ep2-5 プロローグ
学生の一大イベント、文化祭――。
お祭り好きな理事長を筆頭に、泉学園ももちろんのこと、大いに盛り上がっていた。
「……何その格好」
白衣の保健医が、唖然と呟く。目の前のクラス――3Aは確か喫茶店をやる予定のはずだ。
しかし仕事の合間に見に来てみれば、女子達は皆色違いはあるが、同じ衣装を着ている。基本は制服をデコラティブにしたような、けれど色味はピンクやら水色やらに、チェック柄。ミニスカートはボリュームを持たせてあって、ヒラヒラ揺れる。頭にはこれまた同じ生地で作られたコサージュが飾られていて。
「何って先生、アイドルカフェだよ。A●Bだよ、AK●」
ユミがあっけらかんと言う。首を傾げて養護教諭に問うた。
「可愛いでしょ?」
「目がチカチカする」
玲一だってテレビくらい見るし、芸能人にも疎いわけではないが。
「リアルで見ると怖い」
「失礼な!!」
そこへおずおずとかけられる声。
「ユミ、リボン結んで貰える?」
お目当ての声に振り返った彼は、絶句する。遥も同じ、ピンクチェックの衣装を着ていた。まず目がいったのは恥ずかしそうに困ったようにしている表情。それからーーいつもより短いスカート丈から伸びるすらりとした足が眩しい。ものすごく眩しい。
「ぎゃ~可愛い!総選挙一位だよ!!文句無しのセンターだよ、遥!!」
ユミが叫んだ。
「え、え、あの」
慌てる遥を見て、玲一がにっこり笑う。
「うん、可愛いな」
「冴木先生……さっきと言ってること違いません……?」
一転して甘ったるい声で囁く彼に、芽依が顔をひきつらせて突っ込んだ。
なるほど、彼は女子高生そのものには全く興味が無く、ただただ愛しい彼女だけが特別だとはっきり証明された図だった。
まだ午前中だというのに、さすがにアイドルカフェだけあって、3ーAクラスは盛況だ。遥は桁違いだが、このクラスはそこそこ可愛い女子が揃っている(と通りかかる男子が主張していた)ために、見た目にも華やかだ。男子は完全に裏方に引っ込んでいるらしい。
男ばっかだな、と認識して玲一はちょっとムカッとくる。
生徒だけでなく外部の人間も大勢来ている。教師で、かつ理事長の身内である以上、あまり派手なことはできない。
……つまり、遥を指名したり、わざわざ何度も呼んだり、かつ微笑みかけられて鼻の下を伸ばしている男共を殴り倒したりは出来ないのだ。
「あ~これはストレスかも」
目の毒だと、保健室に戻ろうとして――入り口にいた外部生のグループの中の一人、私服の少年にぶつかった。
「失礼」
軽く謝る。けれど相手は茫然と中を見ていてそれに気付かずに。その口から一人の名前が小さく叫ばれる。
「……遥っ」
ん?
彼女を呼び捨てで呼んだ、その男子と、一緒に居た何人かの男女が同じく目を丸くして、教室の中に居る遥を見た。玲一はつられたように足を止める。
「……久しぶり……」
彼女は息を吞んで驚いた後、恥ずかしそうに呟いた。その一瞬によぎった憂いの表情を、白衣の保健医は見とがめて眉を上げる。まるでここに来たばかりの頃の彼女のようなーー躊躇いの表情を。
「えっ、知り合い?」
彼らのやりとりを見ていたユミが遥に聞く。遥が頷いた。
「前の学校の友達」
ああ、なるほど……。
玲一は入り口を塞いでいる彼らが教室に入りきるのを待っているかのように、足を止めたまま。実のところは遥の様子が気になってそれを眺めていた。その目の前に遥が近づいて来る。
最初に遥を呼んだ男子は、真っ赤な顔をして彼女に見惚れていた。明らかに遥に好意を持っているのがバレバレだ。
「久しぶり、遥」
「そうね、元気だった?航希」
名前で呼びあうほどの仲なのか、と玲一は内心ざわめくものを感じる。泉学園では呼び捨てどころか、ファーストネームで呼ぶ男友達も居ない遥が見せた、彼女の柔らかな境界線を超えるそれ。案の定、呼ばれた少年はパッと顔をほころばせた。彼と一緒に居た他の少年少女も興奮気味に遥を囲む。
「なんか、遥ってばますます綺麗になったね……」
「ふふ、何それ」
ふわりと微笑む遥に、後ろから覗き込んだユミがニヤリと笑う。
「そりゃあ、あんな格好良い彼氏に愛されてればね」
(ナイスだ、槙原)
年甲斐もなく、玲一は心の中でガッツポーズをする。
槙原ユミは難なく話の輪に入った上に、遥には恋人が居るとあの男子に牽制してみせた。実はあいつ結構空気読んでるんだな、と妙なところで感心する。
「えっ遥、彼氏いるの?」
やはりというか、あの航希という男子が食い付いた。
「……うん」
遥が微笑む。感情を読ませない、綺麗な笑み。少年は目を見開く。
「ちょっと、待って。だってお前」
航希の手が遥の肩に触れようとした瞬間、遥の身体が後ろに引かれ、航希の手は空を切った。彼女の背後を見ればーー白衣の教師。玲一がそこに居た。
