続・混乱も仕方ないと思います。
少し短めです。
頭のイメージはあるのに、なかなか文章になってくれません。
いつもの訓練通りに、目標の周囲の確認、深呼吸、大げさに首を回しての周辺の確認の一連の動作を終えた私は、今度は訓練の成果ではなく、自分の意思として安堵の大きなため息をついていた。なぜなら、この部屋で、今現在立って動ける状態にあるのが私だけだと確認できたからだ。
改めて自分の周りを見回してみる。とりあえずの脅威は感じられないので、今までいつでも撃てる態勢だった小銃の構えを解く。イメージとしては、両足の間に銃口が向いている感じ、訓練マニュアルの言うところの下向き安全姿勢の姿勢をとった。両手の中にある小銃は、込めた弾丸を抜きにした重量でも3キロを軽く超える。ただ持っているだけならそれほどの重さを感じないが、人間にとって不自然な、しかしながら、銃弾を標的に当てるためには自然な姿勢をとり続けていた私の体は、かなりの疲労を感じているた。特に、腕と首と肩周りのこわばりがひどい。とりあえず、私を首をぐりぐりと回した。長時間のデスクワークの後のように、首がゴキゴキと音を立てた。
私は、訓練場の一角ある屋内射撃場にいたはずだ。体育館より少し小さめで、窓が無く、無駄に高い天井~普通の一戸建て住宅なら収まりそうな高さがある~に吊るされた水銀灯で影も無く照らされた、壁を弾丸の跳ね返りを防ぐためのゴムで覆われて床はコンクリート剥き出しの、ひどく殺風景な空間にいたはずだ、
しかし、今は思い切りジャンプしたら手のつきそうな高さぐらいしかないの天井の、床も、壁も、石でできた、ちょっと広めの部屋にいる。バレーボールはとても出来ないが、卓球だったら2チーム同時にできる、そんな感じの広さの部屋だ。学校の教室ぐらいの広さ、と言ったほうがわかりやすいかもしれない。
周囲の壁を見渡すが、窓はない。真っ暗でないのは天井に明り取りの窓があるからだ。この部屋の外は太陽が出ているのだろうか? 室内は、明るくはないが暗くもない状態だった。
私は、ついさっきまで、確かに、射撃訓練に望んでいたはずだった。まずは、本格的に訓練を始まる前の準備の段階で、銃の試し撃ち~点検射と呼ばれている~を、今、まさにしようとしていたはずだった。
係りの号令だって聞こえていた。
「射撃用ー意!」
この号令で、私は目標のベニヤ板を規定の大きさ~大体人間の上半身の大きさ~に切った的に小銃を向け、もう一度しっかりと構えなおして、安全装置を解いて、引き金に人差し指をかけた。
そして、
「撃てっ!!」
『射撃用意』の号令がかかってから、『撃て』の号令がかかるまでの時間は10秒と決められている。今は、時間制限もない点検射だが撃て、の号令と同時に引き金を引いた。
だが、もう一度記憶を思い返してみる。
たしかに、『撃て』の『撃』は、聞こえた。でも、その後に続くはずの『てっ』は聞いた覚えが無かった。
自分の感覚では、意識は連続してつながっている。途切れたり、一面の光に包まれたり、どこかに放り出されるような衝撃を感じてもいない。
自分の15メートル前方にある点検射撃用の標的を撃つつもりで引き金を引いたはずだったが、まばたきもしていないうちに、もちろん白日夢を見たわけでも 薬物であっぱらぱーになったりしたわけでもないのに、ベニヤ版を切って作ったはずの標的はいきなりローブを着た男に入れ替わっていた。アタマは強烈過ぎる違和感を感じて引き金をまさに引きつつあった私の右人差し指に待ったをかけたが、しかしそのストップは遅すぎて、弾丸はいきなり入れ替わった男に向かって発射され、腹部と胸部の境目の、どちらかといえば腹部と言える場所に命中した。ただ、衝撃的なほどの違和感があったとはいえ、銃を構える左手と引き金を引く右手とその指に不自然な力がかかって銃口がやや下向きに下がってしまい、本来なら胸の中央付近を狙っていたはずの照準が下にブレて、ローブを着た男の腹部に命中してしまったのは今後改善すべき事項ではある。
その後は暴風のような状況が生起したが、結果だけ見ると、私はさらに4発の銃弾を発射して、4発の命中弾を得て、2個の目標の沈黙を確認した。
槍を持った人物と、剣をなかなか抜けなかった人物は、両方とも金属と思われる鎧を着込んでいたが、銃弾の前には、その鎧は全く役に立っていなかった、
