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保健室の恋人  作者: 実月アヤ
after story2. 診察室の恋人
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お見合い騒動

 病院内の特別ラウンジにてーー


「どういうことでしょう?」


 水瀬の目の前に座る女性が目をつり上げた。

 気が強そうではあるが、なかなかの美人だ。見合いでさえなかったら、あるいは中身を知らなければ、声を掛けていたかもしれない。

 お見合相手ーー中條美百合(なかじょうみゆり)は、中條病院の令嬢。典型的なお金持ちのお嬢様、しかも若くて美人。彼女の持ち前の傲慢さと大胆さで水瀬は以前から迫られていた。


「ですから、僕にはお付き合いしている女性が居るんです。申し訳ありませんが、このお話は無かったことに」


 営業用の『柔らかで穏やかな水瀬医師』を演じてやんわりと返すが、相手は鼻で笑う。


「私は中條の娘よ?病院経営も手伝っているし、あなたがお父様の病院を継ぐ時には大きな力になるわ。それにあらゆる意味で、私以上にあなたにつり合う女がいるかしら」


 ちらりとこちらの顔を見やる彼女は、自分に余程自信があるらしい。確かに容姿もバックグラウンドも自信を持って良いレベルだとも思うが、水瀬にはあまり意味をなさないのだ。


 さて、そろそろかな。

 水瀬が腕時計に目を落とした時、


「ーー遅れてごめんなさい」


 透き通る声が二人に割り込んだ。 美百合はそちらを見て絶句する。

 その場に現れて、水瀬の隣に座った彼女は清楚可憐でーー寸分の隙もなく美しい。そしてこれまた文句の付けようのない、綺麗なお辞儀をした。


「中條さん、こちらが僕の恋人の遥さんです」

「初めまして」


ーーあー良かった、遥ちゃんで。

 水瀬はひっそり安堵する。美百合のような、自分に絶対の自信があるタイプには、それを崩さなければ納得しないだろうと思ったが。思った以上に彼女は、遥の容姿に圧倒されたらしい。


「そ、そう。随分若い彼女ね」


 遥は大人びていて落ち着いているし、玲一も水瀬も実年齢より若く見られがちだから、並んでいてもそれ程違和感は感じない筈だが。


 実は十代ですって言ったら、さすがにぶっ飛ぶかなー。あ、でもあまり若いと信憑性がないか。


 などと水瀬が笑顔の下で考えているなんて、美百合にはわからないに違いない。 けれど、それより。


ーー冴木の視線が痛いんですけど!!


 病院内のラウンジで会うのを条件に妻を貸し出した親友に、何故かと思っていれば。


「……俺を見張るためね」


 水瀬の背後ーー少し離れたテーブル席で、優雅に珈琲を口にする白衣の医師。

 水瀬以上に有能な彼が、同日に休暇を取れる訳がないから多分診察の合間に出てきたのだろうが……。できるだけ目の届くところにいろということか。


 信用無いなー、俺。つうか冴木、仕事しろよ、仕事。


「可愛いでしょう?」


 水瀬が調子に乗って遥の肩を抱き寄せれば、後ろで“バキッ”と不穏な音がして、間を置かず二つ折りになった伝票プレートが飛んできた。水瀬の頭にクリーンヒットする。


「痛って!」


 振り返ればものっすごい笑顔の玲一がーー立てた親指をクイッと下に向けた。


『地獄に落ちろ』ってか!このヤキモキ焼きめ!!


 その時、ラウンジの入口から若い看護師が顔を覗かせた。


「あーっ、冴木センセーってば、ここにいらしたんですかあ!?もー、患者さんお待ちですよぉ」


 そのまま甘ったるい声で、玲一へと駆け寄る。そちらをこっそり見て、水瀬はギクリと肩を震わせた。


(あっ、ヤバイ)


 彼女は新人看護師の一人で、玲一のファンだと言ってはばからず、日頃からあからさまにアピールしているらしい。今も玲一の腕に手をかけて、全開の笑顔を向けて連れだそうとした。


「っと、待って。まだ休憩時間……」

「待てませーん。もう患者さん並び始めちゃってますからぁ。さあ仕事ですよぉ」


 聞こえてくる声に、水瀬はヒヤヒヤだ。彼が背を向けているおかげで、看護師は水瀬達には気付いていない。けれどこちらからは彼女の甲高い声に、彼らの様子が、振り向かずとも容易にわかってしまう。


「もー、センセーったら!お茶ならあたしと後でしましょ?今は患者さんですよぉ!」


 余計な一言はあるにしろ、言ってる事は至極まっとうだけど!空気読んでよ、新人マリカちゃん!!


