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保健室の恋人  作者: 実月アヤ
ep.6 未来への約束
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先生への電話

 誕生日祝いの最後に、戻った二人を迎えたのは遥の母だった。


「あらまあ、お帰りなさい」


 遥かに良く似た柔らかな笑顔の母に、玲一は完璧な微笑みを返す。


「せっかくの誕生日に連れ出してしまってすみませんでした。ああこれ、お母さんにお土産です」


 ……いつの間に。

 遥は彼の抜かりない行動に内心ギョッとする。


「あら気を遣わなくていいのに、玲一君たら。こちらこそ遥に素敵な誕生日プレゼントをありがとうね」


 母の視線はしっかり遥の指に注がれている。


「玲一君も抜け目無いわね。なんなら婚姻届も書いておく?」

「ちょ、ちょっと、お母さん!?」


 エプロンのポケットからいそいそと印鑑を取り出す母に、遥は恥ずかしさでマトモに玲一を見られない。宅配便じゃあるまいし!どうしてそんなに気軽に出しちゃうの!

 けれど彼は苦笑してそれを止めた。


「せっかくですが、それは卒業まで我慢することにします」

「ま。忍耐強いのね」

「遥のためですから」


 交わされる会話に、遥はどうにも落ち着かない。


「二人とも、面白がってるでしょ……」


 けれど玲一はふと真顔で遥の母を見つめた。

 遥との婚約を願い出てから、いや、交際中からずっと協力的だった彼女。

 離婚してからずっと娘を一人で育ててきた母から、遥を奪うことに罪悪感が無いわけではない。遥とはいずれ一緒になりたいが、その際には一人になってしまう彼女の母との同居ももちろん視野に入れていたし、その旨も提案した。

 けれど遥の母は笑って言ったのだ。


「いやあね。若い娘の新婚家庭にお邪魔するほど悪趣味じゃないわ。それに私だってまだまだこれからですもの」


 確かに彼女は遥や桜の母だけあって、年齢よりずっと若く見えるし、美人だ。高校生の娘が居たって、きっと今までも引く手数多だっただろう。

 それでも再婚しなかった理由の一つには、娘が自立するのを見届けるという想いがあったのではないかと、なんとなく感じていた。

 玲一はそれを横からかっさらうことになるのだ。


「……感謝しています」


 密やかに落とされた言葉は、彼女にきちんと届いたのだろう。ふわりとーー遥にそっくりな微笑み方をして頷いた。

 遥は車へ乗り込む彼を見送る。母は気を利かせて先に家の中へと入っていった。


「じゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい……」


 運転席の窓から微笑む玲一を見つめて。

 遥は衝動的に彼の頬を両手で挟んでキスした。


「……っ、遥?」


 戸惑って、けれど少し嬉しそうな玲一に。真っ赤な顔を自覚しながら、伝える。


「ありがとう、玲一。……早く、ずっと一緒に居られるようになりたい……」


 言ってしまってから、恥ずかしくて俯けば。

 今度は彼から優しいキスを返された。


「……うん。同じ、キモチ」


 アイシテル、と呟いたのは、どちらだったのか。触れた指先を絡めたのはどちらだったのか。


「卒業したら……もう帰さないよ」


 玲一が魅惑的な視線で囁いた――。



 週末を終えて、登校すれば。


「遥、良い誕生日だったんだねっ」


 ユミは遥の首の鎖にかけられた指輪に気付いて、きゃあきゃあと喜んでくれた。さすがに学校に行くのに指にはしていけないけれど、少しでも身につけていたくて。めざとい友人には脱帽する。


「大変だったみたいね?」


 芽依が笑いを含みながら遥を見る。視線の先は指輪、ではなくて。


「――っ!!」


 遥は慌てて首筋を押さえた。そこに残るのは玲一が残した、痕。


「片手じゃ隠しきれないかもよ?今日体育無くて良かったね」


 芽依のからかい半分の言葉に、遥は真っ赤になった。幸い遥の長い髪に隠れて、近くでよく見なければわからない。彼女に無数の所有印を付けた当の本人は、遥のクラスが週半ばまで体育が無いことなど、計算済みに違いない。


「あはは、さすが冴木先生~」


 ユミがケラケラ笑った。真っ赤な顔で軽くじとりと睨めば、彼女を宥めるように芽衣とユミが口を開く。


「でも良かったね、遥」

「うん、良かったね」


 二人が心から祝福してくれるのを感じて、遥は微笑んだ。


(玲一に、私は何を返せるかな)

 

 ずっと考えていた。玲一が気持ちを形にしてくれたように。何かを返したい。けれど、玲一が欲しいものって?遥が彼にあげられるものって?


