保健室の恋人
数日後、昼下がりの保健室で、遥は冴木と一緒に過ごしていた。
「もう大丈夫なの?」
遥は冴木の頭を見て言った。彼自身は平然としているが、まだ頭に巻かれた白い包帯が痛々しい。冴木は怪我のために休養していたから、今日が事件後からの初出勤だ。
「出血の割に怪我は軽かったしな。1日入院したし、CTもMRIも異常なし。家にいても退屈してたところだよ」
冴木はコーヒーを飲みながら答える。遥が気にすることを充分わかっていて、なんでもないことのように言ってくれる彼の優しさを感じた。
「……終わったのよね」
そう、彼はあの場で逮捕された。そして遥を襲った三年生たちも捕まった。私立であるが故に内密で処理しようとして、結局は理事長が把握していたよりもことは大きくなっていた。最初から警察を介入させていれば、もっと早くなんとかできたかもしれないのに、と冴木は理事長を怒鳴りつけたという。
理事長からは遥と彼女の両親に正式に説明と謝罪があったが、遥はこのままこの学校に通い続けることを決めた。今回のことが解決したのは、全て冴木が証拠集めと根回しをしてくれたお陰だ。おまけに怪我を負ってまで遥を守ってくれた。
彼の傍なら安心して普通の高校生活に戻れると伝えたら、父親は複雑そうな顔をし、母親は何かを察したのかにんまりと微笑んで、結局は泉学園に残ることを許してくれた。
改めて、彼に向き直る。
「本当にありがとう、冴木先生。私独りじゃ何も出来ないままだった」
遥の言葉に冴木は微笑む。
「お礼ならこっちがいい」
そう言って、遥にキスする。
「センセ、ダメだよ。みんな居るんだから」
午後の授業中とはいえ、生徒も先生も校舎内には皆いるのだ。誰に見られるかわからない。ちなみに遥は公然とサボリ、ではあるが……。
「悪い子だね」
「だって先生のことが心配だったんだもの……大丈夫よ、自習だし」
上目遣いでこちらを伺う彼女が可愛らしい。計算ならともかく、完全に無意識なのだからたちが悪い。他の男の前でもやってるんじゃないのか、これ。
冴木はにっこりと微笑んだその下に、軽い苛立ちを隠す。なのに彼女らしい勘なのか、遥はじりじりと彼から身を離した。逃げられれば追いたくなるのは男の性だ。
「なら俺だって何してても別に良いだろ?」
そう言って、なおも遥を押し倒そうとする冴木の体を、遥はぐいぐいと押し返して拒む。教師とは思えない態度だ。
「ダメ!バレたら辞めさせられちゃうよ。先生が居なくなったら私……」
居なくなったら、で冴木が怪我をした時のことを思い出し、思わず瞳を潤ませて言う遥に、驚いて冴木は目を見開く。
「今日やけに素直だね、遥。カッワイー」
「からかわないで下さい!」
遥は赤面し、ぷいとそっぽを向く。
まったく、色々いろいろ心配したのにっ。どうせ振り回されてるのは自分だけなんだ。年上で、モテモテで、余裕に満ちた彼なんて、扱いにくくて仕方ない。……それでも、好きなんだけど。
「はーるか」
冴木が甘い声で呼んだ。
「まあ見つかったとしても特別措置ってことで見逃してくれるかもよ。なんせあの狐ヤローのために怪我までしたんだからな」
冴木の言葉に、遥が聞く。
「誰、狐ヤローって」
首を傾げる彼女に、彼は人差し指を立ててーー示すのは上階。
「“理事長室”って名前の神社で、革張りの椅子に奉られてる……」
「冴木先生っバチ当たりだよ!」
「お、うまいな遥」
「や、違うっ。そうじゃなくて~」
クスクスと笑いながら、冴木は遥の頭を撫でた。それだけで、遥は満ち足りた気持ちになる。
「まあ、結果的に理事長に恩は売れたけど……。何よりお前の気持ちが少しでも楽になったなら、それでいいよ」
優しい言葉に、遥は目を閉じる。
「それにしても……あの時の桜の花は、何だったんだろ」
遥が呟けば、冴木は首を傾けた。
「俺はほぼ意識がなかったからなー……でもまあ」
冴木の言わんとすることはわかった。彼の手を握ったら、冴木はキスで返してきた。
そうきっと、根拠なんかなくたって。
「助けてくれたんだよね、桜ちゃん」
そして、彼に出逢わせてくれたのだと。愛おしい彼の瞳を見つめれば、その優しい手が遥を包む。
私は信じる。ねえ。
「ありがとう」
ep1・fin