「……はるか、ちゃん?」


 水瀬は引きつった笑顔を遥に向ける。


ーーだ、大丈夫、かな?

 

 背後の様子に、遥の肩がピクリと揺れたーーが、彼女は振り返る事も無く美百合を見つめている。


「ええと、それで……、お分かり頂けました?」


 水瀬は戸惑いながらも目の前に意識を戻して問えば、美百合は遥に悔しげに言う。


「あなたにどれだけの価値があるの?医療関係者なの?それともその顔?水瀬先生の役に立てるのかしら」

「ちょっーー」


 あまりにも傍若無人な美百合の言葉に、水瀬が目を剥くーーが。


「さあ、わかりません」


 遥はふわりと微笑んだ。水瀬も美百合も、目を見開く。


「私は医師でも看護師でも無いし、特別な家柄も資産もありません。彼の役に立てるのかと言われたら、きっと無理でしょうね」


 遥は真っ直ぐに前を向いて言った。それで水瀬は気付く。


ーーああ、これは俺じゃない。冴木のことだ。


 背後で夫に話しかける看護師を、彼女が気にしない訳が無い。遥には彼女や美百合のように、医師である彼の仕事を支えることはできないーーと。

 ヤキモチよりも、それに淋しさを感じている遥の姿に、水瀬は思わず彼女の手を握ってしまいそうになる。


「……遥ちゃん」

「でも」


 響いた声に、美百合は訝し気に遥を見た。遥は目を伏せて続ける。


「ーーそれでもそんな私を彼が望んでくれる限り、傍にいるって決めたんです。彼が私の立場でも外見でも無く、私自身を好きになってくれたように、私も彼自身を愛しているから」


 ゆっくりと、告げられた言葉に。水瀬は口元を押さえた。


ーーなあ冴木、聞いてるよな?

 これはお前への愛の告白そのもの。

 最大級の、ノロケだろ。


 親友に現れたのが、遥で良かったと心底思う。そしてーー少しだけ羨ましい。

 遥の横顔には迷いが無くて、凛と言葉を紡ぐ姿が眩しくて。


「ーー答えに、なりますか?」


 背後の親友の顔は見えないけれど。

 きっと今、とても幸せそうに笑ってるんだろう。


ーーああ、本気で欲しくなっちゃう前に冴木に返さなきゃな。



 黙り込んだ一同の空気を一気に破って、


「ほぉら!センセー」

「わかったって。今行く」


 背後ではついに玲一が、あの看護師に引き摺られてラウンジを出て行った。それをチラリと見て、美百合が深く息を吐く。


「……よく、分かったわ。幸せ者ね、冴木先生は」

「そうですね……って、え?」


 美百合の口にした名前に、水瀬は驚いて顔を上げた。


「し、知ってたんですか?」


 美百合が頷く。


「あらもちろんよ。有力なお見合い候補はあらかた調べているもの。冴木先生は早々にご結婚されたから候補から外したの。どんなお相手かと思ったけど、納得ね」


……バレバレでしたか……。


 思わず顔が引きつる水瀬と遥をよそに、美百合は眉を上げて言った。


「嘘をついてすみません、中條さん。けれど、やはり僕は」


 言いかけた水瀬に手を振って、美百合は彼の言葉を遮って。


「あなたの気持ちはわかったわよ。私があなたの外見や条件しか見てない限りは駄目だってこともね。ーーだから、いいわ。無かったことにするわ」


 あっさりと引き下がった相手に、水瀬はいくらか拍子抜けする。けれど美百合はそんな水瀬に言い放った。


「ちゃんとあなたを知ってから改めてお見合いするわ。その態度もなんか嘘くさいし。あなたにも私をよく知ってもらおうじゃない」

「ーーえぇえ!?」


 どうやら彼女との攻防は、まだまだ続きそうだ……。

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