また会う日まで今はさよなら
「いやぁぁぁぁ」
絶叫と共にキョウキョウは転びそうになりながら雪の斜面を駆ける。
その前には黒いマントのシーファーが同じように必死に走っている。
2人の後ろには巨大な白頭の熊の魔物が憤怒の形相で迫っていた。
魔物の体はところどころ焦げており、頭についた大きな傷からはだくだくと血が走る度に落ちて雪原を赤く染めていた。
何故こんな事態に陥ったのか。
話はそれから遡ること1週間ほど前。
「行きたい場所があるの」
夜、たき火を囲んでいる時、ソフィアが立ち上がって発言した。
一行はあれから大草原の村を早々に辞し、水鳥の港に戻るかどうするか決めかねてとりあえず草原で野宿するところだった。
「ここから北東に行ったところに銀鱗山という雪山があるらしいの。そこに、私が求めている薬草があるかもしれない」
大草原の村で村の年寄りのために薬を調合した時に聞いたという。
「でも山には強い魔物が巣くっていて、人は寄りつかないらしいけどね」
「とりあえず耐寒装備を何とかしなくちゃね」
「あと、できればもう少し山の情報を」
既に行くことが確定しているようなPTの様子に、キョウキョウは驚きながら
「強い魔物がいるって、、大丈夫なのかなぁ?」
おずおずと問いかける。
何か言いかけるリーナを手で制して、ソフィアがキョウキョウに向き直る。
「私の村にはね、お年寄りがいないの」
唐突な出だしに、キョウキョウの頭は?でいっぱいになる。
「村固有の病でね、ある程度の年齢がいくと発症して死んでしまうから。それを何とかするために、私は旅に出たの」
その病の厄介なところは一切自覚症状が無いところで、一定の年齢になると急に活性化し、発症した人間を衰弱させ、死亡させる。
薬師が集まって成った村だが、必死に治療法を探す村人の努力空しく、村で知られているあらゆる薬石が効かず、今なお治療法は見つかっていない。
病は村で生まれ育った者しかかかっていないが、他の村からは恐れられて交流を断たれ、村自体の存続も危ぶまれているほどだという。
若い薬師達は治療法を求めて村を旅立っていった。自らの命の期限を意識しながら。
それがソフィアの旅の目的だったのか、とキョウキョウは彼女の背負った運命の重さに暫し絶句する。
「治すのに使えるかもしれない薬草があるなら、私は行かなければならない。どこにだって」
そうしてソフィアはぐるりと周りのキョウキョウ以外のPTメンバーの顔を見回して、
「前も言ったと思うけど、このPTはそういう1人じゃ厳しい旅の目的を互いに助け合って達成するために組んでいるの」
ソフィアがキョウキョウに向き直る。その雰囲気はいつになく張り詰めていた。
「急にこんな話になって申し訳ないけれど、あなたに叶えたい目的がないなら、無理についてきて欲しいなんて言わないわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
慌ててキョウキョウは、
「私も一応、このPTの一員なんだよね?だったらソフィアの手伝いするよ。目的は、確かに今はないけどそのうち見つかるかもしれないし」
ソフィアの周囲の空気がふ、と柔らかくなった。
「ありがと」
「それに、召喚士が役に立つ場面もあるかもしれないし。頑張るよ」
シーファーが何か言いかけたが、思い直したらしく鼻を鳴らすに止めた。
「大草原の村は流石に戻りづらいものがあるし、一度水鳥の港に戻って用意を調えようか」
リーナが言って、PTの新しい目的が決まったのだった。
銀鱗山は針葉樹が生い茂った、なかなかに険しい山だった。
