれない。しかし、今となって言えることは、相手が誰だろうと関係ない気もしていた。
多分、アイツ一人のせいでこんなに悔しいってことは、俺がいかに他人の賢さに気がつかずに慢心してたっていうことなんだろうなぁ
漠然と自分のこれからのことを考えてみた。とりあえず実家に帰ってみるか。それとも、少しぐらいの貯金ならあるから、国内旅行をしてみるのも良いかもしれない。
何か好きなことにでも没頭してみて、そのうち元気になるのを待とうか……。
俺の好きなことって何だろう?
ふと考えてみると、学校の勉強ぐらいしかがんばってやったことがない。
がんばって勉強して教育大学に行って先生になった。先生になろうと思ったのは、自分の学生時代の経験から、良い先生は極めて少ないと感じていたからだ。
自分ならもっと上手に生徒を教えられる
そういう想い……今となっては慢心とも言えるが、それが自分を教師へと促した。
最悪だ。好きなことでもかなわなかったんだ。
自分の人生が全否定されたようで目眩がした。
「あのお客さま……、ご注文はお決まりでしょうか?」
勝田は話しかけられて、きょとんとした顔をした。どうやら、いつもの習慣でこのコーヒースタンドに足を運んでしまったらしい。
「えっと、あの、ウェイト……レスさん」
勝田は思わず戸惑いながら答えてしまった。
依入は自分のことを指していることに気づくと、少しはにかんで笑みを浮かべ、笑顔をきっちり作って答えた。
依入には勝田が北高の先生だということがすぐにわかったが、いつもこの先生達の話を、こっそり盗み聞きしていることがばれないと良いなぁと思いながら返事をした。
「ウェイトレスとは、ちょっと……違うかもしれないですけれど。お客様、いつもこのぐらいの時間にいらっしゃいますよね?毎日、ありがとうございます」
依入はちょっと首を傾げて考えながら話す。
「えっ、あ、えぇ。独身なので朝食はこういうところで食べるしかないんですよ」
「男性の独身って大変そうですよね。でもお夕飯はきちんと食べたほうが良いですよ。この前一緒にいらっしゃった彼女にでも作ってもらったらどうですか?」
「彼女?えっと、あ、やっぱり、夕方はあまり来ない方がいいんですかね」
勝田は何のことか良くわからなかったこともあって、無理に笑顔を作って答えた。とはいえ、明らかに疲れたような笑い方だ。今の勝田にはこれが限界なのだが。
「いえいえ、お店としてはもちろん来て頂いた方が良いのですけれど」
依入はちょっと失言したっという顔をして慌ててフォローをいれた。そして他の店員に気がつかれないように小声で話す。
「店員がこんなこと言っては何ですけど、一日二食もこういうところで食べて大丈夫なんですか?軽食ですよ?」
「いやまぁ作ってくれる人はいませんし、ここで食べなければとりあえずコンビニで弁当でも買って帰るしかないですから、あんまり変わりませんよ。実際」
ばつが悪そうに勝田は頭をかきながら話した
「あら?仲の良さそうな女の方とときどき一緒にいらっしゃるから、つい……」
そこまで話したところで依入は勝田の後ろを見た。よく見るとレジに人がならんでいる。あまり雑談ばかりしてまたせるのもよくないだろう。そう考えながら話を切り替えた。
「あ、いつものサンドイッチとコーヒーのセットでよろしいんですよね?」にっこりと笑って言う。
「あっ。はい」
「それじゃ、後でお持ちしますので、空いているテーブルまでどうぞ」
笑顔も商売道具なんだろうけど、いつもぐらっと来ちゃいそうになるなぁ。勝田はすこしにやにやしながら、彼女の言われるがままに、いつもの窓際の席に習慣的に座った。
しまった。今日は奥の方に座れば良かった。
今日は学校へは行かないのだから。生徒に見られるのも嬉しくない。どうしよう。奥の方に移動しようか?そんなことを考えているうちに、サンドイッチの載せたトレイをもった依入が、笑顔でたっていた。
「お待たせしました」
トレイをテーブルに起きながら依入が言う。そして空になったトレイを胸に抱えて再び口を開く。
「すみません、さっきは。後に別のお客様がいたものですから」
柔らかい笑顔だ。
「あ、えっと。さっきの話ですけど……。彼女は同僚なんですよ」
「じゃあ。あの女の方も、学校の先生なんですか?」
「えぇまぁ。え?あれ?なんで私が教師と言うことを知ってらっしゃるんですか?」
「あ」