自衛隊で使っているの装備の数値を出すわけにはいかないが~それについては守秘義務があり、情報の漏洩の防止についてしつこすぎるほどの教育を定期的に受けている。一部のアホな隊員を除いて、秘密事項をむやみに言い触らさない事は自衛官にとって常識以前の問題である~良く似たアメリカ軍の小銃弾を例に取ると、口径5.56ミリメートルの小銃弾は、距離200メートルにある直径60センチメートルの丸太を貫通する。標準的なブロック塀も、あっさりと貫通する。垂直に立てた鉄板なら、1センチメートルぐらならなんとか貫通する。1センチと聞いて、ずいぶんと薄いように感じるかもしれないが、1センチの厚さの鉄板の板で人間の上半身の大きのモノを作るとすると、重量は20キログラムぐらいになる。ようするに、厚さ1センチメートルの鉄板で鎧を作るとすると、上半身だけでも前に20キログラム、背中に20キログラムの合計40キログラムの代物になってしまうと言うことだ。とてもではないが、現実的な数字ではない。
ようするに、彼らの着ていた鎧は小銃弾にはほとんど役に立たず、あっさりと貫通されて終わった。体の前側の鎧と、本人の肉体をあっさりと貫いて、勢いあまって背中の鎧まで銃弾は貫通していた。
目の前の危機はとりあえず排除したが、私は、自分の置かれている状況をほとんど理解できていなかった。私は、屋内射撃場にいたはずで、私が撃つべきはベニヤ板を切り抜いて作った標的のはずで、そもそも、私に向かって敵意をむき出しにして迫ってくる『移動目標』なんてものは、どう考えても撃つ必要はなかったはずだった。
とりあえず、今何をすべきか考える。恐ろしく反応の鈍いネット回線のようにノロノログズグズとした頭をなんとか動かす。今分かっているのは、ローブを着た男に1発、鎧を着た男に2発づつ、計5発撃ったことだ。弾倉には20発入っていたから、残りは15発。イマイチはっきりとしていないこの状況ではやや不安な弾数でもあるので、弾倉を交換する。今、小銃についているものを外して、ダンプポーチに放り込み、新しい弾倉をこめる。
このとき、しっかりと装着したことを確認するため、弾倉の底部を2回強めに叩いて、さらに今こめた弾倉を引っ張って抜けないことを確認する。中途半端に弾倉が装着されていると、いきなり抜け落ちたり、装填不良を起こして撃ちたいときに弾がでなかったりする。撃ち合いの最中に、銃から弾が出ないということは、本人はモチロン、仲間まで危険に晒すことになる。自分のミスで自分一人が敵に撃たれるのは自業自得で、まあ、どうでもいいが、自分のミスで仲間が撃たれるのは冗談ではすまされない。
今新しく着けなおした弾倉には28発入っている。本来なら、弾倉には30発入るのだが、満タンに弾をつめると動作不良の原因になるらしいので、28発しかつめない。おまじないのようなものだが、ベトナム戦争のころからの「常識」らしいので、それにしたがうことにしている。
今回の射撃訓練は大盤振る舞いだった。
自衛官は、年に1回以上基本射撃の検定を受けなければならない。これは、戦闘職種から、日頃は司令部のオフィスで書類やパソコンと格闘していたり、わけのわからない国会議員に振り回されて精神をヤラれかけている本省の要員まで、等しく全隊員に義務付けられている。
戦闘職種、それも自らの身体を頼りに戦う普通科~いわゆる歩兵科~隊員については、基本射撃に加えて、応用射撃、すなわち、野外においてランダムに出たり隠れたりする標的に向かって射撃する「戦闘射撃」や、屋内など、至近距離の目標に対して射撃する「至近距離射撃」の検定をそれぞれ受検しなくてはならない。
私は、この至近距離射撃の、検定を受検するための実弾を用いた訓練をするはずだった。大盤振る舞い、というのは、訓練の弾丸をいつもの倍近く与えられたからだ。
私は、点検射撃用に20発、そして練成射撃用に28発の弾倉が5つで140発、合計160発の弾丸をもらっていた。こんなに配当があることは、そう滅多にない。いつもは、せいぜいこの半分ぐらいだ。
それが、なんでいきなりこんな状況になってしまったのか? なんで、動いて声を出したり怒鳴ったりする標的を撃つハメになったのだろうか? 未だに自分の理解が追いついていない。が、どうやらここは屋内であるらしいので、銃剣を腰に下げた鞘から引き抜いて着剣した。
小銃に、銃剣を取り付けることを着剣という。これで、限定的ながら私の小銃は槍としての機能を併せ持つことになる。屋内など、ごく至近距離の戦いにおいては、撃つよりも刺す方が手っ取り早いことがある。それが許される状況であるなら、銃剣を着けた小銃は敵を無音で処理することができる優秀な武器だ。しかも、人間の本能的な行動もあって、あまりの至近距離でいきなり敵と出くわした場合、撃つよりも刺した方が速い場合も、まれにはある。
それに着剣した小銃は、敵が、本当に死んでいるのか、それとも死んだふりをしているのか判別するのにも役立つ。
どっちか分からない場合は、とりあえずブスりと突き刺せばいい。突き刺して、静かなら死んでいるし、静かでなければ生きている。静かでなかった場合、もう2.3回ブスりとやるか、引き金を引いてズドんとやれば、大体静かになってくれるはずだ。