その上、積もった雪が全てを覆い尽くしており、道があるのかすら分からず。
魔物を恐れて人が入っていないので、たとえ道があったとしても使えるかどうかは怪しかったが。
一行は毛皮のついたマントにブーツ、頭には耳覆いがついた帽子という出で立ち。
山に入ったとたん、吹き付ける風には雪が混じっている。気がつくと体にまとわりつく雪を時々払い落としながら、雪を踏み分け進んでいく。
あまりの寒さに言葉を発する者も少なく歩いていたが、見晴らしの良い崖に出たところで一行は小休憩をとる事にした。
ソフィアが手早く雪を集めて溶かし、体が温まる薬草茶を淹れてくれた。
お茶のお供はやはりソフィアが焼いたクッキー。
……改めて考えたら、衣食住の食でかなりソフィアに頼ってるよなぁ
ポリポリとクッキーを噛みながら、キョウキョウはお茶のおかわりを淹れているソフィアを尊敬の念を込めた眼差しで見つめた。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
小休止して体力も回復し、そこに油断が出たのだろうか。
ざり、と嫌な音がしてキョウキョウのブーツが凍った雪に滑った。
とっさにキョウキョウは崖の縁につかまる。
「つかまって」
リーナとソフィアが手を伸ばしてキョウキョウを助けようとした。
「っく、、」
その時、キョウキョウが手をかけていた雪の地面がその上に乗っていたシーファーごと滑り落ちた。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁ」
シーファーとキョウキョウは共に崖下に落ちていく。
他のメンバーは慌てて崖から下を覗き込むが、雪を戴いた木々に隠されて2人の姿は全く見えなかった。
ドサドサッ
体が何かに引っかかって止まる。その後に落下した雪が顔に降ってきたので、キョウキョウは頭を振って雪を落とす。
「重いぞ馬鹿。どけ」
ぐいと下から押し上げられて、キョウキョウは慌てて落ちないように傍らの枝を掴んだ。
2人は折り重なって、太い木の突き出た枝と枝の間にうまくひっかかっていた。
大きな怪我もなく無事だったのは幸運としか言いようがない。
「チッ、元の場所には戻れそうにないな」
遙か上方を見上げ舌打ちをしてシーファーが木を降り始めたので、キョウキョウも後を追う。木が揺れるたびに雪がどさどさと2人に降りかかり、シーファーの眉間のしわが一層深くなる。
「よりによって何でお前となんだ」
「し、知らないよ。わざと落ちたんじゃないし」
先に降りてぶつくさ文句を言うシーファーに反論しながら、キョウキョウも無事に地上に降り立った。
「そもそもお前があのトカゲを出せば落ちずに済んだんじゃないのか」
シーファーは機嫌が悪いためキョウキョウに執拗に絡んでくる。
「ノークトの力では人間2人支えて飛ぶのは無理だと思うし、そもそも落ちながら召喚とかできないよ、、」
「だからお前はへぼ召喚士なんだよ」
ふん、と鼻を鳴らしてシーファーは雪に足をとられながら先に歩いて行く。
「ちょ、ちょっと。道分かるの?」
「もともと目的地は山頂だ。 少しずつ上に向かえば山頂で合流できる」
「そっか。とりあえずノークトを飛ばしてリーナ達にこっちの状況を伝えておくよ」
その頃、崖の上では。
「どうしよう、、」
「、、、どうしようもないわ」
リーナの呟きにリアンが答える。
と、そこへばさばさと翼をはためかせて崖の下からノークトが飛んできた。
「良かった、トカゲちゃん無事だったんだ。じゃあキョウキョウは大丈夫ね」
