エピローグ
「いや~派手だったよねぇ」
「誰のせい?ねぇ、誰のせい?」
「えー学園の伝説を作ろうと思ったんだよぉ。まさか玲一君があそこまでやるとはさあ」
「引っ込みつかないでしょ、あれくらいしないと」
感動?の卒業式を終え、玲一の部屋にて。泉理事長――恭一郎と玲一の漫才めいたやりとりを聞きながら、玲奈は苦笑する。その視線の先はテレビ。正しくは、健吾が撮った卒業式のビデオだ。恭一郎は上機嫌でいそいそと棚から未開封のディスクを取り出す。
「よっし、せっかくだからブルーレイに残しておこうね」
「やめろ」
玲一が玲奈を見る。お前の夫を何とかしろよ、の合図だ。……だが。
「よ~し、せっかくだから水瀬君にもダビングしてあげようね」
「玲奈っ!」
夫に続いて弟をからかいながら。心から笑って、玲奈は思う。
(やっぱり遥ちゃんは最強だわ。玲一にこんな顔させる子、他にいないもの)
彼女に逢うまでどこか冷めて淡々としていた弟が、やっと本音を見せるようになったことを、しみじみと嬉しく感じて、玲奈は遥に感謝する。それを直接伝えたいのだが。
「あれ?そいえば遥ちゃんは?」
「学年有志の送別会。もうそろそろ終わるだろ」
玲奈の疑問に答えながら玲一は壁の時計に目をやって、車の鍵を持って立ち上がった。
「迎えに行ってくる」
「ああ、じゃあ私達もお邪魔だから帰るわ」
「えぇ~むしろ邪魔したい……」
「恭一郎」
「はい、ごめんなさい」
玲奈に引きずられて帰宅する恭一郎をマンションの下まで見送り、玲一は車に乗り込んだ。エンジンをかけながら、姉と義兄が見せた嬉しそうな笑顔を思い出して、苦笑する。どうやら思っていたよりもずっと、自分は姉夫婦に心配をかけていたのだと知らされて。
水瀬からも携帯にメールが入っていた。
『よかったな』
いつもウザいくらいに長文と絵文字を駆使してくる彼の、らしくない簡潔な一文は、なによりも水瀬の思いを伝えるものだった。
「まったく、皆して過保護……」
呟きながら、自分も人のことは言えないか、とまた苦笑が漏れた。
駅前で友人達と別れを惜しんでいた遥は、すぐ傍に横付けされた車に気付く。小さく手を振って運転席の相手に微笑みかけた。
「うわあ、い~なあ、彼氏のお迎え!」
それを見てユミが頬を押さえてワクワクと言い、芽依が苦笑して「あんたも頑張りな」とユミの肩を叩く。周りにいた女子達も笑って言った。
「でもなんだかまだ信じられないよね。冴木先生と遥が彼氏彼女って」
「言われてみるとお似合いだけど」
うんうん、と頷く友人達に遥もそうね、と返す。こうして学校外で皆の前に彼氏として玲一が現れることなど、遥自身考えもしなかったのだから。
そう言っているうちに車から降りた玲一が、遥に寄ってきて。
「ありがとう、冴木せんせ……」
「もう“先生”じゃないでしょ」
遥が言い終える前に、彼は彼女の腰を抱き寄せて、こめかみに口づけた。
「れっ、玲一っ……!?」
「もー他の奴らの前でも我慢しなくていいと思ったらつい」
しれっと言う玲一に、遥は真っ赤になって口を開いたまま、言葉が出ない。彼女の後ろで恨みがましいうめき声が聴こえた。ーー拓海だ。
「さ~え~きぃ~!!あんた今まで我慢なんかしたことあるんスか!?だいたい卒業したって三月いっぱいは生徒だろうが!」
「お前達はそうだけど、俺は本日付けで退職したんだよ。目上の人に対する礼儀がなってないな、松本」
目を剥く彼を軽くあしらって、玲一は一層遥を抱き寄せた。
「卒業式で派手にやったおかげで、高嶋さんへも先生へも告白しようって奴は居なかったし、安泰ですね、冴木先生」
拓海の後ろからひょっこりと顔を出した健吾が、ニヤニヤと玲一に言った。それに躊躇いも無く頷いて、玲一もにっこりと笑う。
「まあな。松本に煩わされるのも終わりかと思えば、せいせいするね。じゃあな、お前ら。元気でな」
あっさりと別れを告げて。彼はついに遥を抱き上げた。
