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保健室の恋人  作者: 実月アヤ
ep.6 未来への約束
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信じてる

 翌日、朝一番で義兄に呼び出された玲一は、溜め息をついて理事長室を出た。

 すでに病院長から根回し済みで、泉理事長にまで『冴木先生の身柄引き渡し要求』がされていたのだ。

 泉理事長は「冴木先生はうちのもんだよ、おととい来やがれ、と言ってやったけど?」とか何とか涼しい顔で言っていたが。


「俺は子供のレアカードか何か?」


 ジジイとオッサンに取り合いされるなんて……楽しくない。

 玲一が病院を辞めると決めた時も、病院側の対応は凄かった。経営幹部陣に泣いて止められたのは誇張でも何でも無く、事実だ。インターン時から飛び抜けて腕が良く、見目麗しい若い医師などそうそうおらず、水瀬と玲一は金の卵扱いだった。

 それから二年半近く、おとなしかったから、諦めていたかと思っていたのに。病院長から聞いた真相は、今までにも冴木玲一を呼び戻そうという動きは幾度と無くあったものの、水瀬がかなりストッパーをかけていてくれたのだということ。

 ーー多分、玲一が“生徒の死”をふっきるまで、そっとしておこうと。


「どいつもこいつも俺を甘やかしてくれちゃって……」

 

 脳裏に浮かんだのは、遥の微笑み。

 いつだって、彼女は玲一を信頼してくれる。だから、彼女の返す答えなんてわかってる。遥は玲一を止めない。何を選んでも、何を決めても、笑ってくれる。


「だからって、黙ってて良いわけ無いよな」


 将来を約束するなら、彼女にだって無関係ではないのだから……。


「……あ、なんかイイかも」


 一瞬、新婚生活なんて想像してしまって。そんな場合でもないな、と苦笑した。



 そして玲一は遥を呼び出した。事情を説明して、自分の気持ちも吐き出す。

 なんでこんなに迷うのか、自分でもわかっている。医師としての自分も、捨てきれないからだ。教師になったときには未練なんてなかった。後悔もないし、むしろ幸せな時間だった。けれど今は、医師としてやり切ること無く、流されるように転職したことを少しーー後悔しているのだ。教師として誰かに向き合う重さを知ってしまったからこそ。

 玲一の言葉を、遥は黙って聞いている。


「……で、正直……迷ってる」


 この一言は出来れば聞かせたくはなかったが。大人で、教師で、彼氏でもある自分が吐くにはあまりにも格好悪い。


「そう」


 ところが、遥はにっこりと笑った。

 ――玲一が決めたことなら支持する。そう言ってくれると思っていた。

 ……が。


「お医者さんに戻ったらいいんじゃない?」


 あっさり、彼女は言った。


「……え?」


 拍子抜けして遥の顔を見る。彼女の口調は軽いけれど、決して考え無しにそんなことを口にする子ではない。穏やかな瞳で「生意気なことを言うようだけど」と前置きして遥が口を開いた。


「戻ってみて、やっぱり違うって思ったらまた教師をやればいいんじゃないの?道は一つだけじゃないし、玲一はもうそれを自分で証明してるのよ?」


 医師から教師に転職して。また望まれて。

 

「何回だって選びなおしたらいいじゃない。だからってあなたが無責任に放り出すような人じゃないのは知ってる。その上で選択するなら、玲一がどこで冴木先生と呼ばれていても、先生と呼ばれなくても、私には大切な人だし」