元よりシーファーの心配はしていないリーナである。
ノークトにつけられた手紙には、2人は無事で下から頂上に向かう事が書かれてあった。
「無事なら山頂で会えるでしょ。行きましょう」
ソフィアの肩にはPTの命だけでなく村の皆の命がかかっている。ここで足止めを食う訳にはいかないのだ。
それを察したリーナ達も歩き出したソフィアに続いた。
崖下の2人は雪を踏み分け先に進んでいた。
「あ、あれは」
唐突に立ち止まったキョウキョウ。前方の木々の間から歩み寄ってくる四つ足の獣の姿を見て、その背筋に冷たい汗が流れた。
「熊、、いや熊の魔物か」
「純白の頭皮に一本角、、間違いない。白頭王だ、、」
巨大な熊型魔物・白頭王の目にはとっくにこちらの姿は見えているだろう。その距離は徐々に縮まっていく。
「やばいやつか?」
「かなり」
かつて現れた先で村1つを壊滅させたとか、その一撃で人間を簡単に即死させるなど、今思い出したくない知識だけ浮かぶ自分の頭をキョウキョウは呪った。
「面倒だな。だが、逃げるのは無理そうだな」
「うん、余裕で走ったらあいつの方が早いよ、、どうする?」
「やるなら先手必勝だ」
片手で雷球を生成しながらシーファーが白頭王と対峙する。雷球は幾つも出現し、シーファーの体の周りを飛び交う。
「行け」
シーファーの言葉に雷球が白頭王に向かう。全て着弾したものの、白頭王はうるさそうにぶるん、と体を一震わせしただけだった。その体にダメージは見られない。
「、、獣のくせに魔法抵抗持ちかよ」
シーファーの背後でキョウキョウはノークトを喚びだし、槍を構えた。
……魔法抵抗ありなら物理攻撃しなきゃだけど、シーファーのダガーでは間合いが近すぎる、、ノークトも近寄ったら危険だし私の槍は、、、
野生の熊でも簡単に人間の攻撃に屈しないというのに、魔物の熊ともなれば倒すのにどれだけの槍スキルがいるのだろうか。それを考えると悲観的な結論しか浮かばない。
グォォォォォォォ
白頭王が咆吼した。それだけで気圧されそうになり、キョウキョウはぐ、と足に力を入れて耐える。
白頭王はゆっくりと立ち上がった。その身の丈は軽く2mを超えている。
「炎壁」
シーファーが腕を振ると白頭王と2人の間に炎の壁が立ち上がり、遮った。これで少しの間は時間を稼ぐ事ができるだろう。
「何か策が?」
「考え中だ、ていうかおまえも考えろ」
炎の壁の向こうで獲物を見失った白頭王は、苛立ちを隠せずグルルルルとうなっている。
「、、、それ本気でやるの?」
シーファーのたてた作戦に、キョウキョウが反論しかけ、
「じゃあこれ以外にいい作戦があればたててみろ。意見も無いのに反論だけするな」
正論を言われてぐ、と黙り込む。
「やるぞ」
炎の勢いが時間で弱まり、白頭王はまだ燃え残る炎を踏みしめて前進してくる。
だが、そこにはシーファー1人。
「熊公、こっちだ」
雪に足をとられながら、シーファーが走る。追う白頭王。
辺りの木の中でもかなり大きい木の下を通過。白頭王も少し遅れてその下へ。
「今だ!」
シーファーの叫びと同時に木の上からキョウキョウが、白頭王に槍先の狙いを定めて飛び降りた。
落下の勢いを込めた槍は、白頭王の頭に見事に突きたった。
ギャオォォォォォ
白頭王は無茶苦茶に手足を振り回す。キョウキョウは槍を抜こうとしたが、堅い肉に挟まれた槍は動かない。そこへ白頭王の一撃。キョウキョウは振り払われて近くの木に激突した。
「止めだ!」
ピシャ ガラガラガラ
シーファーは天から雷を呼び、槍に落とした。
白頭王の動きが止まった。
ズゥゥゥン
地響きと共に白頭王の巨大な体が雪に沈む。
