切り取られたもの
白衣を着た中年の男がコンクリートでできた冷たい壁に手を触れつつ、暗い廊下を壁沿いにそろそろと歩いていた。「EXIT」と書かれた緑色の非常口のランプのみが足元を照らす。長く伸びた影の元に足元だけで繋がったぼんやりとした人影。すらっとした
白衣の形が蝙蝠の羽のような断片を広げて、乱反射する廊下に映りこむ。
やがて壁沿いに這わせた指がスリットのような何かを見つけると、男は周りを見渡して誰もいないことを確認した。探るような指使いで先にあるスイッチを探す。指が止まった瞬間、壁かと思えた一面がスライドして、隠し部屋の戸が開いた。
男が翻して滑り込むと、扉は音を立てずに元の壁に戻った。
暗い部屋。
再び手を伸ばして電灯のスイッチを探す。戸棚と戸棚の隙間にスイッチがあった。
蛍光灯がうなるように微かに瞬き、ふわっと突然部屋は明るくなった。インバータを使った蛍光灯の特徴だ。暗さに慣れ、光に感応しきれない男の目。眉が寄ってしかめっ面になった男は片目を薄目に、もう片目を何とか開いて周りを見渡した。
流体が入った大きな機械が3つ。ガラスのような透明の素材で作られた、楕円に近い筒型の大きなケースがコンプレッサーの音を唸らせながら、部屋の中心に居座っていた。ケースの表面は数枚重ねあわされていて、一番内側にはオイルかなにかの多少粘性が高い青緑の液体で満たされている。ガラスとガラスの間は真空になっているのだろう。
液体には胎児が浮いていた。胎児の背中には大きな傷があり、ラバーでは無さそうだがそのような質感のチューブがそこから出ている。透明色のチューブは中に血液のようなもので満たされ、そのまま装置の下のほうの機械に繋がっていた。
耳を澄ませるとコンプレッサーの音に混じり、強くミュートかかったような音質で人の声が聞こえる。まるで蚊が鳴くような高い振動音。いや、女性の歌声?そう言われればいえなくもない微かな子守唄のような声。
そしてそれはすぐに男の声でかき消された。
「もう少し待っててくれ。すぐに帰してやるからな」
男は優しそうな声で笑みを浮かべて胎児に話しかけた。もちろん胎児に反応はない。反応のない胎児に話しかけた自分に対して鼻で笑うと、男はさらに奥の部屋に入っていった。