壇上の告白
あっという間に秋冬を過ぎ、遥と彼女の友人達は、それぞれ無事に大学へ合格した。気付けば明日の卒業式を迎えるのみ。
「明日で高校生活も終わりだね」
保健室で、遥は最後の保健委員の仕事を終えて、玲一に笑いかける。
「これからは一緒の時間も減っちゃうのかな」
少し寂しい気持ちで言えば、玲一は苦笑した。
「そんなことないだろ?確かに昼間通う場所は別々だけど、すぐに同じ家に帰るようになるんだから」
その言葉に、いつもなら頬を染めて俯く遥だが、今日ばかりはふとためらいがちに玲一を見た。何か言いたげな顔をして、瞬きする。
「……何?」
彼女のその態度に、戸惑いを含んだ声で玲一が問いかけた。
「なにか、問題……?」
「ずっと考えてたの」
彼の問いを遮って思い詰めた口調で言う遥に、玲一は内心焦る。
まさか今更、振られるなんてことは――。
「玲一が私にくれたものがたくさんありすぎて、私には何も返せない」
「そんなこと」
否定しかけたが、遥は首を横に振ってそれを止めた。
「だからね?私があげられる、唯一のものを貰ってくれる?私が約束できる、ただひとつのものを受け取ってくれる?」
やっと向けられた、いつものふわりとした笑顔。不安や戸惑いをすべて溶かすような。それで気付いた。遥は思い詰めていたのではなくて、緊張していたのだ。
恋人が自分の鞄から取り出したそれに、玲一が目を見開く。
「冴木玲一さん。私を、もらって下さい」
差し出されたのは――婚姻届。
遥の欄はきちんと埋められ、ちゃっかり彼女の母の署名まで入った、約束の証。
いつかはと思っていたがーーまさか、高校生の少女から渡されると思っていなかったそれに、不覚にも絶句する。
じわりと熱くなる頬を隠す前に、恋人の無自覚な追い打ちが玲一を襲った。
「こういうのも逆プロポーズって言うのかな?」
先に言ってくれたの、玲一だし……と首を傾げる遥を、
「きゃ」
玲一は思い切り抱き締めた。
「……ずっとこれが欲しかった。ありがとう、遥」
遥は綺麗な微笑みを玲一に向けたまま、その腕を彼の背中にまわして強く抱き締め返す。と、彼女の視界がゆらりと揺れて、気がつけば遥はベッドの上に押し倒されていた。彼女を見下ろす玲一の視線に熱がこもる。
「ここでするのも、最後だな」
「……す、するの?誰か来たら」
「もう皆帰ったよ。鍵も掛けたしね」
遥の首筋に唇を寄せてそう呟く保健医に、彼女は苦笑した。
「“バレないように”でしょ?」
彼自身の言葉を返す。
玲一はいつもの妖艶な微笑みを浮かべて。
「愛してるよ」
――壊れやすい宝物に触れるように、そっと優しいキスをした。
卒業式――。
遥はすでに潤んだ瞳でユミや芽依と一緒に並んでいた。
そもそもは姉の桜の死の原因を突き止めるために編入した――そんなキッカケで入った学校だった。けれど玲一と出逢って、かけがえのない友人ができて、今は離れることが泣くほど淋しいなんて。想像もしてなかった。
泉理事長が壇上でニコニコと祝辞を述べ、そしてふと、真顔で口を開く。
「皆さんの卒業と一緒に、養護教諭の冴木先生が学校を辞められることになりました」
ザワザワとする生徒達。知っていた生徒も知らなかった生徒も、悲鳴混じりの声をあげて惜しむ。
(凄いな)
遥は誇らしげな気持ちと、後ろめたい思いが半分ずつだ。玲一がこんなにもみんなに慕われて、人望厚い教師なのだと思い知って。玲一の容姿だけでなく、仕事に対する姿勢や、生徒への誠実さ。それが皆にも伝わっていたのだとつくづく思う。
教師を辞めることへの、後押しをしてしまったのは自分だ。後悔は無いし、間違ってもいなかったと思う。だけどすこし、後ろめたい。
けれど壇上に上がってきた玲一を見て、遥の葛藤などかき消された。柔らかい微笑みを向けて挨拶する『冴木先生』に、安心する。
「今までありがとうございました」
頭を下げる玲一。遥の瞳から涙が零れた。周りの生徒たちからも、小さな嗚咽が漏れる。顔を上げた玲一は、生徒達を見回して、一層優しく微笑みかけ――それを押しのけて、理事長がマイクを掴んだ。嫌な予感に静止しようとした玲一の手をすり抜け、泉理事長は選手宣誓のごとく、高らかに言い放つ。
「え~それから、冴木先生はこの度ご結婚されることになりました~!」
「「「えぇえええ~っ!!?」」」
脳天気な声音に、生徒と、なぜか一部、保護者である奥様方の悲鳴――。
「恭……理事長っ!」
玲一が泉理事長を睨みつけるが、彼は心底面白がる顔でニヤリと笑った。
「もう解禁でしょ?おめでたいことは皆でお祝いしなきゃね」
「嘘ばっかり。楽しみたいだけだよね」
理事長は玲一の抗議など聞く耳持たず。マイクを通して言う。
「ここにいる皆に御披露目してくれますよね、冴木先生」
理事長の言葉に、玲一は諦めたように溜め息をついた。視線を向ければ、教師陣までもが、美山・真由子筆頭にワクワクとした目で壇上を見守っている。
仕方ないな、と呟いて、玲一が微笑んだ。
「おいで、遥」
生徒側では拓海が「うわああん」と天を仰ぎ、健吾はどこに持っていたのやら、ビデオカメラを構えた。ユミと芽依が茫然とする遥の手を両側から引いて、ステージへ向かって連れ出す。
「……っえ、ちょっと待っ……」
遥は驚きのあまり、とっさに反応できない。友人達は迷い無く進む。クラスメート達は遥のために道を空けてくれた。皆のニヤニヤ混じりの笑顔が本物の笑顔に変わっていく。なんだかとんでもないことになってる。
けれど。
手を差し伸べて待つ、愛しいひと。
その誘惑に勝てない。もう彼しか見えない。
「玲一……」
まっすぐに立つ、その綺麗な姿。ステージへの階段を上がって、彼に近付く。振り向けばユミと芽依が微笑んで頷いた。
そして遥が玲一の傍までたどり着いて。その手をとった、瞬間。
「ここにいる、全員に約束する。遥、お前を一生、幸せにする」
優しい言葉と、強く引かれた手。抱き寄せた腕に、吸い込まれそうな瞳。
重ねられた唇に、遥は静かに目を閉じた。
悲鳴が、やがて大きな拍手に変わるまで。