それを見届けてから、シーファーはキョウキョウの元へ。
「おい、生きてるか?」
「ゲホゲホッ、、なん、とか」
「なら行くぞ、あいつらと合流しないと」
「ちょ、ちょっとくらい休ませてくれても、、いいんじゃない?」
シーファーはその言葉を無視してさっさと歩き出す。
「ていうか、人の槍に雷落とさないでよ、、」
キョウキョウはおっかなびっくり白頭王に近寄って、槍を頭から何とか引き抜いた。
白頭王は白い頭をところどころ黒く焦がしてぴくりとも動かない。槍を抜いた途端、鮮血が傷から溢れだし、雪を赤く染めた。
……後でソフィアに打ち身の薬貰おう、、
体中が痛く、かなりのダメージではあったが、骨が折れたりはしていない様子。雪山用の厚着がクッションとなってダメージを軽減したのだった。
槍を杖代わりにしてキョウキョウはよろよろとシーファーの背中を追った。
一方、ソフィア達は弱い魔物に何回か襲われたものの問題なく退け、頂上への道なき道を進んでいた。
「そんなに魔物がいないのは魔物も寒いのは嫌なのかなぁ?」
リーナの疑問に、
「うーん、そうだといいけれど、、」
言葉を濁すソフィア。
「何か心配が?」
リアンがソフィアに問う。
「うん、、村で聞いた強い魔物ってどこにいるのかなと思って」
ソフィアがそう答えた直後、
ケーーーーー
向かう山頂付近から、何かの高い鳴き声が辺りに響いた。
3人は顔を見合わせる。
「、、、山頂に何かいるのは間違いないね、、」
「2人と合流したいところね」
「ちょっと待って、まだ何か聞こえる」
リアンが耳をすますと、強い風の音に混じって地響きのような音が聞こえた。
しかもその音はこちらに向かってくる。
リアンが無言で戦闘態勢をとったのを見て、リーナとソフィアも武器を取り出し、地響きの方に構えた。
最初に見えてきたのは黒いもの。近づいてくるとそれはシーファーだった。後ろにキョウキョウもいる。
だが、さらにその後ろにいた地響きの正体を見て、3人は思わず声を漏らした。
「な、何あのでっかい熊」
「しかも手負い、、」
結果的に白頭王をPTの場所に案内した事になった2人は、息を乱しながら走り込んできた。
白頭王は怒り狂っていたが、行く手に現れた新たな人間達を見て警戒の気持ちが湧いたらしく、うなりながら距離をとって止まった。
「すまん、倒したと思ったんだが、仕留めきれてなかった」
珍しくシーファーが謝っているが、PTはそれどころではない。
「魔法抵抗持ちだ」
「分かった」
短く情報交換すると、リアンは杖を振り上げた。
「光あれ!」
鉄山木の杖から光が迸り、白頭王の体に殺到する。
が、白頭王は軽く体を揺らしただけで光を振り払う。
「精霊術だけでなく光魔法にも耐性か、厄介な」
「現出せよ、ノークト」
リアンの背後でキョウキョウがノークトを召喚した声がした。
……召喚獣の攻撃は効くはずだけど、どうすればあれに隙を作るか
思案するリアンの横にソフィアが薬草切を構えて並ぶ。
どうするのかとリアンが見る前で、ソフィアは腰のポーチから何かの塊を取り出した。
「熊よけに燻して使う草なんだけど、あれも基本熊なら効くかと思って。リーナ、これチャクラムにつけて投げられる?」
「もちろん!」
リアンとシーファー、キョウキョウで白頭王を牽制している間に、ソフィアがリーナのチャクラムに熊よけの草を結びつけて火をつけた。
「行け!」
リーナが火が全てに燃え移らないうちに素早くチャクラムを投擲。チャクラムは見事に白頭王の胸板に当たってその体毛に火をつけた。その上、つけられていた熊よけの草から出た煙が白頭王の視界を遮った上、白頭王を苦しめる。