思わず、依入は口が大きく開く。そしてばつが悪そうに、ちょっと恥ずかしそうに続けた。
「いえ、よくお店で、学校教育に関して熱弁を振るってらっしゃったから……」
「え?聞いてたんですか?」
「あ。すみません。私も教師に憧れていたというか……今も憧れているので。諦めてないんですよ。実はこれでも一応、教員免許持ってるんです。だからいつも教師ってどんなかなって、どうしても気になって。聞き耳立てちゃいけないなとか思ってても耳に入って来ちゃったんです。すみません」
思わず萎縮しながら話す依入。
「いえいえ。ああ、でも、聞いてらっしゃったんですか」
勝田は依入が萎縮しているのを見て、気づかうように話した。
「お恥ずかしい。話半分で聞いてて下さいよ」
「そんなことないですよ。ホントに感動したんです。以前、教師の教師たる目的について語っていらっしゃったじゃないですか。自分たち教師がやらなくてはならないことは、結局、生徒を育てることなんだから、それを整理して考えれば自ずと答えは出てくるはずだって。同僚の方に熱弁を振るってらっしゃるのを見て、そうだよなあ、教師の目的は常に生徒を育てることなんだよなって。実は影で感動してたんですよ」
依入はうれしそうに話す。
「あっ……あぁ」
勝田はまるで胸が圧迫されて痛むような感じがした。
言っていることがすべて実現できたらね。
勝田の頭の中で、昨日、本間に言われたことが頭の中でこだましていた。いつかの自分が言ってた言葉のはずなのに、その意味を理解してなかったのは自分だったのだ。その言葉の目的はなにか?なにが言いたくて、生徒にいい訳のような説教をするのか?本間が言ってるように、俺は自分が生徒よりも賢いことをアピールするのが目的なのか、それとも本当に生徒のためなのか?考えてみれば、生徒のために尽くして云々というのは、詭弁ではないのか。最初に教師になりたかった志はなんだったのかを思い出す。
勝田は無意識にくちびるを噛んでいた。
高校時代は先生と馬が合わなくて苦労した。大学の教授は自分には何も指示をしてくれなった。教育哲学はみんなと全く違い、大学の友達とは朝まで激論をしたものだ。「勝田は熱すぎる!」友達にもよく言われた。その実、嫌いだった先生もいっぱいいた。だけど良い先生はほんとに良かった。一握りしかいなかったけど、彼らに出会わなければ、自分は先生になろうとも思わなかったと思う。
だから、一人でも多くの生徒の疑問を聞きだし、彼らが自分自身で答えを導き出す道標にでもなれればよい。そんな風に思ってたはずだ。
それがいつのまにか生徒よりも自分のアイデンティティの維持のために偉ぶり、どっかで聞いたり読んだことのある聞き応えがあるようなかっこいいことを言おうとする。生徒に伝えたいのか、賢そうなことを喋る自分に酔うためなのか。
「えっと、私、あの……何か、気に障ることでも仰いましたか?」
依入は自分の一言で、勝田の表情に陰りが現れたことを見ていた。
「あっいえ」
勝田は努力して平常心をとり戻そうとした。そして、一呼吸おいて言葉を放つ。
「でも、教師というのもいろいろ大変なんですよ」
生徒は自分が思っているよりも賢いし、自分と馬が合わない生徒だっています。そういう子供にも、同じように教えないとならないし、案外、そういう生徒の方がずっと賢かったりするんですから……
まずは口に出さずに頭の中で考えた。
いつもなら、なにも考えずにそのまま口から出ていたような言葉だ。このまま言って良いものか?勝田は教師に夢を見ている女性に、その職業の辛さを前もって教えることが、この女性にとって意味があることなのか考えた。結局は自分の自己満足に過ぎない気がする。ここでこの女性に教師の辛さを教えても、彼女の夢の心の強さを試すことにしかならない。それに大変なことばかり知っていても仕方がない。そんなことを知ってたところで、逆に身動きが取りづらくなってしまうだろう。自分のせいでこの女性は、初めて受け持つ生徒と接するときに斜に構えすぎてしまって、コミュニケーションがうまくとれないかもしれない。
辛さを知っておくことは必ずしもメリットとは限らない。知らないからこそできる、のびのびとした教育哲学だってあるはずだ。いまここで教師の辛さを彼女に話したって、彼女になんの足しにもならない。単に先輩面ができる自分の自己満足と、あるいはそれによってこの美人に、自分が良い感じで尊敬されたいという俺のエゴなんじゃないのか?