「ああ、ごめん。リボンが引っ掛かった」
白々しい台詞。彼は有無を言わせない完璧な美貌で微笑み、遥の友人達は真っ赤な顔で硬直する。泉学園の生徒側は皆、別の意味で硬直した……氷の嵐を予感して。
「曲がっちゃったな」
遥の襟首を猫のように掴んで引いたために歪んだそれ。玲一はそのまま指を伸ばして、遥の胸元のリボンを結び直す。軽く伏せた目を上げて、ゆっくりとその指で結び目をなぞってから離した。
「……っ!」
彼の圧倒的な色気と、その行動の意味する特別な雰囲気に、遥もまわりも真っ赤な顔をして、茫然とその一連の動作を見つめることしかできず。
玲一は最後に航希を見て、ふ、と目だけで笑う。
「オトナ気ない……っ」
遥が玲一にしか聞こえないように、口の中で呟くのを愉しそうに眺めて。やっと満足した玲一は、その場を離れた。
*
「さっきの、誰」
遥は航希に連れ出されて、中庭まで来ていた。他の友人達は察して、少し離れた模擬店を見て回っている。
「さっきのは、保健室の先生」
「え、先生なの?」
航希は意外そうに言った。確かに冴木玲一は見た目も行動も教師らしくないかもしれない。白衣こそ着ていたが、今日は文化祭だ。仮装している者も多いから、何かの衣裳にも見える。
遥は思い切ったように口を開いた。
「あのね、航希……」
「遥何にも言わずに転校しちゃったよな。お姉さんが亡くなったって、物凄く落ち込んでて、俺見てられなくて。なんの力にもなれなかったけど、でも」
航希は男子の中では一番仲の良かった友達だ。航希だけじゃない、今日来てくれたのは皆名前で呼び合って、放課後はいつも一緒に遊びに行くような。
それが崩れたのは、遥が姉、桜の死で何も見えなくなってしまったから。
「ごめんなさい」
俯く遥に、そうじゃなくて、と航希が続ける。
「でも、ずっと遥に会いたかった。……彼氏なんて、他の奴と付き合ってるなんて。いつの間に、ってカンジ」
まさかさっきの教師らしくない教師――高校生相手に威嚇するようなオトナ気ない、けれど向かうところ敵無しの絶対的美貌の持ち主が彼氏だとは言えない。
航希とは、確かに一番仲が良かった。寄せられていた好意にも気付いていた。もしあのままあの場所にいれば、航希と付き合っていたかもしれない。だけど。
「彼を好きになったの」
玲一と出逢ってしまった。
あっという間に恋に落ちて、あっという間に捕まってしまった。
……ちょっと、いやかなり強引な人だけど。クールなのに、オトナ気なくて、たまに公私混同するような人だけど。
「もう他の人は見えないの」
遥の穏やかな笑みを見て、航希が焦ったように口を開く。
「っと、待って。俺今でもーー」
「諦めの悪い男と、嫉妬深い男って、どっちがより嫌われると思う?」
涼やかな低い声が、その場に割り込んだ。
校舎の窓から頬杖をついてこちらを眺めているのは、やはり先程の白衣の保健医だった。眼鏡をかけているところを見ると、ちゃんと仕事中だったようだ。
「どっちもどっちで迷惑千万じゃねぇ?冴木先生」
玲一の後ろから、拓海が突っ込む。
「また、あんたか……っ」
航希が顔を歪めて言う。玲一はその言葉を受け流すように首を傾げてみせた。
「ここ保健室。俺の定位置。お前達がそこ通ったの。よって俺に責任は無し」
飄々と言う彼。
「そう、勝手に告白タイムに突入したのはそっちだからな」
拓海がこの時ばかりは玲一に加勢した。何せ、遥ファンとして争奪戦に参戦する他の男の数はなるべくなら減らしておきたい。『ラスボス一人で充分』てことだ。
「だいたい何でさっきからアンタちょっかいを」
「航希」
遥が諫めようとするが、血気はやった航希は止まらない。
「引っ込んでろよ、オッサン!」
あ、言っちゃった。
思ったのは誰だったのか。とにかく遥も拓海も青ざめた。――主に航希の身の危険的な心配をして。
タイミング悪く、そこを通りかかった外部生らしき男子達が遥を見て口笛を吹く。
「カッワイイー!本物以上!!」
「……このガキ共」
いっそ凍りつくような笑顔でぼそりと呟く玲一を、拓海が必死に止めた。
「先生!自分の職を思い出してね!?お義兄様が泣いちゃうよ!?」
「あの狐が泣こうがわめこうが知るか。いっそ隠居させてやったほうが世界平和に貢献できるだろ」
「ここは耐えて!自分の立場を自覚して!!」
……教師が生徒に言われる台詞とは到底思えないやりとりをよそに、航希は遥を引きずっていってしまう。拓海は目の前の氷の嵐にそれどころではない。
やがて玲一が口元を歪めて呟いた。低い声が漏れる。
「……要はバレなきゃいいんだろう?」
「お、お、俺を巻き込まないで下さい、冴木先生……!」
玲一の冷酷な声音と完璧な微笑みに、拓海は必死で逃亡手段を考えていた。