流石の白頭王もこれに慌てたらしく、火を消そうと暴れる。その隙を見逃さず、
「ノークト、行って!」
キョウキョウが叫んで、ノークトは力強く羽ばたくと暴れる白頭王の後頭部にがぶり、と噛みついた。
グワァァァァオオオオオ
傷ついた後頭部をさらにノークトの溶解液が溶かし、白頭王が苦痛の声を上げる。ノークトは素早く離脱してキョウキョウの元に戻ってきた。
隙を待っていたのはキョウキョウだけではない。リアンは素早く印を組み、白頭王を囲む光魔法陣を練り上げる。
「消えなさい」
白頭王の魔法抵抗はその体を包む体毛にあったらしく、所々が焦げたり溶かされたりしてその効力を失いつつあるところにリアンの光魔法陣が最後のとどめとなった。
光が陣から吹き上がり白頭王の姿を隠した次の瞬間、白頭王の姿はかき消えて陣があった場所に何かが転がっていた。
「さっすがリアン」
リーナが感心したように言うも、
「褒めても何も出ないわよ。それより、なかなかいいサイズの魔石ね。私も幾つか貰っておくけど、シーファーとキョウキョウも拾った方がいいんじゃない」
リアンはいつも通り冷静に、白頭王の体から出た白い魔石を拾い上げた。
魔力を持つ獣=魔物は、魔力を体内の魔石に蓄えている事が多い。強い魔物ほどたくさんの魔石が取れるので、それ狙いに魔物を狩る者もいるほどだ。
「とんだ足止めだったけど、先に進みましょう」
ソフィアが薬草切を鞘に戻しながら一行を促した。
リーナ達が聞いた甲高い叫び声は、PT が合流してからも聞こえてきていた。
しかも、山頂に近づくにつれて大きくなっていく。
「何が出ようが魔法抵抗さえなけりゃどうとでもなる」
確かな実力のあるシーファーなどは楽観的である。そういう自信がうらやましく感じるキョウキョウだった。
「着いた、のかな?」
木立が切れて山頂は開けていた。気づけば降っていた雪も止んでいる。
そこにあったのは、巨大な鳥の巣。木を組み合わせて作られたそれには、何やら緑色のものが付着している。
「あの苔で間違いないと思う」
ソフィアが薬師としての色々を記した革表紙のメモを見ながら指さす。
しかし、その鳥の巣には子牛ほどもある巨大な何か鳥の雛が2匹ほど鎮座し、時折響いてきていた甲高い叫び声を上げていた。
「…あれの親はもっとでかいんだろうな、、多分」
シーファーがげんなりとした口調で言い、
「親がいない今はチャンスかも。ちょっと行って来る」
ソフィアが慌てて動き出そうとするのをリアンが引き留める。
「取ってる間に親が帰って来たら危ない。皆で行った方がいいと思う」
「それも、、そうね」
目当ての薬草を見つけて逸っていた自分を反省するソフィア。
「うぅ、帰って来ませんように、、」
キョウキョウはおっかなびっくりという感じで、辺りをやたらきょろきょろしている。
巨大な巣は人が数人乗っても余裕な強度を持ち、それだけに作ったものの大きさを強く感じさせられた。
巨大な雛たちは人間が来た事で余計に騒ぎ出し、ピイピイギャアギャアとうるさい。
幸いにも近寄ってこようとはしなかったので、一行は雛からできるだけ離れた所で緑色の苔を削り取った。
「これだけあれば多分足りると思う。早く出ましょう」
ソフィアが言い、一行が巣の外に出た直後だった。
急に、辺りが陰った。
「天気が変わったのか?」
見上げた一行の眼前には、巨大な鳥の爪が迫っていた。
「!」
一行は散り散りになってそれを何とかかわすことができたが、、。
「何あれー!!」
リーナが絶叫し、他の者たちも驚きと恐れの入り交じった表情でそれを見た。
