“好き”
『もう少し、待ってろ』
冴木の言葉に約束させられ、それから数日、遥は我慢し続けた。表面上は谷村とも麻里とも普通に接することを心掛けた。というより、接触を避けてやり過ごしていた。谷村もどこか遥の様子を窺っているように見える。
化かし合い……もう、じれったいな。問い詰めて、責めたててやりたい。
次第に剣呑になっていく自分の思考は、よく眠れないからなのか。
「遥、顔色悪いよ。保健室行く?」
ユミの言葉に、頷きかけて。
「高嶋さん!具合が悪いなら俺が保健室まで送ろうか」
「なにするつもりだよ、てめ」
「はあ!?お前こそ何考えてんだよ」
「お前保健委員でも何でもないじゃねえか」
だから、どうしてこうなる。
頭痛がし始めた遥を庇うように、仲のいいユミと芽衣が男子の目から彼女を隠した。
「“うちの大事な保健委員にちょっかいかけたら、ありとあらゆる意味で二度と立てなくしてやる”って冴木先生に脅されてなかった?」
「え、“勃たなくしてやる”でしょ?」
そうだっけ?と意味が分かっているのかいないのか、女子生徒はにっこり笑い、男子は笑い飛ばしもせずに真っ青な顔で一気に静まり返った。遥はそんなの初耳だ。
……冴木先生、何したの。知りたくないけど。
「……ひっでぇ顔ー……」
保健室を訪れた遥に、冴木が言った。寝不足と、ストレスで彼女は見た目にもかなりボロボロだった。
「だって……先生、何を待つの」
「色々ね。大人の世界の事情もあるわけ」
訳が分からない。彼は彼なりに何かを調べているらしいが。それにしても。
「何で、冴木先生がそこまでしてくれるの……」
言いかけて、思い出す。いつかのクラスメイトの言葉。
『水樹先輩と、冴木先生がデキてるんじゃないかって』
ギクリとした。
まさか冴木先生は、桜ちゃんのことが好きだったり、したのかな。
桜は美人だし、こんなに冴木が遥を助けてくれるのは、もしかしたら桜の妹だから、なのだろうか。
そこで、遥は愕然とする。
「……ねぇ、先生は私が桜に似てるって言ったよね……」
「ん?ああ、言ったな。見た目はな」
冴木は書類に目線を落としながら答える。その横顔を凝視した。
私が桜に似ているから、好きになった?
手に入らない桜の代わりに、せめて似ている遥をと。まさか、考えたくない。
どんどん嫌な方向へ思考が沈んでゆく。息苦しい。
もし、そうなら。
「何考えてる?」
突然静かになった遥の様子に気付いて、冴木が問う。
「何も……」
聞けない。もし聞いてそうだと言われたら、耐えられそうになかった。
聞きたくない。いくら桜が大好きでも、そんなのは嫌だ。
涙が浮かびそうになる瞳を、必死で抑えて。
「何隠してんの」
冴木は書類をデスクへ置いた。遥を引き寄せ、膝の上に横抱きに乗せた。その頬にキスしながら聞く。
「こんなとこで、ダメだよセンセ。見られたら失職だよ」
遥は小さく言う。もうその声は不安に満ちている。
「俺は別にいいよ……。言わないとココでヤるよ」
……目が、笑ってない。本気だ。遥のちっぽけなごまかしなど、効かなかった。
仕方なく遥は問う。
「冴木先生は、桜ちゃんのことどう思ってた?」
俯いた顔が、上げられずに。
……。
……。
「……?」
返事はない。
やっぱりそうなのかな。
ぎゅう、と手を握りしめて、けれどいつまでもそうしているわけにもいかずに。恐る恐る見上げると、彼は呆れた顔で遥を見ていた。
「……お前は、ほんっっとーにバカ……なにそれわざと?俺を試してるの?」
「え、え、あの?」
頭を抱える冴木に、遥はオロオロと視線を返す。
「あのなあ、お前に会うまで俺は、生徒が恋愛対象になるなんて、これっぽっちも考えてなかったんだぞ。でなくても10歳も年下に、まさか本気になるなんて……」
溜め息混じりに語る。
「水樹のことも同様デス」
それって。
遥だけが特別だと。そう言う彼。
冴木には遥の不安などすべて見抜かれていた。
「う、でも、あの」
まだ不安げな遥の様子に、冴木は彼女を引き寄せた。
「はん?こんだけ愛情注いでても、まーだわからないか」
彼は遥の胸元へ手を伸ばし、制服のブラウスのボタンを外し始める。
「ちょ、ちょっと!センセ、何してんの?ちゃんと言ったのにっ」
「バカなこと考えたお仕置き。俺がどれだけお前のことしか見えてないか、頭と体に叩き込んでやる」
ふふん、と笑う彼。
愛情、とか。さらりと言われてしまい、遥は恥ずかしくて嬉しくて。ついつい抵抗していた手から、力が抜けてしまいそうになる。
「で、他にも俺に言ってないことがあるだろう」
冴木は唇を重ねながら、遥の身体を自分の方へ向けて抱き直した。
彼の手が彼女の背中へ回り、その指を緩く引いて、長い髪がさらさらと舞う。
遥の白い喉元がさらされ、そこに冴木が口づけた。
「言ってない、こと?」
未だに慣れないその手に頬を染めながら、遥が聞き返す。
「俺のことを好きだって」
意地悪に微笑む冴木。
「言えよ、遥……」
……どうしよう。
この人、どうしようもなく可愛い時がある。
そして今は、目を逸らせないほど真っ直ぐに見つめられ。その妖艶な瞳に絡めとられた遥は逃げられないことを悟って。
赤面しながら、与えられる熱に溺れながら、冴木に囁いた。
「好き……。冴木センセ、だいすき……」
「……知ってる、けどね」
そのまましばらく息を乱されて。
キスの合間を縫うように、額を寄せたまま遥が呟いた。
「……せんせ?お願いがあるの」
「今この状況で言うか。お前実は小悪魔だろ。タチ悪いな~」
「真面目に聞いてよ。……やっぱり、私自分の手で桜ちゃんの仇を取りたいよ……」
冴木が手を止め、息を吐き出して遥の目を見た。遥は視線を逸らさない。
「……言うと思った」
仕方ない、と苦笑する。
放っておいたら、遥は暴走しかねない。大人しそうでいて、なかなか彼女は気が強いし、思わぬことをする。それなら目の届く場所にいて欲しい。それに、そろそろ頃合だしな。
冴木はそんなことを思いながら、遥に向かって口を開いた。
「一つ、考えがある。強引だし、谷村がかかるか分からないけど……やってみる?」
「うん!」
遥は力強く、頷いた。