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夏が終わるから  作者: 中野あお
夏が始まる
7/10

2-2

 集中しづらい環境と戦うこと約50分。授業を終えて帰ってきた富士川教授によって私たちは暑さから解放される。やらなければならないと思ってやっていたことは半分くらいしか終わっていない。


「確かにそろそろ暑い季節だからね。冷房の鍵持って行って悪かったね。」


 なんて教授は言うものの、暑さに参っているという風ではなかった。

 空調の効いた工学部棟の中しか歩いていないとはいえ、この日差しの中、白衣を着てその下も長袖で居れるというのは余程寒がりなのだろうか。それとも日焼け対策なのかもしれない。女性としてはそちらの方が自然なようにも思えるが、この半年で富士川教授が美容に特に気を遣っているというのを見たこともなければ聞いたこともない。それに、長袖も日焼け防止の黒のものなどではなく淡い水色で普段着のようなものだ。

 とにもかくにも集中して作業のできる空間が整った後の私は無敵なので、レポートをぱっぱと終わらせてしまう…なんてことはなく、その後1時間ほどかかってようやく終わらせた。

 その間に安川さんが講義にでかけ、D2のすみさんが顔を何か論文のようなものを教授に見せに来て、山岸がバイトに向かい、汐音しおねが院試の相談をしに来て、というように出入り絶えない状態であった。

 院生が常に研究室で何かしているというわけでもないのがここの特徴であるかもしれない。

 都市デザインという学科柄フィールドワークなどは工学部の中でも建築学科と同じかそれ以上に多く、学部の下級生の頃から実験室に籠っているというイメージとは離れたところも多い。博士課程に進むと例外だとは言われているが。

 その分、一般的な理系のイメージとは異なる忙しさを持っているところもあるが、卒研に追われている他の学部学科の人たちを見ていると楽には思える。私の場合は院試の免除もその楽さの要因だろう。


「そういえば、篠田君。推薦院試の案内はもう届いてるかな?」


 レポートを仕上げ、休憩していた私に教授からの声がかかる。


「はい。昨日確認しました。筆記も本当に免除になるんですね。」

「筆記もじゃなくて、筆記が免除になるだけで形式的ではあるけれど面接はあるからね。筆記試験は大学院で学ぶための基礎学力問うことが目的で、篠田君の場合は確認するまでもなく優秀な成績を収めてくれているからね。院試の過去問見てもらったらわかると思うけど、基礎科目も専門科目もそんなに難しい内容は問うてないからさ。」

「また見て、ちゃんと解いてみます。」


 直接は言わないが確認するように促された気がしたからそう答える。免除になるのだからそれを余裕で解けて当然といわんばかりの言い回しだったからだ。

 私の答えを聞いた教授は満足そうに微笑んだので少し安心する。


「毎年、どれくらいが受験するんですか?」


 少し関係のない質問だったかもしれない。

 会話を途絶えさせたくないわけではないが、そのために繋いだような、少し流れからずれてしまっているような質問だった。


「具体的な人数は覚えてないけど、うちの大学ではどうだろう。工学部の3割くらいの人は受けるんじゃないかな。国公立と比べるとやっぱり進学希望者少ないかなって印象はあるよね。」


 工学部は何人いただろうか。だいたい600人ほどだった気がする。だから、その3割となると180名ほど。大学の規模からしたら教授の言う通り進学希望者が少ないようにも感じる。

 まあ、私もこの春までは就職希望だったので人のことは言えないが。

 大学というのは高等教育の場であるので、多かれ少なかれ高校の頃に自分の選択したその学問に馴染み切らない人がいる。そういう人間が基本的には理系でも学部を出ただけで就職をすることが多いと考えている。

 それ以外にも、私立大学という事もあって、大学院に行くと学費がかさみ過ぎるため進学を考えない人もいるだろう。

 色々と理由はあるとはいえ、学生数の多い私立大学では院にそこまで多く進まれても指導が回らないので、これくらいの人数で、各研究室に5人程度というのが理想かもしれない。


「この研究室には何人が進学するんですか?」


 何人かは聞いているが、そんな話をあまりしていないし、私が進学することを知らない人もいるかもしれない。


「今聞いてるところでは、篠田君含めて4人じゃないかな。」


 私、汐音、山岸、あとは誰だろうか。気にはなるが教授に聞くのも少し気が引けるし、教授のことだから自分で考えて調べるようにとか言いそうなので、浮かんだ質問を取り下げる。


「あと1人はきっと知らないと思うよ。」

「えっ。あっ、はい、そうですか。」


 顔に出てしまっていたか、それとも声に出てしまっていたか。


「建築の子が学科変えて院試受けたいって言ってくれていて、今も私の授業を聴講したりしてくれてるの。今度、研究室の見学にも来るからその時に紹介しようとは思っているの。具体的な日取りは未定だけどね。」

「学科変えてまでくるなんて珍しいですね。」

「そうでもないよ。人数的に多いとは言えないけど、建築から都市に移ってくる子は毎年いるよ。やってることも被ってることもあるし。大学に進学して、やってみてからじゃないとわからないことってあるしさ。」


 その通りだ。大なり小なり、思っていた大学というものと実際の大学は異なっていることが多いだろう。私の場合は良い方向に予想が違ったからよかったものの、そのズレが大きい人は退学なり、編入なり、院だけ変わるなり、それなりの手段を取るのだろう。


「それは意外ですね。」


 思ってもないけど相槌は打っておく。


「篠田君もわかっていたんじゃないの。君の身近にそういう経緯で入って来た人いるんだしさ。」

「えっ、誰ですか?」


 それは知らない情報だ。


「しまった、しまった。一応、大学の教員という立場上これ以上の個人情報を言ってはいけないな。」


 そうとだけ口にすると教授はパソコンをカタカタと鳴らす作業へと戻る。

 こうなった教授には話しかけても取り合ってもらえないので、誰のことなのかは諦めるしかない。そもそも大して興味のわくことでもない。

 その人の過去の経歴を暴こうが私に何の得があるわけでもないだろうし、近くにいて言っていないという事はそれなりに隠した事情でもあるのかもしれない。

 自分を納得させて、思考を変える。

 帰ろう。

 思ったことはすぐ実行する。有言実行の女の子だから。

 よくわからない言葉を頭に浮かべながら、教授へと挨拶をして研究室を去る。

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