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保健室の恋人  作者: 実月アヤ
ep.6 未来への約束
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壇上の告白

 あっという間に秋冬を過ぎ、遥と彼女の友人達は、それぞれ無事に大学へ合格した。気付けば明日の卒業式を迎えるのみ。


「明日で高校生活も終わりだね」


 保健室で、遥は最後の保健委員の仕事を終えて、玲一に笑いかける。


「これからは一緒の時間も減っちゃうのかな」


 少し寂しい気持ちで言えば、玲一は苦笑した。


「そんなことないだろ?確かに昼間通う場所は別々だけど、すぐに同じ家に帰るようになるんだから」


 その言葉に、いつもなら頬を染めて俯く遥だが、今日ばかりはふとためらいがちに玲一を見た。何か言いたげな顔をして、瞬きする。


「……何?」


 彼女のその態度に、戸惑いを含んだ声で玲一が問いかけた。


「なにか、問題……?」

「ずっと考えてたの」


 彼の問いを遮って思い詰めた口調で言う遥に、玲一は内心焦る。

 まさか今更、振られるなんてことは――。


「玲一が私にくれたものがたくさんありすぎて、私には何も返せない」

「そんなこと」


 否定しかけたが、遥は首を横に振ってそれを止めた。


「だからね?私があげられる、唯一のものを貰ってくれる?私が約束できる、ただひとつのものを受け取ってくれる?」


 やっと向けられた、いつものふわりとした笑顔。不安や戸惑いをすべて溶かすような。それで気付いた。遥は思い詰めていたのではなくて、緊張していたのだ。

 恋人が自分の鞄から取り出したそれに、玲一が目を見開く。


「冴木玲一さん。私を、もらって下さい」


 差し出されたのは――婚姻届。

 遥の欄はきちんと埋められ、ちゃっかり彼女の母の署名まで入った、約束の証。

 いつかはと思っていたがーーまさか、高校生の少女から渡されると思っていなかったそれに、不覚にも絶句する。

 じわりと熱くなる頬を隠す前に、恋人の無自覚な追い打ちが玲一を襲った。


「こういうのも逆プロポーズって言うのかな?」


 先に言ってくれたの、玲一だし……と首を傾げる遥を、


「きゃ」


 玲一は思い切り抱き締めた。


「……ずっとこれが欲しかった。ありがとう、遥」


 遥は綺麗な微笑みを玲一に向けたまま、その腕を彼の背中にまわして強く抱き締め返す。と、彼女の視界がゆらりと揺れて、気がつけば遥はベッドの上に押し倒されていた。彼女を見下ろす玲一の視線に熱がこもる。


「ここでするのも、最後だな」

「……す、するの?誰か来たら」

「もう皆帰ったよ。鍵も掛けたしね」


 遥の首筋に唇を寄せてそう呟く保健医に、彼女は苦笑した。


「“バレないように”でしょ?」


 彼自身の言葉を返す。

 玲一はいつもの妖艶な微笑みを浮かべて。


「愛してるよ」


 ――壊れやすい宝物に触れるように、そっと優しいキスをした。



 卒業式――。

 遥はすでに潤んだ瞳でユミや芽依と一緒に並んでいた。

 そもそもは姉の桜の死の原因を突き止めるために編入した――そんなキッカケで入った学校だった。けれど玲一と出逢って、かけがえのない友人ができて、今は離れることが泣くほど淋しいなんて。想像もしてなかった。

 泉理事長が壇上でニコニコと祝辞を述べ、そしてふと、真顔で口を開く。


「皆さんの卒業と一緒に、養護教諭の冴木先生が学校を辞められることになりました」


 ザワザワとする生徒達。知っていた生徒も知らなかった生徒も、悲鳴混じりの声をあげて惜しむ。


(凄いな)


 遥は誇らしげな気持ちと、後ろめたい思いが半分ずつだ。玲一がこんなにもみんなに慕われて、人望厚い教師なのだと思い知って。玲一の容姿だけでなく、仕事に対する姿勢や、生徒への誠実さ。それが皆にも伝わっていたのだとつくづく思う。

 教師を辞めることへの、後押しをしてしまったのは自分だ。後悔は無いし、間違ってもいなかったと思う。だけどすこし、後ろめたい。

 けれど壇上に上がってきた玲一を見て、遥の葛藤などかき消された。柔らかい微笑みを向けて挨拶する『冴木先生』に、安心する。

 

「今までありがとうございました」


 頭を下げる玲一。遥の瞳から涙が零れた。周りの生徒たちからも、小さな嗚咽が漏れる。顔を上げた玲一は、生徒達を見回して、一層優しく微笑みかけ――それを押しのけて、理事長がマイクを掴んだ。嫌な予感に静止しようとした玲一の手をすり抜け、泉理事長は選手宣誓のごとく、高らかに言い放つ。


「え~それから、冴木先生はこの度ご結婚されることになりました~!」

「「「えぇえええ~っ!!?」」」


 脳天気な声音に、生徒と、なぜか一部、保護者である奥様方の悲鳴――。


「恭……理事長っ!」


 玲一が泉理事長を睨みつけるが、彼は心底面白がる顔でニヤリと笑った。


「もう解禁でしょ?おめでたいことは皆でお祝いしなきゃね」

「嘘ばっかり。楽しみたいだけだよね」


 理事長は玲一の抗議など聞く耳持たず。マイクを通して言う。


「ここにいる皆に御披露目してくれますよね、冴木先生」


 理事長の言葉に、玲一は諦めたように溜め息をついた。視線を向ければ、教師陣までもが、美山・真由子筆頭にワクワクとした目で壇上を見守っている。

 仕方ないな、と呟いて、玲一が微笑んだ。


「おいで、遥」


 生徒側では拓海が「うわああん」と天を仰ぎ、健吾はどこに持っていたのやら、ビデオカメラを構えた。ユミと芽依が茫然とする遥の手を両側から引いて、ステージへ向かって連れ出す。


「……っえ、ちょっと待っ……」


 遥は驚きのあまり、とっさに反応できない。友人達は迷い無く進む。クラスメート達は遥のために道を空けてくれた。皆のニヤニヤ混じりの笑顔が本物の笑顔に変わっていく。なんだかとんでもないことになってる。

 けれど。

 手を差し伸べて待つ、愛しいひと。

 その誘惑に勝てない。もう彼しか見えない。


「玲一……」


 まっすぐに立つ、その綺麗な姿。ステージへの階段を上がって、彼に近付く。振り向けばユミと芽依が微笑んで頷いた。

 そして遥が玲一の傍までたどり着いて。その手をとった、瞬間。


「ここにいる、全員に約束する。遥、お前を一生、幸せにする」


 優しい言葉と、強く引かれた手。抱き寄せた腕に、吸い込まれそうな瞳。

 重ねられた唇に、遥は静かに目を閉じた。


 悲鳴が、やがて大きな拍手に変わるまで。

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