「私にできる約束って……なんだろう?」



 保健室では、玲一が携帯を片手に黙り込んでいた。彼を週末の楽しい気分から一変して複雑な状況に陥れたその一本の電話。


『聞いてる?冴木』


 電話の向こうの相手は、もちろん、水瀬だ。


「……聞いてる」

『悪くない話だろ?お前は今は臨時教諭だし、もうすぐ遥ちゃんは卒業だし。だからさ』


 水瀬の声が、懇願気味なのは気のせいだろうか。


『戻ってこいよ』


 もう一度、医師にと。


「……」


 返事をためらうのは、どうしてだろう。わかった、とも、断る、とも。

 一年前ならためらいなく戻っていた。数ヶ月前なら即刻断っていた。

 けれど、今は?


『もう、教師にこだわらなくてもいいだろ?水樹桜のことも。遥ちゃんがお前を変えてくれた。遥ちゃんがお前の意志を継いでくれる。なら、お前のこの先は?お前、自分の将来のこと、考えてる?』


 水瀬の奴。どこまで他人の心配をしてるんだ。


「そんなに俺と一緒に働きたいの?」


 あえて冗談に紛れさせて。玲一が笑いを含んで聞けば、水瀬が溜め息をついた。


『いや、お前と一緒に働きたいのは教授陣。連れ戻さないと俺、来年の夏のボーナスカットなの~!』

「知るか。ジジィ共のラブコールなんて寒気がする」


 甘いよな、本当に。

 水瀬がわざわざ電話で話をするのは玲一への気遣いだ。水瀬が玲一に戻って欲しいのは本心だ。会って、目を見て話せば、本気だというのはすぐにわかる。

 そうしたら、水瀬のそんな顔を見たら、多分、玲一は断らない。それを一番痛感しているのは水瀬だから。


「オネガイするなら、退路を断てよ。わざわざ逃げ道を作って俺を甘やかしやがって」


 最初から、鍵どころかドアも窓も開けっ放しの檻に入れと言われても。


『だって俺、冴木に恨まれるのやだし~。可愛い遥ちゃんに嫌われちゃうもん』


 茶化す水瀬に、溜め息をついて。


「考えさせてくれ」

『馬鹿、断れよ』

「どっちだよ」

『俺だってわかんね~んだよーー!』


 玲一は携帯をベッドに放り投げた。そして職員会議が始まる時間まで、ただ窓の外をじっと眺めていた。



 それから数日後。

 いつも通りの、保健室。……のはずなのに何か違うのは。


「冴木先生?」


 主が居ない。

 拓海と遥はプリントを抱えて保健室に来ていた。たまにはちゃんと保健委員の仕事だってしている。けれど呼びつけた当人が居ない。


「鍵開いてたし、留守じゃないよな」

「だと思うけど」


 デスクにプリントを置いて、開いていた窓へ寄れば。


「冴木先生?」


 窓の外。少し張り出した段差で、校舎に寄りかかるように座っていたのは、彼。携帯で誰かと話していて、遥達には気付いていない。


「……そう言って下さるのは嬉しいんですが。そこには水瀬も居ますし、優秀な医者ならもう充分揃っているでしょう。僕は去った人間ですよ」


 いつもとは全く違う、冷ややかで感情の見えない声。


「――戻らないとは言っていません。水瀬を伝言係にするのは止めて頂きたいだけです。彼は余計なことより、患者を診るのに時間を費やすべきなんですから」


 遥と拓海は顔を見合わせた。何となく、聞いてはいけないような気がする。


「とにかく考えさせて下さい。学校をすぐ辞めるわけにもいかないし。ええ、そうして下さい――病院長」


 玲一のうんざりしたような声が途切れ、いきなり立ち上がった彼と目があった。


「あ」


 拓海が気まずそうに言う。しかし玲一は動じることなく窓を乗り越えて保健室へ入った。


「あ、あのさあ、先生」


 拓海は今の電話の真偽を聞きだそうとする。

 だって、何だか、保健医を辞めて医者に戻れって、そう聞こえた。

 聞かないと、良くない気がする。玲一がありありと言う気がない、と顔を逸らしていても、だ。


「先生、今の」

「松本君」


 拓海を止めた、遥の声。彼女は何も言わずに微笑んだ。

 玲一がかすかに目を見開いているのを見て、拓海はこっそりため息をつく。

 ……やっぱり、高嶋さんは冴木に甘い。不安になって、問いただしてもいいはずなのに。そんな、絶大に信頼してます、なんて目で見たら。


「後で、話すから」


 拓海が思った通り、玲一は遥の微笑み一つで動揺して。

 拒絶していた壁はゆるやかに崩れ、彼はついそんな言葉を口にしていた。

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