「玲一っ!?」
「もーダメだ、我慢できない。イロイロと」
「何なのそれ~!?」
あっという間に攫われた遥に、友人達は苦笑した。ユミが口を開く。
「冴木先生、あたしたちみんな別学部とはいえ、同じ付属大学に行くって、知らないのかな」
「知っててワザとじゃないの?」
芽依が続けた。
「まだまだ面白くなりそうだよな」
健吾がニヤニヤ笑って。
「冴木の性悪!!ドS教師、変態ドクター!!」
拓海の叫び声が響いた。
「玲一、待ってってば……っ」
あっというまに玲一のマンションへと到着すると、車から降りるのもままならず。遥は抱き上げられて、キスを落とされる。駐車場から玲一の部屋までが、もどかしいくらい遠い。
「ね、待って」
「無理。知ってるくせに」
玲一が妖艶に微笑みながら否定した。
エレベーターに乗り込むと同時に、玲一の腕の中からは降ろされたものの、壁に押し付けられてまた深くキスを交わす。抱き締めあったまま、倒れ込むように部屋へと入った。
「やっと全部、俺のもの……」
玲一が遥の両頬を包み込んで囁く。
「もう一生帰さない。一生、逃がさない」
彼の言葉に、遥は潤んだ瞳で微笑んだ。
「殺し文句だらけで、本当に心臓が止まりそう」
玲一と同じように、彼の両頬を包み込んだ。愛おしい恋人に囁く。
「一生つかまえていて。一生愛していて」
そうして指を絡ませて。どちらからともなく、キスを交わす。
お互いを求め合って、お互いに溺れた。
「「愛してる」」
重なった声。
深く強く繋がった、ココロとカラダに。遥は幸せな涙を零した。
**
白衣を羽織って、聴診器を首にかける。胸ポケットにペンを挿して……薬指の指輪にキスを落とす。
もう何年も、何度も繰り返した支度を終えて。デスクの上からカルテを取り上げた。
扉を開けると甘い顔立ちの白衣の医師が聴診器を首にかけたところだった。きょろきょろと周りを見回して口を開く。
「回診行きますよ~。……て、カルテは?」
「ココ」
水瀬は差し出されたカルテを受け取って、まばたきした。差し出した白衣の医師を見つめて微笑む。
「行きますか、親友」
「そうだな」
玲一も微笑みを返した。
*
「冴木先生~ちょっとダル~い」
保健室の扉が控えめに開けられた。
「熱測ってみようね」
白衣の背中に、サラサラと零れ落ちる髪を揺らして振り返った、美人養護教諭。
「ん~微熱か。少し休んで行きなさい」
「はあい」
遥は生徒に優しい微笑みを向けた。
「ねぇ~先生の旦那さんてどーゆーひと?」
女子生徒が、遥の指にはまる指輪を見て、好奇心に満ちた目で聞く。彼女は苦笑した。
「……そうね。すっごく綺麗で、優しくて、たまに意地悪で、人の為に一生懸命で……卒業式にした約束を、ずっと守ってくれるような人」
ふうん、とニコニコする生徒に笑いかけ、遥は玲一と同じように、
結婚指輪にキスをする。
保健室の窓から外を見上げればーーまたあの桜の季節。
放課後になって遥が帰り支度をしていると、不意に後ろから抱き締められた。
「終わった?」
振り返ると、玲一が優しい瞳で彼女を見下ろしていた。
「わざわざここまで迎えに来てくれたの?」
「ああ、ついでに義兄さんに呼ばれてたから」
保健室を見渡す玲一。数年経ってもあまり変わらない美貌に、悪戯めいた微笑みを浮かべる。
「懐かしいね。久しぶりにココでしちゃう?」
ベッドを指し示され、遥は赤い頬で彼を軽く睨む。
「こら。ダメです」
「はいはい。……冴木先生」
玲一の冗談混じりの微笑みに、遥はつい笑ってしまった。それを見てすかさず彼女の旦那様は妻を引き寄せる。
「じゃあ、キスだけ。ね?」
「もう……」
彼の言葉に、仕方ないな、と遥は目を閉じた。優しい温もりが降ってくる。
窓から舞い込んだ桜の花びらが、二人をかすめていった。
遥は微笑む。
私にとってはいつまでも。
あなたは素敵な、保健室の恋人。
fin.