本間、それもおまえが言っていた話は、こう言うアイデンティティの維持のための話なのか?
普段から考え無しに偉そうな台詞を吐いていた自分を思い出し、呪いたい気持ちになってきた。頭が嫌な方に回ってしまう。
勝田は必死になってこの女性の夢を壊さないよう、言葉を選んで話した。
「いや……やりがいはありますよ。生徒とコミュニケーションがうまくとれたときは、本当にやっててよかったと思います」
勝田は今言える言葉の範囲で、最低限相手を喜ばせる話をしたつもりだった。
依入は少し頭を傾げて考えながら答えた。
「そうですよね!採用通知がきたらホントにがんばりますよ。でも、とりあえずはこのお店で生活費を稼がせて頂かないと」
笑いながら右手で髪の毛をたくし上げる。依入は可愛らしい女性だ。女優や芸能人のような華やかな綺麗さはないが、なにより笑顔に華がある。たぶん表情の作り方がうまいのだろう。勝田は、この顔で微笑まれたら、男なら誰だってなんでもしてあげたくなってくるだろうなと思っていた。おそらく、この店の明るい雰囲気はこの女性が作っているのだろう。
かき上げた手の中指から指輪が顔を出した。勝田の目にそれが止まり、思わずそれを聞いてみた。
「えっと。ひとつ、聞いてもいいですか?女性がつける右手の中指の指輪には、どんな意味があるんですか?」
やっぱり彼氏とかいるんだろうか。
なんとなく胸の鼓動が速くなった。そういえば毎日ここで食事をしてたのは、職場に近いというだけじゃなかった。熱弁をわざわざこの店で振るってたのは、この子が可愛かったから。
すこしでもよい格好をしたかったからだったんだ。
結局、自分のために熱弁をふるっていたんだな。俺は……。
勝田はそう考えながら依入の言葉を待った。
「ああ、これはただのファッションですよ」
「彼氏に?」
「いないですよ。彼氏がいたら右手の薬指にでもつけてますって」
「ほんとに?あぁ、もっと先に聞いてればよかった」
勝田はてっきりお似合いの彼氏がいるものだと思っていた。
「え?どうしてですか?」
どうしてって?
急に元気が出てきた。どうしてって片思いだった人に彼氏が居なければ喜びたくなる。しかも、自分は彼女が憧れの職業をしている。少なからず彼女は悪い気持ちを自分には抱いてないだろうし。
教師をやってて良かった……
教師。
現実に引き戻される。自分より年下の生徒とのコミュニケーションで疲弊し、夢見てやっとの思いでなった教師をやめようとする自分。
いや、自分の夢を自分で支えられなくなってきたというべきなのか。さっき自分はなにを考えていたのか?
しばらく旅にでも出よう……
自分のために。
勝田は一巡したところで口を開いた。
「いや、どうしてって、絶対彼氏がいると思って。もっと早めに誘っていればよかったかなぁ」
とりあえずクールに社交辞令的に言う。少し大人の男を演じるつもりで言ってみた。
「素敵なお世辞ですね」
笑いながら依入がいう。
「そんなことないですよ。また、寂しくなったら絶対声をかけますから」
勝田は言葉を続けた。
「コーヒーごちそうさま。久しぶりに楽しい朝食でした。どうもありがとう」
勝田は二度とくることがないであろう楽しかった店と、二度と行くことがないであろう苦しかった学校に別れを告げるつもりでそういった。