 最終的にはやっぱり、どんな玲一でもいい、と言ってくれるのは変わらないが。彼女の言葉に、玲一は参ったな、と笑って。


「遥、お前何だか強くなったな」

「だとしたら玲一のおかげね。それにね、玲一なら何でもできるし、何をしても大丈夫って信頼してるからよ」


 若さゆえの怖いもの無しなのか、惚れた弱みなのか。

 ――どっちでもいい。大事なのは、無条件に信じてくれるという事実。


「遥、キスしていい?」


 何だかそんな気分になって聞けば、彼女は赤くなって、周りを見回した。


「……ここ、学校だけど」


 玲一は笑って遥の腰を引き寄せる。


「知ってる。でもしたい」

「キスだけ、よ?」

「……努力する。約束はしないけど」


 ズルい、と言いかけたその唇を奪った。それでも素直に目を閉じてくれる彼女が愛おしい。


「……ごめん、俺の努力、二秒で終了」


 え、と目を見開く恋人を押し倒して、玲一は遥を抱きしめた。



「病院に戻ります。ただし、四月からです。……は?」


 数日後。

 昼休みの保健室で携帯を取り出して、先程から電話をしている玲一は、本当に相手が病院長なのか疑わしいほど高圧的だ。勤務時間内の通話はちゃんと許可を貰っているらしいが、内容が内容だけに遥も聞いていて良いものか迷ったのだが。


「……俺が欲しいんでしょう?お利口さんで待ってて下さいよ」


 ふ、と声にまで妖艶さを滲ませて。玲一はなんだかとんでもないセリフを吐いた。

(ちなみにそこで遥は、持っていたジュースのパックを落っことした)


「それからその頃には、僕は結婚してますから、福利厚生は手厚くお願いしますよ」

「!!」


 向けられた視線に、遥は拾ったばかりのパックを握りつぶした。真っ赤になった顔を俯いて隠す。


「水瀬のボーナス?知りませんよ。でもあいつが辞めたら戻りませんからね」


 あ、しっかりフォローしてる。

 ジュースを諦めた遥の首に手を伸ばして、玲一が鎖を引っ張り出す。電話を続けながら、遥の胸元で指輪を弄ぶ玲一の指に、落ち着かない気分で彼女は彼を見た。


「……え?……可愛いですよ」


 玲一の視線に、自分のことを話しているのだと気付く。


「僕にはもったいないくらいの、最高の女性です」


 まっすぐ遥を見たまま。

 電話に向かって言う玲一に、遥はどうしていいかわからない。

 恥ずかしくて嬉しくて……愛おしかった。



「医者に戻ることを決めたんだ?」


 珍しく泉理事長は彼の執務室ではなく、保健室に居た。放課後の保健室はひっそりとしているが、穏やかな温かさに満ちているのは、彼らがお互いに気心知れた仲で、そして今は二人ともが静かに微笑んでいるからかもしれない。


「まあ今の三年生の卒業を見守ってから、というのはこちらも助かるよ」


 理事長の視線を受け、玲一は姿勢を正して頭を下げる。


「勝手を言って、申し訳ありません。今まで、色々とご尽力頂いて感謝しています」


 ふ、と理事長は笑って。


「……水瀬君の力かな。いや、遥ちゃんか」


 その言葉に玲一も小さな笑みを返す。


「俺が支えられたというなら、玲奈と恭一郎義兄さんにも、だよ。……二度と言わないけどね」


 理事長――玲一の義兄は嬉しそうに笑った。


「君からそんな言葉を聞けるなら、君と遥ちゃんの交際がバレた時に頭を下げまくった甲斐があったな~」

「頭を下げた?確か理事達に笑顔を振りまいて色仕掛けをしろって、俺に強要したよね?あの時はおかげで顔面が筋肉痛になったんだけど」


 横目で睨む玲一に、泉理事長はついに声をあげて笑い出す。

 そして――彼から差し出された辞表を受け取った。


「遥ちゃんと、お幸せにね」

「ありがとう、義兄さん」


 理事長が出て行き、一人残された保健室で玲一は部屋の中を見回す。

 色々な生徒が居て。色々なことがあって。けれど何よりも遥と過ごした場所。


「場所が、変わるだけだ」


 彼女との思い出はこれからいくらでも増やしていけるのだから。

 それでも。


「少し寂しい、かな?」


 呟いた玲一は、そっとデスクの上を指で辿った。

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