俺の母は結婚記念日に帰ってこない
俺の母親は絶対に結婚記念日には帰ってこない。
母は、明るく優しい人だ。でも、その姿を見せるのは息子の俺にだけ。父や祖父、祖母、祖父の秘書、叔父、叔母。俺以外の近しい人には一切の喜怒哀楽を浮かべることはない。無表情で虚ろな目で、俯き加減で、人形のようになる。小さい頃はそんな母の落差がどうしようもなく怖くてよくわからなくて、泣いたこともあった。
そんな母とは対照的に周りの人は、母の姿に傷つき悲しんでいるようだった。
何かとものを送ったり、持ってきたりしては、母に元気かと尋ねる祖父。家に閉じこもりがちな母を買い物や観劇に誘い連れ出そうとする祖母。直接なにも言わないが、母をじっと気遣わしげに伺う祖父の秘書。きわめつけは、父で、似合うと思って、と言っては、花やお菓子などちょっとしたプレゼントを毎日のように送り、見ている俺が落ち着かなくなるほど、熱を秘めた切ない眼差しで母を見つめる。
でも、母はいつだって無表情で。人形のようだけど、その瞳の奥には絶望や怯えがあることを俺は知っている。父や祖父、祖母達が周りにいると苦しそうに息をして、体の中で1人にして、と叫んでいる。俺にはそれがなぜかわかる。
どうして俺にそんなことがわかるのか、そしてどうして母がそうなっているのかはまったくわからない。でも、聞くことは、許されないとなんとなくわかっていた。
普段は怯えたように、されるがままの母だが、結婚記念日の数日前になると、いきなり、テキパキと動き、まったく誰もが予想できない瞬間に家を出る。それは俺が物心ついた頃からずっとそうだった。母は俺を一緒に連れていき、途中で友人に預けてまたどこかに行く。だから、どこでなにをしているのかはわからない。1週間から2週間ぐらい姿をくらませ、いきなり現れまた俺を連れて家に帰るのだった。
小学校2年になり、俺は一緒に家を出るのを拒否し、1人で留守番をすることを宣言した。母は驚いた顔をしたけれど、そう、と一言だけ言ってそのまますぐに家を出てどこかに行ってしまった。それ以来、母は1人でなにも言わずに家を出るようになった。さりげなく、当たり前のように、大した荷物も持たずに。だから、買い物にいったのかな、と思っていたら、帰らず日付を確認して納得した年もあった。また、園子さんが来てわかる年もあった。祖父の家の家政婦の園子さんは母から連絡でも受けているのだろうか、母がいなくなる期間、家に来て家事をしてくれるのだった。
高校3年生の夏、リビングのローテーブルの上に問題集を広げて、黙々と取り組む。そういえば、さっき母が出かけたな、と思いカレンダーを見ると、8/1で、やはり結婚記念日の8/5は近かった。8/5が結婚記念日だと知ったのはもう7年前のことになる。当時某推理探偵に憧れていた俺は、8/5が近づくと母が家出することに気づいた。8/5というのが何か特別な日かとワクワクしながら、なぜその日に家をあけるのか母に聞いた。そんなこと有り得ないけれど、なんだかスパイとかそういうおとぎ話チックな回答を無意識に期待していたのだと思う。それまでニコニコとしながら、俺の好物のアジフライを作ろうとアジに衣をつけていた母は、思わず聞いている俺の好奇心やらドキドキやら体中のいろんな臓器のすべてやらが固まってしまうほどに、冷たいぐらいの無表情になった。一瞬ののち、またもとの笑顔に戻った母は、なんでもないような調子で、「その日に私、結婚させられたの。」と言った。さすがにその年の男子らしく、空気の読めない部分があった俺も、これ以上はやばいと思い、追求しなかった。アジフライはいつも通りサクサクで美味しかった。
でも、合点がいった部分もあった。母親がいない期間、父親は毎年、楽しげに忙しそうに、でも諦めたような顔つきで8/5に向けて何かを準備し、何かに備えていたから。そして、それら一連の流れは、8/6にリビングで疲れと悲しみと酒に沈む父親を見つける、という締めくくりでもって終わるのだった。
結婚記念日と知ってから、準備をする父親を注意深く観察するようになった。良く見れば、家のあちこちに花を飾り、ケータリング業者に細々と指示をしたり、明らかに高価そうなアクセサリーを家に届けさせたりと、結婚記念日だと納得できる要素はいくつもあった。8/5当日には、上等なレストランにも入れそうな格好をして、テーブルにつき、母をひたすら待つ。巨大な冷蔵庫には、ケータリングした母の好物がどっさりと。一昨年だったろうか、さらに一年前だったろうか、そのあまりにも報われないことがわかっているのに張り切る父親の姿に呆れてしまって思わず言ってはいけないことを言ってしまった。言い訳をするつもりはないが、母親は結婚記念日に向けて家出をしているのだ。当時の俺には無駄な行動にしか思えなかった。
「どーせ帰ってこないのになんでそんな頑張るの?」
その言葉を聞いた途端、ふだんはチャラい優男といった感じの父親の両目から雫がボタボタこぼれ落ちて、ここ数年で1番俺の心の中が修羅ったのは言うまでもない。
混乱しながらも慌てて謝り手を握りながら慰めるうちに、これは父親の一種の祈りなのだという結論に達した。
父はわかっているのだ、母は絶対に記念日に帰ってこないことを。母にとってその日は忌まわしい日に他ならないことを。
そして、父は、記念日が終わっても母が帰ってこないことを恐れているのだ。だから、記念日をふいにされても、準備がまったく実を結ばなくても、帰ってきた母に、見ている俺の胸が痛くなるぐらい、安堵した様子で、笑顔でおかえり、と言うのだ。
その悪夢の年(あくまで俺の中では)の翌年から、俺は父の準備を手伝うようになった。花束を自作してみたり、母の好物を練習してみたり。これまでと同じく母は帰ってこないけど、父の張り詰めたような思いつめたような空気は少し軽くなった気がした。
母が記念日に帰ってこないのにはきっときちんとした彼女なりの理由があるのだろう。母を愛おしく思っている父の眼差しに罪悪感が見え隠れするのは、過去に何かがあったということなのだろう。俺は、母が苦しそうにしている様子を何度も見ていたし、帰りたくないという意思を否定するつもりもない。でも、もう、俺見たくないんだ。父さんが朝日の差し込むテーブルで泣きながら突っ伏す所を。父達を許せないことに苦しんで表情を無くしていく母さんを。
サラサラと計算式を書きながら昨日母に言ったことを思い出す。
「母さん、俺、8/5母さんの好きなビーフストロガノフ作るからさ。」
無表情でも笑顔でもなくて、目をまん丸に見開いてた母の姿は冗談抜きで初めてだった。
「…そうなの。」
ポツリとそういった母は何もなかったかのように、洗濯物を畳むのを再開した。
仕上げとばかりに、答えを解答欄に書き込み、ざっと見直しながら思う。さあ今年はどんな結婚記念日になるかな。眩しいぐらいの太陽の光の中、笑った。