人間を掴み損なったその巨大な足は、ふわりと空に舞い上がると、翻って巣の縁に止まった。
大きい。
ただひたすらに大きい。両方の翼を広げれば巨大な建物のようだ。
雛は子牛くらいだが、親と思しきその鳥の魔物は牛くらい余裕で掴めそうなサイズ。
くちばしは猛禽類のように太く、爪は肉を簡単に裂けるであろう鋭さだ。
体は白と黒のまだらで、目は黄色。
……ああ、人間なんて餌にしか見えないよねー。しかも雛に危害を加えそうになったと思ってるだろうし、怒り心頭って感じ
キョウキョウは槍を構えつつ、ノークトの横に立つ。
他のメンバーも既に戦闘準備は完了している。
「あれなんていう魔物?」
ソフィアがキョウキョウに問うが、キョウキョウは首を振る。
「流石にこんな局地的な魔物までは、、、」
「じゃあ弱点とか分からないのね」
リーナの声と、使えねーと声を上げたのはもちろんシーファー。
キョウキョウはむっとしつつ、
「鳥型はだいたい雷が弱点が多いからやってみたら?」
「言われずとも」
シーファーが無数の雷球を作り出し、全てを巨鳥に殺到させた。
巨鳥は雷球を嫌がってふわりと空へ。しかし、シーファーの雷球はそれを追尾。
「喰らえ」
バチバチバチッ
ケァーーー
巨鳥が叫びながら何度も翼をはばたかせる。風が巻き起こり、雷球の軌道を変えると同時にPTに吹き付ける。特に小柄なリーナは風に飛ばされそうになるのをこらえるので精一杯だった。
「光の盾」
リアンが素早く光の盾を展開し、PTを包み込む。風は盾に遮られ、リーナはほっと息を吐く。
「雷鎖」
続いて呪文を唱えていたシーファーの魔法が完成する。
雷で作られた鎖は巨鳥にまとわりつき、その自由を奪うと共にダメージを与える。
巨鳥はズゥゥゥンと地に落ちる。背後の巣の雛たちが甲高い鳴き声を上げた。
巨鳥はもがき苦しんでいるが、その目の鋭さは消えていない。戒めが解ければ再び襲いかかって来ることは必至。
キョウキョウはノークトを巨鳥の上空に向かわせる。再び飛ばれた時の牽制用だが、巨鳥と比べればずっと小さいノークトにその効果があるかは定かでは無い。
と、ぴたりと巨鳥の動きが止まった。
「まだだ、早い」
シーファーが叫ぶと同時に巨鳥は雷鎖を力任せに引きちぎって消滅させた。
そのまま突進して鋭いくちばしでシーファーを狙う。
幸いリアンの光の盾が継続中だったため、くちばしは盾に遮られて跳ね返った。
巨鳥はいらだたしげにばさりと翼をはばたかせて再び空へ。そこにいたノークトに向かう。
「ノークト、避けて!」
キョウキョウの叫びより早く、ノークトは何とか爪をかいくぐる。その赤い目が一瞬きらめいたように見えた。
と、巨鳥ががくり、と空中で傾くと急に失速し地上に落ちてきた。
「な、何?」
ノークトを使役するキョウキョウでさえ、ノークトが何をしたのか分からなかった。
落ちてきた巨鳥を見ると、翼の一部が石化していた。
「ノークトおまえ、、」
当のノークトはまだ上空で巨鳥を見下ろしている。キョウキョウはまるでノークトが知らない存在になってしまったかのように感じた。
「一気に行く。光の葬列!」
光の盾を瞬時に解除したリアンが両手を高々と上げて十字架型の光を出現させ、巨鳥に振り下ろす。そしてシーファーも、
「天より至れ雷!」
片手を上げて叫べば、一筋の雷が巨鳥に落ちた。
光と雷の両方に貫かれた巨鳥は地面をもんどり打って苦しんでいる。
「とどめだっ!」
追撃を加えようとしたシーファーの手をソフィアが掴んだ。
「何故止める」
「見て、あれ」
ソフィアが指す方を見ると、巨鳥は苦しみながらも翼を広げて必死で背後の巣を守ろうとしている。
「魔物でも子供はかわいい、か」
リーナがぽつりと呟いた。その青い目が沈鬱な光を帯びていたのは誰も気づくことは無かった。
「苔も取れたし、殺す必要はないわ」
ソフィアの声にシーファーはふん、と鼻を鳴らしたがPTの医療兼食事担当でもあるソフィアに逆らう事はなく、振り上げた手を下ろした。
ノークトもいつの間にか地上に戻ってきて、キョウキョウの傍らに控えている。
「石化も翼のあの位置なら生え替わりで何とか治りそうね」
リアンが事実を淡々と述べる。
「でもこのままこちらが攻撃しなくても、向こうはまた攻撃してくるんじゃ」
リーナの声に、
「それに関しては私に考えがあるわ」
ソフィアがごそごそと腰のポーチから小さな瓶を取り出した。
「これ失敗作でかなーり強力な睡眠効果がある薬なんだけど、これを使えば、、?」
「じゃあまた私の出番だね」
リーナがチャクラムとは違う投げナイフを取り出したので、ソフィアがそれに瓶をくくりつけた。
「絶対風下に立たないでね。じゃいくよー」
リーナが投げたナイフは見事に巨鳥のくちばしに当たり、瓶は中身を辺りに振りまきながら割れた。
巨鳥の動きがぴたりと止まり、その黄色い目が何度かしばたいかと思うと、ゆっくりと目は閉じられていった。
「よし効いた」
騒いでいた雛たちも薬の効果範囲に含まれていたらしく、すっかり静かになっている。
「最初からそれ使えば良かったんじゃ、、」
そんなキョウキョウのツッコミに、
「動いてる相手に当てるのは難しいし、鳥の羽で弾かれる可能性も高かった。誤爆したら大惨事よ?」
「な、なるほど」
……一体いつまで眠るんだろう
怖くて聞けないキョウキョウである。
「また新しい魔物が出たりしたら面倒だから早く降りましょう」
リアンの指摘に皆帰り支度を始める。
「ねえ、ソフィア。その薬量産して大儲けしない?」
商売っ気を出したリーナに、
「無理無理、あれ本当に偶然できただけだから」
素っ気ないソフィアである。
再び雪をかき分けながら下山しつつ、キョウキョウは先ほどの光景を思い出していた。
……石化が使えるトカゲってバジリスクだけど、ノークトはバジリスク?でも、バジリスクに溶解の力もあるって聞いたことない
既にノークトが戻っている影を見やりながら、思考はぐるぐると同じ所を回っている。
……私はノークトの事全然知らないんだな
召喚士としての自らの不甲斐なさに落ち込みながら、ただひたすらに足を動かした。
数日後、水鳥の港。
空は快晴。絶好の航海日和である。
出航する船の前でPTはソフィアとの別れを惜しんでいた。
「うぅ、元気でね、ソフィア」
「今までありがとう」
「薬ができて病が治ったら帰って来るから永劫の別れじゃないわよ」
そういうソフィアだが、目には光るものが。
「薬が効くこと祈ってる。待ってるから」
リーナの言葉にしっかりと頷くソフィア。
「じゃ、私行くね」
背を向けたソフィアの姿に、一番付き合いの短いキョウキョウでさえ涙が止まらなかった。
芯がしっかりしていて”皆のお母さん”役だったソフィア。皆、その薬に助けられた事も1度や2度ではないし、毎日の食事はほぼソフィアが取り仕切っていた。今後はその辺りも考えなければならなくなるだろう。
やがて船上の人となったソフィアに、あのシーファーまでもが手を上げる。
出航の鐘が鳴らされ、船はゆっくりと岸を離れていく。ソフィアはずっとこちらを見つめていた。
陸に残った4人は、船が視界から消えていくまでじっと見守り続けた。